救いの男:生まれる屍、生まれる怨嗟
近所の幼馴染みの友人の遺体が、彼の訃報と共に男に知らされた時、男は初めて魔族を恨んだ。
「ったく。――――約束ぐらい守れよ―――」
友人が出兵する前に彼と交わした約束を、男は思い返した。
「戦争が終わったら、生きてまた二人で杯を交わそうぜって――――言ったじゃんかよ」
男は溢れ出そうになる涙を、拳を握って堪えた。初めて男の中に生まれた魔族への憎悪が、泣くことを拒んだのだ。あんな奴等のせいで泣かされてたまるか、と。
「―――まだ死ねねえよな」
男は何を思い至ったか、そう呟くと友人の家を飛び出した。二分後、男は息を切らして遺体の元へと戻ってきた。
「ほら、これ飲めよ」
男は持ってきた透明な液体を遺体の口に流し込んだ。当然、遺体の口からは液体が溢れる。
その液体は“アクピス教”が人類に推奨している医薬品であった。科学的には解明できていない、魔法使いの回復魔法によって発生する特殊な成分が含まれており、この成分が傷などの再生を促進させる効果があるらしい、と噂されている。効果の言われの割には値段が安いため、結構な売れ筋の薬品だ。
「おい―――起きろよ。いつまでそうやって死んだふりしてんだよ!」
男は声を荒げた。しかし、友人の遺体は微動だにしない。
「お前、何先に逝こうとしてるんだよ!残った嫁さんはどうなるんだよ!」
薬品を乱暴に床に置き、男は友人の遺体を揺すって叫んだ。
「いい加減にしろ。ニケさんも困っておる」
部屋の入り口に姿を現した、年老いた男が、友人の遺体を揺する男に声をかけた。
「親父―――」
「アリスタ、彼はもう死んだんだ。ゆっくり眠らせてやれ」
「でも――親父。俺はこいつと約束したんだぜ。また生きて会おうって―――だから―――」
老人は、アリスタに向かって溜め息を吐いた。
「アリスタ、自分の年を考えろ。お前ももうすぐ、四十になるんじゃないのか?ショックなのも分かるが、分別を付けろ」
アリスタは押し黙って友人の遺体を眺めた。改まって見てみると、体は丁寧に洗われているものの、服の隙間のあちらこちらから、生々しい傷が見え隠れしていた。
「こんなになるまで―――クソッ!ふざけるなよ!魔族ども!」
アリスタは拳で床を叩き付けると、父親を押して部屋を出た。
「待て、アリスタ。どこへ行くんだ」
「んなもん決まってるだろ。魔族共をブッ殺しに行くんだよ」
「何を言ってるんだ」
老人はアリスタの肩を掴んで、足を止めさせた。
「お前一人が戦線に加わったところで、何も変わらないだろ。落ち着け、アリスタ。彼もきっと、お前が戦場に赴くことなんか望んでいないはずだぞ」
「ゴチャゴチャとうるせえなぁ―――んなもん分かってんだよ。だからって黙ってられるほど、俺は人間できてねえんだよ」
アリスタはそう言い残し、友人の家を飛び出ていった。
「全く。―――申し訳ありません、ニケさん。彼も、もっと静かにして欲しいだろうに」
「いいえ。私とあの人の事はいいんです。それよりもリキニウスさん。アリスタさんを追った方がいいのではないのですか?あの様子ですと、本当に戦場に行ってしまうんじゃ―――」
「追いたいのも山々ですが、もう私も年ですからね。ここは、警察に任せた方がいいと思いましてね」
「警察も急がしてく、多分受け合ってくれないんじゃないんでしょうか?こんな事態ですし。何なら、私が車をお出ししますが」
「それは申し訳ない。遠慮しておきましょう。貴女も、彼と一緒に居たいでしょう」
「いえ、大丈夫です。あの人も、アリスタさんに戦場に行って欲しくなどないはずです。アリスタさんやリキニウスさん、あの人のためにも、アリスタさんの事は追うべきです」
「本当に申し訳ありませんなぁ。うちの馬鹿息子のせいで。お願いしても宜しいですかね?」
「ええ、急ぎましょう」
リキニウスは、女性の運転する車に乗ると、戦線を目指した。
「“人類の聖戦”――――開戦からもう五十年だと言うのに―――よくも飽きずに続けられるものだ」
車内でリキニウスが呟いた。
「今となっては、開戦の理由も定かではなくなってきていると言うのに」
「本当に恨むべきは、誰なのでしょうか。魔族なのか。それとも、戦争と言う行為自体を恨むべきか。それとも、同じ人類を恨まなくてはならないのか―――」
ニケは、リキニウスにそう尋ねた。
「さあ。あるいは、それら全てを恨まなくてはならないかもしれぬ。またあるいは、恨むべきはその中にはなく、我々に戦争をけしかけた“神”という概念やもしれぬ」
「正直、私は誰のことも恨みたくありません。それに――――誰かを恨んでまで、戦争をする意味なんてないというのに。その行為によって、また恨みが生まれてしまうのであれば、戦争なんてしなければいいのに―――」
「それでも、何かを恨んでいなければならないのが人間なのですよ。どんな聖人であろうと、必ず何かしらを恨んでいる。仕方がないと言えば、仕方がない事ではあるのだが――――寂しいものでのぅ」
それからしばらく、街道を走る車内は無言に包まれた。
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