鬼
書きだめ……書きだめ……書きだめが足りない……
遅れて申し訳ない!
その部屋は、超巨大な空間になっていた。
円型になってはいるが、反対側まで行くのに、普通の人間が走っても数分は必要だろう。
そして、奧にはマゼンタかかっている玉座。黒ばかりのこの結界のなかで、より異彩を放つそれに鎮座するのは、
「あれが、ここのボスか……」
「他のゴーレムよりも鬼らしいでしょ?」
二人の侵入者に対しても、じっと見つめるだけで動かない鬼。
伝承にたがわぬ、血のように赤い体と、虎の腰布。雄大な筋肉は、人間が手に入るような代物ではなく、また暗闇で光る眼は、じっと侵入者たちを見据えている。
肩まで伸びる白い髪は生き物らしい生気がないにも関わらず、言葉にならない存在感を放ち、より不気味さを増していた。
ゴーレムは考えることをしないらしいが、この鬼に関しては、その例外なのではないかとさえ思えた。
そして、
鬼の玉座の右。ちょうど、肘の右隣りに、明日香の写真通りの紫の水晶があった。つまり、
「空!」
その中に空がいた。半透明な水晶には、空が窮屈そうに身を縮めている。見ての通り意識はない。
「空……無事か?」
「ゾディアックの資料によれば、死んだエンシェントには、オーパーツの力はピタリと止まるそうよ。この結界の維持も難しくなるでしょうから、ゴーレムも殺しはしないはずよ」
「そうか……」
安心するとともに、ゾディアックの闇を一瞬垣間見た気がした。
「さて、じゃあ作戦も無いが、どうする?」
「力押しでいける相手ではないわ。二人いるなら、どちらかに集中しているときにもう一人が死角から狙うしかないわね」
「まあ、そうなるか」
「貴方の機動力がさっきの通りなら、一応は信頼に値するわね。ただ、後悔とかいう縛りは捨てなさい。死のことを考慮した方がいいわ」
「……それは、空よりも自分の命を優先しろということか?」
明日香は応えなかった。それを肯定と受け取った泰吾は、
「お前が空を特別扱いするわけにはいかないことは分かっている。だから、お前はそう行動するべきだろう。でも、俺は違う」
泰吾は彼女の肩をたたく。
「俺はゾディアックの一員ではないし、なによりお前は俺を仲間だと思っていない。だから、俺は俺の信念に従って動く。空の救出を優先する」
「勝手になさい。繰り返すけど、私は貴方を助けないから」
「それでいい。……行くか」
明日香は、返答の代わりに筋斗雲に飛び乗る。まさに孫悟空のごとく宙を滑空し、鬼へ向かう。
侵入者の動きには、鬼も無視できないようで、重い腰を動かした。振り上げた棍棒の動きは存外に早く、一度対峙した明日香だからこそ躱すことが叶った。
振り上げた棍棒は天井を砕き、瓦礫が落ちる。
『____________________________________!!』
鬼の、空気を震わせる咆哮。それは泰吾のバランスを崩し、明日香の筋斗雲を霧散させた。
「なんだ、これ!?」
泰吾が驚いている間に、鬼が再び棍棒を翳す。このままでは、明日香が潰される。
だが、
「なめないで!」
筋斗雲の動きは、過去の泰吾のいかなるものよりも素早い。至近距離の棍棒を回避、鬼の上を取り、その頭蓋を叩く。
「……!」
明日香の視線を受け、泰吾はブースターを点火させる。部屋を滑りながら、ひるんだ鬼の背後に回る。
「はあっ!」
出し惜しみせず、最初から幻影を伴う拳を繰り出す。鬼は自分に気付いていたようだが、体制の立て直しのために反応はできない。
破裂音とともに、鬼の体が傾く。さらに、明日香が如意棒を頭上で回転させ、鬼の足を奪う。
「今よ!」
「ああ!」
泰吾はもう一度、明日香とともに高く上昇。ブースターの加速力を乗せた拳と、鉄棒サイズに戻った如意棒が、鬼の脳天に直撃する。
床を貫通する威力に、山全体が震えた。
少し手足が上がったが、やがてぐらんと力なく垂れ下がり、やがて動かなくなった。
「よし!」
「さっきよりあっけなかったわね。さっきはもっと速かったのに」
明日香が禁固呪を解きながら口にした。頷いた泰吾も、イニシャルフィストを解除する。
明日香の不安をよそに、泰吾は玉座の水晶へ急ぐ。空は、こちらの戦闘の騒ぎなど関係なく、静かに目を伏せていた。
「さて……これをどうすればいいのか……」
「ま、待ってよ!」
甲高い声。部屋の入り口には、今更お姫さまの姿があった。
「置いていくなんて、ひどいじゃない!」
ハウリングエッジすら解いている彼女。おそらく、それだけの余力もなかったのだろう。
「あら? いたの? 事後仕事なしお姫さま」
「仕事全部持って行ったのはどこのどいつよ?」
「あら? 自分の無能を他人に押し付けるの? それだと王権が信用ならないわね」
「失礼ね! あたしはいつでも公平よ! それで、空ちゃんは?」
「ああ、空ならここに」
泰吾が空の水晶を軽く小突く。美しい紫の水晶は、まるで鏡のようで、その表面にうつる自分の顔まではっきりと目視できる。
「どれどれ……こういうのって資料に何か書いてあったっけ?」
「そもそもこのケースそのものが少ないのよ。調査も研究もなにも進んでいないわ」
「何をするにも、リスクが付きまとうということね……ん?」
揺れ。地震のような揺れが、このフロアを襲う。
「何?」
三人は、空を守るように背中合わせの円陣を組む。
「ねえ! あれ!」
マイが鬼の死骸を指差す。鬼の死骸は、なんと粒子状にみるみるうちに消滅していく。
「なんだ……?」
完全に消滅した鬼。明日香が苦しめられた強敵がこの程度で終わることに消化不良を感じる泰吾だが、今は当面の敵を討伐したことを喜ぶべきだろうか。
異変はそれだけではない。泰吾の手元の水晶に違和感を覚える。
なんと、水晶にヒビが入っていた。何もしないうちにヒビはどんどん広がっていき、
「……空?」
割れた水晶の隙間から、空の幼げな顔が現れた。
「おい……空? 空?」
頬を叩く。水晶の冷たい温度が彼女の体温を変えていた。
「大丈夫か?」
「ちょっと診せて」
水晶を引きはがしながら、明日香が空の脈を計る。蒼白な空の容態を案ずるが、明日香の「息はあるわね」という言葉に安堵した。
「でも、核になっている彼女が開放されたのはどうしてかしら……? ゴーレムからすれば、睦城さんはこの結界の要のはずよ。あえて手放すなんて……」
「エンシェントの力を全部抜き取ったから用済みになったとは考えないの?」
「睦城さんは年単位で戦ってきたのよ。このクリスタルでも、エンシェントの力を半日で吸い尽くせるとは思えないわ」
「根拠は?」
「貴女もエンシェントなんだから、触れて察することくらいできるようになりなさい、決断不可能お姫さま」
明日香は水晶の一部をマイに投げ渡す。しかし、泰吾からすると、この水晶は宝石のような手触りしかなく、マイが顔をしかめる理由が分からない。
「これ、古代のものじゃない……!?」
「えっ?」
「そうよ。これ、貴女ならよくご存知よね?」
「……ええ。レクトリア原石ね」
「レクトリア原石?」
「レクトリア王国を技術発展させた、最高の汎用性をもつ鉱石よ。あらゆる半導体に内蔵できるの。でも、これはおじいさまの代で発見されたものよ。まさか、エンシェントの力を奪えるなんて思わなかったわ」
「あら? 資料全部見てないのね」
「あんな分厚い資料集なんて、全部は見てられないわよ」
「レクトリア原石で吸収できる量を考えても、睦城さんを吸い尽くすほどではないわ。もしかして……」
「この事件そのものが、人為的なものなのか……?」
ここまで会話が続けば、可能性は泰吾にもわかる。
しかも、それは最悪の形で実証される。
「そうですね。実にいい実験でした」
「「「!!!」」」
いつの間にか玉座の背もたれで座っている人物がいた。
灰色のウェーブ髪、青い細目の少年。色白の肌は病的に不健康そうで、画縞高校の制服から垣間見る細腕は、骨と皮のみで、筋肉の入る余地がなかった。
黒いマントとシルクハットで、まるで奇術師のようにも見える。
「貴方は?」
「いやあ、失礼。ご紹介が遅れました。私、ナラクと申します。初めまして。エンシェントの皆さん」
この場所にいる地点で、彼がエンシェントについて精通していても、泰吾は驚くことはしなかった。むしろ、ようやく目を覚ました空が「あの人は……」と口にしたことから、疑問が沸き上がった。
「お前が、この事態を引き寄せたのか?」
「まあ、そうですね」
ナラクと名乗った少年は頷き、
「いやあ、見事なものでしたね。まさかエンシェント一人でここまでのサンクチュアリを作れるとは。見てください。ゴーレムがまた生まれていますよ」
ナラクが指さすのは、部屋の片隅。壁が不自然に膨らんでいるその箇所を突き破り、緑色の鬼が現れる。
「なっ!?」
新手の鬼に、一同愕然。
手足が細いのは、赤鬼よりも俊敏性に能力を割いた結果だろうか。常にカエルのように腰を落とすそれは、ばねのきいた瞬発力でその場を低くジャンプしている。
「うんうん。いいですねえ。あなた方がさきほど倒した鬼が、自分の力を分割しておいたようです。これは素晴らしい! ゴーレムの進化ですよ! まさか戦略を立てるゴーレムがいたなんて!」
緑鬼を眺めながら、ナラクは狂ったように笑いだす。
「だからさっきの鬼は、私が最初に戦った時よりも弱かったのね……!」
唇を噛む明日香。
さっきの赤鬼よりも一回り体が小さいこの緑鬼は、まずは玉座に足を置く無礼者を蹴落とそうと、ナラクへ跳ぶ。巨体に似合わぬ身軽さで、イニシャルフィストを優に上回る俊敏性を誇っていた。
だが。
「控えろ」
ナラクの一声。それだけで、緑鬼は動きを止めた。やがて、緑鬼は膝をつき、忠誠を誓うような動作をした。
「ははは! やはり私こそがゴーレムを支配するに相応しい!」
「あんた……一体なにがしたいのよ!?」
我慢できないマイが怒鳴る。唇をなめながら、ナラクは語った。
「あなた方に教える必要はないでしょう? ここで朽ちるのですから。行け!」
ナラクの指示。すると、緑鬼は目標を泰吾たちに移し替える。
もう一度エンシェントになろうと、三人は空の前に立つが、
緑鬼を、何者かがヘッドショットで決めた。
「何!?」
ナラクも予想外の展開に、誰しもが、いまの一撃の発生源を探す。
そこにあったのは、銅製の銃口。マイと明日香には見覚えのないもの。
だが、泰吾と空には見覚えがあった。
あの、銃は、
あの鳥銃は、
「なるほど。つまり、貴様はゴーレムを使い、自分は安全なところから目的を果たされるのを眺めていたいわけか」
泰吾たちの前に歩む、ボロボロのマントの青年。雅風を奪い、この事態の遠因となった人物。
「アキラス……!」
空が複雑そうな表情で呟く。
アキラスは鳥銃を捨て、ペネトレイヤを装備する。
「貴様たちを追いかけていたら、奇妙なゴーレムの巣だ。潜入すれば、弱者が喚いているわ。オレはどうも今日は厄日らしい」
「貴方がアキラス……」
「……ん? ほう。貴様、エンシェントか」
初対面の明日香とアキラスがにらみ合う。
二人はしばらく黙っていると、
「貴様、強いな」
「貴方も強いわね」
互いにそれだけ交し合い、
「ふん。いずれ、貴様のオーパーツもいただく」
「返り討ちにしてあげる、とだけ返しておくわ」
「ふん」
アキラスは改めて、ペネトレイヤをナラクへ向ける。
ナラクは明らかに不快感を示していた。
「なんなんですか? 突然乱入してきて」
「弱者に語る名などない」
「なに?」
こちらには飄々としていたナラクが、明らかに苛立ちを示していた。
「癪に障りますね。乱入していては私を弱者呼ばわりとは」
顔を歪め、
「あなたも覚悟はできていますね? やれ、緑鬼」
緑鬼が、手に括り付けられた矢のないボウガンの弦を弾く。すると、矢状のエネルギーだけでなく、緑の衝撃波まで発せられ、エンシェントになっていない泰吾たちを吹き飛ばす。
「しまっ……!」
そのとき、泰吾は空を放してしまった。空の体が転がり、エンシェントたちからは最も離れたところへ投げ出される。
そう、玉座の影から現れた、もう一体の鬼の前に。
「あれは……!」
果物のように青い体。角の代わりに、長く垂れ下がった白髪と、サーベルタイガーのように長い牙。鬼ではなく、修羅と呼ぶべきか。両腕に生えた細く長い刃は赤く塗られている。あの赤は、ただの模様であると思いたい。
青鬼は、空を見定め、
「_____________________________________!!」
咆哮する。
しかし、鬼の振り上げた刃が、オーパーツを持たないエンシェントに振り下ろされる。その事実と結末をつなげた瞬間、泰吾の体は動き出していた。
「ふふ……」
しかし、非情にもナラクの指示で、再び緑鬼がボウガンを鳴らす。走る衝撃が、泰吾の足を妨げる。
空は、絶望した表情で、泰吾に向かって手を伸ばす。
そして、青鬼と空を見比べると、
「……!」
一年前のライブで、あの少女を救えなかったときの光景が重なる。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!」
常に揺れる結界。前回よりも悪くなった足場を蹴る。
そして、
青鬼の理不尽な刃が振り下ろされた。
砂煙が広がり、部屋が闇の中に落ちる。
「あの時、俺にはなにもできなかった……」
もう死んだ、と目を閉じた空は、その声で目を開けた。
「あの時の俺には、力がなかった。恐怖のせいでなにもできなかった……」
青鬼の刃を見返すと、それを白い影が受け止めていた。
「先輩……?」
泰吾と、イニシャルフィスト。二つで一人のエンシェントが、青鬼の刃を腕で支えていた。だが、これまで空が見てきたものとは違う。過去の彼にはマフラーなんてなかったし、篭手も彼の顔より大きくはなかったはずだ。
「俺はずっと後悔してきた……だから!」
泰吾は、刃を殴る。鬼の刃が粉砕され、天井へ突き刺さる。
「俺は、その後悔に報いるために戦い続ける! 戦い続けてやる!」
はい、少しずつ盛り上げてまいりました。
初めて五千字超えたかも。
それではみなさん、次回はお好きなBGMを聞きながらお楽しみください




