お姫さまの苦悩
ポケモンほしいけど、3DS買うべきかどうか迷うこのジレンマ……
「お兄様……」
マイのうんざりしたような発言で、泰吾はこの男が彼女の兄にあたる人物なのだと理解した。
それにしては似てない兄妹だ。
マイの燃えるような赤髪に対し、この男は癖毛が激しい腰までの金髪。
一切化粧などせずとも見とれる美しさの妹に対し、これでもかと派手な色合いの化粧を塗った兄。ちなみに雨で、それは早くも崩れかけている。
「迎えに来たぞ、我が愛おしの妹よ! さあ、ありがとうお兄様と胸に飛び込んできたまえ!」
そう言いながらマイの胸に飛び込もうとするお兄様。
巨乳に埋もれるという全世界の紳士諸君の夢を叶える前に、妹のかかと落としにより、その顔が泥沼へ落下した。
「そういうのやめなさいっていつも言ってるでしょ‼」
「おいおい、いいのか……?」
マイの突発的過ぎる行動に、泰吾は恐れおののく。彼女の兄ということは、レクトリア王国の皇族ということではないか。
が、とうの本人はどこ吹く風。
「いいの。何回言っても聞かないお兄様が悪いのよ」
「マイ‼ 私の美しい顔になんてことするんだ!」
がばりとゾンビのように起き上がったマイの兄。化粧は雨と泥で完全に落ちたが、代わりに泥が顔を包んでいる。
「ああ、なんということだ……レクトリア王国次期国王が、こんなところで顔に傷でも入れたらどうするつもりだ……⁉」
「なら少しはあたしの言葉にも耳を傾けてほしいわね。バカ王子」
「次期国王⁉」
泰吾の耳がおかしくなっていなければ、目の前のこのお方は、世襲制のレクトリア王国の長男ということになる。そこでようやく次期国王は泰吾の存在に気付いたのか、
「これはこれはお初にお目にかかる。マイの友人どの。そう! 私が‼」
彼は青いマントを翻し、リムジンの上に飛び乗る。正直跳躍力よりもリムジンに泥が付いたことが気になった。
「レクトリア王国第五代国王、レク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである‼ 頭が高い!」
「まだ国王になってないでしょうが。お父様まだ生きているわよ」
長々しい名前だが、顔が泥まみれでほとんど見えないため、あまり威厳がない。そして、
「すみません、もう一度名乗っていただいてよろしいですか?」
泰吾は、それ以外の返答が見つからなかった。
それをレクトリア王国第五国王は、
「む? 我が真名をもう一度その耳に刻みたいか? よかろう。我が名はレク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである!」
「すみません、もう一度……」
「レク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである! なんと美しい響きだ……」
「そうですねうつくしいですねそれではもういちどおねがいします」
「レク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである!」
「もういちど」
「レク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである!」
「もう……」
「レク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである!」
「えっと……どう呼べば……」
「レク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである!」
「いや、もっと……」
「レク・コチイボシゴ・ビシユジガ・エスカである!」
「あの、聞いてます?」
「レク・コチイボシゴ・ビシユジ……」
「さっさと帰れ!」
永遠に続きそうだった次期国王の名乗りは、マイの足払い、一本背負い、そしてリムジン内部への巴投げのコンボに破られる。家さえ買えそうな豪華な内部を泥で飾り付け、乱暴にドアを閉める。
「……長ったらしいから、お兄様の名前はレクで充分よ」
「レク……さまと呼べばいいか?」
「呼び捨てでいいわよ。もったいないから」
「さあ、我が愛おしの妹よ。ともにわが家へ帰ろうではないか」
一安心も束の間、ドアが開き、泥だらけのレクがマイを引き込もうとしていた。最早ホラーの域。
「だからそういうのやめなさいって言ってるでしょうが!」
しかしマイは慣れたもので、レクの顔を蹴り、もう一度ドアを閉め、唖然としていた運転手に「さっさと大使館へ行く!」と命令し、リムジンを校門から撤退させた。
その時、リムジンの内側から「我が愛おしの妹よ! 今日こそは一緒にお風呂入ろ~」と叫んでいたのは錯覚だと思いたい。
「ねえ、泰吾。胃薬あるかしら? お腹痛い」
ゴーレム以上に疲れを見せるマイへ、泰吾が与える言葉はただ一つ。
「身内の恥は自身の恥。諦めろ」
苦しそうにしているマイが少しかわいそうになった。
「いらっしゃいませ」
レストラン「月光」での扉を開けた途端、泰吾を迎え入れたのはそんな挨拶だった。
「あれ? 福原?」
その挨拶を行った人物を見て、泰吾が真っ先に呟いたのは、その名前だった。
こちらへ駆け寄るメイド服の店員。ふさふさのツインテール、くりくりした大きな瞳。幼さが残る顔つきは、まるで少女漫画から飛び出してきたかのようで、メイド服はむしろ可愛らしさを助長するというよりは、可愛さと美しさを兼ね備えさせるためのものだ。
それがクラスメイト、福原こころだということは問題なく分かる。
「逸夏くん、それにマイちゃんもいらっしゃい。羽月ちゃんはまだ上だけど、呼んでこようか? それともここで待つ?」
「ここで待つよ。別に用事があってきたわけじゃない」
「分かった。二名様入りました!」
こころに案内され、二人用のテーブル席に案内される。もう内容も大体覚えたメニューを受け取り、
「あれ? マイちゃん、もしかして疲れてる?」
ぐったりと机に伏したマイに、こころが問いかけた。
すでに開口することすらしんどいマイに代わり、泰吾がその理由らしきものを打ち明ける。
「さっき学校から出るときに、ちょっと色々あってな。兄貴に絡まれた」
「あ~、あの強烈なお兄ちゃんだね。ちょっとあれは私も初めて見たときビックリしたかな」
こころも苦笑いしながら頷く。つまり、レク……でよかったか。彼がマイの反対を押し切って突撃してくることはこれまでも多々あったということだ。
「さて、注文はなににする?」
「あ~、……ホットココア二つでいいや。エスカはあれを忘れたいみたいだし」
「あはは、そう……みたいだね」
こころもマイが自らの頭をポコポコ叩いているのをみて同意した。
「あのお兄さんも妹さんが好きなのはいいけど、ちょっと過剰だよね」
「全くだ。ところで、エクウスはどうしている?」
「エクウスさん? ときどきお店を乗っ取ったり、ふらっといなくなっては数日で戻ったりしてるけど、まあ厨房仕事ならなんでもござれって感じかな。ちなみに今日はそのいなくなる数日間みたい」
こころが少し困った表情をしたが、泰吾はむしろ安心した。
トレジャーハンターのエクウスは、以前たまたま出会ったエンシェントで、そのまま成り行きでこのレストランに住み込みで働くことになった青年だ。この店の長女、白珠美月に乗せられ、今に至る。
彼の非社会的な性格で、ここにちゃんと適応できているか不安だったが、杞憂に終わったらしい。
「にしても、福原はとくに問題なく順応したよな。他のバイトは少しいざこざがあったと聞いたが」
「うん、まあみんなで大歓迎っていう風にはならなかったよ。でも、エクウスさんのいいところをみんなで見つけようって説得して、なんとか私に免じて認めさせられたんだよね。ちょっと大変だったかも」
「マイよりお前に胃痛を渡したいよ。持ってないけど」
「あはは。じゃ、ごゆっくり」
マイは伝票を携えて、厨房へと戻っていった。
客は彼女一人でも充分に回せる人数で、他二人のバイトは手持ち無沙汰になっていた。
降りやむ様子もない雨空を見つめた後、泰吾はマイの頭を小突く。
「おい、大丈夫か?」
「あんたにだけは、知られたくなかったわ……」
「元気出せよ。別にネタにしてからかわないさ」
「そうじゃないのよ……少なからず、あんたの中のあたしが傷ついたのよ……! 明日香に知られてから、アイツがあたしのことなんて呼んだか分かる⁉」
「分からないけど、想像はできる」
「ああああああああああ! なんであのバカ兄に王位継承権があるのよ‼ いとこの方がよっぽど有能なのに! いっそのこと、レクトリア王国も自由選挙制も導入しちゃえばいいのよ! そうすりゃあいつ絶対に蹴落とされるから!」
「そうなると王権政治も終わりそうだな」
「あんな奴が王様になるよりは百倍マシよ‼」
マイは顔をうずめたまま大きく振る。兄のことをそこまで悪く言うなよと思いながら、泰吾は物思いにふける。
『私のこと、何が分かるっていうんですか⁉ まだ赤の他人でしかないあなたに、一体何が⁉ 私に、深くかかわらないでください!』
「そういえば、空のこと、何も知らないよな。今の俺……」
知っている彼女の面は、エンシェントとしての一面だけだ。趣味とか、好きなものとか全く分からない。それは彼女だけではない。
明日香も、エクウスも。エンシェントとしての一面以外で彼らについての理解がほとんどない。週に一回掃除しているおかげで、マイがホラー映画を好んでいること、以前ここに来たときに自らを明かしたから、羽月が機械いじりが好きだということを辛うじて知っているくらいだ。
一度謝って、空から教えてもらうしかないだろうか。そう考えていると、
「二人とも~、羽月ちゃんが呼んでるよ」
こころが二人にそう呼びかけた。




