Ⅲ ⅶ
厚い扉を開いた青年が目を丸くした。
「誰やと思たら、まぁ、珍しい事もあるもんやな」
装飾的な取っ手を握ったまま、テッドはシオンとアベルを見比べた。
「早速使われとるな、シオン」
「君がアベルに変な事を教えるからだよ」
シオンは不服な顔でテッドを睨み上げた。
「違うでしょ? 慰謝料よ慰謝料」
「何や、嬢ちゃんに何かしたんか? 奥手や思てたら、いつの間にえらい度胸やないか」
からかうようにつついて来る。
「違う! あの小島で夜明かしさせたお詫びだよ」
「ホンマか? 嬢ちゃん何もされてへん?」
「大丈夫よ。帰って来たのは明るくなった後だったから」
アベルは首を振り、そして改めて責めるような顔でシオンの横顔を見た。
そもそも小島にアベルを放り出したのは、僕じゃなくてテッドの方じゃないか。心の奥で大いなる不服が蠢いていたが、アベルの中では完璧にシオン一人が悪者にされているようだった。
アベルはこれ見よがしにため息をつくと、
「テッドさん。これ、ありがとう」
抱えていた彼のジャケットを差し出した。
「あー、わざわざ返しに来てくれたんか。優しい嬢ちゃんやで。おおきにな」
テッドは顔を満面の笑みで染め上げアベルに歩み寄った。上質な革靴が石畳のエントランスを軽快に叩く。アベルからジャケットを受け取ると、小脇にかかえて、ついでにアベルの手を取った。
「よろしゅーな、嬢ちゃん。見た所ウチのお姫さんと変わらん年頃やん」
実に自然な握手を交わしながら言う。「お姫さん?」と、アベルは首を傾げた。
「せやな、せっかくやから会わしとこか」
テッドはアベルの手を離すと、肩越しに聖堂を振り返った。
「リゼッター、ちょっと来ぃやー。お客さんやで」
聖堂の玄関に声が響く。彼の向こうを覗き込んだアベルが、由緒ある古城のようなインテリアに「わぁ」と感嘆した。
しかし中から反応は返って来なかった。
「リゼッタ? 何や出てこーへんなぁ。また茶ぁでも入れとるんか? リゼッター!」
本格的に声を張るテッド。彼の声はとうに空気振動を経て聖地全体に伝わっているはずだが、敢えて繰り返す点が彼らしいと言うか。シオンは「また鬱陶しがられるよ」と呆れながら様子を見守った。
さくり、と土を踏んだ音にシオンは振り返った。
「何度も呼ばれなくても聞こえているわ」
聖堂の影から現れた少女が、耳慣れた声音で青年を責め立てた。
艶やかな長い髪が、淡い風に乗ってさらさらと揺れていた。
ドレスワンピースを優雅に着こなした少女は、手に小さなかごを抱えていた。中には可愛らしいグリーンの葉が溢れている。
テッドはその姿を愛でるように目を細めた。
「何や外に出とったんか。珍しいな」
「ミントを摘んでいたの。爽やかなハーブティを入れたい気分だったのよ」
「ああ、ハッカの茶ぁか。クセが強うて俺は苦手やわ」
苦笑するテッドをさらりとあしらい、少女はこちらに目を向けた。
「お客様? シオンじゃない」
「一年経ったらぞんざいな言い方になるもんやなぁ。今日の本命さんはこっちやで」
テッドはひょいと体をずらした。彼の影になっていたアベルが姿を現し、少女は目を瞠った。
「あ……あの?」
アベルは固まってしまった少女を眺め、戸惑った。
「この嬢ちゃんが第五聖地の新しい御芯体や」
少女の狼狽を分かっていたような雰囲気で、テッドはアベルを紹介した。アベルは慌てて頭を下げた。
「は、初めまして。アベル=リードです」
はっ、と少女が我に返ったように息を吸った。
「どないしてん? 俺らはみーんな、自己紹介も終わってんねんで?」
「分かっているわ。姓を聞くのが久しぶりだから戸惑っただけよ」
少女は平静な顔に戻ってツンとテッドを突っぱねた。
少女の靴が石畳に乗る。シオンたちが佇んでいるエントランスへと歩むと、たおやかな仕草でアベルへ会釈した。
「第一聖地芯体・リゼッタ=ベッセマーです。お見知りおきいただけたら嬉しいわ」
顔を上げた少女を、アベルはなぜか驚いた顔で眺めていた。リゼッタも首を傾げる。
「ベッセマーって、もしかしてグリエール地方の?」
リゼッタの目が丸くなる。
「ええ、そうよ」
「うわー、本物なんだ! 私知ってるよ! すっごく大きな陸を持ってて、農地や工業地として使わせてるんでしょ? ウチと違ってホントの貴族なんだって感心してたの!」
アベルはきらきらした目でリゼッタを見回した。
「あなたも貴族の出なの?」
「ううん。私はケチな貴族の屋敷で下働きしてただけ。ケチだけとケチなりにパーティとか開くから、他の貴族の名前はよく耳に入って来てたの」
苦笑しながら頬をかく。
リゼッタもリゼッタで、納得したように小さく頷いた。そしてアベルが下働きの出と知っても、低くあしらう気配は感じられなかった。その辺もアベルを雇っていた例のババアとは違うのだろう。
シオンはひそひそとテッドに耳打ちした。
「リゼッタってそんなに高貴な家柄の人だったの?」
「うーん、俺も知らんかったわ。さらって来たんはまずかったかもしれへんな」
悪びれた風も無い返事が返って来る。
「だてにガード固いわけやわ」
「それは君の接し方がまずいんだと思う」
「何やて? 手ぇの一つも出せへん少年に言われたないわ」
「何をこそこそ話しているの」
鋭い視線が投げつけられる。射ぬかれた男二人はびくっと身をすくめた。
「そ、そうや。シオン。それで何の用事なん? これ返しに来ただけやないんやろ?」
取り繕うように問うテッド。彼が振り回したジャケットを、リゼッタは冷ややかに見た。
「あ、うん。……実は折り入って頼みが」
「お? 兄ちゃん頼って押し掛けるやら可愛いやないか」
シオンは「言ってみぃ。受け止めたるで!」と両手を広げるテッドを殴りたい気持ちでいっぱいになりながら、
「アベルを預かってくれない?」
「嬢ちゃんを?」
はたと彼の顔が疑問に変わる。
「そ、そうなの。パーティが始まる時間までここにいさせてもらえない?」
アベルもリゼッタへと窺った。テッドと同じく、リゼッタも不思議そうにアベルを見返した。
「その……兄貴の所にはまだ行きたくなくって」
ピクリとテッドの顔が動いた。
「まーた甘ちゃんしよったな」
ぐ、とシオンは喉を詰まらせた。
テッドはシオンの肩に手を置くと、耳元で囁いた。
「仮契約した言うても所詮はその場しのぎや。はよ継代してしまわんとホンマに取り返しのつかん事になるで」
窘めを、シオンは地面を見ながら聞いた。
「今もアレックスは死にかけた体で聖地支えとんねんで。いくら無理やりはイヤや言うても、こないなワガママ聞いとったらキリ無いで」
「……」
「それとも何や? 腹ん中にええ作戦用意でも用意しとるん?」
ピクリと身じろいだ。
作戦。その言葉に惹かれるように、シオンは顔を上げた。
「あ」
「ん?」
テッドも振り返ってシオンと同じ方向を見た。
聖堂の扉が、ゆっくりと閉じられつつあった。シオンたちに構わず、少女たちはとっくに堂内に入ってしまっていた。
慌てて追いすがるテッド。
「ちょ、ちょい待ちやリゼッタ」
「何? 二人きりの話の途中なんでしょう?」
取っ手を握るリゼッタがツンと言い放つ。気圧されたようにテッドは立ち止まった。
「せ、せやけどなぁ」
「シオン。あなたのお願い、私が喜んで承るわ」
有無を言わさない真顔に、シオンも思わず後ずさりかける。
「あ……そ……それじゃよろしく」
「ええ」
ちらりとアベルが顔をのぞかせる。扉のすき間に見えた彼女もまた、戸惑いを隠し切れない様子だった。
直後。バン! と音を立てて扉が閉じられた。
「リゼッター! せめて締め出さんといてや!」
「ミントティーは嫌いなんでしょう? おあいにく様、今日のお茶はアベルにお相手してもらうから、あなたは結構よ」
扉越しに気の毒な言葉が聞こえて来る。
「あぁ……俺のお姫さんはどうしてこうも独立心旺盛なんや」
くぅ、と涙をぬぐう仕草で呟く。
シオンは「自業自得だよ」と呆れながら、
「締め出されたって言っても、扉か窓か壁かを開いて入ればいい話じゃないか。自分の聖地の聖堂なんだし」
「……お前な、それを言うたらお終いやないか」
テッドが呆れた顔で振り返った。やっぱり芝居か、とシオンはため息をついた。
「まぁ、ええわ。お前のその様子やったらまだ余裕はありそうやな。嬢ちゃんも期限付きで言うてきたし、今日一日は許したるわ」
ひらひら振った手を下ろすと、腰に手を当ててシオンを見回した。
「ほんで? お前は何構えとるん?」
えっ、とシオンは虚を突かれた。開きかけた口が彼の名を呼ぶ直前だった。
「いつの間に気づいてたの」
「モロバレやで。これやからお前には歩兵任されんのや。感情出すぎやで」
むぅと口をつぐむ。その様子を見、テッドは苦笑した。
「締め出し食ろうた仲や。お姫さんたちが茶ぁしとる間、腹ん中んモン聞いたろか」
閉ざされた扉を背に、青年は小首を傾げた。




