20th story 入山
バスから降りると、俺は背伸びをした。バスでの十時間の行軍は、体にこたえた。
「凄いね、ここ。こんな所、本当に登るんだ」
俺の隣にサルゴンが降り立つ。サルゴンの感想は尤もだ。俺達の眼前に聳える“はじまりのやま”は、某RPGの序盤に出てくるような生易しいものではなく、むしろ終盤の関門として登場しそうな雰囲気を纏っている。
上空には霧がかかっていて、山頂を見上げることはできない。
今、俺達は“はじまりのやま”からおよそ一キロ離れた場所に居る。というのも、山の手前には一キロ程続く森林があり、バスではこれ以上山に近付くことができないのだ。そして、この一キロに及ぶ森林を抜けないには、そもそも山にたどり着くことさえ叶わない。
今回のキャンプの目標は、この森林を抜け、“はじまりのやま”の中腹まで登り、そこでキャンプをすることだ。
そのうちに訪れるであろう魔境への遠征へ向けた訓練の一環である。人間同士の模擬戦闘では体感することのない、命のやり取りや、実際の白兵戦に近い緊張感を得ることが目的だ。
当然、下手をすれば待ち構えているのは“死”である。
だが、あくまでも“下手をすれば”であって、そうならないよう万全の体制は整っている。武装の充実は勿論。いざというときのための護衛だって雇われている。
「おーい!集合しろー!」
部長が、俺達部員を集める。全員バスから降りきったようだ。
「ここも安全地帯じゃないからな。手短に話すぞ」
部長が今日の行動の最終確認をする。
解散後に武装チェック。その後整列し、森林に突入。森林突破後、“はじまりのやま”登山開始。夕刻、中腹にキャンプ地を探し出し、キャンプ団設営、就寝。
ここまでが、今日の予定の流れだ。ただし、どんなトラブルに出会うかは分からないので、必ずしもこの予定の通りに事が進むとは限らない。むしろ、予定通りになることは、ほぼないんじゃないか。森林の途中で引き返すことだって、有り得るのだ。
「それじゃー解散。装備の整備とかは、早く済ませろよー。このタイミングで獣に襲われたりでもしたら、ひとたまりもないからなー」
部員は、各々少しずつ離れて地面に座り込んだ。荷物から、小型自動式機関銃、サブマシンガンを取り出すと、銃身を掃除してマガジンをセットする。セーフティーは確認済み。未だ外していない。
装備の全ての確認を終えた者から、順次部長の元へと集まっていく。
十分後。全員の装備の確認が終了すると、部長は部員を二列に整列させた。俺の隣には、アグル先輩が並ぶ。
「よろしくお願いします、先輩」
「おう、よろしく」
挨拶を交わす。
列の前後にはそれぞれ、一人ずつ護衛が並んでいる。
護衛は、軍の人間である。見た目からするに、この二人はどちらも三十代だろうか。
軍とは何か。言葉の通り、軍である。
その目的は、人類領域の防衛と魔境侵略。つまるところ、“アクピス教”の影響を色濃く受けた組織である。まあ、そうだろうな。母体が“アクピス教”なんだもん。
軍は、年号が“起源”であるときから存在する。その歴史は二千年にも及び、“アクピス教”の次に長い。
俺の知っている限りになるが、その歴史についてざっと説明しよう。
その大本は、人類が初めて魔境へ進軍したときの軍隊である。公式な名称はないため、一般にこれを、第一進行隊と呼ぶ。
二回の進軍の後、王政誕生によって“遠征隊”と名付けられる。この“遠征隊”は二回、勇者と共に進行。魔境へは、計四回の進行を行う。
その後“討伐隊”と名称を改称し、七度に及ぶ進行を行う。そして、旧暦末期。
魔族による人類領域侵略に対抗する。
これまでの人類史では、“勇者”の存在は数百年に一人程度の非常に珍しい存在だったため、軍を構成する人材は、一般人からの徴兵や有志であった。
“人類の聖戦”以降の“豊作の時代”による“勇者”の爆発的な増加のお陰で、現在は軍の半分が“勇者”や“勇者適性者”だという。
ちなみに、今回護衛についてくれたのは、二人とも一般人である。こんなところで“勇者”や“勇者適性者”を無駄に浪費したくないと、そういうことだろう。
やっぱり、一般人の価値は勇者に比べると低いのか。それはつまり、俺の存在価値は一般人や他の勇者適性者よりも高い、ということになる。だが、これっぽっちも嬉しくない。自分の両親やユグが、自身よりも価値の低い人間だと、暗にそう言われているのと同じである。むしろ怒りが沸いてくる。
けれど、その怒りは一体どこにぶつければいいのか。ここ数日、そんなモヤモヤが俺の頭を占めていた。
「おーし、それじゃあ出発するぞ。気ぃ引き締めてけよー」
隊列の先頭に護衛と並ぶ部長が声をかける。部員のみんなの表情が、キュッと引き締まった。いよいよだ。
隊列が動き出す。“はじまりのやま”の目下に広がる森林に、吸い込まれるようにして隊は前進していった。
全長十メートル近い木々が立ち並ぶ。頭上を見上げると、枝葉が視界を覆い尽くしており、時折、隙間からほんの微かに光がこぼれてくる。
辺りは暗く、明かりなしでは歩くこともままならないだろう。
地面には突出した木の根の瘤が点在していて、注意を払わなければ、十歩も歩くうちに転倒するはずだ。
隊列の足音以外はほぼ無音の中、たまに何処からか聞こえてくる獣の唸り声に警戒しながら、黙々と隊は進行する。
見えにくい、というのが大きい。ジワジワと精神が削られていく感じだ。目的地まで、集中が保つだろうか。
周囲で不審な物音がする度に隊が止まるため、なかなか進まない。
そろそろ一時間は歩いただろうか、という頃、隊が不意に止まった。
獣か。
しかし、耳をそばだててみてもそれらしき音はない。誰かが聞き違えたのだろうか。
しかし、いくら経っても隊が進む気配はない。どうしたのかと、後列のみんなと一緒になって前方を覗こうとする。
誰かの明かりが、前方で話し込む部長と護衛の男の顔を照らした。光に気付いて、二人が列の後方に目をやる。
そして、二人は大きく目を見開いた。
「シェルッ!!!」
部長が俺の名を叫ぶ。瞬間、背中に強烈な寒気が走った。
俺は本能的に頭上を見上げた。
眼前に、大口を開けた獣が迫っていた。
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次回更新は土曜日です。