Ⅱ ⅹⅵ
「あ、はい」
慌てて身を返すと、シオンは聖堂の入口へと走った。響いた鐘のような音色は来客を知らせるチャイム。鳴らし方を知っているのは預言者のきょうだいだけだ。
ほんの少し前まで男の死体がくすぶっていた場所を通り抜け、扉の前に立つ。扉を開くと、その先は何も無い闇――――いや、視線を下げた所に小柄な少女が立っていた。
「チェンリー、どうしたの」
「お久しぶりヨ、シオン兄サマ」
少女は広い袖口を合わせた格好でぺこりと頭を下げた。
十歳の時にノアの血によって時を止めたこの少女は、第八聖地の預言者チェンリーだ。
シオンの胸元くらいまでしかない身長の少女は、顔を上げた後、なぜか沈んだ雰囲気で視線を斜めに流していた。
「珍しいじゃないか、こんな時間に来るなんて。何かあったの?」
少女は目を上げた。猫のような、つり気味の大きな目がシオンを見る。
「これ、届けに来たネ。兄サマお留守だったから、私が代わりに預かってたヨ」
そう言うと、胸元から封筒を取り出した。
「手紙?」
シオンは封筒を受け取った。赤い封蝋の押された白封筒は、さながら貴族のパーティの招待状だった。裏を返して差し出し主を確認する。
「第二聖地一同? エリーシャから?」
ふるふると首を振るチェンリー。何だろうと思いながら封を開くと、手紙と二枚のカードが出て来た。
「パーティの招待状だ」
タイプライターで打ち出されたレトロな紙面を見、驚く。
〝至高圏の皆さま 至高圏に新しいメンバーをお迎えいたしましたこの折、ささやかな歓迎の宴といたしまして、第二聖地にてナイトパーティを開催させていただきます。どうぞお気軽にお越しください。御芯体の皆さまも可能な限りご参加いただけますと幸いです。 エリーシャ・レスター・他第二聖地一同〟
やたらと仰々しく、加えて形式的な文体に戸惑う。最後まで目を通すと、一番下に手書きで追伸が添えてあった。
「新しくご就任される御芯体様をお目にかかれる事、とても楽しみにしております」
二枚のチケットは預言者と御芯体、つまり自分とアベルの分か。
はっ、と地界の小島に残して来た少女を思い出した。
どうしよう。今頃怒り狂っているに違いない。
「シオン兄サマ?」
蒼白になったシオンの顔を、チェンリーが怪訝に覗き込んだ。
「大丈夫。何でもない。……で、これってつまり、第二聖地でパーティをやるからみんな来いって事?」
頷くチェンリー。
「珍しいね、エリーシャがパーティなんて。彼女、派手好きな性格じゃないのに」
「違うネ。エリーシャ姉サマはこんな事しないヨ」
シオンは首を傾げる。
「じゃあ、御芯体のレスター……さんが主催者ってこと?」
少女は頷いた。
どんな人物だったっけ。思い出そうと記憶を辿るが、さっぱり覚えていなかった。もやもやした霞みの向こうに男性の輪郭が浮かぶような浮かばないような。
「……レスターさんってどんな人だったっけ」
困った顔でチェンリーに尋ねた。すると少女は、元気の無かった顔を更に気だるげに沈ませた。
「わたし、あの人嫌いヨ」
視線を流して呟く。
「わたしの事、父サマの血汚しって言ってるの聞いたネ。ノア父サマの血、東方人のわたしには勿体ないとか、何で異人の子が選ばれたのかとか。エリーシャ姉サマがかばってくれたけど、あの人の目、最後まで変わらなかったネ」
物悲しげな色が、少女の大きな瞳を染めていた。
少女の出身は旧世界の地理でオリエントのエリアに属する陸地だ。天上の父から第八聖地の預言者として選ばれ、至高圏へと昇ったのは三百年前。初めて会った時、シオンも少女が東方民族の民だと一目で分かった。
色白の肌に猫のような大きな目、そして墨のように黒い髪の少女は、幼いながらも不思議な魅力を放っていた。ノアの血族として細胞の時を止めなければ、きっと幾多の人々を惑わす美女に育っていたに違いない。
幅広の袖を付けた独特の衣装に、頭にはカンザシと言う、キラキラ揺れる金属の飾り。至高圏に昇っても周りに服装を合わせないのは、きっと彼女自身がノアの血の副作用で〝自分のルーツ〟を忘れてしまわないための、精一杯の抗いなのだろう。
それを彼・レスターは心無い言葉で卑下した。思い出せない顔の上に漂った不快感に、シオンは眉をひそめた。
「性格の悪い人だな」
「シオン兄サマは覚えてないカ? あの人、第二聖地の御芯体を継いだ時に全部の聖地に挨拶しに来たネ」
全く思い出せない。留守にでもしていたのだろうか。
「あの人一番新しいから、半年も経ってないヨ」
「あ、そうか。確か半年前は、アレックスの薬の件で何度かリコリスの所に行ってた頃だ」
「リコリス? 第九聖地の御芯体サマ?」
「そう。第九聖地はここから遠いし、リコリスもなかなか放してくれないから、出かけたら一日帰って来れなかったんだよ」
第九聖地の御芯体リコリスは、聖地に昇る前は秘薬合成に長けた科学技師だったらしい。魔女と言う異名で活躍していただけあって言動も格好も非常に独特だったが、薬に関する知識は目を瞠るものがあった。
「預言者――――エルビーは全然話の相手にならないとかで、毎日退屈してたらしくてね。暇つぶしに作った薬の説明を延々された時はホントに参ったよ。おまけに出されたお茶にも変な成分が入ってたみたいで、ソファから立とうと思っても体が言う事を聞かないんだ」
ぷぷ、とチェンリーが笑った。
「リコリス、ホントにヘンな人ネ。わたしも髪の毛欲しいテ言われたヨ。東方人の髪は媚薬になるらしいネ」
シオンも苦笑した。至高圏に昇っても怪しい薬造りを続ける少女。出会った何百人もの御芯体の中でも群を抜く変人だ。
チェンリーはシオンと顔を見合せたままひとしきり笑うと、その笑みを少しだけ曇らせた。
「……でも、アレックスは治らなかったネ」
「……」
遠慮がちに言った少女へ、シオンもまなじりを下げた。
「うん……でも効きはしたよ。リコリスも『その病はきっと治らない』って気づいてた。微々たる効果しかないだろうけれど、って言いながら、進行を遅らせる薬を作ってくれたんだ」
「ほゎー。すごいネ、リコリス」
チェンリーは目を瞬いて感心した。
「うん。本当は僕も、そのまま治ってくれる事を願ったんだけど……ね」
シオンは肩越しに、視線を堂内へと向けた。
アレックスが倒れたのは半年前。リコリスの話では、病の因子はずっと彼の体内に潜んでいて、時を経るごとに成長し、満を持して牙を剥いたらしい。原因は恐らく遺伝子の突然変異。地界では非常に稀に見られる病で、発症すれば三カ月も経たないうちに命を蝕まれてしまう。
死に顔が綺麗なのが唯一の救いだ、と言いながらリコリスは薬を手渡してくれた。
見るからに怪しげな飲み薬を、アレックスは苦笑しながらも毎日飲んでくれた。そのおかげで病の進行は遅くなり、そして、それに期待して余命の事を言い出せなかった。
あやふやな静穏の中、誰もタイムリミットの事を言わなかった。薬の効果が限界に達し、一気に時計の針が進んだのが一週間前。聖堂の中央で倒れているアレックスを見て、ようやく事態の逼迫に気がついた。
終末昏睡は避けられない状態だった。何度も何度も謝りながら彼を棺に入れた。覚悟も何もさせられないまま、絶望的な眠りにつかせてしまうなんて。目覚めた先には死しかない場所へ放り込んでしまうなんて。
でも、彼は知っていた。分かっていた。泣きながら詫びる預言者へ、彼は御芯体としての最後の権利を行使した。地界に残した妹に、自分の後を継がせてほしいと。
シオンは弱く笑った。
「今日、ようやく次の御芯体と仮契約できたんだ」
「知ってるネ」
きっぱり返された言葉にシオンはぎょっとした。




