Ⅳ ⅹⅷ
「っ……っく」
のしかかる刃の軋みが傷口をぐちぐちと広げる。シオンは歯を食いしばり、背で受け止めた変換機の激痛をこらえた。
「シオン」
目を擡げる。そこには平坦とも取れる、アレックスの静かな表情があった。
シオンは諦観と共に、弱い笑みを返した。
「遅くなって……ごめん。アレックス……」
ごほっ、と血液を吐き出した。飛沫が、アレックスのローブに雪花のような模様を加えた。
崩れ落ちるシオン。両手を床に着くも、一瞬でバランスを崩し倒れ伏した。
呆然と見守っていたアベルは、次に繰られた光景に衝撃を受けた。
シオンと重なっていたアレックスの姿が露わになる。
彼は右手を擡げていた。
指先から放たれた空気のたわみが、聖堂の床を這う人影に突き刺さった。
「なっ!」
アベルの吃驚が響く。
その男は最後の力で変換機を放った姿勢のままだった。額に打ちこまれた衝撃波の勢いが男の背をエビのように折り曲げた。ベギっ、と嫌な音がし、割れた額からは血液が吹き上がった。
鈍い音を立てながら後ろに転がり、別の人影にぶつかって止まる。その人物も、とうに命を失っているとしか思えない格好で倒れていた。
しん、と聖堂に静寂が落ちた。
アベルはようやく気がついた。
震える瞳で、聖堂の床に散乱する六つの死体を見回した。
かつん、と靴音が立つ。はっとアベルは祭壇を振り向いた。
今なお平静な顔の兄が、こちらへ歩み寄ろうとしていた。
「こっ、来ないでっ」
とっさにそう言っていた。身を引き、強張った顔で兄を牽制した。
アレックスは言われるままに立ち止まった。
「これ……っ、これ全部、兄貴がやったの!?」
アベル、とシオンがか細く呼んだ。
シオンは床に倒れたままアベルを見上げていた。痛みに歪んだ顔は、必死に何かを訴えようとしていた。
しかし兄妹の目に、シオンはもう映っていなかった。
「……」
「あんなに優しい兄貴だったのに、至高圏に来て変わっちゃったの? 人を殺せる兄貴なんて信じられないっ……ねぇ、何でそんなに無表情なの? 何とか言ってよ!」
終末昏睡の後遺症なんだ。シオンは説明したかった。しかし全身にこみ上げる激痛が容赦なくそれを阻んでいた。
アベルは俯き、両手を固く握りしめた。
「……やっぱり兄貴は私が思ってるような兄貴じゃなかったんだ。……それなら五年前に捨てられた時点で諦めてればよかった。実はね、待ってたんだよ? 私を迎えに来てくれるんじゃないかって、つい一年前まで待ってたんだよ?」
両目から涙がこぼれ落ちた。
「兄貴と同じ十六歳になった時、『ああやっぱり捨てられたんだ』って諦めたの。それから一人で生きるって決めた。兄貴の事なんか忘れて、一人で自由に生きて行くんだって決めた。だから思い切ってあの屋敷を抜け出したよ。でも一日でどっかの陸に墜落して、絶望して……。そんなタイミングでいきなり『会いたい』なんて勝手すぎるよ」
ぎり、と少女の拳が震えた。
「そして私の手で兄貴を殺すんでしょ? 何なの? ねぇ、兄貴は何がしたいの? 何でこんな勝手で私を振り回すの? 翻弄される私を見て笑いたいの?」
アベルはアレックスを見上げた。
「もしそうだったら、兄貴なんて一人で死ねばいい!」
罵りの叫びを、アレックスは真正面から受け止めた。
少女は涙を流しながら、ぜいぜいと肩で息をした。
むき出しの肩には、第二聖地でついた痛々しいアザが浮かんでいた。
「……謝るつもりじゃないんだ」
アレックスが囁くように言った。
その言葉にアベルが顔を強張らせた。アレックスは構わずに続けた。
「恨んだままでいい、世界一の悪人だと思われたままでいい。その手で復讐してほしいんだ、アベル」
アベルは目を瞬いた。
「ふ……復讐……?」
「そう。俺は本物の罪人なんだよ。一度でも、アベル……たった一人の妹から一番遠い所に行きたいなんて願ったんだから」
ふ、とアレックスは息をつき、目を閉じた。
「……五年前のあの日。アベルはあの日から始まったと思ってるだろうけれど、俺はあの日に全てが終わったんだ。叶えようとしていた夢が、あの日に崩れて無くなったんだから」
「……どういう意味なの」
「あの屋敷で働いていた頃、俺が夜にこっそり屋敷を抜け出していた事は気付いてただろ? 実は、知り合った技師の仲介人に頼んで別の陸に働きに行ってたんだ」
アベルは目を丸くした。
「日雇いの技師。仕事はいろいろあったよ。貴族の護衛が一番多かったかな。おかげで本職は屋敷の下働きだって言うのに、軍人技師ばりの戦闘ができるようになったよ」
自嘲の言葉だった。
「わっ、私は兄貴が技師だなんて……全然知らなかった。屋敷でも変換機は使えないって、みんなに言ってたじゃない。何で隠してたの?」
「科学技術を使えるなんて知られたらもっと酷い仕事をやらされる。それこそ、外で働ける時間も無いくらいに。だからずっと隠していたんだ」
アベルは、アレックスのローブについたブローチを見た。彼が昔から肌身離さず持っていたそれが変換機だったのだ。酔った客人に奪い取られようとした時、床に額を擦りつけて『返して』と懇願したのを思い出す。
なぜ、そうまでして屋敷の外で働いたのか。様々な危険を冒してまで、己の技術を売り歩いていたのか。
「いつかお金を貯めて、屋敷を辞めて、別の陸で暮らすつもりだったんだ。大切な妹と二人で、自由に――」
アレックスは目を開け、ゆるりとアベルへ微笑んだ。
「でも、俺も隠しすぎた。びっくりさせようとして、ずっと秘密にしていたのがいけなかったんだ。ちゃんと説明していたら、あの日アベルを怒らせる事も無かった……きっと」
お待たせ、と笑った兄の真意。アベルは五年を越えた今、やっとそれを理解した。
「あの日に叶うはずだったんだ。アベルと二人で暮らす夢……でも、……」
ゆるやかな笑みの中の諦観が、少女の感情の堰を破った。
「バカ! 大バカよ兄貴! ちゃんと言ってくれたら私だって協力したのに。勝手にただのお荷物にしないでよ!」
「ああ、馬鹿だったよな……」
「そうよ。良い格好しようとした兄貴のせいよ! ちゃんと知ってたら、私、わたし、あんなに酷いことなんて言わなかったんだから。素直に飴玉貰ってたんだから!」
少女の叫びの下で、青年は静かに笑っていた。
そして、
「……許してくれ、なんて言わないよ。全部の罪を持ってあの世に行く。アベルを一人にした罪と、アベルを悲しませた罪……それから、今になってアベルに全てを知らせた罪」
すっと右手を持ち上げた。床に落ちたステンドグラスの破片が、まるで風に吹かれるようにアベルの下へと集まった。
色ガラスは次々と結合し、一本の剣を作り上げた。モザイク状に固まった刃は、祭壇の淡い光を受けて虹のように輝いた。
アベルは呆然と、その美しい剣を前に佇んだ。
「俺を殺してほしい、アベル。その手で俺に、積み上がった罪の報復を与えてほしい」
兄の声はやわらかかった。




