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Ⅲ ⅹ

 部屋履きのドレスシューズが絨毯の上を静かに歩む。彼女はテーブルにアベルを残し、窓の前まで歩むと、掛かっていた薄いカーテンを引き開けた。

 やわらかな光が部屋の中へと広がる。明るさを変えた空気。アベルは惹かれるように顔を上げた。

 窓辺に佇む美しい少女に、ふわりと何かが緩む気がした。

「降りかかった運命を振り払いたいなら、そうすればいいわ。あなたはまだ、拒めるから」

「え……」

「預言者を通じて結ばれる仮契約は破棄できるのよ。別の誰かが芯体を継げば、同時に仮契約も無に返るわ」

 少女は窓の外を向いたまま言った。

「ただし……その時は、アレックスに望まれなかった誰かが彼の命を奪う事になるけれど」

 告げた横顔を、アベルは見開いた目で見つめた。

「こちらの結末の方が良いなら、今すぐ継代を拒絶しなさい。あなたの身は、私が責任を持って地界に送り届けるわ」

 リゼッタの目は今も、窓の外に広がる空を見ていた。淡く細められた瞳を覆うのは、アベルの知らない感情だった。

 吹き込む涼やかな風に、艶やかな長い髪とドレスワンピースの裾が躍る。

「……リゼッタも、そんな風に望まれて誰かを殺したの?」

 殺したのだから少女はここにいるのだと、分かっていても問わずにはいられなかった。

 ピクリとリゼッタの肩が揺れた。

「――いいえ」

 アベルは涙をぬぐったばかりの瞳を瞬いた。

 リゼッタはくるりと踵を返すと、つかつかとテーブルに戻って来た。

「私がここを継いだのは、あの人……テッドのせいよ」

 椅子に座り直し、冷ややかな感情を織り交ぜた目で皿の上のフォークを見た。

 リゼッタはアベルへと、一年前の出来事を話して聞かせた。壮絶な二人の出会いを、アベルは言葉を失くして聞き入った。

「――だから私はあの人を一生許さない。許せるわけがない。それなのにあの人は平然と口説いて来るのよ。いつもいつも飄々として、私の心なんて全く理解していないんだから」

 いつの間にか少女の顔には、あからさまな憤りが浮かんでいた。

「何が『愛してる』よ。間接的にとは言え人を一人殺させておいて言えたセリフ? 自分勝手もいい所よ。いつか絶対に殺してやるわ」

 ぎょっ、とアベルは目を瞠った。

「えっ、あ、でも預言者って死なないんだっけ」

「分かっているわよ。でもそう思わずにはいられないの! いつか絶対に復讐するわ。至高圏に来てから変換機の使い方を修得したのもそのためよ」

 リゼッタは一気にまくしたてると、一瞬の間の後、大きく息を吐いた。

「……ごめんなさい。人に……預言者以外に、おまけに女の子と会うのが久しぶりだから、つい口が過ぎてしまったわ」

「ううん、私は別に……それよりその、本気なの? テッドさんを殺したいって」

 遠慮交じりのアベルの問いを、リゼッタは悩ましげな声で肯定した。

「そうよ。それに、そんな風に思っていないと……」

 私の何かが崩れてしまう。

 消え入りかけたその言葉を、アベルは不思議な気持ちで聞いた。

 空気を変えるように、リゼッタはミントティーのカップを取った。

「それで、私に変換機の扱いを教えてくれたのがアレックスなのよ」

 兄の名に、アベルもはっと我に返った。

「何も知らなかった私に基礎から分かりやすく指南してくれたわ。至高圏に来た後で科学技術を覚える気になった理由を話したら、彼もさすがに苦笑していたわね」

 リゼッタは目を上げた。奇妙な顔をしているアベルに首を傾げる。

「兄貴、変換機を使えたの?」

「ええ。彼は素人目にも素晴らしい技師よ。ブローチ型の変換機を自在に扱っていたもの」

 アベルは顔を歪ませた。

「また……。意味分かんない」

「え?」

「兄貴のやつ、私の前では技術なんて使えないフリしてたの」

 リゼッタが眉をひそめた。

「……もう、わけ分かんない! こうなったら本人に問い質すしかないわ!」

 がばっ! と顔を上げたアベル。リゼッタはぎょっと身を引いた。

「継代とか殺すとかは後回しよ。絶対に答えてもらうわ。いくつも秘密を抱えたまま冥土に引っ込むなんて誰が許すと思ってるの!」

 ダンっ、とテーブルを叩く。

「……でも、アベル。詰問するために終末昏睡を解いてしまったら、アレックスは間もなく命を費やしてしまうわ。彼が臨終する前に誰かが芯体を継がないと第五聖地は落ちてしまうのよ」

 リゼッタは驚きながらも冷静に忠告した。

「あなた、芯体を継ぐ気は無いんでしょう――」

「それは兄貴の答え次第よ」

 スパリと言い放つ。

「納得できる答えだったら、私がそのまま兄貴の跡を継ぐわ。でも馬鹿な理由で私を振り回してたんだったら話は別よ。その時はその辺の誰かに継いでもらおうじゃないの」

 ふふん、と不敵に笑んで腕を組んだ。

「それが妹からの復讐よ。遺言を拒否された悲しみのまま死ねばいいわ」

 リゼッタは呆気に取られて聞いていた。

「ねぇ、リゼッタ。至高圏に御芯体でも預言者でもない普通の人がいる場所って無いの?」

「えっ? 第二聖地には使用人が大勢控えているけれど」

 答えた後でしまったと口を押さえた。

「第二聖地! ちょうど今晩パーティが開かれる所じゃない」

 何たる好機とアベルの顔が輝いた。

「よーし。あんまり乗り気じゃなかったけど、出る気になったわ。それにメインゲストで呼ばれてるんだもの、澄ました顔してればバレないよね!」

 やる気に溢れた声でリゼッタに同意を求めた。

 リゼッタは唖然とアベルを眺めたまま、生死の境に佇む青年を思い浮かべた。

 第五聖地の命運は最早、彼自身の過去にかかっていた。

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