Ⅱ ⅹⅷ
羊皮紙に映った映像が唐突に途切れた。まるで唸りを上げる炎が、一瞬で紙片を燃やし尽くしたかのように。
青年はフンと鼻を鳴らした。どうでもよさそうな仕草だった。
扉の向こうからバタバタとけたたましい足音が聞こえて来る。
「旦那さま! レイさんの生命反応が消えました!」
体当たりして扉を開けたメイド服の少女が、そのままの勢いで転がり込んで来る。手にした紙状の変換機を振り回し、息を切らしてぜいぜいと喘ぐ。
「だっ、旦那さま、レイさんが……」
「あっけなく死んだな。馬鹿な男だ」
何でもないような声で返した。
少女は肩で息をしながら「え?」と顔を上げた。
「とうに知っている。それに芯体を殺せと命じていたのに、預言者に挑みかかるとはな。身の程知らずが。聖地の守人に地界の技師如きが敵うはずが無い」
青年――――レスターの後ろ姿を、少女はうろたえながら見た。
彼は机の上に吊った羊皮紙を撫でた。表面を覆っていた三色のまだら模様が、まるで雨に流されたように下方へと落ちて行く。下端まで来た色彩はするりと羊皮紙を抜け、それぞれのインク瓶へと戻っていった。
レスターは白紙になった羊皮紙を燃やすと、灰をアッシュトレーへと放り込んだ。葉巻のような匂いが薄く立ち込め、すぐにどこかへ消えた。
「あ……あの……」
「この件はあの愚か者の独断だ。お前も気づいていたのではないか?」
「えっ」
少女は身じろいだ。机の上に下がる羊皮紙を見回す。全部で六枚。彼が雇っている傭兵の残り数と同じだ。
「ことさら親しくしていたようだからな。エマ。一度は話を聞いたのではないか? あの男は私への忠誠心よりも聖地の芯体になる願望の方が大きかった。だから〝一時待機せよ〟と下した命に背いて第五聖地へ向かったのだ」
ちっ、と男は舌打ちした。
「先日の失敗のせいでこちらの存在が露呈した。あの若造……別の聖地の内情に手を出してくるとはどういうつもりだ。奴のせいでこちらは兵を五つも失う羽目になった」
苦々しい声で呟く。
「奴の口利きを受けて、小僧も聖堂に戻ってきたのだろう。そこに……あの愚か者が。これ以上警戒されてしまったらどうするつもりだ!」
呻き、ぎりぎりと拳を握った。
自分が監視されていたわけではない。ほっと少女――――エマは安堵した。
それを感じたのか、レスターがくるりと椅子を回してこちらを向いた。ビクリと震えるエマ。
「エマ。お前も素知らぬフリで報告するとはいい度胸だな」
「えっ、あ……あの」
「あの馬鹿男の企みを知っておきながら、いざ事が起きれば他人事扱いで主人に報告か。お前が止めていれば、あの小僧に不要な情報を与えずに済んだのだぞ」
蔑むようなまなざしがエマを見上げていた。
「何だ? もしやお前たち、二人で私を出し抜こうなどと考えていたのではないだろうな」
「そんな! わ、私はそんな事なんてっ」
しどろもどろに口ごもる。
「きゃっ!」
少女の頬を空気の鞭がはたいた。バシンと音が響き、体が床に打ちつけられる。
「ぅ……」
「フン。預言者の世話役にと持って来たメイドだが、とんだ女狐だったようだな」
少女は頬を押さえ、泣き出しそうになるのを堪えながら誹謗を聞いた。その様を睥睨しながら、レスターはこれ見よがしに大きなため息を吐いた。
「……も……申し訳ありません……」
床を見つめながら少女は謝罪した。
――――あのクソ貴族、こっちから見限ってやんよ。
彼の言葉が耳によみがえった。
死んだ仲間をきたねぇ言葉で罵りやがった。自分はここから安穏に眺めてただけだってのに、弱いとかくだらねぇとか吐き捨てやがった。うんざりなんだよ。貴族ヅラしてへつらうか、きたなねぇ考えで根回しするしか能が無ぇ奴の言いなりは。ちっちぇえ金で雇われた俺も俺だけどよ。悪いがここで終わらせてもらうぜ。でもその前に、敵は討ちたいんだよ。預言者に殺された仲間の敵だ。どんな奴が相手だろうと、絶対に殺してやんよ。
マントをはおり、マスクをかぶった彼は、そう言い残して第二聖地を出て行った。
敵うはずがない。超越者たる預言者に人間如きが敵うはずが無い。
そう忠告しても、彼は足を止めなかっただろう。
「……」
少女はじっと床を見つめていた。
深まった瞳の深度に、レスターは全く気付いていなかった。彼が再び見やった時には既に、少女は元の泣きそうな顔に戻っていた。
「いつまで転がっているつもりだ。邪魔だ」
苛立ち交じりの声で叱りつける。
「あっ……も、申し訳ありません、旦那さま」
少女は打ち付けた半身を庇いながら身を起こした。メイド服はくしゃくしゃに崩れてしまっていた。
「要件は済んだのだろう。さっさと出て行け」
椅子を回してあちらを向いた男へ、エマはぺこりと会釈をして踵を返した。
「そうだ。明日の準備は万端だろうな。招待状は全ての聖地に行き届いたか?」
「は、はい。お留守でした第五聖地宛ての招待状も、第八聖地の預言者様にお預けしています」
「あの異人の小娘は間違いなく手渡すのだろうな? 招待状が小僧に届かなければ意味が無い」
まぁ、後で封蝋を確認しよう。レスターは一人でそう締めた。
様々な追尾系の現象操作は彼の常套だった。ただ、それぞれの強度は低く、ある程度の大きさの変換機を介さないと効果を成さないため、巧妙な諜報活動は無理だった。封蝋に仕込んだ変換機も、開封による接触酸素濃度増大を伝える事しかできない。
しかしレスター自身は己の能力に満足しているらしく、鍛錬しようという気は全くないようだった。だからポスターのように大きな羊皮紙をぶら下げても、何の不満も無しに映し出される盗撮画像を眺められるのだ。
本当に、あの人とは大違いですね。
エマの頭の中に一つの人影が躍る。
血煙の景色の中を、たまらなく優雅に舞っていた影。羊皮紙に映し出されたおぼろげな絵画の色彩を、瞬き一つの間に塗り替えて行った影。
知らず、ため息がこぼれていた。
「何だ? まだいたのか」
肩越しの目がエマを睨んだ。
「あっ、し、失礼します!」
少女は慌てて身を翻し、逃げるように部屋を去った。




