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Ⅳ ⅸ

「ぐっ」

 体が床に叩きつけられる。男は更に、ゴミでも蹴散らすかのように足でシオンを払いのけた。ごろりと床を転がされ、シオンは潰れた呻きを上げた。

「手を出すな。素人が」

 男が無感情な声で発した。

 シオンは床の上から男を仰いだ。白衣と思しき服を来た男が、ベッドの上のエリーシャに覆いかぶさっていた。はっとしたが、彼はベッドから落ちかけた彼女の姿勢を元に戻しているようだった。

 無数のチューブを繋いだエリーシャの腕を、ベッドの上へと安置する。

「輸血管を抜かなかったのは、冷静な判断だったな」

 男はそう言うと、こちらを振り返った。

 眼鏡の奥には、卑下するような冷たい瞳があった。

「だ……誰」

「医者だ。もっとも、至高圏の化け物たちには無縁の職だろうがな」

 抑揚の無い声でそう答えた。

 シオンは痛みをこらえながら立ち上がった。気のせいか、体が酷く重く感じた。

 ため息を吐き出すと、対峙した男を睨みつけた。

「エリーシャを解放しろ」

「それはできん。旦那様のご命令だ。この預言者の身柄は永世ここに拘束される」

「だったら力ずくで曲げさせるだけだ!」

 擡げた右手の先へ意識を放った。

 その瞬間、全身が激痛に震えた。

「うあ!」

 シオンは悲鳴を上げた。血管が軋んだかのような衝撃だった。

 体を折り、ひと際痛みを訴えた右腕を押さえて呻く。

「っく……」

 歯を食いしばり、目を開けた。そこには男が、変わらず無表情で立っていた。

 シオンは左手を上げた。人差し指の先には男の額――いや、心臓。

「ぁあっ!」

 空中放電の意思を放った瞬間、シオンは再び悲鳴を上げていた。内側から破られるような激痛が全身を走り抜けた。

 どさっ、と床に崩れ落ちる。激痛の残渣に震えるシオンを、男はじっと見下ろしていた。

「血球沈降剤は有用なようだ」

 動物実験の結果のように呟いた。

「……っ!」

 どこまでも平坦な素振りの男を、シオンは床に這ったまま仰ぎ見た。

「賢者ノアとて血液は人のもの。その血を受け継ぐ預言者にも、人向けの薬剤は効果を現す。ここまでは以前の研究で明らかだったが、血球沈降剤による血球立体構造の破壊が導く現象を掴んだのはこれが初めてだ」

 男は言うと、唇の端を小さく持ち上げた。それが笑みのようだった。

「な……何をしたんだ」

「投薬した。動脈に導入した薬剤がお前の血液成分に作用し〝ノアの血液〟の構造を一時的に破壊している。単純な原理だ」

 嘲るように眉を上げた。

「ご自慢のノアの血族の力も、ロストサイエンスの前に屈したというわけだ」

 言うと、男はエリーシャへと向き直った。

「……エリーシャには……何をしたんだ」

「人工心臓による血量操作だ。体内を巡る血液の量を極めて低量にすることにより、意識混濁、筋弛緩、そして厄介な現象操作能力の低下を誘導している。お前とは別の原理で力を奪われている状態だ」

 人工心臓。あの機器が彼女から血液を抜き、生命を奪わないギリギリの量を循環させている。チューブを抜けば取り返しのつかない惨事になっていた事は、薬のせいか霞みがかっている頭でも分かった。

 ふらつきながらも立ち上がったシオンを見て、男は冷静に口を開いた。

「投与単位が低かったか。この分だと継続時間も期待できないな」

 顎に手を当てながらシオンを眺め回す。

 そして嘆息すると、

「実験に失敗はつきものだ。結果は騒動が収まった後にまとめて論文に仕上げるとしよう」

 白衣のポケットへと手を入れた。

 再び出てきた彼の手には、拳銃が握られていた。

「っ」

「非技師によるノアの血族の圧制。いや、その結論まで論文に書き加えるのは不適切か」

 男は銃をシオンに向けた。

「私はノア以前の一次科学を愛するロストサイエンティストでね。巷に溢れるこじつけのような科学技術には嫌悪感を覚えている。故に第二次科学方程式を樹立したノアの子を、古の科学を以って圧制した結果は実に喜ばしい。まさにロストサイエンスの復讐だ」

 黒光りする拳銃を前に、シオンは後ずさった。

「両膝を被弾させ一時的な行動不能状態に陥らせる」

 銃口は言葉の通り、シオンの足を向いていた。ぎり、と奥歯を軋ませた。

「お前もこの女と同じく人工心臓に繋ぐ計画だ。そして三つの聖地を支配し得た暁には、全ての預言者がお前たちと同じ道を辿る」

 三つの聖地。シオンは男を睨みつけた。

「……やっぱり……レスターは」

「知った所でもう意味は無い。今頃、旦那様の雇った精鋭たちがお前の聖地の御芯体を殺害している事だろう」

 はっ、とシオンは息を呑んだ。

 アレックス!

「何だ。そんなに聖地が気がかりか」

 動揺を露わにしたシオンを見て、男は嘲るように言った。

「安心しろ。お前の体は聖地に戻される。――この女のように管まみれの人形と化した後でな」

 銃声がシオンの耳を突き抜けた。

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