Ⅰ ⅵ
振動で天井から金属片がパラパラと落ちて来る。
「もしもーし。こんにちはー! 誰かいるんでしょー?」
男の声が呼び立てて来る。知らない声だ。
アベルの方も同じらしかった。
「ちょっと、誰だか知らないけどやめてよ! 本気で壊れちゃうじゃない!」
すると乱暴なノックがピタリと止んだ。
「――じゃあ、いいかげんに出てきてもらえませんかねー。我々もそちらの方が本意なんですよー」
アベルが眉をひそめた。
「いいかげん? どういう意味よ。ガンガンしてきたのはさっきじゃない」
首を捻るが、ひとまず催告に従うことにしたのか、彼女はハッチへと歩き出した。シオンは慌てて彼女を追った。
「あんたが変なの連れてきたんじゃないわよね」
「違うよ! アベルこそ、この公陸で何かしたの?」
「するわけ無いじゃない。ここに不時着してからポッドの修理しかしてないわ」
と、さっと顔色が変わる。
「……あのババアが通報してたらどうしよう」
不安げに呟くアベル。その横顔を見ながらシオンは、これ以上厄介事が増えない事を心から祈った。
明かりの無い船内を抜ける。薄闇の先に、全開の出入り口がぽかりと浮かび上がっている。
四角く切り取られた景色の中には、逆光に塗られた三つの人影があった。
「どうも、初めまして。ようやくお会いできて嬉しいですよ」
ポッドから出てきたアベルへ、男が軽い笑みを送った。
スーツ姿のその男は、後ろの二人を置いてアベルに歩み寄った。控えている二人は彼と違って随分とラフな格好だ。シオンはむしろそちらの二人の方に注意を置いた。彼らの横には大きな筒状の物体が転がっていた。
あれは変換機だ。
それなら彼らは科学技師か……。変換機があの大きさなら、大したレベルの技師ではないだろうけれど。
「……」
シオンと目が合った一人がにやりと笑い、見せつけるように筒へと手を置いた。
と、
「ちょっと、どうしてくれるのよ!」
アベルの絶叫が響いた。ビクっ! とシオンは飛び上がった。
「は、はい?」
「ハッチが取れてるじゃない! ポッドを壊しといて何が嬉しいよ。酷いわ!」
無残に全壊してしまったハッチを指差して怒鳴る。言われも無い罪を突きつけられた男はたじたじと身を引いた。
「な、え? は、ハッチ? あの、私どもが来た時にはすでに……」
「あーっ、取っ手まで無くなってる! ハッチが直っても開けられなくなっちゃうじゃないの!」
冤罪が積み重なる。アベルの勢いにうろたえる男を横目に、真犯人のシオンはひたすら知らんふりを通した。
「まったく。ホント、迷惑ったら無いわよ」
一通り怒りを吐き出したアベル。彼女が腕組みをしてため息を吐くと、男はやっと話の主導権を取り戻したと口火を切った。
「迷惑はこちらも同じですよ。再三の催告にも関わらず一度もご連絡を頂けなかったのですからね」
男の呆れたような言い草に、アベルが片眉を上げる。
「どういう意味よ。私はあんたたちなんか知らないわ」
「我々の方は七日前から何度も参じていたのですがね。お会いできないので毎回催告文を投函させていただいていたのですが……一度も目を通されていないようですね」
男の目がポッドを見る。視線を追って振り返ると、そこには何通もの封筒が突っ込まれたポストがあった。
「酷い。ここは通気口よ」
アベルは男に向き直ると、
「用事があるのならさっさと言ってよ。悪いけど急いでるの」
腰に手を当てて睨み上げる。すると男はにやりと唇を歪めた。
「ええ、我々も早く仕事を進めたいと思っていますよ。役所は期日や時間にうるさいものですからね」
役所?
同時に首を捻ったシオンとアベルの前に、男は新たな文書を突き出した。
「公地税金の督促状です。書面に目を通されましたら、この場で速やかにお支払いいただきたい」
殺風景な紙の上に記された金額は、世情に疎いシオンでも目を瞠る桁数だった。
「……な、何よこれ」
「書面の通りですよ。公地に住まわれるのならば、役所に相応の税金を納めていただかなくてはなりません。これが公陸のルールです。あなたはもう、七日もこの場所で生活を営んでいらっしゃる。支払い猶予期間は最初の催告より三日間です。すでに滞納期間に入っていますので、今すぐお支払いください」
つらつらと言う男は役人だった。口調や態度から税金の取り立てに関しては玄人に違いない。
文書を持つアベルの手が震える。記された額面をなぞるたびに顔色が青ざめていく。
「た、高すぎじゃないの、こんなの……」
「当陸ではこれが常識です。加えてあなたの場合は、特A級小型渡空船の所有が追徴の対象となっています」
「これじゃ誰もポッドを持てないじゃない」
「この税率はあくまで特A級の場合ですよ。庶民が持つC級ポッドなら十分の一以下です。特A級ポッドを持てる程の余裕がある方は、相応の税金を公地に還元する義務があります」
男は顔に張り付けた営業用の笑みを更に歪ませた。
「陸は皆のもの。限りある陸を有効に使い、また快適な暮らしの場とするために税金は不可欠です。公益は何よりの私益と言うでしょう。洪水以前の世の中から受け継がれている社会常識なのですから、拒否する権限は誰にもありません。むしろ洪水を乗り越えた一つの伝統として喜んで受け入れるべきです」
拡大解釈極まりない男の言葉を、シオンは呆れた気分で聞いていた。
しかしアベル本人は、先程までの勢いをすっかり失い、気圧されたように身を固めていた。
「これほどのポッドをお持ちなら、請求額の用意も容易いことでしょう。お連れの方も随分と品の良い格好をしていらっしゃる」
ちら、と男の目がシオンを向く。その表面的な笑みの下にある淀みを、シオンは見逃さなかった。
同じ目だ。私欲のために言い寄ってくる愚かな人間たちと。
シオンは一歩前に出た。
「悪いけど、彼女はこの公陸の住人じゃありませんよ」
「は?」
逸れかけていた男の目が、まじまじとシオンを見た。
「アベルの家は別の陸にあります。それに、ここまで壊れてしまったポッドにまで税を課すなんてあり得ない。ここに不時着したポッドだってことは見れば分かるでしょう。この督促は誰がどう見ても常識外れだ」
男の顔がみるみる蒼白になっていく。
後ろでアベルが身じろいだ。
「あ、あんた……」
シオンは振り返ると、ふっと微笑んだ。
「シオン、だよ」
アベルが目を見開いた。その時だった。
「明白な支払い拒否と断定します!」
男が金切り声で叫んだ。
はっと振り返ると、役人の合図を受けた男が巨大な筒を担ぎ上げた。
「きょーせー措置ぃっ!」
ドン! と爆音が鳴った。