雅風を取り戻せ
この前見た話では、今は最初から強い主人公じゃないと好きになれないみたいですけど、泰吾ってそこまで好かれないのかな……?
「やってくれたわね」
明日香は襟首をつかみ、泰吾を病院の壁に叩きつける。
「どういうつもり? 貴方はどこまで私をいらだたせるの?」
クールな印象だった明日香は、鬼のような形相でこちらを睨んでいる。顔を真っ赤にしており、沸騰して湯気が立っているようだ。
「待ってくれ、なんでお前がそこまで怒る?」
泰吾は彼女の腕を引き離そうとしながら抵抗する。しかし、細腕の彼女にしては信じられない力で、泰吾の力ではピクリとも動かない。
「空がいなくなるのは、お前だって嫌だろう?」
「ええ。私個人はね。でも、貴方忘れてないかしら? 私たち三人は、ゾディアックという組織の一員として動いているの。貴方の軽率な行動で、私たちの今後にどれだけ悪影響が及ぶかわかってるの? 私だけじゃない、睦城さんにまで!」
「どういうことだ?」
明日香は泰吾を引き離す。
「東京はゴーレムがなぜか多く出現してる、それはマイが教えたわよね」
「ああ」
「ゴーレムが出現し始めたのが十年前。調査しても理由は不明。でも、まさか貴方は、ゾディアックがそれからなんの調査の進展もしてないと思うの?」
「? どういうことだ?」
「上層部は、まだ組織内に公表していない新事実を発見したということよ。ゴーレムは、一種の同類を求めていることが考えられるの。ゴーレムと同じ、古代の時代のものをね。私たちのオーパーツも、例外はあれどゴーレムのいた古代のものよ。つまり、私たちがゴーレムを呼び寄せている可能性があるの」
「エンシェントが、ゴーレムを……?」
「まだ可能性よ。マイと睦城さんにも教えていないわ」
「えっ……?」
マイと空も知らない情報。つまり、これはゾディアックなる組織が懸念している情報といっても差し支えないものなのではないか。
「仮に、この仮説が正しいとしましょう。今、マイにはオーパーツがあるから、例えゴーレムが釣られてきても、返り討ちにできるでしょう。少し残念だけど。でも、睦城さんは? 体がエンシェントになった残り香は消えない。一週間以内に貴方は特訓と調査でアキラスとやらから雅風を奪い返すつもりでしょうけど、その間あの子の身になにかないと言い切れるかしら? 万一にもアキラスを倒して、雅風を取り戻したはいいけど、肝心の睦城さんになにかあったとしたら? 私だっていつも付きっ切りで彼女のそばにはいられないの。貴方は、今懸念されている事態の最悪に手招きをしたのよ」
「……!」
「それも全て、貴方の後悔したくないという我が儘のせいでね」
「そんな……」
「だから私は貴方を引き入れたくなかったのよ。事情を全く知らない、ゾディアックの審査も受けていない、信頼できないわ。見なさい、今の睦城さんの顔を」
病室のドアから、空がマイと会話している姿が見える。マイも泰吾に全面的に協力すると聞いて、満面の笑みを浮かべている。
「私が世界平和部の部長として睦城さんに残ってほしいのは本当よ。でも、ゾディアックの猿飛明日香として、禁固呪のエンシェントとしては、荘さんの言う通り、田舎に帰したほうがいいと思うわ。それが彼女のためよ」
「俺の、せい……」
「そうよ。後悔しているなら、いますぐ彼女に詫びて、二度と私たちの前に姿を見せないで」
吐き捨てた明日香は、激しい歩調で廊下を下って行った。残された泰吾は、頭を押さえる。
ゾディアックという組織の規模は不明だが、これまでのエンシェントたちの会話ぶりから、かなりの大組織であることは間違いないだろう。そんな組織が怖れていることを、自分ひとりで背負えるのか? アキラス打倒の間、ずっと空の身を案じなければならないのだろうか?
「ほら、逸夏泰吾!」
背中を叩いたマイによって、泰吾は意識を現実に戻す。
「そろそろ行くわよ。面会時間終わりみたい」
「あ、ああ」
「私も明日には退院できますから!」
病室から、空が元気な声を投げかける。泰吾はなるべく笑顔を取り繕いながら手を振る。
「じゃ、空ちゃん。明日退院したら連絡ちょうだい! こいつを鍛えるのに、あなたの体術はきっと必要になるから!」
「はい! 雅風を取り戻すために、頑張ります!」
空の純粋な意気込みが、泰吾の胸を締める。
「さっき、明日香と何を話してたの?」
病院から出たとき、マイが尋ねた。
「……別に。大したことじゃないよ」
「大したことじゃないのにうつむくんだ」
「……」
観察眼はあるのか。泰吾はマイのある意味王族としての能力の一片を垣間見た。
「俺のせいで、空が余計に苦しむかもしれない」
すでに泰吾は、後悔し始めていた。もし、明日香の仮説が本当ならば、自分は空を東京に残させるために、無防備な彼女をゴーレムに晒していることになる。
「……あたしね、小さいころのあだ名はレクトリア王国の聖徳太子なのよ?」
「……?」
「あたしの耳からは、誰も逃げられないってことよ」
勝機見たりといった顔のマイは、淡々とゾディアックの仮説を語ってみせた。
「つまり、空ちゃんがゴーレムを呼び寄せるかもしれないってことでしょ?」
「お前、あのとき空と会話していなかったか?」
「ふっふ~ん、能ある犬は牙を隠すのよ。これ、レクトリア王国のジョークよ。知らないでしょ」
鼻の高いマイを見て、泰吾は吹き出してしまった。
「ちょ、ちょっと何よ!? 何がそんなにおかしいのよ!」
「いや、すまない、まさか、お前がそんなにユーモアのある人間だったとは。ちなみに、日本だと能ある鷹は爪隠すだが」
「どっちでもいいわ。つまりね」
マイは泰吾の肩をがっちりと掴む。以外に力のある姫は、
「一度決めた道を進まないことを、後悔っていうんじゃないの? あんたは、後悔しないためにエンシェントになったんなら、決めた道は何があっても突き進みなさい! たとえ間違っているようでもね!」
太陽の光を吸い込み、マイの髪は燃える炎のような光を放っていた。このような輝きが国を照らすなら、国民は安心できるのだろう。
「……ああ、そうだな。今の俺はどっちにしろ手詰まりなんだ。だったら、後悔しないやり方で突き進んでやる!」
「その意気よ!」
差し出されたマイの拳に、自らの拳をぶつける。存外強い力で抵抗され、拮抗する。
「……ところで、お前本当に聖徳太子なみに人の話を聞き分けられるのか?」
「あんなの嘘よ嘘。あんたを焚き付けるための方便よ」
というわけで、泰吾を鍛える修行が始まった。空が退院した一日目。この日は、
「ほ~ら! もっとハキハキ走れ!」
自転車に乗ったマイのメガホンが、遠慮なく泰吾の耳を貫く一日だ。
夕日の河原で自転車に急かされながら走る。それが、今日の修行だった。
「ファイト、ファイト、」
並走している空は、額に汗を浮かべてはいるものの、泰吾とは違い、ペースに乱れはない。体力的にも彼女に劣っているということか。
「ほ~ら! 逸夏泰吾! よそ見しない!」
「わ、か、ってる!」
最早返事すら辛い。朝から昼食の一時以外はずっと走り続けているのだ。エンシェントか選手でもなければ、とっくに動けなくなっているはずだ。
しかし、
やはり少し足が揺れ、崩れ落ちる。
「うわっ!」
「きゃっ!」
しかも、泰吾の体の落下先は、運悪いことに空の肩。彼女もまたバランスを失い、地べたに横になる。
「はあ、はあ、はあ、」
「は、は、は、」
一度ペースを崩されたことで、空も全身に疲労が現れる。自転車を止めたマイの「大丈夫? ちょっと休む?」という一言に、首を振る余力は二人ともなかった。
「はい、これ水」
火照った頬にひんやりとしたペットボトルを押し当てられ、泰吾と空は飛び起きる。いたずらっぽい笑みのマイが、スポーツドリンクを差し出していた。
「別に空ちゃんは足腰の特訓なんてもう充分でしょ? こいつの挌闘特訓まで休んでいてもいいのに」
「いいえ、そもそもの原因は私の未熟さが招いたものです」
空はスポーツドリンクを飲み干しながら言った。彼女の恐るべき飲みっぷりに、泰吾は内心驚愕した。
「先輩たちが頑張っているのに、私だけ休んでいられません」
「睦城……」
「先輩」
すると空は、穴が開くほどに泰吾を見つめる。
「私のこと、名前で呼んでいましたよね?」
「!?」
「え!? マジ!?」
俗っぽいお姫さまは口に手を当てている。それでも開いた口を隠しきれず、目を丸くしている。
「昨日、お父さんとの会話の時、……いいえ、その前に、アキラスに倒されたときに」
「あ、あれは……その……勢いというか、なんていうか……」
「もう一度!」
空は、泰吾の上に乗りかかるように、ぐんと顔を近づける。姉以外の女性にここまで近寄られた経験が少ない泰吾には、彼女の息遣いまで聞こえてくるのは少し苦しい。
「もう一度! 名前で呼んでもらえませんか!?」
「えっと……空?」
「はい!」
間近で輝く空の笑顔は、直視するには眩しすぎる。
「私も、先輩のこと、名前で呼んでもいいですか!?」
「あ、ああ。構わない」
「でしたら、泰吾先輩!」
「ああ」
「泰吾先輩! 泰吾先輩! うん! やっぱりこの方が呼びやすいです!」
立ち上がった空は、さっきの疲れはどこへ消えたのか、大はしゃぎで走り回る。彼女のことを思い返してみれば、確かにマイもマイ先輩と名前で呼んでいたなと考えながら、マイに近づく。
「そういえば、猿飛のことはなんて呼んでいたっけ?」
「明日香のことは猿飛先輩呼びよ。アイツは、基本的に誰とも深くかかわらないから」
「……例の、恋人の件か?」
「知ってるのね。明日香はあれっきり、新しい知り合いを作るのを怖がってるみたいなのよね。あたしはアイツの旧知だからそうでもないけど、他の人……空ちゃんが入ってきたの、事件後だったから……」
「そうか……さて、ランニングを続けよう」
「もう? 無理しすぎると、体にガタが来るわよ? アキラスとやらに返り討ちにあうのだけはごめんよ」
「時間に余裕はあまりないからな。荘さんが待ってくれるのは、たったの一週間。その間に、俺が強くなって、アキラスを倒して雅風を取り戻す。口にするのは簡単だが、実行するのはなかなか高難易度だろう」
「そうだけど……あたしたちも学校サボったら、噂に足がつくから避けた方がいいのよね」
「そうだな……時間が貴重な今、学校で午前すべてを奪われるのは避けたいな……誰か知り合いにいないのか? 分身能力を使えるエンシェントとか」
「いないわね~。そもそもそんな能力があるとは思えないし」
「なら、お前の突発した権力で、学校を一週間休校にするのはどうだ?」
「あんたバカじゃないの? そんな運営権を揺るがす権利、あたしにあるわけないでしょ!? でも、そうね……」
マイは、あの天使のような悪魔の笑顔を浮かべた。
「あれが使えるわね」
次回、ちょっとだけ修行します。ちょっとだけ、ちょっとだけだから!




