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第四章「真実を映す嘘は虚像の黒に消える。」


<もう、あれから二年か。>

<中々、信じてもらえないね・・・。どうしてだろう。>

失せろ、化物。そんな声ばかり聞いて、二年が経過していった。

<お前はいいのか?俺と一緒にいるせいで、お前まで・・・。>

<今更?君を助けたいと思った時から、覚悟はしているよ。>

<お前は強いな。>

土のように茶色く蔓延る手を朱い頬に滑り浸らせる。

<痛っ・・・。>

<あ、すまない。痛むか?>

<ううん。あんな石、君の頑固さよりは柔らかいよ。>

<どういう意味だ。>

<そのまんまだよ。・・・それより君だって。>

<俺は慣れている。お前より長くあの目を見ている。>

ひどく冷たく、錆び付いた眼。人の真実を深く表す。

<そうだ、鵺さん。これ――。>

まだ温かい手には、心地良い刻みが聴こえていた。


「うっ…」

意識が戻ってきた。視界はまだぼやけているが、時計の音ではっきりわかった。

俺の部屋だ。暖かい毛布、ベットの上。頭の上にぬるい冷たさを感じる。濡れたタオルが置かれていた。

「あっ…!」

俺は何をしていたんだ。記憶が曖昧でわからない。たしか灯影寺に行って…縷縷にあって、妖狐の話を…。

何故ここに?

「んっ…」

重みを感じると思ったら、隣に伊那瀬がいた。毛布の上に頭を落として、うな垂れるように寝てしまっている。

「えっと…伊那瀬?」

「んっ…んん…」

これ、結構ぐっすり寝ちゃってるのかな…とりあえず、起きよう。

伊那瀬を起こさないように、ゆっくり起き上がる。時計の音がやけに頭に響く。まだ少し眩暈がした。

「そっか…あの部屋で倒れたんだ」

声が聞こえた。ずっと頭の中で。あの壁一面に描かれている墨絵が、襲ってくる感覚。幻覚と言った方がいいのか。

そういえば…あそこに描いてあるものを触れなかったな、聞いておけば良かった。

墨絵、だったよな。色はなかったはず。確証はない。………全然、思い出せない…?

「あれ?」

どうして?さっきまで確かに覚えていた…ような…

記憶が空っぽになった気分。暗記していたものを思い出そうとしたら、何も思い出せない。それと似た感覚。寒気がする。

時計の音がやけに頭に響く。響く。


<時が俺たちを拐っていってくれれば、楽なのにな。>

<そしたら、おじさんとおばさんになっちゃうね。その時には人に戻ってるのかなぁ。>


―――響く。


「ぁ…あ、吉烏頭君?」

「ごめん、起こしちゃった?」

「ん…あれ、私…寝てたの?」

伊那瀬の顔は少し赤くなっている。

「ぐっすりだったね」

あぁ、そうだった。寝顔をよく見ておけば良かった。レアだぞ、女子の寝顔なんて。

「ごめん…でもびっくりしたんだよ?縷縷が私の家に来たから、何事かと思ったら吉烏頭君が倒れたって…」

神様って出歩いて大丈夫なのかな?普通の人には見えないからいいのかな…それとも、はたからみたら普通の子供になるのかな。

「灯影寺から担いで来るの大変だったんだからね…」

「担いだの!?」

「うん、でも肩かしただけっていうか、吉烏頭君ふらふらしていたけど歩けたから。覚えてない?」

全く覚えていない。もはやここまでの道のりはさっぱりだった。

「ずっと「やめろ」って魘されてたよ。何かあったの?」

「ううん、なにも」


<もう、逃げるのをやめたほうがいいのかもしれない。信頼してもらうなら、まずは自分から話すべきかもしれない。でもなにも言えない。俺は無能な人間だ。>


「あと、私に何かあるの?「霙に伝えなきゃ・・・。」って言ってた」

なにさりげなく名前で呼んでいるんだ、俺は。

「あぁ、そうだ。確かに、伊那瀬に言うこと…がっ…」

頭に刺激が走る。体はそのまま起き上がる前の態勢に逆戻り。

「大丈夫!?」

「……うん」

頭痛は一瞬だけだったが、視界が波のように揺らぐ。

「今日は安静にしておいたほうがいいね。ここに連れて来て、熱を測ったら四十度超えてたからね?」

凄い熱だな…そんな熱を出したのは初めてだ。感覚が遅れてやってきて、体が熱い。何処となく浮遊している気分になる。眩暈や寒気はそのためか。

「ちょっと待って…部屋まで俺は、記憶にないけど歩いて来たんだよね?」

「うん。私が肩かしながら…なんとか」

「そのあと、俺を看病してくれたわけだよね?」

「うん。余計なお世話だったかな」

「いやいやいや!すごい嬉しい!こ、こんなことってほとんどないし…って」

何言ってるんんだ、俺。思考回路が荒れている。

「えぇと…ある程度家を見たってことだよね」

「うん。なんとなくだけど、だめだった?ごめん」

本気で落ち込んでいるような顔をする伊那瀬。

「謝らないで!違う、違う。そうじゃなくて…」

「吉烏頭君の親ってなにしてるの?」

話をきり替えるの早いな…!全然気にしてないじゃないか・・・!なんださっきの顔は!

「え、えぇっと…夜遅いから…帰るの」

「そっか、あとさ」

伊那瀬が俺の部屋を見渡す。

「時計。いろんな時計があるね」

やはりそこに質問がくるよな。

俺の部屋には8つの時計がある。東西南北の壁に二つずつ。しかし、全て時間がずれている。それと、全て時計の形状が違う。秒針が刻むカチカチと言う音が、8つの音が混ざり合いうるさくなっている。聞いているとやけにピッタリ揃っているのが、当たり前なんだけどムカついてくる。

「趣味…そう趣味かな!時計が好きなんだよ。きっと」

「きっと?」

「うん。自分でもよくわからないんだよね。何時の間にか増えて行ったみたいな」

もう少しましな言い訳なかったかな…。

「へぇ…面白いね」

伊那瀬はずっと周りの時計を見ている。

八畳の部屋に二人きり。白い壁に囲まれる、質素な部屋。机があって、本棚があって、ベッドがあって。男子高校生にとっては申し分のない部屋だ。

こんなどこにでもあるような部屋に、時計が八つあるだけで存在感が変わる。俺はそれを望んでいたのかもしれない。


<私がここにいる時間・・・かぁ。面白いね、それ。>

<存在っていうのは、時間の流れとともに過ぎ去っていくんだよ。>

<なんだか悲しいね。>


「私の時計とお揃い…」

「え、そうなの?」

「この時計。私の部屋にある時計と同じ」

伊那瀬が見ている時計は、花柄の時計だ。橙色の花が淵に散りばめられている。正式時刻より一時間遅れている時計。

「私の友人から貰ったの。いつの時だったか、誰だったかはもう忘れちゃたけどね……吉烏頭君だったりして。」

「まさか。」

結構、何処にでもありそうな時計だけど。俺もいつの間にか増えている時計だからよく覚えていない。無意識に時計が増えていく。

好きなものほど夢中に集めてしまって、いざ見てみると「ここまできたか・・・」という達成感というか圧倒感。

しかし時計を見るたび、この二つと同時に悲壮感も漂ってしまうのはなぜだろう。

「なんで時間一緒にしないの?こだわりとか?」

「まぁ、そんなもんかな」

正直、俺にもわからない。でも何処かで変えたくないと思ってしまうのだ。

「どれが本当の時間かわかんないね…」

「その机の上の壁に掛かった…え、もう7時!?」

驚きで声が裏返る。

「倒れてから約五時間くらいたってるね」

「俺そんなに寝てたの!?」

寝ている場合じゃないと起き上がろうにも、起き上がるほどの体力がない。

それにさっき伊那瀬に安静にしておいたほうがいいと言われたばかりだ。

それにしても。

「伊那瀬、家に戻らなくていいの?」

「そうだね…そろそろ戻ろうかな…」

いろんな意味でこの状況はまずい。

「そういえば私も聞きたいことあったんだけど」

「なに?」

「灯影寺がぼろぼろになっていたのと、吉烏頭君が私に伝えたいことって関係ある?」

そうだった。伊那瀬は縷縷に呼ばれて灯影寺まで行ったのだ。あの惨状は見ているはず。

「……ある」

関係しか持ってない。

「そう。じゃあ、また明日聞くね。明日の学校までに治しなよ?」

「頑張ります…」

まるで母親のようで、反応もくぐもってしまった。

「じゃあ、帰るね」

「うん。今日はありがとう。本当ごめん…」

縷縷にも、謝らなきゃな。

「吉烏頭君も私に協力してくれてるんだし、お互い様だよ」

マフラーをつけながら、笑いかける伊那瀬。私服の伊那瀬は初めて見る姿だった。白い服に黒い上着で身を包んでいた。

マフラーは少し違和感があるが、この前つけていたものと同じ、白い水玉模様のマフラーだった。もうそこまで寒くないんだけどな…。

伊那瀬が帰ったあと、部屋で一人時計を眺める。

自分が生きた証。

生きてきた分だけ、刻まれる時間。

きっと、あのひとつひとつに。

俺の歴史という時間が刻まれている。

ほとんど覚えてないけど、生きてきた証として。自分に伝えたかったんだろう。

そこまで生きたいと思うのは、なんなのだろう。

よくわからない。わからない。

わからないことだらけだ。

つい一年前まで、違う自分がいた気がしてならない。

こうやって悲劇を演じるのは、もうたくさんだ。嫌気が差す。

悲劇のヒーローはわがままで、自分を誇張したくて泣いている。そんなヒーローなんて、同情でしか生きていけない。


<お前は今日から吉烏頭凱斗だ。人以上でも人以下でもない。何者でもない。わかったか?>

そんなものは、嫌だ。


次の日。

俺は伊那瀬と一緒にあの屋上に来ていた。

教室で話すような内容じゃないから、昼休みに弁当を一緒に食べようという名目で呼んだのだ。

「暖かくなってきたね…」

屋上に着いた時に、伊那瀬がそう呟いた。

確かに、春らしくなってきた。もう四月だっていうのに、風が強い日が多くて中々暖かいとは言えない天気だった。

今日は晴天。雲一つない。

「で、何を伝えたかったの?」

持ってきたお弁当をその場に置き、問いかける。

「灯影寺が悲惨なことになってたのは見たんだっけ?」

俺も伊那瀬のお弁当の隣に置いた。

「うん…私が吉烏頭君に聞けって言うし…」

「妖の衝撃を受けたんだ。それに…その妖は伊那瀬と同じ妖狐なんだ」

伊那瀬の目が見開いた。遠くを見ていた目はすぐこちらに向けられた。

「もしかして吉烏頭君も!?」

「いや、俺はその後だったから大丈夫だったんだけど…」

「そっか、よかった」

一安心といったように、胸を撫で下ろす。

「それにしても、妖狐ね…さしずめ、私が妖狐でその妖も妖狐だから…とかいう理由でしょ?」

「え、そ、そう。何でわかったの?」

「たまにあるの。縄張り争いっていうの?あまりかぶることはないんだけど、妖の間で同じ種類のやつが同じテリトリーにいると争いが始まる時があるの」

妖にもテリトリーとかあるんだ…。ということは、妖同士でも争うことはあるってことだ。

「でもよくここに妖狐がいるってわかったもんだね~。私は特異だから見つからないと思ったけどっ」

軽くステップを踏みながら、滑空するように華麗にジャンプする。ひらりと髪がなびく。やはりついつい目がいってしまう。

邪魔じゃないかって思っていた長い、長い黒髪。今思うと、あれが〝彼女である証"なのかもしれない。

「…妖でもないのにね」

「……そうだね」

伊那瀬が足を止める。とんとん、と靴を正す。

「と、とりあえず。今もこの地域にいるそうなんだ。そして伊那瀬を狙ってる。どうする?」

「迎え撃つしかないよ」

空に手を伸ばし、太陽を手で覆って空を見上げる伊那瀬。

「…まぁ、そう言うと思ったけど」

俺も同じことをした。思ったより眩しくて、視界がくらんだ。病み上がりには少々無理があったか。

「でもあれだけ灯影寺を荒れさせたなら、相当な強さか、相当な大群で来たかだね…」

「他の妖も連れてたそうだよ。どうやら、この地域を仕切ってる…というかこの縄張りを欲しいから邪魔者はいらないって感じかな」

「ふーん…」

あまり怖がっている様子が見えない。伊那瀬なら大丈夫だろうけど、心配になる。

縷縷が言っていた言葉も引っかかる。縷縷は伊那瀬の強さを知っているはず。

それなのに、伊那瀬を信用してはならない例として「助けないでと言われたら」と言っていた。それは、伊那瀬が助けてと言うかもしれない危険性があるってこと…。

「あまり油断しないほうがいいと思う。…俺も手伝うから」

「そうだね。縷縷も手を出せなかったそうだし、油断は禁物ね」

手をおろし、屋上の端へ。フェンスに手をかけ、下を見つめる伊那瀬。

「ここから落ちたら死んじゃうかな…?」

突然、問いを投げかけてきた。内容も突発的すぎて、少し戸惑った。

俺も伊那瀬の傍に向かい、同じように見下ろす。そよ風で土埃が舞うグラウンドが広がっている。すぐ下には緑が生い茂る広場がある。昼休みに男子と食べに行った場所だ。

「うーん…死ぬかもね。運が良くても意識不明の重体とか」

「そっか」

重く息を吐く伊那瀬。

どこかで見たような気がした。たしか以前来た時もこうして屋上から見下ろしていた。

何を見ていたのか。その目に映るのは本当に俺と同じ景色なのか。

「急にどうしたの?」

「う、ううん。ちょっと気になっただけ!ほ、ほら、高いところに来ると「ここから落ちたらどうなっちゃうんだろ…」とか思ったことない?」

オーバーに手を慌てさせる。

「…あるかも」

「わ、私、学校の屋上ってあまり来たことなかったから」

フェンスから離れ、こちらに笑いかける。

「それじゃぁ、保健室から来たときが初めて?」

「うん。あの時はいろいろと話し込んじゃって満喫できてなかったし」

周りを見渡しながら、歩き出す。

確かあの時に言われたんだ。

―――私を信用しないで。

「昼ごはん食べるか」

「え?」

伊那瀬がこちらを向いて留まる。

「俺、お腹すいてきたし。もう伝えるべきことは伝えたし、ご飯食べながら作戦でも立てようよ」

「そう、だね。昼休みだもんね!」

一緒にご飯を食べようという名目でここに来たのを随分と忘れていた。

最初から食べながら話してもよかったのに。

伊那瀬はお弁当を置いた場所に向かう。

「そのまま、今日はここに居ようか」

自分で言っていることが、学生とは思えない発言と気づいたときにはもう遅かった。学生たるもの勉学に励むべしなんて常識覆そうか。

伊那瀬は二人のお弁当をこちらに持って来てくれた。

「そのまま?」

「そう。早退したことにすればいい」

「授業をサボって、屋上にいるってこと!?」

伊那瀬の目が少し輝いているような気がした。

「どう?そうすれば屋上を十分満喫できると思うけど」

すると伊那瀬が小さくガッツポーズをした。

「やってみたかったんだ、そういうの!賛成、賛成!」

「じゃぁ、友達に言っておくよ。ふたりとも早退したって」

「やった!なんか一気にワクワクしてきたね!」

お弁当をそばに置き、地べたに倒れこんで仰向けになる伊那瀬。

伊那瀬の横に座り、後悔がどんどんと押し寄せてくる。成績という壁が襲ってきている気がする。

でも、伊那瀬が喜んでくれたから・・・いっか。

「空、綺麗だね」

「うん」

しばらくそのままだった。それきり会話もなく、ただただ青い空の下にふたり並んでいた。

だんだん眠くなってくる。

肌に太陽の温もりを感じ、撫でるようなそよ風が体を浮かせる。大自然に囲まれたような気分だった。

ふと、伊那瀬を見ると伊那瀬がこちらをずっと眺めていた。

「どうしたの?」

「・・・吉烏頭君の手、冷たいね」

伊那瀬の手が俺の手の上に乗っていることに気づく。その瞬間、妙に心臓が鼓動した。

伊那瀬から目をそらす。

「ひ、冷え性なのかもねっ・・」

「まるで・・・死んでいる人みたいに冷たい」

伊那瀬が俺の手を強く握る。

温かい。鼓動はさらに早くなる。

「い、伊那瀬・・・?」

「私の友達にね、恋をしてる子がいたの」

静かに、しとやかに。だけど、その言葉は俺の耳にしっかり入ってきた。

「その子はね大親友だった女の子がいたの」

話は有無を言わさず続く。俺は何も言わずに耳を傾けた。

「親友であって、その子にとってはあこがれの子でもあった。なにしろその女の子はすごく綺麗な女の子だったんだって」

ゆっくりと呼吸をしながら、話しかける。ここまで静かで近くにいると、息づかいがよく聞こえる。

「私の友達は親友に相談をしたの。どうしたらいいかって。そうしたらいろいろと協力してくれたんだって。そして、その子が告白するチャンスも手筈してくれたんだって」

「・・・いい友達だね」

「うん。でものその子は告白できなかった」

俺は伊那瀬の方に目を向ける。伊那瀬は依然こちらを見ていて、目があう。

「どうして?」

そう聞いた瞬間、俺の手は再び強く握られた。伊那瀬の温かい手に。

「・・・わからない。たぶん勇気がなかったんじゃないかなっ」

起き上がった伊那瀬は、俺から目をそらす。

そしてすぐに、伊那瀬の手が俺の手から離れる。

「ご、ごめんね!急に変な事喋り始めて。て、手も握っちゃって」

「大丈夫だよ」

きっとこれでいいんだ。伊那瀬は自力で心を開こうとしてくれている。

俺はそれに手伝えているのだろうか。

わからない。だけど、伊那瀬からこうして話しかけてくれるのは初めてかもしれない。いや二回目かな?狐のことを話したとき。

伊那瀬が自分のことを話したときだ。

「ご飯食べよっか。もう随分と食べてないし」

「そう、そうだったね!たべよっ!」

お互いにお弁当を広げ、食べ始める。

「俺でよかったらなんでも相談乗るからね」

不意をつかれたように、伊那瀬が反応した。

食べ物が喉に詰まったのか、急に噎せ始める。

「な、なな、なにを・・・」

「妖とかそういう事意外にもさ。クラスメイトなんだし。友達だしさ」

「・・・ありがと」

そう言った伊那瀬の顔はどこか悲しそうな顔をしていた。以前ここに来たときのように。

伊那瀬が「信用しないで」と言った時のような。


<私のせい、私が巻き込んだせい>

あの時と同じ声がした。


それから伊那瀬と話し合った結果、とりあえず相手の動向を見るということだった。

いつ襲ってきてもおかしくないので、毎日夜にふたり集合することにした。集まる場所はいつも伊那瀬の家の屋根上。

そこでいつも無言のまま、伊那瀬は月を眺めていた。

お互い無言のまま、数分過ぎた後

「今日はこないね」

と伊那瀬の言葉で解散する。

そうして四月も終わろうとしていた。

ここまでくると、妖狐のほうも忘れてしまったのではないか?縄張りなどどうでもよくなったのではないかと思っていた。

それでも毎日夜に集合しては、伊那瀬は月を眺めていた。

その姿はいつも悲しそうで、脆かった。少し押しただけで崩れそうな、そんな背中を見ながら五月の始まりを迎えていた。

零時。日にちが変わる。

今日の月は欠けている。湾曲が綺麗に輝いている三日月。

「他の妖を連れてるって言ったよね?」

突然、伊那瀬が口を開く。

「そ、そう。部下なのかな」

歯切れ悪く受け答える。

「部下というのは違う。妖は常に野心を持ってる。つまり、ついて行ってるけどあくまで「そいつについていけば、より強いやつと戦えるから」と思ってるはず」

「じゃあ、仲間って訳じゃなくて同じ敵を狙う、敵ってわけか」

敵の敵は味方…そういうことか。

「妖を引きつけて、あれだけ暴れた力なら、妖狐のやつは妖力の高い肆忌よきね」

「肆忌?」

伊那瀬がこちらに振り返る。

「あれ、教えてなかったっけ。…妖には妖力の低い順から壱忌ひき弍忌ふき參忌みき肆忌よき伍忌いつき陸忌むき漆忌ななき捌忌やき玖忌このき拾忌とおきとランクがあるの。私は肆忌までしか知らないけど」

伊那瀬が指をおりながら説明してくれたから、順番になっていることがわかったが、それがなかったら暗号のようだった。

「あと、妖力というのは妖が個々に持ってる力量のこと。妖気が身に纏ったりするのに対して、妖力は内なる力…って感じかな」

「妖力を使って妖術を使うの?」

「ううん。妖力は…いうなら才能ね。減ることもないし、増えることもない。だからといって妖術がいくらでも使える訳じゃないよ?疲れるから」

溜息混じりに話す伊那瀬。

「…妖力は多ければ多いほど妖術の質や規模が変わるの」

「成る程、だから才能か…」

才能のいいやつほど高いランクで、悪いやつほど低いランクということだ。

人間と似たようなものだな。現実は、悲しいほどに。

「參忌か肆忌ぐらいだと、喋れるの。少なからず「自我」を持つようになる」

以前浄化させた妖は、呻き声はあげたものの、話は出来ない様子だった。

あれよりは上なんだな。

「壱忌はこの前の妖霊とかの類だけど、妖霊の中でも希に參忌の妖霊がいてね」

「へぇ、自我を持った妖霊ってこと?自分が妖霊だと理解しているとなると、面倒だね。下手すればなんでもできてしまうし。」

「そう。壱忌だと怨みとかの感情だけで憑くべき相手は選ぶけど、參忌は自分のことを理解して憑くべき相手は関係なく自分の目的を果たすまで憑いている」

「目的を果たすために憑いている意味では同じじゃないの?」

なんていえばいいのかな、と考え込む伊那瀬。

「人に怨念があって憑いているか。人に未練を残し、達成するまで他人に憑いているか。ということ。それに參忌の妖霊は憑いた人に危害は加えない」

目的の内容がまるで違うということか。まるで地獄から来たものと、天国からきたもののような分け方だ。

參忌の妖はきっと、やり残したことをやるという意思から生まれてくるのだろう。神から授かった最後のチャンスのように。

「連れてる妖は肆忌よりは下の妖だろうね。妖狐から離れれば野心剥き出しの、単純明解の妖」

そう言うと伊那瀬は「ちょっと待ってて」と手で合図した後、屋根上から降りて行った。

一分もしないうちに戻ってくると、伊那瀬の右手には細長い木の枝が握られていた。

木の枝を水平に持ち、左手を木の棒にあてる。すると、ぼんっと小さな音が鳴ると、伊那瀬の右手に煙をまといながら刀が現れた。

「今度は元に戻さなくても大丈夫なもの選んだからねっ」

刀の持ち手の部分を俺に渡す。

「んー…いろいろ言ったけど、とにかく。連れの妖達は吉烏頭君に任せたっ!」

ぽんっと肩を叩かれる。

「……えぇ!?俺!?」

「全員一斉なんて無理だって。それに、吉烏頭君はなんのためにここにいるの」

「そ、そうだよね…ごめん」

そうだ、驚くことはない。俺は伊那瀬に会った時から、協力すると決めたんだ。

いまさら、逃げ出すことなんてできない。

「具体的にどうすればいい?」

伊那瀬はうーんと唸る。

「吉烏頭君ならなんとかなるでしょ。今度は人じゃないんだからやり過ぎても大丈夫だし」

「そう、そうか…はは…」

やり過ぎ…と聞いて、苦しそうに悶えるサラリーマン風の男の姿が頭をよぎる。

今、どうしているのかな。今度会ったら謝罪しよう。心の中で。

「とりあえず妖狐と引き離してくれれば。…月が雲に隠れるまで」

伊那瀬は再び月を眺める。今日は三日月。雲に隠れるまでどれくらいかかるのだろうか。

「大丈夫。吉烏頭君ならできる。私も負けないから」

笑みを浮かべる伊那瀬。

そう言われてもなぁ…。

「もし負けても…私にはできることがあるから」

「必殺技とかあるの?」

ちょっと冗談めかして言ってみた。

「奥の手だよ」

やけに真剣に言う伊那瀬が、気になった。

どんなものか聞いてみようと思ったその瞬間。

「……くる」

伊那瀬がそう呟いた。

「移動するよ。出来れば高い場所に」

俺の腕を掴み、跳ぼうとする。

「高い場所…!?この辺に高いところっていったら学校しか…!」

伊那瀬の足が止まる。

「伊那瀬っ…?」

目を見開いて、俺を見る。こんな伊那瀬の顔は初めてみる。踏み出す足が震えている。

決意したのか、深く目を閉じる。

「行こう」

いつもの登校と同じ道を、アスファルトじゃなく、家の上を渡って走る。

いつもの景色が別物に見えた。

「ついた」

この学校の屋上も、心構えの違いからか景色が違う。

暗い空が広がる。星は一つもない。あるのは三日月ただ一つ。風が強くなってきた。

伊那瀬の黒髪が揺れる。まだ伊那瀬は俺の腕を強く掴んでいる。

俺は渡された刀を握り直す。

禍々しい空気が屋上を取り巻く。

「随分と大胆に現れるのね…吉烏頭君、覚悟はできた?」

「……それなりに」

「よかった」

無数の光が空から落ちてくる。

雪のようにゆっくりと。

綺麗だな…。真夜中の空によく映える。神秘的な光景だった。

「吉烏頭君、目を閉じて!」

腕から脳に声が伝わる。伊那瀬の声だ。

慌てて、目を閉じる。

「きたっ…!」

そう声が聞こえると、体が左にとんだ。

咄嗟に目を開けて、事態を確認する。

どうやら、伊那瀬は俺を突き飛ばしたようだ。

傾く視界には、二体の狐が刀を交えていた。

「やっぱり同じ狐には効かないようね」

「…残念ながらあなたよりは人に長けてる」

刀をつば競り合うふたりの衝撃で、屋上のフェンスが吹き飛ぶ。

「うわっ…!」

俺の体も地に着いた瞬間、風圧で転がされる。

「痛っ…」

目を開けるとそこには、鬼と狼が数体。黒と白のコントラストの狼に、うっすら赤みを浮かべる黒い巨体の鬼。どちらも風に揺れてちゃんとした形を定めていない。言ってしまえば立体化した影のような。

―――あの墨絵によく似た姿だ。

連れの妖だろうか。なんと運が悪い。いや、好都合なのか?

「どうも」

仰向けのまま、妖を見上げて挨拶。

もちろん聞く耳はもたず、殺気を濛々と浮かび上げる。

伊那瀬のほうをみると、間を取りながら向かい合って妖狐となにか言葉を交わしている。

俺は急いで起き上がり、落ちた刀を拾い上げる。

「俺がこの地域を仕切ってる妖だ。お前たちのような妖力じゃあ、勝てないと思うよ!」

刀を突きたて、言い放った。

鬼は棘の生えた棍棒を。狼は牙を出し威嚇する。

容易く全力の挑発に乗ってくれたようだ。

単純なやつ。

「よし。逃げる!」

全力で階段に走りこむ。


戦いの幕が開かれた。


事は、伊那瀬サイド。

「あら、逃げちゃった」

興味ないといったような顔で呟く。

「いいの?あの子、人間でしょ?妖が見えるなんて可哀想ね」

不適な笑みを浮かべる妖狐。

「随分、余裕ね。人の姿に化けるなんてことして」

相手の妖狐は、灰色のショートヘアの女性。20代あたりか。綺麗な顔立ちをしている。通常、一人か二人にしかこの姿は見れない。多人数に見られると術が解けるから。だけど、私にはどちらにも当てはまらず、どちらの姿も見れる。

それは、彼女と「半分同類」だから。

「綺麗じゃない?貴方よりは」

髪をほぐしながら、あざ笑う。

「少し化粧が濃いかも」

「あら、この人に失礼じゃない?」

妖狐は今までに見てきたものでしか、変化できない。だから、あの姿は他人のはず。

どこで見たんだか、綺麗な人。

「…そうね。でも私は貴方より人間らしさはあるから」

反抗できるところは正直、そこしかない。

「残念だわ。貴方が妖ならこんな事をせずに済むのに。どう?私の部下にならない?」

なんだろう、この妖狐。結構イラつく。

「貴方が浄化した後なら、考えてもいいかな~?」

言い方が煩わしたのか、妖狐の顔が引きつった。

「本当に残念」

そう言うと、目の前の妖狐(人型)は狐の姿に戻り、襲いかかる。

剥き出しの牙を刀で防ぐと、人型に戻った妖狐の足に蹴飛ばされる。

空中で一回転をして、フェンスがあったギリギリの場所で止まる。

「…忘れてた」

最初にぶつかった衝撃で、フェンスが吹き飛んでいた。ちょっと危なかった。

余裕の素振りで人型に戻る妖狐。得意げに刀を振る。

「…よし」

右手に持った刀の柄を、少し袖で隠し、袖から刀が出てるような見た目にする。

左手に、吉烏頭君の刀を作るために拾った二つ目の木の枝を左手ごと袖に隠す。袖の感触が冷たい。

足を深く地に置き、勢いよく踏み出す。

妖狐に向けて一直線に跳んだのち、左手の刀を突き出す。

右に避けた妖狐。予想通り。

右手の木の枝をその場で刀に変化させて、右に避けた妖狐に刀を振る。風を斬る音が、心地よく耳に届く。

下に避ける妖狐。予想通り。

左手の刀を手前に傾ける。袖を破りながら、左手に持った刀の柄が現れる。月の光を切っ先が滑るように輝く。

予想より妖狐の反応が早く、顔を「刀の柄が」少し切るだけだった。

「なんなのその袖。いろいろでるわね」

少し距離をおく妖狐。

「顔に切り傷できた?あーあ、お綺麗な顔が台無しね」

「なかなか早い妖術じゃないの」

あの場で左の刀を袖に隠したのは、刀の柄を見せないようにするためだ。

妖狐が下によけた瞬間、刀の柄の先だけを鋭利なものに変化させた。

生憎、妖狐の反応が早かったのだが。

「本物に褒められるなんてね」

「あら、貴方だって本物よ?」

「……だまれっ!」

両手に刀を持ちながら、突き進む。

激しい刀の触れ合いが、当たるたびに衝撃が走る。

お互い譲らず、体力だけが減って行く。

空を横目に見る。…月はまだ三日月のまま、神々しく二人を照らしている。

その時だった。一瞬の油断を見られた。

右手の刀を大きく弾き飛ばされる。

左の刀で咄嗟に斬りかかるが、妖狐は既に私の懐に入っていた。

鳩尾に拳を入れられ、その場に足が倒れる。

なんとか力を振り絞り、刀を降ったが時既に遅し。

私の刀は、宙を斬る。そして、妖狐の刀が私の左腕を突き刺した。

「ぅあっ!」

堪えられない痛みが走る。刀を地に突き刺し、体制を保つ事は出来た。

「さっきから何を気にしてるのかしらね。隙が多いわよ?」

そう言いながら、突き刺した刀を押し左腕を貫く。

「ぅぁぁああっ!」

妖狐の刀から左腕を巡って、妖気が流れてくる。妖から体内の干渉があると、誰彼関係なく妖の妖気が流れてくるのだ。

人だと特に酷く、妖気からくる恐怖に押しつぶされ、死んでしまう事もあるらしい。

皮肉にも、半分妖な私はそんな自体になる事はないが、流石に抗うまでの気力はない。

怨み、憎しみなどの言い表せられない恐怖が身体中を左腕から駆け巡る。血が流れるように。

身体が動かない。体制を保つだけで精一杯だった。

「くっ…」

「苦しそうね。あなたがこんなのじゃ、あの子は即死かなぁ」

刀を私の左腕から抜き取り、余裕の足取りで歩き出す妖狐。

私から弾き飛ばした刀を手にとり、再び近づいてくる。

動け…!

左腕はもうほぼ死んでいる。足が動けばいい。

私の刀を私に向けて、構える妖狐。

「もう少し遊んでいたかったけど……これまでね」


心臓を一太刀。貫かれた。


その場にどさりと倒れこむ。

妖力を失ったのか、狐の姿は消える。

――「彼女」の姿がそこにあった



その少し前。

吉烏頭凱斗は学校の階段を駆け下りる。

「くっそ、学校だぞ!ここ!」

俺は到底相手の耳に届くはずのない言葉を叫びながら、駆け下りる。

追ってくる鬼や狼のような妖達は、階段を無視して突き進む。

無理やりエレベーターを作っているようなもんだった。

上から迫り来る妖を見ず、とにかく下へと急ぐ。

こんな事に役に立つとは思ってなかったが、体力と速力には自信がある。特にスポーツをやっていたわけではないが、中学の時は陸上部に勧められていたこともある。

やっとの思いで裏口から少し走ってグラウンドに出る。下駄箱のほうからでると遠回りになるから、近場の非常口(と思われる)から出てきた。

「戦うか…!?」

グラウンドに出てから、伊那瀬から渡された刀を両手で握りしめる。

「よし…」

急に静かになる。先程まで階段を崩す音でうるさかった校舎内。

「あれ…?」

もしかして逃げた?

そう思っていると、校舎から亀裂が入るような音がする。

「おいおい…だからここ学校だって…」

ズドォンと鈍い音が轟くと、俺が出てきた裏口周りの壁をぶち壊してきた。

「出口あるんだから、出口から出ろよ!」

そんなツッコミも意味なく、全速力で襲ってくる。

戦闘は無理と判断して、再び逃げ出す。

「あんな音出したら、周りの人が気づくだろ…!」

グラウンドのトラックを回る。こんなに早くこのグラウンドを走るとは思わなかった。

しかし、いつまでも続けば限界がくる。妖に体力という概念があるのか分からないが、きっと永遠に追ってくるだろう。

…月はまだ出ている。

「くそっ…!」

刀を握り直し、妖に向き直す。

すぐに追いついた先頭の妖鬼が、大きな腕を振りかぶろうとする。


瞬間、妖鬼は吹き飛んだ。


「…え?」

目の前で起こったことが一瞬すぎて、理解できなかった。

すると、俺の前に車椅子が落ちてきた。どうやら、この車椅子に妖鬼が当たって吹き飛んだらしい。

「この車椅子、何処かで…?」

他の妖達も状況を理解できないのか、動かない。

すると、今度は妖狼の二匹が地面に消えた。正確に言うと、飲み込まれて行った。

「な、何が起きてるんだ…?」

呆気にとられていると、上からくるくると回転しながら何かが着地する。その何かは、身体の周りに赤紫色のオーラのようなものに纏われていた。

ゆっくりと近づいてきている。

全身黒い服を着ているのか、よく見えない。

そして、跳んできた。

「え…なっ」

視界には眼帯をする女の子の顔で覆われた。

確認する暇がなかった。言葉も発したいが、できない。

なぜかって。


物凄い勢いでキスをされたから。・・・されているから。


「んー!んー!」

必死に抵抗するも、抱きつかれていて離れない。

「………っ!!」

突然、身体中に悪寒が蔓延る。

悍ましい恐怖に包まれた身体は、全く動かせなかった。

やっと、口から唇が離れるとその子の顔がようやく確認出来た。

「あれ?何処かで…あ!吉烏頭君だっけ?ふふっ、ごめんね。敵かと思っちゃった」

どんな敵にやるんだよ…!

口は開放されても、ぱくぱくするだけで声が出ない。

そこにいた女の子は会った時とイメージは全く違うが、灯影寺に行く前に二回会った。兎樫早苗とがしさなだった。

「ちょっと、早苗っ!」

不意に声がした。暗い視界の中からひとりの女性が出てきた。

兎樫さんとは違って、顔立ちが大人だ。

「な、なにやってるの!敵はあっちでしょ!?」

暗がりでもなんとなくわかるくらい顔を赤らめながら、こちらに近づいてくる。

「んー?あぁ、ごめんね?血の匂いがしたから…つい」

「つい、じゃないわよ!あなたのその癖治しなさい!」

親子のようなやり取りをする兎樫さんと女性。

「ふふっ、いいじゃん。私、この子とキスして元気でたし。で、敵はどこ?」

明らかに違う。あの灯影寺に向かう途中に出会った時とまるで人違いだ。

ニヤニヤしている兎樫さんと対象的に、わなわなと肩を震わせながら女性は早苗さんと俺を交互に見やる。

「も、もういいからっ!あっちに、妖がいるでしょっ!」

相変わらず固まっている妖を指差し、女性は顔を伏せる。熱でもあるのかってくらい顔が赤い。

「おっ、ほんとだ。じゃぁ、乙女っち後はよろしく~!」

怖いくらい満面の笑みで手を振ると、その場からいなくなった。

「はぁ…えーっと、あなた名前は?」

そう女性が俺に問うが、口が動くだけで音が出ない。一応「ようすかいと」と口を動かした。

「ようす、かいと?どっかで聞いたな…。私は鶴橋乙女つるはしめめ。早苗とは知り合い?」

「は……は…ぃ」

相変わらず頭の中ではなにかの悲鳴や雄叫びが響き、恐怖に身体が苛まれるが、やっと声を出せるようになってきた。身体も若干言うことを聞き始めた。

「それにしても、よく立ってられるわね。最初は放心状態って感じだったけど、それでも倒れないって何者よ」

「はっ…はは…」

うまく笑えない。

妖傷感染ようしょうかんせんって言ってね。妖気が…なんてあなたに説明してもわかんないよね」

そう言って、妖のほうに向き直す。

「今の早苗はあんな妖なんて一瞬よね…陸忌むきと同じくらいの力だもんなぁ…」

鶴橋さんが小さく呟く。呆れたような目で空を眺めている。

陸忌って、あの妖狐よりも二つ上の妖力じゃないか…!

突然、上から何かが落下し、妖を潰す。

一瞬で浄化されたのか、すーっと消滅する。

上から落ちてきたのは紛れもなく早苗さんだった。悪魔のような笑顔を絶やさず、フラフラと立ち上がる。

そういえば、兎樫さんは足が悪いんじゃないのか?普通に立てている。

よく見ると、いつ間にか姿が若干変わっていた。

頭には耳が生えている。そして、眼帯の裏。そこには、朱色の眼が赤黒く妖艶に光っていた。眼の中では煮ているようにぐつぐつと黒目が動いている。

何かに慄いているのか、妖は動かない。いや、妖からいえば動けないのかもしれない。それ程の存在感が兎樫さんを覆っている。

「どうしたの?戦わないの?ははっ、つまんない」

勇気を出したのか、妖狼一匹が襲いかかる。瞬時に早苗さんは跳んだ。ただのジャンプじゃないし、伊那瀬が移動に使う跳躍でもない。

あり得ない高さまで跳びあがったのだ。もはや、高すぎて見えないくらいに。

あの耳に赤い目、完全に「兎」だ。彼女も半妖怪…特異人間なのか。

そして凄まじい速さで落ちくると、今度はふわりと妖狼の上に着地した。

予想外の行動に妖狼も背中に乗る早苗さんを振り払おうと暴れ出す。

「あはははっ!」

俄然、笑顔のまま楽しんでいる。ロデオ感覚なのだろうか。

「ね、君は早苗の友達だったりする?」

隣の鶴橋さんが聞いてきた。

「い、いえ…顔見知りというか…」

「そう。…早苗のこと嫌いにならないであげてね、あんなのだけど」

嫌いになる以前に、なんであんなことになっているか説明をください。

気づけばもう、殆どの妖が消えていた。目を離した隙に、あんなに…。

手には車椅子のタイヤを持っていた。どう言う訳かタイヤから無数の棘が出ており、周りは黒紫色のオーラ(もしかしたら、あれが妖気なのかもしれない)で覆われていた。くるくる回しながら、残りの妖に向かって走っていく。

追いかける側から何時の間にか、追いかけられる側に妖がなっていた。

「あ、あの…」

鶴橋さんがぎこちなく声を出す。

「早苗とキ、キスしたとき、その…舌とかいれられた?」

「は?」

…舌?

「だ、だから、えと、その…あ、な、なんでもないっ!」

向こうから聞いてきたのに、なぜかこちらに責任があるような感じになった。

かなりの動揺をみせる影橋さん。

「一回、人の舌を噛みちぎろうとした時があったから…」

「噛みちぎっ…!?」

「私が止めたんだけど、さっきの早苗みたいにキスした時に気に入らなかったのか知らないけど、相手の舌を噛んだの」

なんて話だ…とことん彼女の事が分からなくなった。

「ま、まぁ、話せるってことは大丈夫だったのよね。気に入られたのかもね」

それは、いいのか悪いのか…。


突然、ドォンと音がする。


聞こえたのは学校の屋上。

すっかり忘れていたが、月は既に雲に隠れていた。

「伊那瀬…?」

屋上の端、落ちる寸前の所に伊那瀬らしき人が迫られている。

まずい。嫌な予感しかしない。

なにも考えず、無意識に刀を握りしめて、屋上に向かって走り出す。

「あ!ちょっと、待って!」

そんな声が聞こえたが、俺の足は止められなかった。


「大丈夫だよ、乙女っち。彼、妖の事見えてたわけだし、刀を持ってた。戦うことも考えていたってことは私たちに関係ない事はないよ」

早苗がゆっくりと近づく。足がおぼつかなくなってきている。車椅子を自分で持ってきながら、タイヤを元に戻す。

「確かにそうだけど…それだと、あなたが特異人間だってことはわかっちゃったんじゃない?」

車椅子を元の姿に戻し、どんと倒れこむように座る。

「ぁぁ…いいよいいよ。どうせ今度、会うつもりだったし。彼、どうやら人間じゃないようだもん」

「そうなの?」

「詳しくは分からないけど、ももが言ってた。それに、唇の感触も違ったかな…」

わざとだってわかってたけど、思わず反応してしまう。

「そ、それとは関係ないでしょっ!」

「あはっ、可愛いっ。乙女っちもやって見たらわかるよ、きっと。試しに私としてみる?」

ん。と目を瞑る早苗。

「誰がするかっ!」

つまんないと言った顔で、校舎を眺める。

「…にしても彼から私と同じ匂いがしたなぁ…なんて名前だっけ」

吉烏頭凱斗ようすかいと、だって」

「下の名前は凱斗君かぁ……私、好みかも」

遠い目をしながら、笑っている。

「変なことしないでよ?」

「私はいつでも冷静だよ?」

それがあなたの怖い所じゃない。

だんだん、早苗の耳が垂れてくる。眼帯をし直し、深く深呼吸をする。

「あー…痛い…うぅぅ…」

「どうするの?戻る?」

「ん…うっ…そだね、戻っ、あっ…うぅ、痛ったぁ…」

早苗の身体中が痙攣し始めている。ビクビクと反応するたび、顔を歪ませる。

「ごめんごめん、無理して話させて。戻ろう」

車椅子は自動運転式だが、動かすボタンを押すことも早苗はままならないため、私が車椅子を押す。

「もっ…限界っ…っ…後はよろしくっ…ぁ…」

それを最後に早苗は気絶した。

いつものことだ。

携帯を取り出して、電話をする。

「…もしもし?…目標の妖13体は浄化したよ。…え?うん。屋上に1体いる。…うん、多分大丈夫。とりあえず、早苗が戦闘不能だから。…うん。わかった」


電話を切り、帰路に立つ。



「まさか、刀を死体に変化させていたなんてね。刀が貴方になった時はびっくりしたわ」

やや棒読みで、妖狐は言う。

「ま、そんなハッタリ私に聞くわけないじゃない。私と貴方は同じなんだから」

「……嘘、油断してた」

「そうかしら。どちらにしろ、月は間に合わなかったようね」

私は妖狐に斬られる瞬間に、左手に握った刀に化けた。そして左手の刀を、ある死体に変化させたのだ。

咄嗟の判断だったため、刀から戻り妖狐に攻撃しようとしたが武器がないことに気づいた。私はなぜこう鈍いのだろう。

死体にしたものは元には戻せない。殴るか蹴るかで距離を取ろうとしたが、遅かった。

月は雲に隠れた。これを待っていたというのに。

妖狐というのは、月に弱い。狼が月に吠え、漲るのとは対象的に狐は月の出る夜は通常の力が出せない。妖狐は月が隠れてから、本来の力が出るのだ。

それまでに片付けようと思ったのに…。

尋常じゃない速さで反応した妖狐は、再び追い込まれる形となった。

刀の先を喉に突きつけられる。後づさることしかできない。

「それにしても、随分リアルな死体ね。こんなのどこで見たの?こんな…貴方にそっくり…いや、「貴方の死体」なんて」

死体は未だに残っている。妖狐の足の下に。無残に踏まれている。

「……やめて。女の子の死体なんだから、綺麗に扱ってあげて」

「教えてくれてもいいじゃない。どうせ貴方死ぬんだし」

ぐぐっ…とだんだん前に突き出される刀。

「話すと長くなるし、話したくもない」

「そう」

「…伊那瀬!!」

屋上に吉烏頭君が現れる。

「あら、予想外。よく生きてるわね」

「…伊那瀬っ!」

こちらに走り出そうとする吉烏頭君に

「こないで!」

と私は叫ぶ。偽物の声で。偽物の気持ちで。

吉烏頭君は私の声で足を止める。

「私は…私は、大丈夫だから」


痛い。

こんなにも、心が痛いなんて。

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