ジャンクの山の実家
今回はとくに何も起こらないです。
「ただいま……」
ボロボロの障子を開けながら、泰吾は言った。
「おかえり」の代わりに彼を迎えたのは、鼻を刺す油の臭い。それは、この場所がジャンク屋だということを示していた。
「お邪魔します」
ひょっこりと顔を覗かせるのは、付いてきた空。明日香に負けた後、彼を気遣ってきたのだ。
「すごい海の近くにあるんですね」
空の言う通り、家の裏側はもう海だ。日中この家にいると、多くの作業員がせわしなく港で作業しているのが見える。
そして、場所が風変りであれば、この家もまた風変りだ。彼女の前にあるのは靴箱から始まる廊下などという一般的なものではない。
玄関の代わりに黒いジャンクをたっぷり溜め込んだ山積みの段ボールがある家を見て、果たして彼女はなんて思うだろうか。
「すごいです!」
予想外にも、目をキラキラさせている。部品の内容を理解しているというより、知らないものへの好奇心が大きいのだろう。知ってか知らずか、あれこれのパーツを取っては眺め、また取っては眺めている。
「先輩! これなんですか!?」
空が持ってきたのは、黒さびが少なくないジャンクパーツ。手のひらサイズの大きさで、どことなく鳥の翼に似ているが、なんのパーツなのかは泰吾にはさっぱりわからない。
「さあ? 気に入ったのか?」
「はい! とっても可愛いです!」
(可愛い……?)
泰吾は少年のようにキラキラした瞳でパーツを眺める空に少し驚いた。
泰吾は不良在庫の山と空のパーツを見比べて、
「それ、持って帰っていいよ」
「え?」
「爺ちゃんもこの前在庫整理に色々手こずっていたし、色々教えてくれたお礼だ」
「でも、さすがに……」
空は少し困惑気味だ。この年頃の女性というのは現金な性格が多いと前に雑誌で見た気がするので、泰吾は少し感心した。
「いいさ。気にするな……」
「でも……分かりました」
空は、泰吾の顔を覗き込んで頷いた。が、空は「その代わり、」と人差し指を立てる。
「先輩」
「ん?」
「少しは元気出してください。そんなに落ち込んだ表情されては、受け取っても少し嬉しくないです」
一瞬、空が言った言葉が理解できなかった。横にあった鏡を向いて、初めて自分が暗い表情をしていることに気付いた。
「ああ、俺はどうやら少し落ち込んでいたようだな」
「ええ。だから、少しは笑ってください」
「ああ……あれ、少し笑いにくいな……」
努めて口を釣り上げてみても、若干顔がこわばっている。鏡もそれはあまり笑顔とは呼べないと語っている。
「あれ、そういえばここ最近笑った記憶がないな……睦城、笑顔ってどんな感じだったか?」
「こんな感じですよ」
空はいとも簡単に屈託のない笑顔をしてみせた。ほの暗い室内でも、その場に日差しが差しているように明るく、泰吾は思わず目を伏せた。
「さ、先輩もどうぞ。笑ってみてください」
「あ、ああ。こんな感じか……」
「もっと力を抜いてください」
「そんなに力んでいるか? じゃあ……」
「手動でやっても少し困りますよ……プッ」
すると、空が突然噴き出した。
「先輩、なんかおかしいって、ごめんなさい、ちょっと笑っちゃう……」
なぜか空は腹を抱えて呻いている。そんなことをされる覚えが全くない泰吾は、むしろ困惑していた。
「でも、少し逸夏先輩が接しやすいという感じがしました」
「え?」
空は、両手を背中で組んで、
「さっき部室で話していたとき、その、失礼ですが、あまりとっつきにくい人なのかなって思っていて。でも、実際に話してみると、とてもいい人で、ちょっと安心しました」
「あ……」
(そういえば、俺って前からこんなに物静かだったっけ……?)
泰吾の一瞬の迷いを知ることなく、空が右手を差し伸べた。
「だから、これからもエンシェントとしても、同じ部活の生徒としても、よろしくお願いします!」
「……ああ」
泰吾は、その手を握り返した。空の小さな手はとても温かく、どことなく安心できた。
その時、
「なんじゃ、騒がしいのう」
店の奥のふすまから声が聞こえてきた。
ガラガラと音を立てて現れたのは、腰がまだ直立している老人。白髪ではあるが禿げておらず、むしろ若々しくも見える。体のいたるところには黒い油がついており、見ただけで長らくジャンク屋一筋の職人なのだと分かる。
「なんじゃ、泰吾、帰っておったのか」
老人は泰吾の姿を認めると、にこやかにほほ笑む。彼の背後からはおいしそうな匂いを含む白い煙が昇っている。
「なんじゃ? その娘は誰じゃ?」
「え? 娘?」
たった一つのワードに惹かれたのか、老人の頭上に女性の顔が現れる。
「あ、泰吾! なによあんた、彼女連れてきたの!?」
ショックを浮かべたような顔をする女性は、老人を突き飛ばし「こらゆかり! 年寄をもっと大事にせんかい!」空に向かって一直線。女性は空の顔を眺めまわしながら、
「ふむふむ。で、泰吾とはどんな関係?」
「あの……」
「やめろ、姉さん」
女性を空から引きはがす。
「この子はそんな関係じゃない。今日知り合った学校の後輩だ」
「な~んだ、ただの後輩か~。そうよね、あんたみたいな陰キャラが彼女なんて作れるはずないものね」
「二十四にもなって浮いた話一つもない人には言われたくないな」
「うるさいわね。大人には、お子様とは背負うものが違うのよ」
女性は髪をわざとらしく靡かせた。
「でも、今日知り合ったばかりの子を家に誘う、普通? 連れ込んで夜のあれこれしたいのは分かるけど、もう少し段階を踏みなさい」
「どうして姉さんはいつもそう発展するんだ……だから彼氏ができないんじゃないのか?」
「ああ?」
思わずドスのある声に、泰吾は震えあがる。だが、結婚できない姉はすでに顔をぐいぐいと近づけていた。
「だからできない? 世の中がアタシの魅力に気付かない男ばかりだからだ……それにな、結婚が若すぎると、生活にも苦労するんだよ。アタシの友達に学生時代にできちゃった婚したやつがいるんだが、そいつの末路はどう思う? とてもじゃねえけど悲惨なもんだぞ? この前後輩の……ああ、なんでアイツが、アイツがアタシより先にいいいいいいいいい!」
発狂し始めた姉から距離を置き、泰吾はずっと見守っている老人に向き直った。
彼の名前は逸夏源八。泰吾と彼氏いない歴イコール年齢の女性、逸夏ゆかりの祖父である。
「夕飯の準備か? 手伝う」
「いや、ゆかりが全部作っておるから必要ないわい。それより、ほれ」
源八は泰吾に何かを投げ渡した。
「なんですか、それ?」
「ああ、新しいバイクが完成したのか」
空の質問に答え、泰吾は源八の「さあ、試運転じゃ」という言葉に頷く。
「んじゃ、ゆかり。夕飯、あとはよろしく頼むぞ」
「姉さん。じゃ、また後で」
「えっと……お邪魔しました」
三人がジャンクの山から出て行ったあとも、ゆかりの発狂は止まらなかった。
「これじゃ」
源八が布を取ると、そこからバイクが現れた。黒く、ところどころに傷が深く入っているが、今にも動き出しそうな躍動感。源八がネジ一本一本を鍛錬込めて入れたことが伺える。
「どうじゃ、泰吾。既製品なんかには負けんぞ。儂の作ったバイクこそが世界一じゃ!」
「すごい……早速使わせてもらってもいいか?」
「おう! 乗ってみ走らせてみい! ついでにお嬢さん!」
「はい?」
まさか声をかけられるとは思わなかった。投げ渡されたヘルメットを見下ろし、
「ついでじゃ。二人分の馬力もチェックしたいからのう。泰吾、お嬢さんと一緒に少し走らせてみい。データを取ってくれ」
「分かった」
「じゃ、これ測定器」
「うん」
源八から手渡された機械を前輪近くに取り付けた泰吾は、
「睦城。どうする?」
「え?」
「儂のバイク製品化へのテストなんじゃ。協力してくれんかの?」
「あの……話が全く分からなくなっているんですけど……」
「ああ、そうか。バイクを見るところまでしか伝えていないか」
泰吾はバイクから降りる。
「見ての通り、家はジャンク屋なんだ」
「ジャンク屋?」
「そうじゃ!」
ここの解説は任せろとばかりに源八が割り込む。
「クロガネ屋と言ってな。ご近所さんじゃと知る人ぞ知る老舗という奴じゃ。パーツで注文の品をなんでも作っておる。ただ、滅多に客が来ないから、なにか目玉商品を作ろうと思ってな」
「儂がバイクを作ることにしたんじゃ! 許可はもらっておるよ」
歯の抜けた笑顔を見せる源八。空はバイクを全く知らないが、個人が製造、販売してもいいのだろうか。
「じゃが、あれこれ試作してもなかなか失敗続きでのう。泰吾がバイク免許持っておるから、色々試せるんじゃが」
「この前は馬力不足に陥ってな。今回、たまたまそこを重視して改良したから、どうせなら二人分の負担をかけてみたいんだ。頼んでいいか?」
「はい……いいですけど……私は何をすればいいのでしょうか?」
「泰吾の後ろに捕まってるだけでええわい。それで一時間でも走れれば、とりあえず今回は終了じゃ」
「それだけですか?」
「うむ。まあ、無理にとは言わんが」
「あ、いいえ、大丈夫です。やらせてください!」
空は元気よく答えた。
「手作りの乗り物なんて、滅多に乗れるものじゃありませんから! 乗ってみたいです!」
最初はこの立場、マイの仕事だったのですが、空のキャラクターが完成した瞬間乗っ取られました。
まあ、彼女にも明日香にもちゃんと役割は持たせます。たぶん、きっと。




