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Ⅲ ⅷ

 二人の預言者は軽やかに身を躍らせた。

 彼らが再び足をつけたのは、聖堂の屋根の上だった。石の尾根の上に立ち、青年は遥か遠くの青空を眺め、少年はその空を背景に立つ背を見つめた。

「至高圏は今日も、止まらん風が吹いとるなぁ」

 真っ白な髪を揺らされながら、テッドは呟いた。

 止まらない風。それは九つの聖地が公転している事を示す、何よりの証だった。

 そう――――聖地は今も動いている。定められた距離角度高度を保ちながら、体感できない程の、しかし数値的に見れば巨大な速度で周回線上を回り続けている。

 この運動の原因は遥か低層に残った地核の影響だとか、賢者ノアが自らの権威を後世まで知らしめるための支配だとか、地界では様々な考察が生み出されている。しかし真実を知る者はいない。そして至高圏に住まう十八人も、聖地の動性に関心を払う機会はほとんどなかった。

 だからシオンも忘れかけていた。

「テッド、答えてくれる?」

「犯人教えてくれ言う質問は却下やで」

 彼はあちらを向いたまま返した。そう言われる事は承知だ。シオンは首を振った。

 そして、極めて平静な声で言った。

「首謀者は第二聖地の御芯体・レスターさんだね」

 虚を突かれた顔がこちらを向いた。

「え……えらい直球勝負やなぁ。遠慮なしにど真ん中狙うんか」

 彼が心底驚いた顔は久しぶりに見た気がした。

「合ってるよね」

 テッドはさっと辺りを見回した後、短く息をついた。

「分かってしもたか。ま、こないに単純な企みやからな」

 軽く髪をかきあげると、負けたような顔で首肯を返した。

「せやで。今回の騒動の犯人はあのおっちゃんや。同じ第二聖地のモンかて、預言者のエリーシャは一つも関与してへん」

「……」

心の中にあった、強張りのようなものが緩んだような気がした。

「……きょうだいの誰かじゃなくてよかった」

「せやな。俺もええ気分はせんわ」

 シオンはしばしの間の後、顔を上げた。

「狙われているのが〝御芯体の座〟っていう所が鍵だったんだね」

 佇むテッドへ、シオンは言った。

「御芯体になったからって、すごい力が手に入るわけじゃないし、僕らみたいに不死身の体になるわけでもない。強いて言えば優越感みたいなものがあるかもしれないけれど、至高圏にいる間はそれを顕示できる相手もいない。それに何より、二つの聖地の御芯体を兼任する事は不可能だ」

 そのような例は千年間で一度も無い。案の定、テッドも頷いた。

「犯人は自分自身が御芯体になりたいんじゃない。自分の息がかかった人を第五聖地の新たな御芯体にしたかったんだ。そのために、お金で雇った技師たちを第五聖地に送り込んだ」

「雇われモンや知っとる言う事は、実際会うたんか」

 頷くシオン。

 マスクに顔を蝕まれた男が思い浮かぶ。はがれないマスクを掻きむしり、激痛にのたうちまわる無残な姿。口を割ろうとした瞬間に命ごと見切られた哀れな暗殺者だった。

 シオンはぎゅっと拳を握った。顔を知らない黒幕の男――――第二聖地の御芯体レスターが、靄の様な姿で頭の中を蠢いていた。

「そいつにレスターの名ぁ吐かせたんか」

 首を振る。尋ねる前に彼は死んでしまった――――命を断たせたのは自分だったが。

 シオンは上空を仰いだ。

「……勝手に灰にされて、消えちゃったよ」

 虚像のように鮮やかな青色が、視界の果てまで伸びていた。

 幾層にも重なる雲の帯。無数に織られた白色の迫間から光が差し込み、絵画のような景色に立体的な陰影をつけている。

 複雑に移り変わっていく三次元の光景。遠くて近い空を眺めながら、シオンは、この世界の根本を暗喩する景色に淡く目を細めた。

 ふっと首を戻す。テッドは変わらず、無言でこちらを眺めるままだった。

 シオンは再び口を開いた。

「僕は忘れてたんだ。至高圏に浮かぶ聖地が大きな変換機だって事を」

 テッドの唇が小さく笑んだ。

「聖地は父が作った、最初で唯一の直列連動型変換機。御芯体の無意識を自動修正して、一定の位置関係を保つように造られてる。その立体構造が引力干渉エネルギーを生み出して、全ての第二次科学方程式上にある矛盾を埋めている」

「正九角配置。これがこの世界の理論であり原則なんや」

 記憶の彼方に霞んでいたその名が、鮮やかに耳に響いた。シオンは頷きを返した。

「普段は何もしなくても構造は保たれてる。今回みたいに聖地の一つが高度を下げれば、他の全ての聖地も自動的に高度を変えるようになってる。多少の捻じれは残るけれど、構造の大きな崩れは解消される仕組みなんだ」

 一週間前、アレックスの意識喪失と同時に第五聖地は高度を大幅に下げた。それを感知した他の聖地は様々な理論数式に則って高度を変え、やや歪ながらも構造修復を成功させた。アレックスが終末昏睡に就いている間はこの状態が保たれる。

「聖地の動性は知ってたけど、僕にとっては単なる〝自動動作オートマティック〟だった。だからすぐには気づかなかったんだ……。御芯体なら自由に聖地を動かせるって事を」

 ため息を挟んで続ける。

「聖地は御芯体の意思を受けて浮かぶ変換機なんだ。普段は無意識をキャッチしてるけれど、意思の一つでも放てばそれに応えて自在に動く。そして任意の立体構造を作り上げる事が出来る」

 シオンは両手で胸の前に輪を作った。片腕を持ち上げれば、水平だった構造が三次元の楕円に変わった。

「でも、意味ある構造を作るには二点以上の頂点が必要。何か別の構造を作りたければ、自分と、他一つ以上を動かさないといけない。第五聖地を一つ目の頂点として扱うなら、二点目に動かされるべき聖地は――」

 顔を上げる。

「第二聖地」

 にこり、と青年が笑んだ。

「当たりや。よう説明できたな。天の上でオトンも喜んでるんと違う?」

「御芯体が聖地を動かせるって事に気づいたら単純だったよ。二位共鳴で対になる聖地は僕の場合一つしか無かったしね。でも、父もつくづく変なシステムを作ったよね」

「科学者言うんはな、一種の変態なんや。使わん機能でもついくっつけたなる性分なんよ。それが功になるか業になるかは二の次や」

 テッドは頭の横でひらひらと手を振った。まるで天上の父に向けたような仕草だった。

「……ただ、ここまで分かったけれど、疑問なんだよね。聖地の配置を変えて、レスターさんは何をするつもりなんだろう。二位共鳴で導ける現象なんて……たかが知れてたよね」

 聖地の共鳴構造論がうろ覚えのシオンでは、彼の目論見は全く見当がつかなかった。

「さぁな。俺も分からへんよ」

 テッドも肩に手を上げて首を振った。

 シオンは嘆息した。一応、推理はここで終わりだった。

 すると待っていたようにテッドが念を押した。

「シオン。お前も裏が分かったかて、手ぇは出さんといてな」

 彼はぐるりと辺りを見回すと、

「あのおっちゃん、人追っかけ回す術がご自慢みたいやから、どっから嗅ぎつけられるか分からんわ。まぁ、俺についてた分は全部落としたし、お前はお前で、周りに妙なモン入って来たら気づくやろうけどな」

 シオンは頷いた。変換機のように回路が組み込まれた物体の接近は、空中電位の変化から容易に分かる。

「せやけど嬢ちゃんは別や。お前が変に警戒しとるん見て勘ぐるかも分からへん。それで敵さんに気づかれたら計画狂うわ」

 テッドは腕組みして視線を流した。彼が見ている屋根の下では、少女二人が平和なお茶の時間を楽しんでいるはずだ。

 奇しくもアベルの希望はいい方向に働いたのかもしれない。

「この状況なら、アベルが何かに気づく暇は無いと思う。それに僕だって不用意に手を出すつもりは無いよ」

 顔を上げたテッドへと告げる。

「君がどんな策略で動くつもりかは分からないけど、それを狂わせてまで参戦させてもらおうとは思わないよ。犯人――レスターさんを責めたいのは確かだけれど、彼に勝ちを譲る危険があるくらいなら、僕は無関与でいる。アベルやアレックスの前に現れる〝どこの誰かも知らない〟暴漢は排除するけれど、その裏側を追及したりはしない」

 視線をまっすぐに交わし合いながら、シオンは伝えた。

「あくまで僕は第五聖地の預言者として、御芯体とその継代者を守る。きっと最高の傍観になるし、それにこれだけは絶対に譲れない」

 しばらく、二人はじっと佇んでいた。

「最高の傍観か」

 沈黙を割ったテッドの呟き。

 言った後、彼はにやりと笑みを広げた。

「ええで。知らんかった事にして全部任せや。こっからどないな風に解決さすか、楽しみにしときや」

 そうだ。

 彼がこの件をどんなふうに解決させるつもりなのか。シオンは最後まで分からなかった。

「夜会には出るんやな?」

「うん。アベルも連れて行くよ。今夜は皆が集まる第二聖地の方が安全だと思うから」

 テッドは満足げに頷いた。繰られるシナリオが決定したのだと、シオンは直感した。

 結末はきっと、ただ一つ。

 しかしそこに至るまでの筋書きは全く予想できなかった。預言者が御芯体を殺害する――その行為が大いなる禁忌だと言う事は、彼とて知っているはずだ。

 最後の答えを明かさないまま、テッドはにこりと微笑んだ。

「お前はゆっくり、兄妹ゲンカの仲裁しぃや」

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