第五章「本当の嘘は数え切れない素直な気持ち。」
先程下った階段は使えない。残るは反対側の階段。
急いで反対の方角の階段を駆け上る。「間に合え」と心の何処かで叫びながら。
時間を使って登り切るがまだ屋上ではない。グラウンドを走ったときのスタミナ消費が大きかったらしく、足取りが遅い。
「そうだった…屋上への階段は一つか…!」
また反対の方角へ。そして、とても普通に登れない階段を目の当たりにする。
妖によって崩れ落ちた階段を、険しい山路を登るように全身で登って行く。
そして、左右うまく重なってない扉を開ける。
「…伊那瀬!!」
心の底から叫ぶ。
「あら、予想外。よく生きてるわね」
そう言ったのは狐の妖。所謂、妖狐だ。
現れた時によく見てなかったからわからなかったが、女性だったのか。それとも、狐特有の「化けている」のか。
妖狐は不適に笑いながら、伊那瀬の喉元に刀の切っ先を突きつけている。伊那瀬はその状況に手も足も出ない様子だった。
「…伊那瀬っ!」
伊那瀬に走り出そうとする。
「こないで!」
伊那瀬は叫ぶ。
張り上げたその声は俺の頭でさえも響かせた。
自分の足は止まっていた。
「私は…私は、大丈夫だから」
弱々しく言い放ったその言葉は、すらすらと物語を書き綴るように俺の心に刻まれた。
助けて、と。
はっと目を見開く。視線の先に人がいた。それも横たわり、妖狐に踏まれた無残な姿で。
似ている。伊那瀬にそっくりだ。
じゃあ、一体誰なんだ?
「可哀想な子。貴方もあの子も」
悩んでいる暇なんてなかった、事は今もなお動いている。
どうすればいい?俺はどうすればいい?
突然、伊那瀬がクスクスと笑いだす。
「ここで死ねるなら…私は満足」
そう言い放った瞬間、伊那瀬の体は宙を舞った。手を伸ばす事もなく。
満面の笑みを浮かべている。
落ちて行く伊那瀬に笑う妖狐。
俺はただゆっくりと、落ちる姿を見ていた。そう、ゆっくり。ゆっくりと。
時計の針がカチカチと進むように、俺の足は秒を刻むより早く動かす。
時計の音が一斉に頭の中で鳴る。スローモーションになる感覚は、脳の処理が追いついていないのだろうか。自分でも理解しきれていない。
ただ、笑っていた伊那瀬の顔に一筋の涙がこぼれていたのは理解していた。
その時、確かに「助けて」と聞こえたんだ。
――満面な笑みを浮かべる狐の仮面は、伊那瀬の体と共に剥がれ落ちるよう。仮面の裏は紛れもなく人であるものだった。
随分、無茶なお願いだよ。本当に。
<世話が焼ける女だ>
でも、守りたいんだろ?
<どちらでもいい。お前の判断に任せる。これはお前の意思だろう?>
異論はないな。助けられるか?
<無論だ>
無愛想なやつ。
「ひっ・・・!」
妖狐は俺の目を見て、そんな小さな悲鳴を漏らす。
「<失せろ、雑魚>」
俺ともうひとりの俺の声が重なる。その言葉と共に、妖狐は人型から狐に戻る。そしてその場から、消えた。ほんの一瞬の出来事だった。
屋上から飛び込む。飛び込んだ先に伊那瀬の顔があった。目を瞑っている。あの時の寝顔も確かこんな顔だったかな。
俺の体は伊那瀬を包み込み、真っ逆さまに落ちる。やっぱりまだ飛べないか。
俺の体を背にして、落ちる。
軽い地響きが鳴る。
呼吸が止まる。視界が消える。意識が遠のく。
伊那瀬の重みと温かさだけが残っていた。
<灯火っ!灯火っ!おいっ!おいっ!!>
灯火の小さな身体を揺さる。亀裂が入った硝子のように、尊い。
<おい、あの子は人間じゃねぇか!?>
<し、知らねぇよ・・・女が急に飛び込んできたからぁ・・・。>
<違う、あいつはあの鵺とお共してるやつだ!妖で変わりねぇ!>
人の目と口。なんら変わらないもののはずなのに。
<死ぬなよ・・・俺を置いていくなよ・・・!>
自分の声も儚く、遠い。
<もういい!あの鵺ってやつをやればいいんだよ!ほら早く、弾込めろ!>
<おい、お前も銃をもってこい!>
<今日で、怯える日々は終わりだ。こいつさえいなければ・・・!>
灯篭の火は闇に消え、灯す光を失ってしまった。
< !!>
言葉にも、音にもならない叫び。黒い塊がその叫びと呼応するかのように、身体が生まれだされる。
<うわぁあ!なんだありゃぁ!>
<撃て!撃て!>
<だめだ!弾があいつに届く前に止まっちまう!なんだ、あれ・・・!>
塊は陽炎の如くゆらゆらと漂うと、徐々に形を成していく。
<・・・っ。ぬ・・・ぬ、鵺…さん・・・?>
<―――灯火!?>
<…泣かない、で。鵺さんには、そんな顔・・・似合わないよ。>
<灯火!もういい、喋るな!今、助け・・・>
落ち着いて見てみたら、灯火に撃たれた弾は急所を外れていたようだ。
元々は、俺に向かれた弾丸。ふと目の前には、彼女がいた。大きく手を広げ、俺を庇った。
助けてくれる人など。どこにもいないのに。
血に染まった村人は黒く形を成した化物に食われ、化物はどこか無数に去っていった。
<私は、まだ・・・>
灯火は、瞼を落とした。白い塊が、まさに「灯火」のように彼女から溢れ出し、天へ登った。
「――――ないで!」
真っ暗闇の中、声が聞こえる。天高く上のほうから。
「許して、もう許して・・霙っ!」
だから謝らないでって言っただろ。何回言えば・・
「また・・・また、霙のように死なないで!」
あぁ、そうか。聞こえていないのか。まだ一言も、君に伝えてなかった。
だけど声が出せない。まだ、回路が定まらない。
「誰か、誰か助けてっ・・!!」
「・・・ぃ・・言えたじゃん・・」
「っ・・!吉烏頭君・・!?」
「自分の本当の気持ち、言えたじゃん・・」
目を開けると、そこには目を真っ赤にした泣き顔の女の子がいた。
髪は肩までの長さになっていた。黒い艶は変わらない。
ただそこに、「伊那瀬霙」の姿はなかった。
「だからさ、もう謝らなくてっ・・・うわっ」
勢いよく抱きついてきた。
「もうっ、もうしゃべらなくていいからっ・・・!」
冷め切った俺の体に温かみが重なる。
ちょっと待って。いろいろと感覚が戻ってこない。でも、悪くないかな。
泣きじゃくる彼女の頭をそっと撫でてあげる。自分でやってて恥ずかしかったが、それしか自分に出来ることがなかった。
「十分可愛いじゃん。元の姿も」
「なななっ・・・!」
ばっ、と俺から離れて、少し距離を取る。あれ、ダメだった?
「お取り込み中悪いが、そのままだとお主。死ぬぞ」
どこかで聞いた声がした。
「縷縷・・・?」
声の主が俺の視界に入る。白い髪が映える浴衣姿をした神。縷縷の姿だった。
「無理しおって。死なぬと言いおったではないか」
「い、いや、別に大丈夫だよ?」
実際、痛みは消えつつある。息苦しかったのも、もうない。
あいつのおかげなんだろうか。
「儂が救急車を呼んでやった。もうすでに音で気づいたのか知らぬが警察も来ておるぞ。厄介なことになる前に逃げたほうがいいの」
「・・・縷縷?」
「なんじゃ?いな」
「それだと救急車呼んだ意味なくない?」
空気が静まる。
「・・そうじゃな。いなにしては冴えておるの」
「縷縷はいつもどおりね」
きっぱりと言い切る。
「やかましい。心配して焦ったわけではないからな!」
少し頬を赤くしながら、おぼつかない口取りで言い放つ縷縷。
「心配して焦ったんだ」
またも冷静に対処する。
「あぁーもう!うるさい、うるさーい!少し待っておれ!」
実に子供らしく、じたんだをしながらどこかに去っていく。
「あれ・・」
いつの間にか「伊那瀬霙」に戻っている。足まで伸びる長い髪の姿に。
「どうしたの?」
縷縷が去ってから楽しそうな顔になっている伊那瀬。
「いや・・」
本人は気づいてなかったのか?
「・・元の姿って言ってたけど、見えたの?」
やっぱり俺だけだったようだ。
静かに頷くと、「そっか」とただ一言つぶやいただけだった。
「そういえば俺、本当の名前も知ってるよ」
「え?」
伊那瀬の顔が固まる。
「稲瀬 來々菜」
「どうして・・・?」
「どうやら、伊那瀬も俺も話し合わないとね。本当のことを」
でも、とうつむく伊那瀬。
「大丈夫。伊那瀬はもう信じられる」
「信じないでって、言った気がするけど」
「助けてって言ったのは、伊那瀬のほうだけど?」
伊那瀬はしばらく呆然と俺を見る。
「私、助けてなんて言ってない」
「言ったね!絶対、言ったね。ちゃんと聞いた」
「言って、な、いー!」
二人、笑いながら。初めて本当の笑顔で笑いあった。
<やっと、笑ってくれたね>
「楽しそうにするなーー!!」
サイレンと共に現れたのは救急車だった。色は白に赤だが、ところどころに三角マークが散りばめられている。縷縷の浴衣と同じ模様だ。
それ以前に、救急車がしゃべっているというのは新鮮だ。
「私を差し置いてなんだお主ら!私がくるまで待っててと!」
「ちょ、ちょっと待て。この救急車、なんだ!?」
「儂が呼んだ救急車に憑いてやったのだ。憑喪神だからの」
福あるものに憑くというけど、福もなにも関係なくなってないかな。人を救うものだから、福で溢れてたりするのかな。
「さぁ乗るのじゃ、警察が来るぞ」
「さ、行こっ。私が手伝うから。ほら。」
手を差し伸べる伊那瀬。俺はしばらく伊那瀬を眺めたあと、差し伸べた手に手を乗せる。
「相変わらず手、冷たいね」
「冷え性だからね」
「それ本当?」
「どうでしょう」
「なにそれ」
あいつに関係あるのかもしれないけど。そこまで気にしていなかった。
「じゃあ、温めたら温かくなる?」
そういって強く手を握った伊那瀬。
「……うぉうぁ!?」
咄嗟に手を離してしまった。伊那瀬は某然としている。
「あ、いや、そう言われるとっ」
急に恥ずかしくなり、顔が熱い。
「……私の頭は普通に撫でてたくせに」
そうボソッと言うと、早歩きで救急車もとい縷縷の元に行く。
「ちがっ、ちょっと待ってよ!」
「縷縷~、早くいこ~!」
「一応、俺、怪我してるんですけど!?」
急いで追いかける。こんな動けたら怪我人なんて言えないか。
「なんじゃ、仲良くなっておるではないか…よかったの」
救急車(縷縷)に乗り込んだ瞬間、縷縷の声が頭に聞こえた。どういう理由か知らないが、俺にしか聞こえてないらしい。伊那瀬は意気揚々と運転席に移動している。
「なんだよ、いけないか?」
「べ、別に?なんでもないわ!」
「ねー、縷縷。これって運転できるの?」
伊那瀬が興味津々の顔でハンドルを握っている。子供のように、左右にハンドルを回す。
「出来てもさせんわ。ほら行くぞ」
ふと気づく。
「なぁ、縷縷?」
「今度はなんじゃ!」
「病院行くわけじゃないよね?」
「病院に行ったらいかんのか?」
「行っても怪しまれるだけだし、そもそもどうしようっていうの。これ」
「考えが安直すぎるのよ。これだから子供は…」
何時の間にか運転席から、俺が座る応急処置を行う場所に戻ってきた。
「っ…ぅっ…もういいっ。私、神様なのに…いじめるんだもん…」
今すぐにでも泣き叫びそうな声だった。
「泣かないで、泣かないで!灯影寺に行こう!病院に行くまでの怪我…してたけど治ったから!」
外から人の声が聞こえ始めたので、慌てて縷縷を慰める。ただ、なにしろ救急車自体が縷縷なためうまく慰められない。頭を撫でようにもどこが頭かわからない。
「無事、灯影寺ついたら吉烏頭君が撫で撫でしてくれるから」
「本当?」
げ、読み取られた?
「え?えっと…う、うん」
曖昧に返すと救急車は動き出した。
「ほんっと、子供ね。単純」
ニヤリと口を歪ませながら、俺のほうを見る。
「伊那瀬って、外面明るい割に腹黒いね」
「こんなに清々しく素直になれたの、久々」
「それはよかった」
サイレンを鳴り響かせながら、真夜中の道を駆ける。
もうとっくに、屋上から落ちた時の痛みは消えていた。
灯影寺についてから大変だった。救急車が灯影寺についた途端、救急車が縷縷に戻ったんのだ。意図せずぶっ倒れた縷縷を急いで寺の中に連れて行き、寝かせた。
「無理しすぎ。救急車なんてでかいものに憑くから…」
「うぅ~、サイレンの音がぐるぐるぐる…むわぁっ~!」
奇声をあげながら、ごろごろ転がる縷縷。
「おい、大人しくしろって」
伊那瀬が言ったからにはやらなければと思い、とことん頭を撫でてやった。
「むぅ。えへへ…はっ!ち、ちがうぞ!催促など…えっと、儂は子どもではないわ!」
そういいながら俺の手を払うことはせず、俺はずっと撫でてあげている。
「はいはい」
きっと伊那瀬が言うとおり無理をしてくれたんだろう。なかなかうまく舌が回らなくなっているようだし。
「ねぇ、いつまで撫でてるの。もういいでしょ。吉烏頭君」
なんか怒ってる?
「ん?そうだね」
「何を怒っておるのだ。いな。」
「怒ってないよ!」
「はいはい、いがみ合わないで。縷縷はいいから横になってろって」
ほんとこの二人は仲いいのか悪いのかわからないな。
「そういえば、縷縷って物に憑くことで力を発揮するんだよな?どうして憑いたものが消えたんだ?」
「へっ?」
不意を突かれたような声を出した縷縷。
「えっと…」
「縷縷の実力不足。そうでしょ?」
伊那瀬がまたもやきっぱり言い放つ。縷縷はずばり当てられたのか、慌てて体を背ける。
「そうなの?」
「そう。神様なのにね、学ばなきゃいけないことが沢山あるのね」
「そんなことより貴様らは話すことがあるじゃろ!特に、いな!」
「あー、そうだった」
伊那瀬は俺のほうに向き直して、真っ直ぐに俺をみつめる。
「えっと、まず…助けてくれてありがとう」
「い、いえ。どういたしまして」
なんだか緊張する。
「私は最初からあの場所で死ねるなら死ぬつもりだったの」
「・・・どうしてあの場所で?」
「屋上で話した友達の話、覚えてる?」
確か友達の女の子が、憧れでもある親友の綺麗な女の子に恋愛の相談をして、親友の子のおかげで友達の子がうまくいった。だけど親友の子が告白の場を与えてくれたとき、なにもできなかった…そんな話だったかな。
「あの話、私の話なの」
なんとなくそんな感じはした。
「すごく可愛くて、頭も良くて。長い綺麗な黒髪の友達。私はすごく羨ましかった。だから同い年でも憧れていた。彼女みたいになれればなって。その子の名前が「伊那瀬霙」そして、友達っていうのは「稲瀬來々菜」私のこと」
つまり今、目の前にいるのは「稲瀬來々菜」ってことだ。でも容姿は「伊那瀬霙」という人の特徴と重なる。
「霙はね親身に私に協力してくれたの。恋するなんていいなっていつも言ってた。でも、二人っきりにさせてもらえるチャンスを与えてくれたその日。私が好きな男の子と一緒に霙がいた。楽しそうに会話していた」
深く溜息をする。
「馬鹿だった。私なんて眼中になかったの、彼。霙のほうがいいに決まってる。それはわかってた。でもその時は理解できなかった。どうして?って叫んだ。それに気づいた霙は何度も私に言った。違うって」
既に妖狐から人に戻っているが、あのマフラーは相変わらず着けていた。マフラーを握りしめながら話を続ける。
「信じられなかった。私は霙を避けたけど、ずっと彼女は言ってきた。間違いだって。それでも私は何も言わなかった。霙を突き放してた。…それが霙をあんなに傷つけてるかなんて思わなかった。」
それから少し間が空いた。なかなか言えないのか、口を少し開いては閉じている。
それでも俺は待った。彼女の口から聞かなければならない。彼女が本当のことを話すのをずっと待ってきたんだ。聞いてあげられるのは俺しかいない。
重い口を開く。
「霙は自殺したの。私の目の前で。学校の屋上から。ごめんねって。ただ一言だけ残して」
声が震えていた。か細く、切なく。
「私は何もできなかった。ただ冷たい手を握ることしか…私のほうが謝らなければならないのに…!ずっと、ずっと笑ってたの、死んだ時まで、霙はずっと!」
マフラーをより強く握りしめる。指を絡ませながら。
「霙は完璧すぎて女子からはだいぶ嫌われていたの。友達と言える存在は私唯一人だって…後から知った。あの時だって、たまたま彼が霙を呼び止めて会話してるだけだった」
彼女はずっと葛藤していた。そして責めていた。ずっと隠していた悩みを今打ち明けてくれたのだ。
「私が半分妖狐になったのは、それから。私はずっと抱いていた「霙のようになりたい」っていう願望と霙に対する責任感から、呪いもかけられた。霙の体と顔、性格も全部。「稲瀬來々菜」を捨てられた。だから…ずっと嘘をついてた。本当の事も言えない。だから信用しないでって言ったの。また繰り返さないように…」
彼女の呪いは霙自身に強制的に化けること。実に妖狐らしい「嘘」だな。
あの女の子の死体は、「伊那瀬霙」の遺体だった訳だ。似ているというより、容姿は彼女本人。死ぬ気だったのも、彼女への報復って訳か。
「何時の間にか周りも、この姿が当たり前だったように何も疑わない。最初から「稲瀬來々菜」なんていなかったように…」
「でも、嘘をつくっていうのは嘘だろ?」
「えっ?」
「確かに見た目は「伊那瀬霙」なんだろうけど、心まで染まっているわけじゃない。君の考えや言動、気持ちはすべて。「稲瀬來々菜」でしょ?」
彼女は顔を背ける。自覚があるのかな。
「でも、私の性格なんてわかんない。彼女は律儀で…」
「俺の前では明るかった。学校の時と全然違う。いつも楽しそうだった」
「それは…」
「気にしなくてもいいんじゃないかな。どっちも君なんだよ。霙さんだって君の前では明るかったんじゃない?」
「う、うん。そう言われてみれば、私といる時はいつも笑ってた」
多分これは呪いじゃない。そう確信した答えだった。
「自分に嘘をついているんだよ。自分で自分に」
「自分で自分に…?」
「多分、「私はなにもかも伊那瀬霙なんだ」って嘘をついた。自分を責めて、許せなくて。自分に嘘をついた。容姿の変化は呪いだろうけど、自分に嘘をついて自分を捨てる事で悩まされることがなくなるから。人しれず、伊那瀬霙を演じていたんだよ」
「そんなことは…ない」
「じゃあなんで話してくれたの?なんで「助けて」って言ったの?なんでいつも…誤ってるのさ」
彼女は驚いていた。思いもしない言葉だったのか、俺のほうを見るなり少し睨んでいるようだった。
「吉烏頭君って一体何者なの?私の本名も知っていたし、あんな高いところから落ちても平気だし…それに、私の心を読んでる…ようだしっ…。」
「えっ?えーと…本名は稲瀬のお母さんが言っていたし、体は人より丈夫なのかなぁ…ははっ」
なんで話すって決めたのに、しらを切るんだろうか俺は。いざとなると、言うことが怖いのだ。稲瀬もこういう気持ちだったのかな。
「お母さんが?」
「電話した時にぽろっとね。周りがいくら呪いによって存在がなくなっていても、親は覚えていたようだよ?」
「來々菜のこと?」とお母さんが言っていたのを覚えている。
「でも、そんなのわからないじゃん。それに、あの高さからじゃ即死だよ?霙だって…中学校の時と大体同じ高さの校舎だし。まだ納得できる説明されてないけど?」
「さっさと言ったらどうじゃ、妖怪」
突然、縷縷が背中に寄りかかってきた。
「やっぱ、縷縷にはバレてた?」
「バレバレじゃ。神をなめてもらっちゃ困る。」
「なんでもお見通しって事か…」
「なに?どういうこと?」
「どうもこうもそのまんまじゃ、いな。こやつは妖怪なんじゃ。半分だがな。」
あぁ、そうか。縷縷が「いな」って呼んでる意味が今わかった。伊那瀬のじゃなくて稲瀬の稲からとっているのか。神様はなんでもお見通し…いや、縷縷はもう伊那瀬霙の事を聞いていたのかもしれない。
「つまり、私と同じ半妖怪…特異人間ってこと?」
「そう。そのとおり。」
「で、でも特異人間同士なのに反応しないし、一度も妖化してるところ見たことないよ?」
稲瀬は焦った面持ちで聞いてくる。
「そこはよう知らん。妖怪をあの部屋に連れた時、確かに反応したんじゃがな。妖怪の意思と妖の意思が反発し合わない。・・・特異人間同士が接触するとなぜ妖化するか知っておるか?」
「妖が妖気を感じ取って・・・反応するんでしょ?」
「そう。特異人間同士で妖気を感じ取ることはできないが、内の妖は相手の妖気に気づき「自分も妖だ」と誇張するのだ。普段は人による「妖じゃない」という気持ちで抑えられているがの」
「じゃぁ、吉烏頭君は妖と反発しあわないから・・・」
「妖側が人である気持ちを汲み取ってくれているんじゃろうな」
縷縷が眈々と答える。俺を無視して、完璧な解説をしてくれている。
「あのさ、俺のあだ名を妖怪にするとややこしくなるからやめてくれない?」
「ん?あぁ…そうじゃの。カラスでどうじゃ?」
意地悪そうににやりとする縷縷。
「縷縷、それは嫌味?」
「しょうがないな。そこまでいうのであらば、凱とよんでやろう」
「それはどうも。…それより、あの部屋ってあそこのこと?」
俺は襖の先を指差す。あそこには墨絵で描かれたよくわからない絵が沢山壁に描かれてあった部屋だ。
「そう。妖観禮屋という部屋でな。儂特製の部屋じゃ。妖の力を抑え込む部屋で、使い道はないが妖に飲まれた特異人間のためや儂の精神統一部屋になる。」
なるほど。それで居心地が悪いなんて思ったわけだ。
「大人しくしてれば、妖が抑え込まれてむしろ元気になるはずなんじゃけどな。お前は無意識か知らんが妖が抑え込まれるのを抑え込もうとしたのじゃ。到底人の意思のみで抑えられるものではないから、倒れてしもうたが…」
「確かその時は灯影寺が襲われたあとだったよね。「連れた時」ってのは、最初の時でしょ?」
「そうじゃ。あそこに描かれた絵も特殊なものでな。妖しか見えんのじゃ。いくら目を隠されても、嫌でもな。」
縷縷は俺の目に包帯を巻いた。その確認のためだったんだ。
「わかってたなら、やらなくてもよかったんじゃないの?」
さっきまで理解が追いついてなかった稲瀬が会話に入る。
「それはっ…その…確信できなかったから…」
「やっぱりまだまだ未熟な神様ね」
的確に傷をえぐってくるなぁ…稲瀬は。
「ふんっ!じゃが、その時見えないと言ったのじゃ。だから、儂も混乱した。」
「見えてたよ。嫌というほど」
「なっ…!嘘をついたのか!?」
「まだその時は、縷縷が信用できなかったからね」
意地悪く言ってやった。縷縷は確実に怒ったような顔をしていた。
「あははっ、言われてるしっ…!」
稲瀬は縷縷を指差しながら笑っている。
「う~~っ!!」
「痛い、痛い!叩かないでって!」
「はぁ…でも、自分の意思と妖の意思が同じってどういうこと?普通は反発するはずなんでしょ?」
「説明するからっ!縷縷を止めて!」
背中に全力で乗りかかって頭を叩く縷縷を、稲瀬がなだめる。
「…俺は俺の中にいる妖の協力をしているんだ」
「協力?」
「俺の妖は強い意思を持っている。俺の体を選んで、ずっと俺の中にいる。俺の妖の呪いは時々相手の心が読めることと寿命による死以外はほぼ死なないこと」
「それって呪いなの?ほとんど最高の呪いだね」
「…心読めるほど嫌なことはない」
稲瀬が真面目な顔に戻る。きっと自分と重ねてくれたんだろう。内容は違えど、特異人間が受けるものは皆同じ。
「…何で協力したの?」
「うーん、なんでなんだろうね。ただ、何百年に渡って貫いてきた意思なんだって聞いたらなんとなく同情しちゃってさ。目的もなんの妖なのかも全くわからないんだけどさ」
うーんと難しそうな顔をする稲瀬。次から次へと新しい情報が入るせいか処理が追いつかないのかもしれない。
「何百年ってどういうこと?寿命による死はあるんでしょ?」
「輪廻転生ってやつだよ。ずっと、同じ意思を持って生まれ変わっているんだよ。」
「それって、吉烏頭君も?」
「そうだろうね。俺も同じく協力する意思だけ継いで輪廻転生しているらしい。前世の記憶は全くないし、俺の存在がどういうものだったかもわからない。この名前も、俺の妖がつけた名前だから。でもはっきり覚えているのは、妖と俺の協力関係と意思」
「妖の声が聞こえるの?」
「うん。うるさいくらいね」
そっか…となにやら深く考え込んでいる。
「じゃあ私と同じだね?その・・・自分のことがよくわからないところ」
まだ少し疑問を浮かべながら笑う。
「似てるところはあるかもね」
「なんだそれ、はっきりいうところでしょ!」
「いやでも・・・」
違う。俺はなにもできていない。稲瀬とはお違いだ。
「そう暗い顔しないでよ。吉烏頭君には、そんな顔似合わないよ?」
「・・・だって、中の妖が弱まってるお陰で力は出せないし、稲瀬の役には全く立たない…!」
そう言った途端、ぽかんと口を開けて固まる稲瀬。
あれ?今、俺なんか言った?
すると、突然声を出して笑いだした。
「な、なんだよ」
「ははっ…だって…そんなこと気にしてたのっ?」
「俺だって特異人間。それなのに、人間としてしか役に立たないんじゃあ…」
「人間として役に立ってるじゃん!」
「え?」
「吉烏頭君は私の役になったよ?特異人間としても大活躍だったじゃん。私の悩みもなんだか吹っ切れたし、今ではもう私自身が取り戻せそうな気もするし!」
立ち上がって、体全体で伝えてくる稲瀬。
「なんだかよくわからないけど、私と同じ境遇の人は初めてだし、私をわかってくれたのも吉烏頭君だけ。どちらにしろ、人間に戻りたいのは同じでしょ?また頑張ろう!」
天真爛漫で明るい。だけどどこか少し抜けている稲瀬。今はただ、「稲瀬狐々菜」が目の前で見れて嬉しい。彼女の葛藤はとうになくなっているようだ。
そんな稲瀬にこう言われたからには、俺もついて行くことを誓おう。元々、人に戻すまでが協力期間だったはず。
今更なにを怖気ついているのだろうか。
「絶対、顔も元に戻してみせるから」
「……約束だね?」
「うん。約束。」
「…私も見知らぬ妖の貫いた意思とやらを叶えてあげようかな。ね、・・か、凱斗君?」
稲瀬が名前で呼んでくれた。心を開きあえたようで、心地いい。
「よろしく頼むよ。」
「ふんっ・・」
稲瀬と一緒に帰ろうとしたところ、縷縷がなにやら真剣な面持ちでこちらを睨んできたから俺はその場に残っていた。
縷縷は俺の周りを一周すると、ため息を漏らす。
「お主。それでよいのか?」
「なにが?」
「しらをきるでない。儂はなんでもわかってると言っておるじゃろ」
「あぁ、そうだったね」
縷縷は俺に顔を背伸びしながら、頑張って近づけてきた。
「なぜ嘘をついた」
縷縷が的確に的を得る。
「何故と言われましても」
「確かにお前は輪廻転生の呪いを持っている。それは、神しか知りえないものじゃ。なにせ、鵺のことは秘密・・というより、あまり情報がない。謎だらけじゃ」
「へぇ・・」
「ほぼ不死身?ほぉ・・?今すぐ殺して見せようか」
「どうしてそんなに怒ってるのさ」
縷縷自体は怖くないのだが。今は神という存在が怖くなってきていた。
「不死身という妖は決しておらぬ。そう決められている。いわば禁忌に近いものじゃ。いくら鵺とはいえどそれはない。それに、実際お主は死にぞこないだった」
疲れたのか、背伸びをやめて、俺の顔に指を指す。
「しかし、儂の福を与えたとはいえ、回復が早すぎる。どういう理屈か説明せぬか」
「それはできない」
縷縷は意表を疲れたような顔をする。
「何故じゃ」
「なにぶん、内の鵺がうるさいもんで」
「冗談ではないのだ、凱。これは、お主のためでも・・」
「自分のことは自分が一番知ってるさ。大丈夫だよ」
俺はまったく表情を変えず、ただただ少し笑みを浮かべながら縷縷と対話する。
気持ち悪いと思ったのか、縷縷は顔を歪ませ、閑話休題。
「ふんっ・・儂も協力してやろうと思ったのに・・」
「え?」
「なんでもないわ!もう帰れ!」
「そ、そう。じゃぁね」
決して嘘はついていない。そうだろ?
<あぁ。>
なら安心だ。