Ⅱ ⅹⅳ
大理石のエントランス。昼間見れば澄んだ乳白色に輝く地面も、闇の中では僅かな彩度さえ手放しているように感じた。
こんな聖堂、何度見ても偽物みたいだ――――本当に嘘だったらいいのに。
無意味な願望を呟きながら、シオンは扉を開けた。
一週間止まっていた空気が自分を境に混ざり、無秩序な方向に拡散していくのを感じた。
いや、違う。
数日前、理解できない意思を持った輩が五人、土足よりも汚い足でこの場所に踏み込んでいる。
無表情のまま、シオンは堂内へと足を進めた。
侵入者の痕跡は一切無かった。
繊細な模様が描かれた大理石の壁。堂内をぐるりと囲う、細い鎖に紡がれた円形燭台。その全ては闇に霞み、おぼろげな紋様の連続となり果てていたが、至高の科学者によって設計された聖堂は今も、絶対的な美しさでここに佇んでいた。
シオンは軽く首を擡げた。ドーム状の天井を支える八面の壁は、無数のステンドグラスに彩られている。小窓の一つ一つにはめ込まれた色ガラスは、完璧な調和の並びを一切欠かないまま整列していた。
どこも何も変わっていない。
アレックスを棺に納め、最後の眠りへと導いた瞬間から一つも。
シオンは無言のまま、視線を真正面へと向けた。
聖堂の最奥。僅かに作られた段差の上には、輪郭さえおぼろげな光が浮かんでいた。
遅い歩みでそちらへと進んだ。大理石の床を踏む靴の音が、普段の何倍も大きく天井に反響した。無音を強調する足音は無意味なくらいに澄んでいた。
ピタリと音が止む。シオンは祭壇の上に置かれた棺を前に佇んだ。
手の平でガラスの蓋に触れた。
「……ごめん」
ガラス越しの詫びは、シオンの耳に響いただけで消えた。
棺の中には、淡色の髪の青年が眠っていた。
彼は今も、不治の病の侵蝕など微塵も感じさせない、穏やかな姿のままだった。
「無事でよかった……アレックス……」
利己的だと自覚しながら、シオンはそう安堵した。
彼を眠りたらしめている棺は、傷一つ付けられていなかった。
金属製の土台の隅、金のアラベスク模様に隠れた作動装置に干渉すれば、この昏睡誘導機は誰にでも開けられる。
生体を近死状態へと導き、潰える寸前の生命活動レベルで余命を長引かせる単一機能変換機。世界に九つだけ作られたこの機械は作用機構が解明不可能らしく、今も至高圏にしか存在しない。
シオンはガラスの蓋に額をつけ、両目を閉じた。ガラスの温度は、手で触れた時よりわずかに冷たかった。
何が今も、歴史をこうさせるんだろう。
ノア。あなたはこの棺を、この世界を作った時、いったい何を考えていたんですか? 美しく奇妙なシステムで彩ったこの世界へ、千年前のあなたは何を望んだんですか?
あなたが決めた科学的な世界は、必要以上に綺麗でむごたらしいんだ。表面の魅力に惑わされた地界の人々は、千の年を下った今も、欲に溢れた両目で至高圏を仰ぎ見ている。
「……地界だけの話じゃなくなったんだっけ」
目を開く。その先には青年の穏やかな眠り顔があった。
「アレックス、君はどんな理由で至高圏に来たの?」
ついぞ問わなかった彼の思い。雪の落ちる寒空の下、悄然とした顔で道に佇んでいた十六歳の少年は、何を求めて至高の地へ昇ろうと願ったのか。
打ちひしがれた少年の瞳は、しかし間違い無く澄んでいた。
『行きたいんだ。ここから一番遠い場所まで!』
耳の中に追憶の声が戻って来る。シオンは顔を上げた。
その時だった。
全身が違和感を感じ取った。




