Ⅳ ⅹⅱ
宵風が少女の長い髪をなびかせていた。
「随分と趣向の凝らされたバルコニーね。空中回廊を散歩した気分だわ」
「光栄ですよ、ベッセマーのお嬢様」
「至高圏で地界の姓は無意味よ。リゼッタ。呼ぶならそう呼んでちょうだい」
リゼッタはそちらを見ないまま、愛想無く言った。
回廊のようなバルコニーの先でリゼッタを迎えたのは、悠然と笑むレスターと、彼の前にあるティーセットだった。
「お掛け下さい。リゼッタ嬢は確か、コーヒーよりも紅茶がお好きでしたね」
「そう言えばあなた、何度か夜会で会った事があったわね」
覚えていてもらえて光栄だ、と言うようにレスターは深く頷いた。世界は自分が思っていたよりも狭い。リゼッタは無表情の奥で辟易した。
そして、
「お断りするわ」
何も問われないうちからキッパリと言い放った。
早くも踵を返しかけたリゼッタへ、レスターは残念そうに眉を上げた。
「残念なお返事ですね。おや、二人きりのお茶会はもうお開きですか」
「無価値なお茶をいただくつもりは無いわ。友人を残して来たから早く戻りたいのよ」
「アベル嬢の事ですね。御心配は無用ですよ。彼女は既に、屋敷の者によって保護されているはずですから」
リゼッタは怪訝に振り向いた。
「拘束、監禁、どちらかは分かりませんが、サロンルームの近辺で確保されているのは確実です。リゼッタ嬢がお望みならば、すぐにでもお引き合わせしますよ」
にこやかな顔のまま告げた男。
拘束、監禁、確保。不穏な単語がリゼッタの顔を強張らせた。
「……どういう事」
「ゲストと言えど、勝手に屋敷をうろつかれては困りますので。それからアベル嬢を追って部屋を出た預言者に関しても、後ほど確保の連絡が来ると思います。薬の効果で今頃、廊下の真中で眠り込んでいるかもしれませんがね」
「薬ですって?」
「ええ。皆さまにお出ししたドリンクには特別な睡眠薬を入れていましてね。部屋に残ったゲスト達も、今頃はそろって夢の中ですね。当家の医師が研究に基づいて調薬した薬ですから効果は十二分に期待できます」
立ちつくすリゼッタ。レスターは満足げに彼女を眺め回すと、椅子を立ち、ゆっくりとした歩調で彼女に歩み寄った。はっと身構える少女へ、にやりと笑って言った。
「どれも、あなたと二人きりで話すための舞台設定ですよ」
「見え透いた嘘を吐かないでちょうだい!」
リゼッタはギッと男を睨みつけた。
「パーティを口実に私を第一聖地から引き出すつもりだと思っていたけれど、他の聖地の人たちにまで手を出すなんて聞いていないわ。どういうつもりなの。至高圏全体を敵に回して、ただで済むと思っているの?」
くくっ、と男の口から失笑が漏れた。
「私自身が統べる者になるのですから、何の心配もありませんよ。リゼッタ嬢は冗談がお上手だ」
可笑しそうに笑う男。リゼッタは「なっ」と食い掛かりかけたが、男の手がそれを制した。
「と、あなたも至高圏を統べる三賢者の一人となるのですから、先の言い方は語弊がありましたね。失礼」
「……三賢者? ふざけた事を言わないで。私はあなたの愚かな計画に賛同するつもりは全く無いわ」
少女は顔を歪めた。
「私欲のために聖地の配置を変えるなんて狂気の沙汰よ。まして発生したエネルギーで至高圏を支配しようなんて浅はか過ぎるわ」
「そうですかな?」
「当たり前よ。どんな質のエネルギーが発生するかも分からないのに、古文献の情報だけでこんな暴挙に出るなんてどうかしているわ。それに聖地を三つも動かしたら地界の重力にどんな影響が出るか想像もできない。あなた一人の支配欲のために世界を巻き込もうって言うの?」
リゼッタは人差し指をレスターに突きつけた。
「あなたみたいな人が芯体の座についているなんて、恥よ。同じ立場の者として恥ずかしいわ」
少女の爪の先で、レスターは動じた風も無く立っていた。
「私は恥知らずの一人になるつもりは全く無いわ。私の意思が無ければ、あなたの計画も進まない。それにあなたが第五聖地に送り込んだ暗殺者も、今頃テッドが皆殺しにしているはずよ」
ピクリとレスターの頬が動いた。
「思い通りに行く可能性は一つも無いのよ。第一聖地も第五聖地も、私とテッドがいる限りあなたの好きにはならない。今このバルコニーから始めようとした事は、金輪際あなたの胸の中に閉じ込めておく事ね」
言い捨てると、リゼッタはくるりと踵を返した。カツカツカツとパンプスのヒールがコンクリートの地面を叩いた。
リズミカルな足音に、レスターの声がかぶさった。
「その預言者は今、私のメイドと一緒にいるようですが?」
カツ、と歪んだ音を立てて足音が止まった。
「……なん……ですって」
「この屋敷の使用人は医者を除いて皆、技師でしてね。それぞれ疑似有線型の振動伝播器――いわゆるトランシーバを携行しているんですよ。発信された言葉は私のこの変換機に伝わるようになっていましてね、先程そのメイドから連絡が入りました。第一聖地預言者の青年が自分に言い寄っている。どうすればいいか――と」
リゼッタの顔がみるみる赤くなった。
「なっ……!」
「そのままお相手して差し上げろと言っておきましたよ。彼も好色家ですねぇ。こんなに美しい方と共にありながら」
くくく、とレスターは笑った。
「あなたの思惑も、首尾よく運びはしなかったようですね。彼の性格を理解していなかったあなたの失敗だ」
リゼッタは呆然と、レスターの失笑の前に立ち尽くした。
すっとレスターの手が持ち上がった。握手を求める手の平へ、リゼッタは瞳を動かした。




