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機関猟兵  作者: 娑婆聖堂
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アララト海南西部 1045

 ソビエト式問題解決法

 「大変です同志!小銃が目標の半分しか製造されていません!」

 「小銃を2人につき一丁配りなさい。そうすれば兵力は2倍になります」

 「大変です同志!トラックが目標の半分しか納入されていません!」

 「戦車に兵士を載せなさい。そうすれば輸送力は2倍になります」

 「大変です同志!指揮官が定員の半分しかいません!」

 「指揮官に政治委員を付けなさい。そうすれば指揮官は2倍になります」

 煙る静寂を裂く光が、鬼火ならばどれほど良いかと思う。旅人を惑わす妄執の灯りも、もとより行くべき方位を定められない霧中の兵士には意味をなさない。

 だが、尾を引いて赤を散らすあの曳光は、幽界の怨念が燃やす神秘などといったひそやかなものではない。即物的で、確実で、高密度。元素番号82番。単なる鉛玉である。当たれば脇目もふらず地獄へ一直線だ。共産党宣言に地獄という概念があればだが。

 

 弾丸は避けられないという言説は一面において真実だ。人は音速を超えて動くことなど出来ない。しかし一定以上の距離で、数に任せた公算射撃を受けたならば、弾の存在しない空間に逃げ込める可能性はある。

 磨り硝子の向こう側で散る火花に触れないように、しかし色より鮮明に映る蒸気の振動から離れないように。体を傾け迂回し、浅い角度で交差する進路をとる。

 見えない猟犬の唸りに怯えてむやみやたらに機銃を乱射する獲物の姿が、白く濁った老人の視界のように霞んで見えた。

 

 T-4軽装甲蒸気橇、なんて長い名前を呼ぶ者はない。通称のガマガエルが正式名称だと思っているのがほとんど、イワンも当然その一人だ。

 視認できる距離まで接近したため弾が集まり始める。だがそれも稲妻じみたジグザグ機動で回避。集弾率が上がったせいで逆に当たらない。

 ここの機銃手は新米だな。イワンは防霧マスクの中でほくそ笑んだ。輪郭がはっきりしてくる。頃合いだ。

 左腰から弾頭を引き抜き、突撃砲のボルトを上げて突っ込む。素早く右胸から弾薬筒を取って薬室に詰める。

 ボルトを引いて薬室を閉鎖すると同時に弾頭と弾薬筒が一体化。右腰に固定してある突撃砲を抱えて引き金に指をかけ、脇を締め足を肩幅より広げ左前に重心を移して規定の姿勢をとる。

 敵の右側、2つある機銃が自身の胴体を照準するのが見えた。


 引き金を引く。

 赤く茹で上がるまでサウナに入ってから雪の世界に飛び出したような、肌がちりつく心地よい衝撃。蒸気圧筋肉(スチームマッスル)の補助なしには腕が千切れかねない反動。金属繊維と合成ゴム製の風船が萎み、装甲の隙間から残圧が噴き出る。

 口径実に40ミリ、手のひらの2倍近い長さの弾丸より杭に近い金属塊が、後ろの機銃手を両断し20ミリの鋼板に守られた蒸気ジェットエンジンに大穴を開けた。

 前の機銃が振動で傾き、2メートル横を弾着の線が通り過ぎ、飛沫が足を濡らす。


 突撃砲をレールに沿って後方に回して立て、近接戦闘に移行。姿勢を低くとり、蒸気サーベルの柄に手を添える。

 橇の甲板は上方約2.7メートル。装甲服に身を包んだ状態で手が届く範囲ではない。だが技術は人に翼を授け、鎧を穿つ剣を創る。胸部のバルブを全開に。肩の噴出口から狂奔する嵐が、熱量と運動エネルギーを撒き散らさんと吹き荒れる。

 ずんぐりとした船体が見る間に視界を埋め尽くす。右舷を掠める瞬間、全身のバネを使って跳ね上がった。

 身体が予期していたより遥かに長い滞空時間に内臓が震え上がる。目の前には機銃手。サーベルを引き抜き護拳の内のトリガーを引き絞ると、厚手の海兵服に鉄帽、連邦とは型の違う防霧マスクを装備した男を青白い熱風が逆袈裟に薙いだ。


 右足を前に出し、両膝で反作用を殺して着地あるいは着水。反撃は来ない。蒸気サーベルはサーベルとは名ばかりの、高温の水蒸気をカートリッジ内の高速腐食剤に反応させて刃に当たる部分から指向性を与えて噴射する中距離武器だ。蒸気ジェットエンジンなどの機械類の内部機構を破壊するが、人間にも熱傷と糜爛(びらん)を同時に与える猛悪な対人兵器でもある。良くて名誉のショック死。悪ければ英雄として新聞にのることも難しい伊達男になるだろう。機銃も使い物になるまい。

 完全に沈黙させるには至らなかったが、著しく足の落ちたガマガエルに次々後続の猟兵が襲いかかる。実際のところ足さえ止めれば十分なのだが、勿論そんなことに頓着する連中ではない。


 ボオオオオオ ボオオオオオ


 獣が吠える。近づいてきている。離れなければ。

 無理な機動で釜が冷えている。スピードが乗らない。体を揺らして体重移動で距離を稼ぐ。下手をすれば転倒してそのまま溺死しかねない危険な技だが背に腹は代えられない。輸送橇団のものであろうくぐもった排気音が聞こえたが気にしてはいられない。護衛を足止めしたら仕事は終わりだ。互いのエンジン音を頼りに集結する。これ以上の散開はむしろ危険、密度を高めて現在位置を知らせるのだ。


 ボオオオオオ ボオオオオオ


 来た。霧よりも白く、泥の海に在る何者よりも眩い閃光が一直線に輸送橇団に走り、弾ける。爆風と衝撃波に耐え、好奇心に負けて振り返り、そいつを見る。蒸発し、吹き払われた霧の向こう、獣が見えた。

 

 それは7つの関節を持つ魁偉な構造物だった。先頭の機関車の半円筒の頭部は風を切り、内部からは幾千幾万もの管楽器を並べたような重低音が鳴り響く。白熱するアークの単眼は空を渇かし霧を打つ。薄い闇がそこだけ昼間より明るい。機関車の側面から突き出た積層状の金属板でできた聴音器が髪飾りのように震えると、その後ろでは吸気口が休む間もなしに湿っぽい大気を呑み続ける。大気中の大量の水分が圧縮されると共に2000度近くまで加熱されたタンタル合金製の釜に送られる。高濃度の霧が常時存在する地域でしか運用できないシステム。5両目の副機関車を除く6両の砲車両には、巡洋艦の主砲に匹敵する20センチ連装砲とハリネズミのように張り巡らした機関砲が結露を滴らせて目標を見据える。それらを包む鋼鉄のフレアスカートが、装甲に覆われた物々しい外観に優美な曲線を作り出していた。

 それらを支えるのは、機械仕掛けの臓腑より無限に吐き出される灼熱の吐息のみ。

 彼女には脚がなかった。


 浮動戦列車。この世界の王。膨大な蒸気の力をもってその巨体を浮かべ、泥の軛から解放された唯一無二、最も大きく最も速く最も強い機関の龍。

 霧の中に君臨し、霧の中でしか生きられない盲目の蛇。その砲火が、20センチ砲12門の圧倒的火力が雪崩落ちる。


 泥の粘性と重い荷のためろくに身動きすることさえ難しい輸送橇に逃れる術はなく。飛雷の有効射程まで近づこうにも足を潰された装甲橇に抗う術はない。

 斉射、一隻吹き飛ぶ。また斉射、炎に巻かれる。ここからでは分からないが漸次殲滅しつつあるのだろう。砲撃の轟音と金属が引き裂かれる甲高いとも重々しいともつかない神経に障る異音。

 それも燃え盛る炎が紙で隔てた蝋燭のような薄ぼんやりとした明かりになる頃には、ギィと錆び付いた物悲しい音だけになった。


 合わせるように背中の機関が弱々しく震えると、最後に一塊の蒸気をポンと吐き出し止まった。燃料が切れ立ち尽くす兵士の群れ。

 機関猟兵の装甲機関服の連続稼働時間は4時間弱に過ぎない。その力強い出で立ちと裏腹に、欠陥だらけ、脆弱な兵科である。

 装甲が枷になり歩くこともままならない彼らは、ただ迎えを待つ。霧の沼で迷わぬために寄り添いながら。

 獣の声はもう聞こえない。

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