Ⅰ ⅳ
「な、何で私の名前を知ってるの?」
不安げな目がこちらを向く。
「それに……『やっと見つけた』って、あんたは私を捜してたって事?」
まるで逃げるように、彼女はシオンの腕を離れた。
猜疑を交えた視線が上目づかいにこちらを睨む。シオンはその両目に頷きを返した。
「そうだよ。アレックス――君のお兄さんの願いで、君を迎えに来たんだ」
「っ」
闇の先で、アベルが酷く動揺したのが分かった。
じじっ、と音が立ち、天井からぱっと光が拡散する。突然戻った光に、アベルは反射的に顔を逸らした。
明らかになった少女の出で立ち。華奢な体を包むのは。土にまみれた作業着だった。シオンは一瞬虚を突かれたが、右手のドライバーを見れば納得がいった。このポッドを修理しようとしていた最中だったのだ。
淡色のくせ毛は頭の後ろで一つに結われている。遅れ毛が撫でる頬には機械油と擦り傷。墜落の時の衝撃か修理の弊害なのか分からない傷や汚れが、彼女の全身を覆っていた。
相応の格好をすればリゼッタにも負けない美人になるだろうな。シオンはふとそう思った。
と、気の強そうな大きな目がこちらを向いた。
「僕はアレックスの――」
「兄貴の話なんてしないで」
きつい口調で撥ねつけられ、シオンは言葉を呑んだ。
「え」
「私は兄貴とはもう何の関係も無いの。兄貴の話も、名前も聞きたくないわ」
アベルはシオンを睨みつけた。
「五年前に兄貴は消えたのよ。私に何も言わないまま、私を一人残してどっかに消えたのよ。それじゃ捨てられたも同然じゃない。そんな奴とヨリを戻そうなんて思うお人好しがどこにいるって言うの?」
言い捨て、ぷいっと顔を逸らす。
「いや、ヨリを戻すとかじゃなくって」
「あんたも兄貴の使いか何かなら、さっさと出てってよ。私は忙しいの。明かりが戻ってるうちにポッドを直さないと」
アベルは瓦礫に埋もれた操舵席の前にしゃがみ込むと、シオンを置いて作業を始めた。
嫌ってるって、こういう意味だったのか。
シオンはアレックスが残した言葉を痛感した。
頭を抱えるシオンの一方、アベルはシオンを完全に無視してもくもくとドライバーを回していた。
「……ポッドを修理してどうするつもり?」
「旅するのよ。当たり前じゃない。私ね、ずっと金持ちババアの屋敷で働かされてきたのよ。せっかく抜け出してやったんだから、今度は自分が自由に生きられる陸を探さないと」
淡々と答えた少女。思い切りのいい性格もアレックスに似てるな、とシオンは感じた。
自由に生きられる、か。
きっと心からの願いだろうその言葉に、シオンは複雑な心証を抱いた。
「でも、今のままじゃその願いは絶対に叶えられないよ」
ピタリと少女の動きが固まる。
しばらく沈黙が流れた後、少女は肩越しにこちらを見た。
「……は? どういう意味?」
「このままだと、近々一つの聖地が墜落する。そうなったらこの世界の第二次科学方程式は成り立たなくなる。変換機による現象誘起も元素変換も、法則のバランスが崩れるから使い物にならなくなるんだ」
アベルの目が見開かれた。
「至高圏に浮かぶ九つの聖地の役割は知ってるよね。聖地同士の引力バランスによって生み出される引力干渉エネルギーが、第二次科学方程式の上にあるエネルギー的矛盾を修復している。現象を構築する粒子の数さえ合っていれば、方程式はどんな壁だって飛び越えられる。そのおかげで今の魔法みたいな科学は実現してるんだ」
とある高名な科学者が呈し、作り上げた理論だ。もっとも理論の完成から千年も経った今の時代では、誰もが幼い頃から知っている事だ。
無論、アベルも異を唱えない。彼女は立ち上がると、別の疑問を投げた。
「聖地が落ちるって、ホントなの」
シオンは頷いた。
「そうだよ。第五聖地を守る御芯体――アレックスの命はもう、潰える寸前なんだ」
少女の右手からドライバーが滑り落ちた。
床に散らばる金属板にぶつかり、高い音が鳴り響く。
鐘鳴の残響を聞きながら、シオンは立ち尽くす少女の瞳を見つめていた。
「――――え?」
長い長い沈黙の後、少女は固まった唇のすき間から言葉を漏らした。
「あ……兄貴は……〝あの〟聖地にいるの?」
シオンは頷いた。
「じゃ、じゃあ五年前に私を置いていなくなったのは……聖地の御芯体になるためだったって言うの?」
シオンは淡く目を細めた。
「そうだよ」
肯定した瞬間、突然アベルが胸ぐらをつかんで来た。