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Ⅱ ⅹ

「……っ」

 地上で、シオンはそれを感じた。体、いやこの命全てを縛るよすがの強度が、明らかに変化していた。

「仮契約……できたのか……」

 身を起こしながら呟いた。立ち上がり、右胸に触れる。傷口はシオンが〝そう意識〟する間もなくふさがっていた。

「テッド……」

 ぐっ、と顔をしかめた。

「預言者さーん、大丈夫ですか?」

 背後から嬉しげな声が掛けられた。振り向くと、なぎ倒された樹々の向こうに、あの少女の姿があった。

 シオンは息を吐いた。

「あの高さならばっちり私のテリトリーですよ。隣のお兄さんも巻き添え食うと思いますけど。ちょっと待ってて下さいね」

 にこりと笑う少女の手には、枯れ枝の山があった。

「凡人一人や二人殺すなんて簡単ですから」

 何でもないように少女は言った。

 そのセリフ、アベルが聞いていなくて本当によかった。

 シオンは醒めた目で少女を見た。もうこれ以上アベルを打ちのめしたくない。アベルの方は君と友達になれたと思っていたんだから。

 君との出会い、アベルは嬉しかったに違いない。人と親しくした経験なんて決して多くはなかったはずだから。

 そんな彼女の、ささやかで真剣な喜びを、欲にまみれた利己心で崩壊させた君。どんな攻撃よりも、その事実がアベルの身を深くえぐった。

 罪人だ、君は。

 裁くべき法を知らずとも、君は今の僕の中で一番愚かしい罪人だ。

「後で名前教えてくださいね、預言者さん」

 上空を仰ぎながらカルミンが笑った。

 シオンは目を細めた。

「ぐ、ぎゃっ!」

 弾かれたように少女の体が跳ね上がった。

 瞬間的な痙攣の後、少女は身を硬直させたままバタリと地面に倒れた。

 シオンは無表情のまま、少女の左胸に向けた腕を静かに下ろした。

「なーんや、殺してしまわんかったん」

 ふわりと空気が揺れる。

 とすっ、と小さな音を立て、背後に青年が降り立った。彼はシオン越しにカルミンを眺め、呟いた。

「まぁ、嬢ちゃんの前で人殺すんはまだ早いか」

「っ」

 シオンは振り返った。そこには、半分憐れむような顔の青年が佇んでいた。

 彼はまるで大切な恋人を守るように、アベルをしっかりと抱きしめていた。

「テッド! 何で君が地界にいるんだよ!」

「何でて、お前の様子見に来たに決まっとるやないか」

 青年――――第一聖地の預言者テッドはさらりと答えた。

「俺かて暇人やないんやで? いつまで経っても帰ってこーへんお前を心配して、地界まで来たったんやないか」

 シオンはぐっと喉を詰まらせた。

「……それでも、他の聖地の内情に干渉するなんて」

「何や、実際助けられたと違うんか?」

 右胸が鈍く軋んだ。

 テッドが嘆息する。

「仮契約や言うシロモンまで出す羽目になっとるとはな。前に言うたやん。いちいちためらっとったらあかんて。俺がこーへんかったらお前ら、どうなっとったか分からんで」

「っ……君が出て来ると何かとややこしくなるんだよ!」

 喚いたシオンを、テッドは微かに意表を突かれた顔で見返した。

 しばらく沈黙が落ちる。

「あ……あの」

 静寂を破ったのはアベルだった。いまだテッドの腕に抱かれたままの少女は、今更ながら恥ずかしそうに頬を赤くしていた。

 テッドが顔を緩ませた。

「世話やかしの弟のくせに、一丁前な事いうてくれるやん」

 弟? とアベルがテッドを仰ぐ。

 少女の視線に構わず、テッドは言った。

「まぁええわ。それよりシオン、話あんねん。ちょっと付き合いや」

「え?」

 首を傾げた瞬間、体が宙に跳ね上がった。

「うわっ!?」

「きゃああっ!」

 シオンとアベルの悲鳴が重なる。テッドは可笑しそうに肩をすくめた。

 三つの人影がぐんぐん夜空を上昇する。今までいた公陸は遥か下に消え、別の陸がいくつも横を通り過ぎた。

 背景を埋める空の色が徐々に変わっていく。地界にくくられる高度の限界が近づいていた。

 がくんと上昇が止まった。急激な停止が体の内側を乱暴に揺さぶった。

「嬢ちゃんはちょっと外したってな」

 そう言うと、テッドは何のためらいも無く、ぽいとアベルを放り投げた。

「えっ、ちょっ!」

 どさっ、と少女の背が地面をこする。着地したのは直径十メートルも無い小島だった。

「いった……。って、ちょっと! ここ何なの!?」

「そこで待っといてやー」

 小島の上空で手を振るテッド。

「あ、せや。この辺は冷えんねん。風邪ひかんようこれ羽織っときーや」

 言いながら彼は上着を脱ぎ、小島の上で暴れているアベルに放り投げた。突然頭の上に降って来たジャケットにアベルがパニックを起こしかける。

「きゃっ、何これ。ねぇどうなってるの! シオン!」

 慌てて駆け寄りかけたシオン。

 その腕を、テッドの手がガっと阻んだ。

「なっ」

「行くで。時間が無いんや」

 テッドが耳元で囁いた。

 ようやく視界を取り戻すアベル。髪をぐしゃぐしゃにさせた少女を、シオンは戸惑い半分に眺めた。

「キスマークやら付けんといてなー。リゼッタに大目玉食らうわ」

 上昇しながら言うテッド。陸の上ではアベルが何か叫んでいたが、シオンはもう聞き取れなかった。

「どういうつもりだよ、テッド」

「何や、えらい言い草やな。ホンマに一つも感謝してくれへんの?」

「それは……。助かったとは思ってるけど」

 しぶしぶながらそう答えた。

「素直やないなー。まぁ、至高圏の中ではお前が一番マシな性格しとるけどな」

 それなら一番厄介な性格は全員一致で君だ。

 シオンは心の内で毒づいた後、尋ねた。

「それで、話って何なの?」

 テッドは速度を緩めると、近くの小島に着地した。解放されたシオンはようやく安堵の息をついた。

 木屑まみれになっているシオンのベストを、テッドは腕組みをして眺めた。

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