Ⅲ ⅸ
その頃屋根の下では、少女たちがアンティークのテーブルを囲んでいた。クロスの上には品の良いティーセット。透明なポットの中には紅茶の葉と、摘みたてのミントのグリーンが躍っている。その隣ではサロンパーティでも開けそうな大きさのシフォンケーキが、ふわふわの断面を見せていた。
アベルは爽やかな香りを上らせるミントティーを前に、ただただケーキの巨大さに圧倒されていた。つい先程、目の前でカットされた一切れが自分の皿に置かれている。こんなに贅沢なカットは見た事が無い。
同じ大きさのピースがもう一つ、ティーセットを挟んだ向こう側に用意されていた。しかし目を上げると、いつの間にかクリームの痕跡を残した皿だけになっていた。
かちゃりと音が立つ。真向かいの少女が皿にフォークを置いた音だった。彼女はティーカップを取ると、ケーキを平らげた速度とは真逆の緩やかさでミントティーを口にした。
「甘いティーミールは苦手だったかしら?」
全く減っていないアベルのケーキを見て首を傾げた。
「それともミントティー? 確かに好き嫌いがあるお茶だから、初めに窺えばよかったわ」
「ううん、どっちも大丈夫。……って言うか、どっちも初めてだけど」
アベルは首を振った。ティーセットの準備は経験があるが、自分自身がお茶に招かれた事は一度も無い。飲んでいたお茶は出がらしの紅茶が精一杯だった。
何でもない口ぶりでそう説明し、入れたてのミントティーを飲んだ。その様子をリゼッタはじっと見ていた。
「……わ、おいし」
素直な感嘆が漏れる。ふ、とリゼッタが頬を緩ませた。
「良かったわ。さ、ケーキも食べて。贔屓のお店から毎日取り寄せているのよ」
アベルにケーキを勧め、その手で自分の二切れ目を切るべくケーキナイフを取る。一切れ目とキッチリ同じ大きさを切り出すと、慣れた手つきで自分の皿へと持っていった。
「どうかしら」
「んん、ふわっふわ。すごくおいしい!」
こちらも感激的な美味しさだった。泡のようなスポンジが口の中でふわんふわんと躍る。周りを覆うクリームも、シフォンケーキの淡白さを見事にカバーしている。
「やっぱりお茶もケーキも格が違うなぁ」
きらきらした目でテーブルを見回すアベルへ、リゼッタは苦笑いしながら「私が凝り性なだけよ」と返した。
「……でも、よかったのかな」
「何が?」
「二人、締め出してきちゃったじゃない」
ああ、とリゼッタは軽くあしらう顔になる。カップを持ち上げると、
「いいのよ。あの人は私の下僕だそうだから」
さらりと言った。どこかで聞いた事のあるセリフに、アベルは「出所はここか」と納得した。
「それに、あの人がいてもうるさくなるだけだわ」
「仲良さそうに見えたけど」
ぶっ、とリゼッタが吹き出しかけた。
「じょっ、冗談は止めてちょうだい! 仲が良いなんて気のせいよ。私はこの世の誰よりもあの人の事を嫌っているんだから!」
思いもよらない勢いで反論され、アベルは身をのけぞらせた。
リゼッタはハンカチで口元を拭うと、はぁ、とため息をついた。
「ご、ごめん。リゼッタさん」
「リゼッタでいいわ。……アレックスの妹さんだもの」
アベルが顔を変える。それをリゼッタは見逃さなかった。
「それにテッドとシオンを締め出したのも、あなたと二人で話がしたかったからなのよ。預言者が同席していたら話しにくいわ」
強張った表情のアベルを、リゼッタは冷静な顔で眺めた。
しばしの沈黙が、二人の間に流れた。
アベルはじっと、ティーカップの水面を見つめていた。虚ろな、しかし酷く苦しげな思いを潜めた表情。リゼッタは淡く両目を細めた。
そして、問うた。
「アベル。あなたはアレックスを殺せるの」
聞こえた一言に、アベルはすぐに反応できなかった。
耳から頭へと抜けた言葉の意味は、靄のような何かに阻まれて理解できなかった。
「ころ……せる……?」
下を向いたまま呟いた。
「――もしかして、継代の儀式を知らされていなかったの」
リゼッタが眉をひそめたその時だった。
「どういう意味なの!?」
ビクっ、とリゼッタは身を縮めた。
アベルはテーブルを叩いて立ち上がった。
「殺せるって? 私が兄貴を殺す? 何でそんな話になってるのよ!」
「そんな話も何も、これが千年前から続く芯体継代の儀式なのよ」
うろたえながらも、リゼッタはアベルを仰いで説明した。
「芯体の命が終末に差し掛かった時、遺言で招かれた継代者はその手で芯体の命を終わらせるの。命が貫かれる事で、芯体の資格は依代を推移させるのよ」
アベルは呆然と聞いた。
「芯体の資格は垂直伝播。死を無くして継代は成立しないの。仮契約は預言者の血を額に受けるだけだけれど、芯体の資格そのものを受け継ぐのなら、その手で先代を殺さなくてはならないわ」
説明的な口調だったが、リゼッタの顔は神妙だった。
「あなたが第五聖地の芯体を継ぐのならば……アレックスの命を終わらせるのもあなたになるのよ。アベル」
名を呼ばれた少女は、リゼッタの向こう、壁の一点を見つめていた。
「私が兄貴を殺す……」
「ええ。そしてそれが最も強く望まれている結末なのよ」
「望まれてる……結末……?」
リゼッタはテーブルの上に手を組んだ。
「アレックス自身が、あなたを継代者にと選んだのよ」
すとん、とアベルは椅子に腰を下ろした。
「そうよ……兄貴は私を指名した。何で? 私に殺されることになるのに……何がしたいの? 意味分かんないよ」
下を向いたまま呟く。
「私を置いて行ったくせに。五年も一人ぼっちにしたくせに。死ぬなら勝手に死ねばいいのに……いったいいつまで私を振り回すつもりなのよ」
両手で顔を覆った。
「最後の最後なのに、そんな最後にするなんて……やだよ」
「……」
リゼッタはまなじりを下げた。
震える少女の肩を見つめ、そしてすっと椅子を立った。




