表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/60

Ⅱ ⅲ

 奇跡的に生き残っていたバスルームに水音が反響している。ポッドの隅に造られた、操縦とは何ら関係の無い小部屋。そんな代物が備わっている点はさすが特A級のポッドと言った所か。

 シオンはバスルームと船室を隔てる壁にもたれながら、シャワーの奏でる雨音のような音色を聞いていた。手には一本の管。配線も何もかもがむき出しになっている壁から水管を引っ張り出すのは簡単だった。

 管の口に手を当て、意識を送り続ける。空気中の酸素と水素が結びついて水となり、更に分子振動によって温度を上げる。「熱い!」「冷たい! 水よ!」とクライアントの文句がつけば、即座に温度を調整する。

 預言者の能力をこんな風に使う時が来るなんて……。シオンは思いもよらなかった展開に、情けなさを通り越して感心を覚えかけていた。

 千年前、生きとし生けるモノはおろか、この星さえ食いつくさんばかりの洪水をもたらした神。そんな天上人に不服を訴えた一人の科学者。ノアと言う名の彼こそが神話の最大の英雄であり、この世界に超越的な科学をもたらした賢者だった。

 彼は己の立てた第二次科学方程式に基づき、洪水後の世界のシステムを決定した。神のおわす天と、人が住む地界の間に設けた至高圏しこうけん。そこに浮かばせた九つの人工島・聖地の存在によって、無数の浮遊体となった陸地の電・磁・重力場は全て正常値に修正される。保護された陸地の上では彼の理論に基づいた変換機が生産され、今や魔法まがいの科学がそこら中に溢れている。

 洪水後の世界は、全てが聖地の安寧に掛かっていると言ってよかった。だからノアは、自らの血を引く者に聖地の守り人――預言者の役割を任せた。

 ノアの血液の有形成分は、先天的な分子配列異常により変換機の回路に似た立体構造を形作っていた。そのため彼自身は変換機なしでの科学現象誘起が可能だった。体内に彼の血液(正確に言えば、血液産生に関する一連の遺伝子)を持つ預言者もまた同じ能力を持ち、その圧倒的な科学変換能力で聖地を脅かす輩を退けた。

 そう、言わば超越者。

 しかしその一人である自分は今、賢者である父から継いだ能力を使ってお湯を産生し、バスルームの給湯器の代わりを務めている。会ったばかりの女の子に言われるままシャワーの水管を握っているこの姿を見れば、父はどんな顔をするだろうか。

「五百年以上生きてるけど、こんな経験は初めてだなぁ」

 薄暗い船室を眺めながらぼんやりと呟いた。

「何か言ったー?」

 壁の向こうでアベルが問う。壁と天井の間にすき間があるから、呟き声でも聞こえるようだ。

「いや……何でもないよ」

「そぉ? ねぇ、さっきからお湯が弱いわよ。泡が流せないじゃない」

「あ、ごめん」

 意識が逸れていたようだ。自覚すると同時に水管に掛かる圧力が変わる。その先でアベルがオーケーを出した。

 しばらく水音が続く。ふと上を見上げると、天井の穴から覗く空は、いつの間にか黄昏の色に変わっていた。

 淡い青みを帯びた茜色。至高圏から眺める日暮れとは僅かに違う色のような気がした。

「……ねぇ、シオン。聞いていい?」

 少しトーンを下げた声が呼ぶ。

「兄貴は、誰の指名で御芯体になったの?」

 シオンは肩越しに後ろを見た。配線まみれの壁が視線を迎える。その向こうにいる少女の表情を思い浮かべた。

 そして答える。

「アレックスは先代に指名されて御芯体を継いだわけじゃないんだ」

「え? そうなの?」

「うん。先代の御芯体は急逝だったんだ。遺言を残す間もなく倒れてしまって……かろうじて命が尽きる前に終末昏睡に入ってもらって、僕はその間に急いで次の御芯体を捜すことになったんだ」

「……」

 しばらく沈黙があった。

 ぱしゃぱしゃと水音の跳ねる音が再開する。

「じゃあ、兄貴を選んだのはあんた、ってわけ?」

 少しだけ責めるような口調だった。シオンは複雑な気分にかられたが、しばらく考えた後に首を横に振った。

「確かにそう言えるけど、違う。そう願ったのはアレックスなんだ」

「どういう意味よ」

 シオンは五年前を回顧した。

「五年前、僕は継代者を捜すために地界を走り回った。遺言が無い場合、誰を選ぶかは僕ら預言者の自由なんだけれど、これから聖地の中心を担ってもらうわけだから〝人の質〟は選ばないといけない。私欲のために御芯体になりたがる人は本当に多いんだ」

 ふぅん、と返ってくる。

「無数にいる人の中から一人を選び出すのは、正直途方に暮れる仕事だよ。かと言って時間をかけてはいられない。陸を飛び回りながら僕はとにかく焦ってた。そんな時、ある陸の上ですごく強い引力を感じたんだ」

「引力?」

「そう……もちろん物理的なモノじゃなくて、まさに御芯体の体に宿る非解析重力場みたいな力だった」

 壁の向こうでアベルが首を捻るのを感じる。

 非解析重力場はノアすら解明し得なかった第二次科学の神秘だ。地界の人は知らないかな。シオンは苦笑すると話を続けた。

「その引力に引かれて降りた地面に、アレックスがいたんだ。急に空から降りてきた僕を見て酷く驚いていたけれど、事情を話すと彼は自ら名乗り出てくれた」

『俺を連れて行ってくれ』

 切迫した顔で願った少年。あの時まだ十六だった彼は、凍てつく冬の夜の下、途方に暮れた姿で佇んでいた。お世辞にも綺麗とは言えない服装でたった一人、雪のちらつく路上で何をしていたのか。その時のシオンに、それを問うている時間は無かった。

「五百年くらい預言者をやってきたけど、こんな風に出会った人は初めてだった。でも預言者(僕)を引きつける引力は確かだった。だからその場でアレックスと仮契約したんだ」

「……」

 少女の動きが止まる。また何か不可解な事を言ったかな、と思っていたら、シャワーの栓が閉じられる音が聞こえた。進路を遮断された湯が逆流する。「うわ!」と思った時はもう遅く、シオンは一瞬で全身びしょぬれになってしまった。

 濡れそぼった髪の毛先からぱたぱたと水滴が落ちる。呆然と固まってしまったが、はっと気づいて内ポケットの懐中時計を確認した。ベストに守られて無事だったようだ。箱舟のエンブレムを記した蓋は全く濡れていない。

 この懐中時計はノアの血族の証だった。箱舟は父が神を殴るために天へと昇った際、乗り込んだと言う小型のポッドを抽象化した神話的なシルエットだ。聖地の聖堂にも同じエンブレムが記してあり、それとこの懐中時計は〝直接的〟に繋がっていた。

 ボタンを押して蓋を開ける。そこには長さの違う四本の針と、ゼロから九までの文字盤が据えられている。十二進法の時計とは全く違う様式のそれを眺め、シオンは小さな安堵の息を突いた。まだ、大丈夫。今の所、針のマイナス進行は止まっている。

 時計は左回りにしか進まない。四つの針がゼロの上で重なる瞬間を出来るだけ遠くに願いながら、蓋を閉じてポケットの中にしまった。

 カシャン、と背後で音が立つ。

「結局、あの陸から逃げたのは兄貴本人の意思ってわけね」

 壁の向こうから少女が姿を現した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ