Ⅳ ⅹⅸ
「……出来るわけ無いよ」
アベルは虚ろな声で答えた。
「兄貴の思いを知った後で、そんなこと、出来るわけ無いよ」
「あれだけ罵っておきながら、気まぐれだな」
「っ」
アベルは顔を上げた。突きかけた不服はしかし、そこにある兄の笑みを見た瞬間に四散した。
「もうすぐ死ぬと知った時から決めていたんだ。アベルの刃で、妹の刃で死のうと。与えてしまった恨みの報復をこの身に受けて死のうと――」
「……」
「そうして俺はようやく、妹を抱きしめられる兄に戻れるんだから」
アレックスは屈託なく笑った。それは最後の力を振り絞って成し遂げた笑顔だった。
記憶に居る兄と同じ笑顔だった。
「もう時間が無い。俺が死ぬ前に継代をしないと、この聖地は落ちる。これ以上の罪を被るのは御免だ。あの世に持って行く分はもう事足りてる」
そう言うと、両手を大きく広げた。
と、肩越しに小さく振り返ったアレックスは、床に倒れたままのシオンと目を合わせた。
……シオンも、ありがとう。俺の無茶な願いを叶えてくれて。
耳の中に彼の声が響く。シオンは言葉を返そうとしたが、口から出てきたのは湿った咳だけだった。
アレックスは「分かっている」と言うように目を細めると、再び前を向いた。
兄妹の瞳がまっすぐに向かい合った。
「……許さない」
アベルが静かに言った。
「――ああ」
「兄貴なんて、ぜったい一生許さないっ!」
がっ、と剣の柄を掴んだ。
少女のドレスが翻った。破れた純白の裾から覗く足が、聖堂の床を疾走した。
「世界で一番、だいっきらいよ! 兄貴!」
高らかな言葉が聖堂に響き渡った。
虹色の剣はきらめいていた。
その時さえきらめいていた。
そっ、と、兄の手が妹の背を撫でた。
「俺は大好きだよ、アベル」
胸に顔をうずめた妹へ、優しく言った。紛う事無き彼の本心だった。
少女は溢れる涙を散らして首を振った。彼女の握りしめる剣の柄には、兄の血液が幾筋も伝っていた。背を撫でる手の平と全く同じ温度だった。
少女はきつく抱きしめられた。刃から、ぐちりと兄の体が蝕まれる感触が響いた。
少女は剣を放し、兄のローブを掴んだ。微笑むような吐息が、やさしく耳に掛かった。
大好きだよ、アベル。
そして――彼は消えた。
支えを無くした少女の足が、数歩前によろけた。
「……」
少女は握りしめたローブを見た。主を失くしたローブには、僅かな体温すら残っていなかった。
まるで少女に、自らの存在の全てを預けて去ったかのようだった。
左手に、布とは違う不思議な感触があった。開いてみると、そこには、見覚えのあるブローチが留められていた。
少女は目を細めた。真ん中の石に映った自分の顔は、たまらなく切なげだった。
「……っ」
短すぎた五年分の抱擁を埋めるように、少女の腕がローブを抱きしめた。
その様子を、シオンは無言で見守っていた。
中空をめぐる円形燭台に次々と明かりが灯っていく。
美しい装飾が姿を現し、八面の壁が大理石の静かな艶に彩られる。
新たな時代を飾る光の中に、少女は立っていた。
第五聖地の御芯体。遥か千年伝播を続ける、至高たる科学の依代。
此度の継代も、無事に遂げられた。
無事? 本当に――?
シオンは痛みをこらえて立ち上がった。
兄の遺物を抱く少女を横に、首を擡げて天井を見上げた。
破れたステンドグラスの向こうには、吸い込まれそうなほどに遥かな夜空が続いていた。




