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Ⅲ ⅳ

 便箋の向こうにある、少女のジトっとした目がこちらを向いた。シオンの作り笑いの頬に冷や汗が伝う。

 気まずい無言の時間が漂った。

「……一晩ほったらかしにして」

 少女が低い声で言う。

「屋根も何も無い島で夜明かしさせて」

 据わった目が睨み上げる。

「朝になってのこのこ帰って来て、今度はパーティに出ろっていうの!?」

 爆発したアベルが掴みかかって来た。

「どこまで無茶苦茶言ってんのよ! 馬鹿じゃないの!?」

「ごっ、ゴメン謝るから! お願い落ち着いてアベル!」

「こんな場所で野宿させておいて、謝って済むと思ってんの!」

 シオンのベストを掴んでがくんがくん揺らす。

「やめてああ痛い痛い!」

「土むき出しの上で一晩寝る方が痛いわよ!」

 アベルが渾身の力を込めた拳を放とうとした時、シオンのベストからぽろりと何かが落ちた。

「あっ」

 二人は目で追った。揺さぶられた拍子に出てきたのは懐中時計だ。内ポケットから伸びるチェーンの先で振り子のように揺れている。

「あ、箱舟の時計……」

 アベルは緩やかに動きを止めた。シオンの胸ぐらを離すと、

「ねぇ、それってホントは何なの?」

 しゃがみ込み、足元に置いてあったフォーマルジャケットを取り上げた。あ、とシオンが気づいた時には、彼女はジャケットの内側から、同じデザインの懐中時計を取り出していた。

「この懐中時計、普通の時計じゃないのよね?」

 ボタンを押してパカリと蓋を開く。

「数字はゼロから九だし、針は四本あるし……おまけにこの時計、動いてないじゃない」

 彼女の手の中にある時計――――テッドの物である時計は、四本の針を文字盤のゼロの上で重ねたまま止まっていた。

 シオンはまなじりを下げた。沈んだ雰囲気を感じたのか、アベルが時計から顔を上げた。

「この時計はね、聖地の余命を知るための道具なんだ」

 ドキリ、とアベルの心臓が鳴ったのを感じた。

「え……」

「言い換えるなら、御芯体自身の余命。聖地を浮かべるための浮力は皆、御芯体の存在に依存しているから。彼らの命と連動していると言っていいんだ」

 アベルが手の中の時計へと視線を落とした。

「その時計は第一聖地の情報を示してる。御芯体のリゼッタはまだ余命を考慮する段階に無いから、針もゼロ――――無限の場所から動いていない。針が動き始めるのは、御芯体の余命が十日を切った時。内側の回路が死期を自動解析して左回りのカウントダウンを始めるんだ」

 四本の針はそれぞれ日、時、分、秒を指す。それぞれの針は異なる速度で周回運動を始め、御芯体が絶命する瞬間に全ての先端がゼロの上で重なる。

 シオンは手の平の時計を眺めた。東からの陽を浴びた蓋は、傷一つ無く輝いていた。

「針の進む速度は一定じゃないし、御芯体の容体が落ちつけば止まることだってある。でも、逆回りする事は絶対に無い。だから僕ら預言者は、針が動き始めた事に気づいたら、御芯体に終末昏睡を施す決まりになってるんだ」

「終末……」

 アベルが小さく繰り返した。頷くシオン。

「懐中時計と昏睡誘導の棺は、父の時代から聖地にだけ受け継がれて来た精巧な変換機なんだ。内側の回路を解明できた人はいない。でも、精度はこの世界の何よりも優れてる。僕もこの時計が示している事は嘘だと信じたいけれど……それが無駄事だって事も知ってるから、絶対にできないんだ」

 シオンは顔を上げた。視線の先の少女は真顔のまま固まっていた。

 懐中時計をベストにしまいかけると、

「……兄貴の残り時間が出てるのよね」

 弱い呟きが聞こえた。

 少女はいつの間にか俯き、拳を握っていた。

「うん。僕の時計は第五聖地の御芯体、アレックスの事を示してる」

 蓋を開ければ、彼に残された命の時間が分かる。数字と言う、一番簡易で無機質な媒体で。

 アベルを迎えに来る途中、シオンは既にそれを確認していた。時分秒の針はわずかにずれていたが、日を示す針は進んでいなかった。

 これはアベルと仮契約を結んだ効果だった。今までアレックス一人に掛かっていた第五聖地の負荷が、僅かながらアベルにも分散するようになった。質量換算ではほんの少しの事だが、それでも確実に好影響をもたらしている。局所重力による空渡りも、今は全く問題無い。

 ただ、この状態をずるずると続けるわけにもいかなかった。現に今も、時計の針は確かな左回りを続けている。

 シオンは時計を掲げた。

「見てみる?」

 ばっ、と少女の顔が上がる。

 彼女は箱舟のエンブレムを凝視し、そして首を振った。

「どうせ下手な口車に乗せようと思ってるんでしょ」

 腕を組み、フンと鼻を鳴らす。

 どうしてこうまで非協力的なのかなぁ……。シオンは笑ったままやるせないため息をついた。

「口車も何も、君と僕は既に仮契約してるじゃないか」

 う、とアベルが身じろぐ。

「額に父の血を受けた者。君は確かに、その額に僕の血をつけられたはずだよ」

 アベルの額を見ながら言う。

 彼女も自分の額を奇妙な顔で撫でた。

「そう言えばシオン、昨日の怪我は大丈夫なの?」

「怪我? ああ、テッドにやられた所か」

 アベルの目はシオンの右胸を見ていた。

「あんたたち預言者って、ホントに不死身なの?」

「不死身……怪我に関して言えばそうなのかな。昨日の怪我もちゃんと治ってるよ」

 ベストの上から胸を撫でる。傷は元より、服に開いた穴まで完全に修復済みだ。

 アベルは「ふぅん」と頷くと、

「って言うかさ、シオン。そのテッドって人も預言者なんでしょ?」

「え? そうだよ。第一聖地の預言者」

 アベルは抱えたフォーマルジャケットを一瞥すると、

「全然似てないわよね、あんたたち。兄弟のくせに、顔はともかく性格は真反対じゃない。それにあの人、どこの陸の訛りで話してたの?」

 シオンは困った顔で答えた。

「似てないも何も、僕とテッドは血が繋がってるわけじゃないから当然だよ」

 えっ、とアベルが顔を上げた。

「預言者ってノアの子供なんでしょ? 千年生きてる九人きょうだいなんじゃないの?」

「違うよ。僕らの中に父・ノアの実子は一人もいないし、僕ら同士の血縁も存在しない」

 アベルが目を丸くする。

 これは時代問わず、よく誤解される事だった。

「ノアの血族。そう言い表される理由は、僕ら預言者が〝ノアの血液〟を継いでいるっていう事。僕らの体には父と同じ質の血が流れているんだ」

 外来遺伝子の導入によって成される所業だ。元から持っていた固有の造血遺伝子は、特殊な抑制因子の結合により発現をブロックされている。

 この抑制因子の副作用で、預言者は遺伝子導入以前の記憶を完全に失う。自分が普通の人であった時の事は一切忘れ、ノアの血を引く能力者としての生に支配された時間が始まる。

「人が預言者として選ばれる条件は、父の血を受け継ぐに適した体質かどうか。だから男女は元より年齢も出身地もバラバラだよ。それに〝生まれた時代〟も違う」

「生まれた……時代? ノアが聖地を作ったのは、洪水が起こった千年前でしょ? その時からずっと聖地を守ってるんじゃないの?」

 シオンは首を振った。

「聖地自体は千年の時を経てるよ。でもどこの聖地も、一度は預言者の代替わりを経験してる。唯一の例外が第一聖地。テッドは九人のきょうだいの中でただ一人、聖地が完成した時代から生き続けて聖地を守り続けてる預言者なんだ」

 千年間もその意思を抱き続けている理由はどうしようもなく利己的だったが、運命が彼から預言者の資格を奪わないのも、また何かの縁なのかもしれなかった。

「昨日、僕を散々弟って言ってたけど、実の兄弟ってわけじゃないからね。僕が預言者になったのは五百年くらい前で、それより更に五百年前から生きてるテッドとの血縁はあり得ないんだから」

「へぇ……何だか複雑。でもそれなら似てないのも当然ね」

 ちなみに彼の独特の訛りは、当時のこの辺りの言葉だったらしい。それを伝えると、アベルは奇妙な顔で「千年で変わるのね」と呟いた。

 アベルは再びテッドのジャケットに目を落とした。何かを考えている素振りに見えた。

「……アベル。僕らの事に納得してくれたのなら、こっちの方も考えてくれないかな」

 シオンは第二聖地からの招待状を差し出した。

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