Ⅱ ⅹⅰ
「あないな輩に手こずっとってどうするんや」
シオンはピクリと身じろいだ。
カッターシャツ姿の青年の雰囲気は、一転していた。
「……」
自分では到底到達し得ない領域の存在感に、シオンは無意識に拳を握りしめていた。
「預言者は人やない。地界のどうでもええ因縁に踊らされとってどうするんや」
「……それは……」
「言葉に押されて嬢ちゃん一人連れて帰るんも一苦労か。呆れるで、ホンマに」
下を向き、唇を噛みしめる。
事情があるんだ。
アレックスとアベルの間には無視できない壁がある。それを何とか乗り越えるために説得しようとしていたんだ。
そんな弁明も、この男にとっては軟弱な言い訳に過ぎないだろう。
「……僕は君とは違うんだ」
「何やて?」
「君がリゼッタにさせたような事、僕はアベルにさせるつもりは無い。絶対に。あんな悲劇、二度と繰り返すつもりは無い」
顔を上げる。
数歩先、テッドは腕組みしたままこちらを眺めていた。
ひやりとした温度の風が頬を撫でていく。砂塵が地面をこすり、カラカラと乾いた音を立てる。
風が止んだ後は無音だった。
「……悲劇言うんはな、この死にそこなった世界の事やで」
ぽそりと、青年の呟きが空気を伝った。
シオンは目を瞬いた。意味が分からなかった。
「千年前の洪水で世界は死ぬはずやった。それが、オトンが出て来たせいで妙な形に生まれ変わってしもうた。聖地やら御芯体やら意味分からんシステムに生かされとる世界や」
テッドは無表情に紡いだ。
「しきたり破ったら崩壊やて、ホンマに生殺しや。一息に死んどった方がましやったんと違うか? そないな風に世界生殺しにしとるオトンが、俺にとっては一番の悪党や。ほんで、死にそこなったまま止まっとるこの世界が、ホンマに悲劇言われるだけの意味持っとるんや」
その悪党の血を継いでいる青年は、言い終えた後に小さく笑った。
どう返していいか、シオンは分からなかった。
自分も父の血を継いだ一人。ただ、その役割を全うしようとするだけで、世界が生き残った意味など考えた事も無かった。
聖地を守るという義務。
預言者の自分がその価値を言及する行為は、ある種の禁忌に思えた。
――――保身のためのタブーなのかもしれなかった。
「じゃあ……何で君は世界を終わらせなかったの」
ん? とテッドは首を傾げた。
「そんなに世界の存命を悼んでいるのなら、君の意思で死なせてやればよかったじゃないか。ノアの血族の力があれば、意図的に聖地を墜落させる事だって簡単だ。それなのに君は、僕が生まれる前からずっと第一聖地を守り続けてる。誰よりも強引な方法で。矛盾してるよ。そんな風に世界を否定しながら、父の決めたしきたりは忠実に守り続けてるなんて」
テッドはシオンをじっと見つめた。
口元に浮かんだ淡い笑みに、シオンは奇妙な感じを覚えた。
「憂えてるから言うて、救世主にならんでもええやん?」
独り言のような声だった。
「悲劇に侵されとる思うてても、否定はしとらんで。不憫やから失くしてしまおなんて、俺は一つも思うてへん。己の思想に世界巻きこむアホはオトン一人で十分や」
テッドはほどいた手をポケットに入れると、シオンから視線を逸らした。
変わらず瞳は緩く笑んでいた。
「それにお前が言うとる行為は、悲劇を悲劇で塗り改めるだけや。何の解決もしてへん。――――いや、解決せんでええねん。救われてしもた世界を今更、俺一人の思想のためにひっくり返そうとは思わへんよ」
彼の背景には、深い黒色の夜空が広がっていた。至高圏を目前にした高度の空は、地界のどこにも無い温度の静寂を抱いていた。
「俺が永世、至高圏に生きて、こうして空を見上げ続ける事に意味があるんや。『アンタを悪党や思てるモンもおるんやで』て、オトンを責め続けてんねん。そないにし続けるために、俺はどんな手使ってでもこの世界を守っとるんや」
白髪の青年は空の遠くを眺めていた。
シオンは口を開いた。
「……ノアの行為を責めるために……テッド、君は千年も生き続けてるってこと」
「せや。世界滅ぼしてもうたら、もうオトンを睨まれへんやん? そうなったら俺の負けや」
言葉の後、苦笑じみた顔がこちらを向いた。
「まぁ、えらい長い反抗期や思われとるかもしれへんな」
シオンは睨むように視線を強くした。
「変だよ、君の考えは。どこかで絶対に矛盾してる」
「違うモンから見ればそうかもしれんな。でも俺はこれでええんや。お前が無意味や虚無的や思うても、俺にとっては最高の〝仕返し〟なんやで」
さらりと返し、青年は笑った。その笑みに押されるように、シオンは続ける言葉を失ってしまった。
口をつぐんだシオンへ、テッドはゆっくりと歩み寄った。
「預言者――――俺らは文字通り、オトンから預かった理を守らすための道具や。人やった頃の記憶も奪われ、ただオトンの作った世界を回すためだけに生きとる。俺は自分を被害者や思うた事はあらへんけど、こないな話聞かせたらシオン、お前は自分を否定してしまうかもしれんな」
シオンは狼狽に身を揺らした。
預言者として生きている意味。
戸惑う思考の中を、過去の映像が高速で流れて行く。早回しで通り過ぎる五百年分の回顧。輪郭さえおぼろげになった数珠状の日常の上に、様々なシーンが浮かんでは消えた。
ただそこに、抱くべき答えは見つからなかった。
ぽん、と頭に手の平が触れた。
「ええねん。悩まんでも。お前の前に出来た道がたまたま預言者やっただけや。俺かてお前と同じで、血ぃ受け継ぐんに足る体やったから選ばれただけや。まぁ、選んだオトンも、こないな反抗心抱かれるとは思わんやったろうけどな」
テッドは言い終えると、くしゃくしゃとシオンの髪を撫でた。
「お前は上々な預言者やで。前に言うてたやん、地界はアホらしい歴史の繰り返しやて。でも己の手ぇで終わらせようとは思わへんのやろ。それでええねん。オトンの血ぃ継いだモンの役目はしっかり果たしとる。無理やり高尚な意味見つけようとせんでもええんや」
シオンはテッドを仰いだ。にこり、と彼の明るい笑みが返って来た。
「せやけど、もしオトンが天から降りて来はるなら、俺は第一聖地落としたってもええな」
「えっ」
「世界の危機やて焦って降りて来はるかもしれへんやん? 多分これがオトンの姿拝める唯一の方法や。俺な、いっぺんこの手でオトン殴ってみたいねん」
あからさまにうろたえたシオンを見下ろし、テッドは吹き出した。
「ははは、冗談や冗談。世界終わらすつもりは無いて言うたやないか」
「君が言うと冗談に聞こえないんだよ!」
「俺かて冗談言うてもええやんか。あー、こないに簡単に引っ掛かるとは思わへんかった。面白いわー」
腹を抱えて笑うテッドを、シオンは恨みを込めた目で睨みつけた。
ひとしきり笑った後、彼の視線がふっと逸れた。
「それにな、大切なお姫さん抱えとる間は意地でも落とせへんよ」
え、とシオンは目を瞬いた。
「大切な――――」
「せやけどシオン、さっきの顔は良かったでー。そないに俺の言葉がグッと来たんか。嬉しいわー」
おもむろに抱きついて来る。
「ちがっ、離せテッド!」
「切ないわなー。五百年兄貴や呼んでくれへんでも、やっぱりお前は弟やったわ。今からでも呼んでくれてええねんで。お兄ちゃん喜ぶでー」
「違うって! だいいち兄弟って言っても血は繋がって無いじゃないか!」
「ええやんか。今度も弟思うて裏方やったってんねやから」
「っ」
シオンはピタリと動きを止めた。
それが分かっていたように、テッドはシオンから身を離した。




