Ⅱ ⅹⅴ
「っ」
変換機の初発動振動だ。
微弱な波状振動の性質を一瞬で理解する。同時、背後で生じた現象が頭の中へと描き出された。
前の五人も、そんな風にして入って来たのか。どうりで侵入の形跡が全く無いわけだ。
結晶組織の段階解裂。秩序的に並んだ大理石の結晶密度に偏りを作り、極稀薄状態を経て切り開くように解裂させる。結晶構造自体を破壊しないから、見た目の損傷は皆無というわけだ。
堂内に死体は無かった。血も、組織片も、手掛かりを残す遺物も何も。きっとテッドが全て消してしまったのだろう。
でも、君にはそうしない。
シオンは棺からそっと身を離した。
右手を上げる。
指先から放たれた電流が、回転しながら突き進んで来た変換機を直撃した。
落雷のような爆音が弾けた。
バリバリと散った強烈な火花に、マスクを被った人影がビクリと身をすくめた。
焼け焦げた装置が床に跳ねる。ガラン、と金属らしからぬ音は、回路の有機物が炭化した証拠だ。
「……ちっ!」
舌打ちの主は男のようだった。闇に紛れる黒衣をばっと翻すと、内側から同じ変換機を取り出した。
シオンはいまだ男に背を向けていた。
その無防備な背へ、男は変換機を投げつけた。
扁平な輪郭が刃状の物質を纏う。ぎゅんっ、と空気が唸りを上げる。遠隔補正を受けた進路はシオンの首筋を貫く軌道だった。
いける。そう思ったのだろう、男は変換機に送る意思を強めた。刃状物質が肥大しノコギリ状の刃を剥いた。
「遅いよ」
男は息を呑んだ。声が響いた方向を見上げた。
半円の天井に、少年の冷たい瞳があった。
バシン!
爆ぜた音と光で男が我に返る。
消し炭のような煙を上げながら変換機が墜落した。過剰電圧による熱で、金属はぐにゃりと変形していた。
唖然と佇む男の無様を、シオンは冷やかに一瞥し、静かに着地した。跳躍する前と寸分も違わない場所だった。
男の体が震えた。
格が違いすぎる。ありえねぇ。預言者って化けモンじゃねぇか。あいつもいつか殺されんじゃねぇか。
がくがくと震える唇が独り言をこぼした。
「俺ら……あれっぽっちの金で命賭けさせられてたのかよ」
シオンが振り向いた時、男は逃げると言う手段しかない事を悟った。
「ひっ……ひぃ」
情けない声を上げて後ずさった。
シオンは問うた。
「君は誰なの?」
「は……はっ?」
「誰の命令でここに来たの? お金で雇われたって事なんだよね。前に来た五人も君の仲間なんでしょう?」
問う少年の両腕は下ろされていた。男は何度も何度も彼を見回し、殺意が無い事を理解した。
強烈な安堵で膝ががくんと落ちた。
「あ……あっ、俺はぁ」
膝立ちのまま少年を仰ぎ見る。噴き出す汗でマスクが滑り落ち掛ける。
「ぉれは……あの、あの。ぉ、あ」
一瞬、沈黙が流れた。
「あぎゃああああっ!」
男は悲鳴を上げて顔をかきむしった。歩み寄りかけたシオンはビクリと足を止めた。
「えっ」
「ぎゃぁあっ、ああああ顔があ嫌だあああああっ!」
「! それが変換機なのか!」
シオンは駆け寄った。
男の顔に張り付いているマスクは遠隔型の変換機だった。侵蝕性の物質合成能を組み込んであるのか、顔とマスクの間から血液混じりの滲出液が流れ出していた。必死に剥がそうとしている男の指もぬらぬらとした液体に濡れた。
「……情報は絶対に漏らさないって事か」
男の悲鳴を聞きながら、シオンは歯を軋ませた。
口を割りかけた手下は問答無用でその口をもぎ取る。言葉に違わない現象がマスクの下で生じている。
変換機の回路を壊しても、もう手遅れだろう。徐々に弱くなっていく男の悲鳴にそう察した。
シオンは立ち上がり、男を見下ろした。強張った手が顔をかきむしる様は、ただ哀れだった。
一息に死なせてあげた方がいい。
シオンは人差し指を男へと向けた。
大気中の荷電粒子による高圧電流が、瞬時に男の体を走り抜けた。
心臓の生体パルスが途絶えるのを感じた、その時だった。
「!」
シオンは目を瞠った。男の服から突然炎が上がった。
とっさに身を離し、そして炎に巻かれる男を呆然と眺めた。
「な……何で。瞬間通電で炎が上がるなんてあり得ないのに」
理解不能な現象を目の当たりにし、そして結論に達した。
「これも証拠隠滅の手段ってわけか」
きつい橙色の光が目をくらませる。男の服に発火装置が仕組まれていたのだろう。シオンは腕で顔をかばいながら、炎に巻かれる男の死体を見て察した。
きっと燃えカスを探っても、手掛かりは何一つ残っていないに違いない。用意周到だな、と嫌悪感交じりに思った。
聖堂は大理石だから、炎が燃え広がる心配は無い。
でも、この聖なる場所を火葬場にする気も無い。
シオンは右手を男の死体にかざした。ぼっ、と勢いを強めた炎が瞬く間に男の体を燃やし尽くした。燃焼反応に必要な電子移動の速度を少しだけ速めただけだ。
別の意識を頭上へと放つ。少し間があった後、ドーム状の天井がゆっくりと開き始めた。
「生まれ変わった次の時代は、君も悼まれる死を迎えてください」
ふわりと風が起こる。粉々の炭と化した男の体は、上向きの風に乗ってシオンの横を通り過ぎた。そして花のように開いた天井から、夜空の彼方へと運ばれて行った。
灰が消えた夜空には、星が瞬いていた。
天より遥か向こうの世界は、この惑星が洪水に呑まれる前からそこに在り続けている。まばたきをやめない傍観者なのだと、神話に織られた寓話は語っていた。
再び天井が動く。音無く閉じていく天空への窓を、シオンは静かに仰いでいた。
聖堂に薄闇が満ちた。
無意識に漏れた吐息が、一瞬あった喧騒の存在を証明していた。
『あれっぽっちの金で命賭けさせられてたのかよ』
美しい装飾を辿る目を、ふっと閉じた。
リンゴーン
ピクリと身を揺らす。




