Ⅱ ⅷ
少女の淡色の髪が風に揺れる。宵闇の落ちた上空は、一転して静寂に満ちていた。
アベルが放心したように、遥か下方となった雑木林を眺め下ろした。
駆け抜けて来た雑木林には、一本の道ができ上がっていた。アベルのポッドが墜落した場所を起点に樹々がなぎ倒され、木の葉にまみれた土の地面が露出している。
道の終点には、足を止めて佇む少女の影があった。
引力制御は質量のある物体が無ければ成立しない。微小粒子しか無い空中までは追って来られないだろう。
シオンはほっと息をつくと、地表から視線を持ち上げた。
もう少し上昇すれば、この陸の輪郭まで一望できるようになる。
このまま、聖地に戻ってしまおうか。
シオンは星が瞬き始めた夜空を見上げて思った。ここまで来たら、後は至高圏に昇るだけだ。喧騒と悪意と欲望に溢れる地上から、このままアベルを連れ去ってしまえばいい。
「……思ってたのに」
か細い呟きが耳に触れた。
腕の中へと視線を向けた。
「……仲良くなれたと……思ってたのに……」
涙の膜に覆われた瞳が、虚ろに地表を眺めていた。
ズキリ
胸が、信じられないくらいの力で締め上げられた。
「……ごめん、アベル」
あても無い方向へ視線を逸らし、呟いた。
不意に謝ったシオンを、アベルは虚を突かれたように仰いだ。
「シオン……?」
その瞬間だった。
がくん、と足底の感覚が消失した。
「わっ!?」
階段を踏み外したように姿勢が崩れる。慌ててステップを出すが、次の段はどこにも現れなかった。
「やっ、ちょっと! 落ちる!」
何で!?
混乱する意識の中、ようやく足底が感覚を取り戻す。ホッとしたのもつかの間、足は再び踏むべき段を見失った。
「そっ、そんな!」
「何やってるのよ、シオン!」
二人の体は見る間に落下していった。局所重力は所々で思い出したように復活したが、自由落下を免れる程度にしかならなかった。
ずしゃっ、と音を立てて土を踏む。アベルが腕からこぼれ落ち、地面にへたり込んだ。
はっ、と二人は後ろを見た。
「お帰り、アベル」
林立する樹々の向こうで、少女が嬉しげに笑っていた。
アベルは後ずさった。
シオンは立ちつくしたまま自分の手の平を見た。
「……何で……力が」
爆風が雑木林を突き抜けた。
「っ!」
強烈な衝撃に体がかしぐ。
カルミンの爆発は威力を失っていない。それでシオンは確信した。
「第五聖地の浮力が足りないんだ」
「えっ」
アベルは顔を覆う両腕を下ろした。
「人……技師と違って、預言者は現象の誘起に聖地の浮力を使うんだ」
「じゃ、じゃあ御芯体の兄貴が弱ってる分、あんたの力も弱くなってるって言う事?」
うろたえながら問うた少女へ、シオンは首肯を返した。
「第五聖地は限界に近いんだよ、もう」
絞り出すように言うと、シオンはアベルの腕を掴んだ。
直前まで立っていた場所が爆風にえぐられた。
ひとまず粒子運動の過大化による高速走行は生きている。少しだけほっとしたが、しかし移動速度は明らかに落ちていた。
アレックス、もう少しだけ頑張って。お願いだから。
そう言いたかったが、終末昏睡に入って一週間が経つ彼はもう限界に違いなかった。
このまま力を使い続ければ、断続的な負荷過剰で彼の余命は急速に食いつくされる。そうなれば第五聖地はもう、落ちるしかない。
「やるしかないか……」
呟くと、シオンは荷物のように抱えたアベルへと告げた。
「アベル、今から仮契約するよ」
いきなり言い放ったシオンを、アベルは驚いて見上げた。
「今ここで、次の御芯体として預言者と仮契約を結ぶんだ」
「なっ、私はまだ」
「こうするしかないんだよ!」
ビクっ、とアベルが身を縮めた。
「仮契約でも、ノアの血が認めた人間は聖地の浮力に寄与できる。割合はほんのわずかだけれど、確実な助けになるんだ。このままだと君は絶対にカルミンに殺される!」
衝撃波が背を殴る。よろめき、拍子に地面すれすれを掠めたアベルが悲鳴を上げた。
何とかバランスを取り戻す。背後では再び小爆発が連続していた。
「……こ、こんな所で死ぬなんて馬鹿げ過ぎよっ」
吐き捨てるような呟きが聞こえた。
「分かったわよ! 早い所やればいいじゃないの!」
アベルがヤケになって叫んだ。
「じゃあ、やるよ!」
シオンは思いっきり地面を蹴った。




