希望の男:上陸
旧暦571年
一人の男が単身魔境へと漂着した。当時、男の年齢は三十歳。生きていれば六十位であっただろう両親は、数年前に自動車事故で他界しており、加えて彼は独身だった。
男は名をヘロドトス・クライマンといった。
彼は魔族についての様々を研究する研究者であり、人類を裏側で支配する“アクピス教”へのレジスタンスの一人であった。
彼は、彼自信の夢である<人類と魔族の共存>を実現させるための第一歩として、魔族との交流をはかるため、魔境へとやって来たのだった。
彼は大陸の内地へと足を向けた。事前に入手した情報で、海岸から数キロほどの地理はある程度頭に入っていた。
入手した情報に沿って陸地を歩いていくと、五キロほど先で情報通り第一防衛線を発見した。
防衛線の上に常駐しているであろう魔族の見張りに敵意がないことを示すため、用意してきた白旗を頭上に掲げながら歩みを進める。
壁まで五十メートルの所で、壁の上の魔族が魔族語で「止まれ!」と叫んだ。
「人間か?他の仲間はどこだ!」
よく通るその声は、心なしか、若干震えているようであった。
「仲間はいない!私一人だ!」
彼は壁の上の見張りにそう叫び返した。
「一人だと?何をしにここへ来た!」
「貴方がた魔族と話がしたい!そのために人類領域から一人でやって来た!」
「人類領域から一人で?馬鹿言え。大陸間は二百キロ近くあるんだぞ。人間が一人だけで渡航できるはずもない!」
「現代の人類の技術を使えば、それも可能なのだ!何なら、その技術を見せることも出来るぞ!」
「本当に一人なのか?」
「誓おう」
「―――待ってろ」
魔族はそう言うと、壁の奥へと姿を消した。ヘロドトスは言われた通りに魔族の兵が帰ってくるのを待った。
しばらくして、四人の魔族が壁の上に姿を見せた。四人はそれぞれ銃を構え、ヘロドトスの周りを警戒していた。それと共に、壁の中から魔族が一人やって来た。その魔族はヘロドトスが丸腰であることを確認すると、壁の中へとヘロドトスを案内した。
「付いてこい」
魔族の男に連れられ、ヘロドトスが壁を抜けると、中で待機していたのであろう三人の魔族が更にヘロドトスの周りを囲んだ。
「どこへ行くんだ?」
ヘロドトスが魔族の一人に尋ねる。
「黙って付いてこい」
魔族の男はヘロドトスにそう返した。
「質問は許されないようだな」
ヘロドトスは素直に魔族に従った。反抗したところで意味もない。
ヘロドトスはそこから更に三キロほど歩かされ、その先にあった小さな集落から更に内陸へと車で移動した。
三つ四つの防衛線を車で抜けた先に、ひときわ大きなその壁はあった。これまでの防衛線の1.5倍の高さはありそうなその壁を抜けると、その先には大都市が広がっていた。
「―――これは」
ヘロドトスが思わず感嘆の声を漏らす。
「魔境の中心地“オリンポス”だ。魔族界における物流、人口、情報その他全てが集中する場所。魔境最大の都市だ」
都市の建物は全て、大理石やそれに属するもので作られていた。通りを歩く魔族の一般人の格好は皆、どこか古めかしい印象を与えた。
「――――まるで人類史の中世だな」
ヘロドトスは呟いた。まさしくその光景は、ヘロドトスの知る人類史における“中世”時期のものと酷似していた。
車は、そんな中世のような通りを駆け抜けた。車など存在しなかった人類史の中世しか知らないヘロドトスには、それがひどく不思議な光景に写った。
通りをひたすら、車で三十分。やがて、他の建物と比べるとずば抜けて大きな建物の前で、車が停められた。
ヘロドトスは車から降ろされ、その建物へと連れていかれた。
高さは二十メートル。いや、それ以上。横にもとてつもない広さを持っており、その構造の全てが大理石によって構成されていた。巨大な柱と柱の間を抜け、その白い建物の中へと進む。
二十メートルほど建物の中を進んだ所で、戦闘服のようなものに身を包んだ魔族が二人現れた。ここまでヘロドトスを連れてきた魔族の兵とは、装備が明らかに違う。ヘロドトスはその二人の魔族に預けられた。
この先に何があるのだろうか。ヘロドトスは警戒を強めた。
更に建物の奥へ五十メートルは進んだだろうか。不意に二人の魔族が足を止めた。
「この先の部屋には、お前一人で行け」
ドン、と背中を押され、ヘロドトスは前につっかえた。廊下の先に、大きな扉が見える。
「不審な動きはするなよ。撃つぞ」
背後に銃を突きつけられたヘロドトスは、ゆっくりと扉へと向かった。
ヘロドトス・クライマン編に突入しました。どれぐらいの長さになるかは作者自身も想像できていません。
次回更新は水曜日です。