第三章「灯篭の火は闇を夕闇と還し、妖艶な色を彩る。」
<・・・ここは俺が一番落ち着ける場所なんだ。>
<へぇ、仏像がいっぱいあるね。お寺?>
<そう。名前の無い寺でね。名無し寺と呼ばれていた。>
<ふーん。かわいそうなお寺だね。・・・そうだ、私たちで名前をつけようよ!>
<名前をつける?そうか、そんなこと考えもしなかったな。>
<いいでしょ?うーん・・・この寺は私たちの拠点になる場所だから、覚えやすいものがいいよね。>
<拠点?いつから拠点になったんだ。>
<とうえいじ・・・なんかどう?>
<とうえいじ?>
<そう。影を灯す寺。灯影寺。どう?私たちにぴったりじゃない?>
<・・・あぁ。>
<あ、今すごいいいなって思ったでしょ!初めて私の意見に賛同したね!>
<そうだな。お前にしてはいい名前じゃないか。俺はずっと影で暮らしていたから、灯してくれる光を・・・ずっと、ずっと探していた。>
<奇遇ね。私はずっと影を探してた。灯す火は影がないと光らないからね。私の名前だってそう。>
<そういえば、お前の名前を聞いていなかったな。なんていうんだ。>
<聞きたい?私の名前はね・・・>
「お前の名前は・・・」
なんだ。大事なことのはずなのに思い出せない。今日の夢はここで終わりか。
走馬灯のように巡り回る夢は、遠い。遠い過去を物語る。終わりなき夢だ。
「土曜日・・・かぁ」
土曜日。
今日は、俺から電話をかけようと伊那瀬から教えてもらった番号を入力する。
「これって自宅かな…?」
メールのやり取りで教えてもらったのだが、番号の冒頭が「04」なのだ。その時は気にもしなかったけど。携帯なら「080」か「090」のはず。
「うーん…まぁ、いっか。いきなり携帯にかけるのも緊張するしな…」
あまり変わらないけど。親がでる場合も想定して、かけてみる。
プルルル…となる音が、心臓の鼓動を早くする。だめだ、第一声が出せそうにない。
「もしもし?」
でた。
「あ、あの!吉烏頭と申しますが、伊那瀬さんはいますか?」
あ、親も伊那瀬か。下の名前で聞けば良かったと後悔するが、声の質とかで友達だとかわかるだろう。
「來々菜の友達…?」
声は母親のようだった。それにしても今なんて?來々菜?
「あ、えっと…同じクラスの友達です」
「あぁ…そうね。そう、あの子に友達…」
珍しいとでも言いたげだった。まるで今までに友達なんていなかった…と。
「友達からの電話が珍しいんですか?」
勢い余って聞いてしまう。伊那瀬本人の口から聞くべきことを、興味本位で勝手に口が動いてしまった。待つって言ったのに。
「そうね。だってあの子…」
「お母さん!」
母親の声の後ろから声がした。伊那瀬霙の声だ。
「誰?」
「吉烏頭って子」
「貸して」
伊那瀬があまり聞かない厳しい声を発しながら親と入れ替わった。
「えっと…伊那瀬?」
「吉烏頭君?その…ごめんね?」
「いや、いいよ」
こちらにも悪気はなかったが、聞いてみたのは悪かった。
「この前、渡した電話番号こっちだった?」
「うん。自宅だったね」
「ごめん。よく間違えるんだ。えっと…今から番号教えるからまた掛け直してくれる?」
声のトーンが静かで、隠れて小声でしゃべっているようだった。
「わかった」
伊那瀬が言う電話番号をメモし、通話を一度切った。
「登録しておこう」
電話番号を携帯に登録し、また掛け直してみた。登録人数五人って・・・俺も人のこと言えないくらい友達付き合いは少ないな。実際、伊那瀬から電話が来たときの着信は久しぶりの着信だったからな。
「もしもし」
「もしもし!さっきはごめんね。もしかして、灯影寺に行く件のこと?」
さっきの電話口から聞こえた声とは、別人のような変わりように少し戸惑った。
「そ、そうだね。何時に行く?」
「うーん…あの寺って午後に行くとなにかとめんどくさいの。今からいけば午前中につくから…今から行こっか」
あの寺に行くには、多少山を登らなければならない。最低でも一時間はかかるだろう。時刻は10時。確かに間に合う。
「わかった。じゃあ支度する。終わったらそっちに行く」
「うん。待ってる」
そう言って通話を終えて支度をし、親に適当な理由を言って家を出る。
もう見慣れた伊那瀬の家につく。そこに、見たことない女の人が家の前を掃除していた。
「あ…もしかして伊那瀬さんのお母さん?」
近づいて話しかけて見た。茶髪の髪を後ろで束ね、見た目は若々しい人だった。
「あぁ、さっきの子?ごめんなさいね、余計な事を言って」
「いえ…こちらが聞いたのが悪かったと思います」
すると伊那瀬の親は家の二階の窓を見て、こそこそと喋り出す。
「あの子の事は詳しくは本人に聞いて。でも簡単に心開くような子じゃないから…よろしくね」
なにがよろしくなのかはわからないが、確かに簡単に心を開いてくれなさそうだ。だけど、本人の口から聞かなければ意味がない。
「大丈夫です」
保証も自信もないけど。
何かを察知したのか、そそくさと掃除用具を片付け、家に戻る。
それと入れ違いに、伊那瀬が出てきた。
「ごめん。待った?」
付き合っている男女のようなセリフだった。でも、もしそうだとしても遠すぎる。
彼女の何も知らない俺に何ができるんだろうか。何故か自分の中でひどく落胆してしまう。協力するといった責任がやけに重くのしかかっているのだ。
「大丈夫」
さっきも言ったな…と思いつつ、伊那瀬と歩き出す。
少し歩いて、大通りにでる。横断歩道を赤信号で待つ。
隣に、車椅子の女の子がいた。片目は鍵のようなマークのある眼帯をしている。
見た目は小さいが、高校生らしい風貌があった。
「この道を真っ直ぐだからね」
伊那瀬が前を指さしながら、道を案内してくれる。青信号になり、歩き出す。
ここに15年も住んでいるのに灯影寺という寺も初めてだし、この道も初めてではないが久しぶりに歩く。
意外と知らないものだな。地元って。あまり外に出ないインドア派な性格も出ているのだろうけど。
自分が住んでいる地を知るより、外の地を知る方が楽しい。だから意外と知らないものなのかもしれない。
ふと車椅子の女の子を見る。自動で動く式の車椅子だったが、動きが遅かった。この横断歩道は、割と長い。あれで渡りきれるのかと心配になった。
「押しましょうか…?」
近づいて声をかけた。目を丸くして、こちらを見る車椅子の子。
「あ…と、だ、大丈夫…じゃないです。お願いします」
流石にいきなり話しかけられたら、動揺してしまうよな…と感じつつ、車椅子の後ろに回り、反対側まで押してあげた。
「ありがとうございます」
律儀に礼をする。
「いえ」
「早苗!早苗!おねぇちゃんがまた勝手に持ち出した~!」
いきなり車椅子から声がした。車椅子の手を乗せるところに、スピーカーがあった。そこから声がしたらしい。
「知らないよ…百花さんはどこいくかわからないもん。乙女に聞いて」
どうやら電話のようだった。
「乙女は追いかけてくる~!」
ガシャーンと音が響き、ブチっと通話がきれた。女の子は深いため息をする。
「はぁ……あ、すみません。お見苦しいところ…?うん…先程はありがとうございました」
そう言って、その場をあとにした。
「なんか…大変そうだな…あれ、伊那瀬?」
周りを見渡すと、伊那瀬はいなかった。少し歩くと、目の前に紙切れが落ちてきた。捕まえると紙に何か書いてあった。
「木の上…?」
目の前には一本の木が立っている。その上から…?よく見ると、狐の姿になっている伊那瀬が小さく手を降っていた。
このタイミングでかよ。周りを見渡して、誰もいない事を確認する。ちょうど、人がいなくなった時に手招きをする。
木の上から飛び降りて、影に隠れる伊那瀬。
「タイミング悪いね…」
「しょうがないよ。こういう事もあるし」
そういえば、妖に変化する時間は様々って言っていたな。特に決まりはないんだったよね。
「どうする?」
「逆に好都合。跳んでいったほうが早いでしょ?」
強引に俺の手をとると木の上に再び乗って、そのまま木の上を跳び移って行った。
なんか、普通逆なような気がするんだよな…と何もできない自分が少し悔しかった。
「ついた!」
ついた頃には既に伊那瀬は人に戻っていた。
「意外とでかいね…」
灯影寺は学校の屋上で見た時より、かなり大きかった。軽く世界遺産にでもなるんじゃないかというくらいだった。
「そう?…といってもここだけだよ。さ、こっち、こっち」
手招きする伊那瀬についていく。
ちょうど入ってきた場所の裏に回ると、地面は石畳、池や盆栽があるといった庭にでてきた。
「ここから入る」
そう言って向かった寺の景色は、さっきの外見とは大違いだった。ところどころ壊れていて、嵐でも通ったあとのようだった。
「これ…同じ灯影寺だよね…?」
「言ったでしょ?表側だけなの、綺麗なのは」
まるでこっちが本物と言うようだった。でもたしかに、こちら側の見た目の方が妖伝が伝わった寺らしい気がする。
いかにも数百年前の書物が眠っていそうな場所だ。
「吉烏頭君!早く!」
伊那瀬は寺の中に入って待っていた。
「というかこんなところから入っていいの?」
「ダメに決まってるじゃん」
「だよね」
あまりにも即答で、自慢げに返してきたので反論は出来なかった。
寺の中に入り、木材の香りのする廊下をゆっくり歩く。
「やっぱり、寺のお坊さんとかに見つかったら怖い?」
こんなに慎重に行くということは、誰かいるのだろう。いやもちろん、ここからはいる時点でアウトなんだろうけど。
「ううん。この寺は廃墟のようなもの。もう何年も誰もいない」
「え、じゃあ何から隠れてるの?」
しかも「こちら側」は文句ないが、「表側」は明らかに誰かが手入れしていないとおかしい。
参拝者が綺麗にする…とか?
「あ、ここだよ」
そこには大きい扉があった。何かの倉庫のような…蔵のような。
「開けるの手伝って」
その蔵の扉は木材でできた襖のような左右の開閉式だった。伊那瀬は左の取っ手を持ち、俺は右側を持った。軽く引っ張ったが、とても少しの力じゃ開くような扉じゃなかった。
「せーの!」
重い扉が勢いよく開く。中から圧縮された風が吹き飛び、体が宙に浮いた。
「うわぁあ!」
庭の石畳に着地し、擦り傷をおった。
「痛っ…」
まさかこんなに吹き飛ぶとは。少しも耐え切ることができなかった。
「伊那瀬っ!」
伊那瀬も吹き飛ばされ、俺の横で倒れていた。庭に据える大きい石に頭を打ったらしい。打ち所が悪かったのか、気絶していた。
「血も出てるし…!」
下手したらまずいぞ…!すぐに伊那瀬を抱きかかえて、寺の中に連れる。女の子の感触が心臓の鼓動を早くさせる。
近くの扉を開けて、畳の部屋に入る。
「ここならちょうどいいかな…」
伊那瀬を寝かせ、あたりを見渡す。近くに包帯がちょうどあった。
「とりあえず巻いておけばいいかな…」
包帯を手にとり、伊那瀬の頭に巻く。
「いたっ…」
「ごめん!大丈夫!?」
「すごい風だったね…。」
起き上がって、頭を抑える伊那瀬。
「まだ起き上がらない方が…」
「ねぇ、吉烏頭君」
先程巻いた包帯を掴みながら、伊那瀬が問いかける。
「これどこで見つけた?」
「ついさっきそこで」
そういった瞬間、手際良く包帯を外す伊那瀬。かなり焦っている。がむしゃらに包帯を外していく。
「ど、どうした!?」
あまりにも一瞬で、顔も怖かったので思わず叫んでしまった。
包帯をとって、きつく握りしめる伊那瀬。
俺の顔を見て、慌てて笑いかけるが目が笑ってなかった。
「いたいいたいいたいいたい!離すのじゃ!!」
どこからか声がする。誰の声だろう、子供のような声だ。
「黙りなさい!さっきの突風もあんたの仕業ね!?」
「違う!偶然なの!えと、なのじゃ!」
「このっ…」
両手で握りしめて、包帯を思いっきり引っ張る伊那瀬。
「白状しなさい!」
「たしかに意地悪しようと思ったけど!あれは本当に偶然ですぅ!えと、偶然じゃ!」
「はぁ…」
諦めたのか、包帯をその場から投げた。
するとその包帯が煙に包まれ、緑色の生地に黒い三角マークが散らばる着物姿の女の子がでてきた。
目には包帯が巻かれていたようだったが、さっきのやり取りで外れたのか、包帯がずれて片目があらわになっていた。
「もう…こいつだけには会いたくなかった」
ため息交じりに伊那瀬が呟く。
「わ、私も…儂も会いとうなかったわ!意地悪だけして逃げようと思ったが、この男が!」
包帯の女の子が俺を指差す。少し涙目になっていた。口調は老人のようだったが、声も容姿も普通の子供のようだった。小学生くらい?
「えっと…俺のせい?」
正直、今までのやり取りに圧倒されていて、声がうまく出なかった。
「大丈夫、吉烏頭君。吉烏頭君は私の傷を見て、たまたまそこに包帯があったから使った…だけでしょ?」
「そう…だね」
ずばり、そのまんまだった。
「元をたどれば、全部あなたのせい。縷縷」
縷縷?この子の名前か。
「うぅ…でも…えと…傷を負うお前が悪いのじゃ!」
「それも半分あんたの意地悪でしょ」
さらっと言い返す伊那瀬。
「たしかにわざと掃除せんようにしてたけど…いや!お前がくるなんて思うてないし!」
「えいっ」
伊那瀬が身を乗り出し、縷縷を押した。
軽々しく飛んで行き、扉は空いたままだったからそのまま庭の石畳に倒れた。
いやまて、いくらなんでもあんなひと押しで吹き飛びすぎだろ…!どれだけ軽いんだ。
伊那瀬は満足げな顔をして笑っていた。
「え、大丈夫なの、あれ。助けなくていいの?」
「なんで?」
本気でわからないというように、頭を傾ける伊那瀬。伊那瀬に若干の恐怖心が湧いた。ある意味、半分妖なんだから普通なのかもしれないが。
縷縷に近寄り、起き上がらせてあげる。ふらふらしながら、何とか立ち上がってくれた。
「大丈夫?」
「…だ…大丈夫…じゃ…こ、この程度の…攻撃は…慣れて…お…る…の…あぅ」
目を回しながら、再び倒れた。何とか抱きかかえて、伊那瀬のところに持っていく。二人目の患者が出ましたよ。
「この子…なんなの?普通の子供…じゃないか」
なんて言えばいいかな…と呟きながら、伊那瀬が応える。
「簡単にいえば…神様?」
えっと…。
「神様!?」
「憑喪神じゃ。物を親切に扱っていると、その物に憑く福の神なの…なのじゃ!」
何時の間にか復活していた縷縷。しかし、さっきまで黒かった髪が真っ白になっていた。
「そうそう。髪が白いのはきゅう、じゅう、きゅうと書いて、九十九。その髪が九十九髮っていって、白い老人の髪のことなの。ようは洒落ね」
伊那瀬が加えて説明を入れる。
「でもさっきまで黒くなかった…?」
「私が庭まで飛ばした時、日に当たったからね」
日に当たると白くなるのか。
「ところでお主。何者じゃ」
髪が白くなったことによって、老人感が増したが、やはり子供にしか見えない。身長もあるわけじゃないし、あどけなさが残っている。キャラ設定なのか、言葉が定まっていないところが子供らしい。
「何をニヤニヤしておる」
「あ、いや…なんか可愛いなって」
つい口が動いてしまった。
「なっ…!なっ…!」
「あぁ!いやほら!子供らしいというか、なんというか!」
言い訳が完全に危ない方向に向かっていた。
「吉烏頭君…まさかそういう趣味が…」
伊那瀬が呆れたような目で返してくる。
「ちっ、ちがっ!」
「まぁ、子供らしいっていうのは縷縷には禁句ね」
「えっ?」
ふと縷縷の方をみると、完全に怒っていた。既に遅し。
「くはっ…!」
みぞおちに拳がヒットした。
「私は子供じゃなーい!!」
泣き叫びながら、何度も俺のみぞおちに拳を入れる。
「ちょ…ちょっと待って…ストップ…」
「縷縷、やめてあげて」
伊那瀬が制してくれたおかげで、縷縷の手は止まった。
「こう見えても儂は、156歳じゃ!」
「ひゃ、156歳…!?ごほっごほっ…」
桁違いな数字の歳だった。というより、痛みが止まらない。
「神様は、神になった時のまま歳をとらないんだって。156歳といっても容姿はもちろん、精神年齢は9~11歳くらいなの」
伊那瀬が大丈夫?と声をかけながら、背中をさすってくれた。
「え、じゃあ神になる前は人間だったの?」
「えっと…」
「儂が説明する。…お主には説明したじゃ…しただろう」
「あんたの話なんて聞いてない。自分で調べただけ」
「調べさせてやったのは儂じゃ」
「あのー…」
なんなんだろうか。妙に仲悪いのか、仲いいのか。
「神といっても、妖伝が伝わるときから「妖神」と呼ばれておる。神も妖として忌みきっ…忌みきりゃわれていてな」
忌み嫌われた、が言えてない。
「神になる前は「無」じゃ。もっと言うと、無の前は「人」じゃ。儂は普通に生きて、普通に死んで、無になった。それから、神に選ばれた。無だった時が大体6~8年というわけ。あまり覚えてないけどな」
つまり、約160年くらい前までは人であって。死んだ後、無を彷徨って。神に選ばれたから神になった…と?
「という話はどう?」
「え?」
「面白くない?…ないかの?」
「は?」
「吉烏頭君。全部作り話だよ。今の」
伊那瀬が隣でお茶を飲みながら、教えてくれた。…って、いつから飲んでた。というか何処にあった。
「で、本当は?」
「つまらないな~。反応がお主と一緒だね。…じゃの!」
「普通はこういう反応するの。わかる?縷縷ちゃん」
「縷縷ちゃんいうな!ちゃん付するな!」
手を振り回して抗議する縷縷。
「で…本当は?」
「む……聞きたい?」
「聞きたい」
「仕方ない。そんなに聞きたいなら、言ってやるのじゃ」
伊那瀬が静かに急須でお茶を入れながら、呟く。
「言いたいくせに」
「違う!」
その前に何処からとってきたんですか。そのお茶セット。
「簡単にいえば、君らと同じく半妖怪。つまり半妖神というわけじゃ。ただし、人に戻ることはないし、常に妖神の状態。そして、歳をとらない」
それって、殆ど人ではなく神なんじゃないか?
でも、人に戻ることはないということは、やはり人だったということか。
「といっても記憶はない。人だったかもしれない。というだけじゃ。正直いうとこれも作り話かもしれない。妖神はわかってないことばかりなの…じゃ」
頭が痛くなってきた。
「ちょっと待って。結局のところは…」
「つまり何もわからないってこと。まず神という存在自体、妖より不確かなものだから。それにどうやって生まれてきているのかもわからない。人のときの記憶がある神もいれば、いないのもいる。どちらも信用性は皆無」
存在自体が謎って訳か。信仰するものは神を拝み、信仰しないものは拝まないのと同じ。現代の神となんら変わりはないじゃないか。
「でも神が妖と同等にされて、妖神と呼ばれてるのは本当。実際に妖から神になったのもいるらしいし」
「何でもありって感じだな…」
神ゆえ…か。
「妖という存在が生まれた以上、すべてを作る神が作り上げたものと考えられる。そんな神を誰が信じるのか。そうして神でさえも妖呼ばわりされたわけ」
「嫌な時代だったんだな」
「とりあえず、156年は生きておる。この姿のままの」
「そっか。それは大変だったね…」
伊那瀬がすっと立ち上がる。
「さ、そんなことより。今日は、妖伝のことを調べにきたの」
「妖伝?それなら、全部見たであろう」
「吉烏頭君のためでもあるの。それに、私だってまだ調べたりないし」
「そうか」
縷縷が包帯を目に巻きつける。両目が完全に塞がっている状態で、俺を指差した。
「お主。少し付き合え。話がある」
「え、俺?」
「そうだ。ついてこい」
伊那瀬のほうを向いてみたが、伊那瀬はわからないと言った顔で返してきた。
「少し借りるぞ、いな」
「いやでも、吉烏頭君がいないと私が来た意味がないんだけど」
「少しだけじゃ」
はぁ、とため息をつくと。腕組みをしながら声を張り上げる。
「意地悪しないでよね!」
「わかっておる」
縷縷はやけに冷静になっていた。先程の姿より、大人らしく見える。
俺は縷縷に連れられて、寺の中のある一室にきた。畳の部屋になっていて、壁には古風ある絵が囲むように描かれている。
全て墨で描かれている絵は、鬼のようなものや龍の形をしたもの、人の形をした化物のようなものが描かれていた。まさしく魑魅魍魎といったような絵だった。
寒気がする。その絵に圧倒されたのか、声が出なくなる。
「さて。そこにでも座ってくれ」
座布団が二つおかれてあった。手前にあった座布団に腰を下ろす。
「なんか、さっきまではずいぶんと違うね」
「私…じゃなく儂か?」
「そう」
縷縷は背を向け、壁に描かれた絵を眺める。
「…これでも神じゃ。156年。伊達に生きてない」
「そう…だよね」
「いなと話すとどうも調子が狂うがな。神として恥じゃ」
「いなって伊那瀬のこと?」
「そうじゃ。意地悪じゃなくて成敗なんだ!なのじゃ!」
楽しそうだったけどなぁ…。
縷縷が包帯を全てとる。そして振り向いて、俺の目に巻き始めた。
「え?ちょ…なにやってるの!?」
「静かにしておれ。悪いことはせん」
視界が包帯で遮られる。
「……何も見えないか?」
「う、うん」
何も見えない。真っ暗だ。墨のように真っ黒に染まっている。真っ黒に。
「違うのか…それともまだ…先程感じたのは何だったんだろ…」
「縷縷はよくこの状態で見れるよね…やっぱり神だから?」
「ん?まぁ、そうじゃ。…見たくない物もたくさん見てきた」
「見たくない物…?」
「憑喪神ゆえ、なのかもしれない。物をどんなに大切に扱ったって、結局は捨てられる。嫌なやつは沢山いる。なにより…」
顔は見えなかったが、声は俺がギリギリ聞こえるほどかすれていた。
「死んだ人間を見送るのはもう嫌だ」
<…これでも神じゃ。156年。伊達に生きてない。>
縷縷が言った言葉が脳裏によぎった。嫌なやつもたくさんいる。それでも憑喪神がいる以上、とても大切扱う者もいる。そんな人ほど、死んでしまったら悲しいだろう。156年という重みは、伊達じゃない。神だとしても仮にも心はまだ子供だ。
もしかしたら、老人じみた口調は逃げるために無理やり心を大人にしているのかもしれない。
「そっか…」
何も言えなかった。
でもなぜだろう。縷縷が言った言葉がやけに身に染みた。
「とってよいぞ」
縷縷が近づいて、取ろうとしていた。無意識に縷縷の頭を撫でてあげる。
「…ごめんね」
包帯を解く縷縷の手が止まった。
「…な…なぜお主が謝るのじゃ」
「立派だよ。縷縷は。子供なんかじゃない。すごいよ」
「…なにそれ」
空気が静まる。縷縷の声がかすかに聞こえる。
「あ、えと、泣かせてごめん」
「ぅ、ぅ…見えないんじゃ…なかったの」
既に片目だけ包帯がほどけていた。縷縷は俯いたまま、目の前にいた。
「うわぁあん!」
泣きながら飛び込んできた。
―――と思った。
「ぐほっぁ!」
またみぞおちにヒットした。
「あははははっ!騙された!そんなことで泣くような儂ではないわ!あーはっはっ!」
くそっ…あのままだったら可愛げがあったものを…!!
しかし、顔をあげた縷縷の目には涙の流れた後があった。やっぱ泣いていたんじゃないか。
「……でも、その…あ、あ…ありがと」
可愛らしい笑みだった。
「は…はは…よかった」
やっぱ、強いよ。縷縷は。
「よし、本題に移ろう。先程までのことはすべて忘れろ。よいな?」
「…わ、わかった」
まだ痛む…。
「いなの事だが…」
「縷縷!」
縷縷が話そうとしたタイミングで、伊那瀬が部屋に入ってきた。
「こんなところに連れて行ってなにしてるの」
「なにも?むしろ、これからいいところを話そうとしていたのだが」
「私の名前が出てきた時点で嫌な予感しかしない。私も吉烏頭君に話さなきゃいけない事が沢山あるから、ここまでね」
伊那瀬は腕組みをしながら、縷縷を睨みつける。
「…そうか。ならよい」
素直に話を聞き、立ち上がる縷縷。
「儂はもう寝る。後は二人仲良くな」
包帯の姿に戻り、縷縷の姿は消えた。包帯になったというより、包帯にとり憑いたようにすぅっと元ある包帯に消えていったようだった。
「いこ。吉烏頭君」
伊那瀬に続いて行こうとすると、携帯が鳴った。
メールが一通。開いてみると、件名は縷縷とあった。さすが憑喪神、携帯に憑いたのか?
「あした、またきて」
そう書かれてあった。後ろに振り返って、畳の上に置かれた包帯に呟いた。
「わかった」
見たくないものを見ないために巻いた縷縷の包帯が、小さく頷いた気がした。
伊那瀬に追いついて、廊下を歩く。一歩踏み込むたびにキシキシ鳴る廊下に、年代を感じる。
「午後に行くとめんどくさいことって、縷縷の事だったの?」
たしか、出かける際にそんなことを言っていたような気がした。
「そう。今日は何故か知らないけど、午後によくいるの」
「仲良さそうに見えたけどね」
「仲悪いとは言ってない。めんどくさいだけ」
「そんなに意地悪してくるの?」
「一度、戦ったこともある」
まじか。
「私の圧勝だったけどね」
「それは…おめでとう…」
例え神でも、縷縷は憑喪神だし、勝てる訳がないよな…。
「意外とすばしっこいの。軽いから」
ちょっと押すだけで簡単に吹き飛ぶ体だからなぁ…。あれは神ゆえか、縷縷ゆえなのか・・・。
「縷縷になにもやられてないよね?」
「いや…特になにも」
結局、最初の包帯巻いた理由も聞いてなかった。
「ついた」
歩みを止めると、そこには先程開けた蔵だった。中には、古びた本や巻物が並べられている。
「この巻物が妖伝なんだけど…」
一番奥にある大きな巻物を指差す。
「これ、広げるとものすごく長いから、こっちの本で説明するね」
「なにを?」
「主に妖の事とかかな」
…まぁ、そうだよな。ついでに妖狐の事も教えてくれないかな。
「この本は、妖伝を小分けして詳しく載ってるの」
沢山ある中から、一つの本を取り出し床に広げた。辞書のような厚みと、一回り大きい図鑑のような大きさだった。
床に腰を下ろして、本をめくっていく。
「ここ読んでみて」
黒いゆらゆらした物体が描かれた絵があり、その下に何か書かれてあった。
「妖。それは日本にいる妖怪や幽霊の総称。数は人工の倍ほどいると言われる。人に憑いたり、悪さをする。妖気を纏い、夜に出現することが多いが、稀に夜以外に現れるものもいる…」
「なお、妖は人の魂や意思の具現化である。・・・大体、これが妖の説明」
簡単にいうと、日本に伝わる妖怪の総称ということか。その他の説明は読まなくても大体わかる・・・が。
最後の一行の意味はなんだろう。
「なぁ、人の魂や意思の具現化って・・・どう言う意味?」
「うーん、例えば地縛霊ってあるでしょ?あの妖は「そこに居続けたい」という意思があるからその地に縛られているでしょ?それと同じ」
なるほど。妖が存在しているのに全て理由があるということか。
「それで…これが特異人間の説明」
次は鬼が描かれていた。しかし、半分人間の顔で武士の姿だった。
「特異人間。半妖怪人間とも言われる。人が突然変化し、妖怪になる人間。妖の使うとされる妖術を用い、人々を襲う」
「まぁ、その妖術っていうのは妖を倒すことに使われるんだけどね。特異人間の妖術は人を守るため、そして自分が人に戻るために使うから」
同じ術でも用途が違うわけだ。人を襲う術と人を救う術…。
「発祥は不明。妖と同じく「妖気」を纏う。特異人間が妖に変化する時間は基本的に夜だが、人様々。任意で変化できるのもいる。また、特異人間同士、「妖気」を感知すると変化する…?」
つまり、特異人間同士が会うと強制的に妖に変化するというわけか。
待てよ?今日の昼に変化したのって……まさかな。
「私も任意に扱えるようになりたいなぁ…」
伊那瀬は仰向けになりながら床に寝ていた。
「もしかしたらなるかもよ?」
「うん…期待してる」
苦笑いの伊那瀬。でもたしかに任意で変化できるのは楽…。
「でもその場合、常に人でいられるよね?」
「そうだね」
「それだと、人に戻りたいなんてこと思わなくてもいいんじゃ…」
「そんなわけない!」
言葉を遮られ、急に叫ぶ伊那瀬。
立ち上がり、瞳はまっすぐこちらに向けられていた。
「たとえ人でいられても、体の中に妖は宿ってるの。そんなの嫌。嫌に決まってる!それに確証もないの。いつ妖になっちゃうのかも…」
後半になるにつれて、声が弱まる。
「ごめん。言い過ぎた・・・」
崩れ落ちるように膝をつく。
「いや…俺もなにも知らずに言ってごめん…」
そうだよな。人ではないという自覚があるもんな…。普通ではないと。
「それにたぶん…そういう人にはそれなりのリスクがあると思う。呪いが強いとか」
「呪い?」
「特異人間は誰しも呪いを受けてるの。ただでさえ半分妖で、人を救うためのはずが嫌われてるというのに…」
手を強く握る伊那瀬。
「呪いはね…それも人様々なんだけど。…ようはなにかを犠牲にしてるの。なりたくてなったわけじゃ……ないのに」
「伊那瀬の呪いはどんなものなの?」
単純な質問だった。例えばどんなの?と聞くようなもので。
「嘘つきになったかな」
嘘つき、か。単純な質問の割には、言葉を発するまでに時間がかかった。
・・・これも嘘なのだろうか。
「ま、いっか」
「え?」
「あ、な、なんでもない!」
危な…つい口に出してしまった。
「呪いかぁ…都合のいい呪いだったらいいのにね」
「…例えば?」
「勉強ができ過ぎて辛い!とか」
「あはは、いいかもね」
伊那瀬が戻った。さっきまで俯きがちの顔だったから。笑ってくれてよかった。
<ごめんね…>
だからもう….謝らないでくれ。
「痛っ…」
一瞬、頭痛がする。いつもより痛かった。
<ほら笑って!>
どこかで聞いたことのある声。
「大丈夫?もしかして、あの時頭打った?」
<死ぬなよ・・・俺を置いていくなよ・・・!>
どこか遠くで木霊する声。
「大丈夫。よくある頭痛だから」
<――っ!――っ!おいっ!おいっ!!>
永い。永い道の奥で、誰かの背中が泣いている。
雑音が鳴り響き、頭に劈く。
「そうなんだ…さて、ここまで話したから後は灯影妖団のことかなっ」
すっと立ち上がり、別の本を探す。
「あ、ちょっと待って。伊那瀬がやった俺を猫に見せたのって…妖術なの?」
「あ…そうだね」
二つ適当な本を手にとり、片手ずつで持つ。さっきより小型の本だ。
「一つは視覚操作みたいなもので…例えば…」
右手の本を軽く振ると、本がトランプに変化した。
「あれ、トランプになった…」
「持ってみて」
一枚のトランプを手渡されると、瞬時に本に戻った。
「戻った…」
「見た目だけ変わってるの。実際、さっきのトランプは本の重さなの。でも、これは他人が触ると元に戻る」
「へぇ…これが俺を猫に変えた術か…」
「人でも物でも、大きさ関係なく変化させることができるの。その代わり、元の重さや動きは反映されるから面倒だけどね。この前の時は動かなかったからよかったけど、猫の状態で歩いていたら相手には猫が二足歩行してるように見える」
なるほど…本当に視覚のみを変化させるんだな…。あの時は、ちょうど手と足で体を支えていたから四足歩行に見えたわけだ。
「いろいろ例外もあるけどね。私もそこまで使ったことがないからよくわからないの」
「そうなんだ…」
「二つ目は物体そのものを変えること。例えばさっきの…」
今度は左手の本を振る。すると、小さい煙が本を包みこむ。数秒経つと、急須になっていた。
「あ…もしかしてお茶を飲んでいたのはそれでか…」
「そう。これは完全に物を変えるの。物限定だけど。それに…」
今度は急須が俺の手に渡された。なにも変化はなく、中をみるとお茶が入っていた。
「他人が持っても大丈夫。欠点としては、私がみたことある物に限るのと、変えたら元に戻らな…あ」
元に戻らないってことは…。
「本に戻せないってこと…だよね」
「やばい、ね。ははは…だ、大丈夫!うん!どうせ見る人もいないだろうし!」
伊那瀬は俺の手から急須を取り、床に落とした。すると、音もなく消えた。
「便利なのか、便利じゃないのか…」
使いようによるんだろうな…。
「あ、でもさっきの本って説明に必要なんじゃなかった?なんだっけ…灯影なんとかの」
既に気づいていたのか、伊那瀬の顔は引きつったままだった。
「えと…本がないから絵を見せられないけど、文章は覚えてるから大丈夫」
「ならいいけど」
内心、ニヤニヤしていた。もしかしたら、顔にでているかもしれない。
伊那瀬らしいというか、焦っている姿が本当の伊那瀬のような感じがしたからだった。さっきから伊那瀬は素直に表情を出している気がする。
「灯影妖団っていうのはね、灯火と鵺の特異人間が結成したグループなの」
灯火と鵺…。
<私の名前はね、―――。>
「具体的には私たちと目的は変わらないんだけど、人に認めてもらおうとしてたの」
「認めてもらう?」
「そう。鵺のほうはそこまで乗る気じゃなかったらしんだけどね。存在を露わにして、妖から守るための存在だとちゃんと教えて…認めてもらおうとしてたの」
隠れて妖と戦うのではなく、人と世の中と戦おうとしていたのか…。
「結局、灯火は人に殺されたらしいの。自ら死んだという説もあるけど。それを聞いた鵺が怒り狂ったらしくてね。鵺の意思が妖を作り出したの。人を抹消するという意思が」
<灯火っていうの。君の影を灯す火となる。>
<それって、本名か?>
<どうでしょう。君もその名前本名じゃないでしょ?・・・鵺さん?>
<そうだな。誰かが名づけたんだ。黒い翼をつけ、影に潜む。夜の烏とな。>
<私たちに本名なんていらないよ。君は影で私は光。君は私を光らせて、私は君を灯らせる。>
<支え合ってるってか・・・不思議だな。お前の言葉は心に響く。>
<ありがと。さ、私に考えがあるんだ!君を救うための術がね。>
<俺たちを・・・だろ?>
<え・・・でも、信じてなかったんじゃぁ・・・?>
<お前は灯火という、俺を灯す立派な妖怪を持っているじゃないか>
<・・・は、あははっ、やった。やった!>
<それよりお前、歳いくつだ。>
<十二歳。>
<四歳年下のくせに生意気なやつだ。>
<あ!ちょっと!まだ灯影寺の中見たことないのに!ちょっと待ってよ!>
蘇る夢。溺れていくように淡く霞んでいく。
同時に泡のように溢れ出る遠い、永い記憶。
「つまり、全ての妖の起源は鵺ってことなの?」
「うん。でも鵺も半分人だからね。限界があったのか、人としての善意が湧いたのかわからないんだけど、自らを封印して息を引き取ったと言われてる」
妖の長ってわけか。でも、一人の仲間が死んで、日本にいる人口の倍ほどの妖を生み出して人を抹消しようとするなんて…相当慕っていたんだろうな…灯火を。
「あれ?ちょっとまって?それだと矛盾してるよね。特異人間は妖から人を倒すためにいたんじゃないの?」
「妖というのは当時、迷信だったの。本当はそんなもの存在していなかったらしいよ。架空の存在を作り上げて、架空の存在のせいにしていた」
すべては神が創った。神のせいでこうなった。そうやって何者でもないものに擦り付けて正当化させていたのと同じ。
悪いことは全て「妖という存在」のせいということにされたのか。
「そんな時に本物の妖が、人間と混ざって生まれてきてしまったのか」
「そう。それこそ最初の鵺はなぜ半妖怪として生まれたのかわからない。妖は人の魂や意思の具現化というけれど・・・」
だけど、これで少しわかったことがある。妖は人の魂や意思の具現化・・・。
伊那瀬は死んでいるわけじゃないから少なくとも魂の具現化ではない。ということは、ある意思によって生まれた「狐」ということだ。
その意思が原因のひとつ・・・か。
「・・・灯火と鵺って男?女?」
「うーん…鵺は男らしいけど、灯火はわからない。なにしろ鵺の仕業なのか人の仕業なのか灯火の詳しい事は全て消されてるの」
「そっか」
「でもね、特異人間って殆どが女なの。戦争と同じように、人と向かい合うのも妖と戦うのも基本は男性だったらしいから。女の特異人間の妖が生き残っていったの」
神と妖狐。まだそれしかあってないけどみんな女性だしな。
それにしても、そこまで特異人間も沢山いたのかな。まだまだ特異人間には奥がありそうだ。
「まぁ、これくらいかな…。ちなみにこの寺は灯影妖団の一つの拠点だったんだって。だから灯影寺」
「なるほど」
「あ、もうこんな時間かぁ…」
外をみると、日の光はオレンジ色に染まっていた。
「ありがとう伊那瀬。妖のこと沢山知ったよ」
「よくわからないところも多いんだけどね。説明がつくのはこれで全てかな」
「うん。後は自分の目で見るよ」
「……帰ろっか」
本をしまって、扉を一緒に閉めた。裏庭を抜けて、灯影寺を後にした。
次の日。
縷縷午後にいる事が多いと伊那瀬が言っていたから、午後に着くように昨日より遅めに家をでた。
「いってきます」
無言の返事を聞きながら、ドアを開ける。少し歩いて、大通りに出る。
ここにくると、割と多くのお店が立ち並ぶ商店街に出る。といっても、都会のようなスーパーはほとんどなく、駄菓子屋や雑貨屋などが多い。
横断歩道が青になるのを待つ。大通りだからか、ここの信号が変わるのは遅い。
「あ…」
隣から声がした。その方を向くと、昨日会った車椅子の女の子がいた。ただ、昨日と違って車椅子を押すもう一人女の子がいた。
「また会いましたね。…えっと、昨日はありがとうございました」
「いえ…」
ふと視線を感じて、もう一人の女の子を見た。目が合った瞬間、少し顔をしかめたが、すぐ笑顔で返してきた。
「はじめまして」
「は、はじめまして…」
なんだろう。やけに視線を感じる。
「…高校生?」
なんでそんなに目を輝かせているんだろうこの人。
「あ、はい。松ヶ前高校です」
「松ヶ前?」
車椅子の子が反応を示し、こちらを見上げる。
「私達は東松ヶ前高校です。なるほど、よく会うわけですね」
東松ヶ前高校はその名のとおり、松ヶ前高校の東の方に位置する。そこまで遠くはないが、松ヶ前高校より新しい高校だ。
「高一ですか?」
「はい」
「同級生ですね。百花とは後輩になるけど。あ、百花っていうのはこの人ね」
後ろのもう一人の女の子を見る。
「高一かぁ~、いいよね。私も戻りたいかも」
「百花は高三なんですよ」
確かに上級生らしい大人の感じが…と思ったが、格好がメイド服に似た服装なのだ。何故かあまり年上に感じない。頭には大きなリボンがついている。なにかのコスプレのような派手な服だ。
むしろ、車椅子の子の方が上級生のような気がする。
「…あ、信号変わっていましたね。私たちは急ぐので、また」
車椅子の子が軽く会釈する。
「私は星崎百花。この子は、兎樫早苗。あなたは?」
「吉烏頭凱斗です」
「凱斗くんね。また会ったらよろしくね」
意地悪そうな笑みを残し、百花さん達は渡って行った。
少し見惚れてしまった。気づいた時には、信号は既に赤信号になっている。
それにしても、あの服装の人がついているし、丁寧な感じがお金持ちのように見える。もしかしてこの地域にそういう人いるのかな。
「あれ?」
もう姿はなかった。ついさっき渡ったばかりなのに。やはりどこか違和感を感じる二人だったな…。
灯影寺についた頃には十二時を過ぎていた。寺の裏に回りこんで、あたりを見渡す。
「……ん?」
今日はよく疑問系を浮かべるなぁ…。寺の裏に回ると、昨日とは違い外装が少し綺麗になっていた。
――と思ったけど。
「これは…!」
中に入ると廊下も所々無くなり、襖を開けると部屋は焼け焦げた匂いと共に廃墟の風景だった。床は抜け落ちており、壁は所々に刀で切ったような切り傷があった。
何かに襲われたのか…!?
「……縷縷!」
縷縷を探す。見た事もない部屋を辿りながら、名前を叫ぶ。
「縷縷!」
「ひっ…!」
襖を勢いよく開けると声がした。部屋は壁一面に墨の絵が描かれてある部屋だった。この部屋は昨日縷縷と話した畳の部屋…。
「な、なんだ…お主か…び、びっくりした…!」
端に置いてある箪笥の隙間から、縷縷が現れた。包帯は巻かれていなかった。
「縷縷!これどうしんだよ!」
縷縷は浴衣の埃を払うと、顔を伏せる。
「お主には関係ないっ…」
「関係ないわけないだろ」
もし、妖関連の事なら。たとえ俺が人間でも関係はある。
「い、いいもん…もう終わったんだし…また建て直せば…」
縷縷は涙目になっている。
「……誰にやられた?」
「だから…」
「そこで意地張るなよ!」
「うっ…」
縷縷は俺の目をしっかりと見る。決心が付いたのか、口を開く。
「今…この街に妖狐が二人おる。その事に腹を立てた妖狐が妖を連れてやってきたのじゃ…」
「二人?妖狐といえば、伊那瀬も妖狐だけど・・・?」
「そう。いなは特異人間だが、妖の狐がここにきておる。他の妖の大群を連れてな。……ここは襲われてこのざまよ」
「縷縷は…どうしてたんだ?」
浴衣の袖をぎゅっと握りしめる縷縷。
「儂は…儂では何もできなかった…最初は刃向かってみたが…怖くて…怖く…て…」
「ずっと隠れてたのか?」
「……うん」
もう抑えきることも出来なく、涙をこぼしていた。
「よかった」
「……え?」
「無事でよかった」
本当によかった。それだけだった。さぁ、ここからは俺と伊那瀬の問題だ。
確かに俺は人間だから何も出来ないかもしれないが…違う。何も出来ないというわけじゃない。縷縷だって、最初は勇気を持っていたんじゃないか。
縷縷は涙を止めるように、包帯を巻く。
「……今日、ここに呼んだのも妖狐のことだったのじゃ…」
「え…なんで伊那瀬に言わなかったの?」
「いなのことも。伝えなければならないことがあってな…」
伊那瀬のこと。
「こうなっては言うこともないだろう…いなにも伝えて置いてくれ…お前はいくだろう?伊那瀬と共に」
「そのつもりだけど」
「ひとつだけ言うておく…いなのことは信用するな」
伊那瀬の口から聞いたことがある言葉だ…。信用するなと言われるのは、どうも心が痛む。
「だから、裏を信じるの。…のじゃ」
裏…?反対の言葉ということか?
「仕方ないのじゃ。いなの呪いのようなものじゃな」
<…嘘をつくようになったかな。>
伊那瀬は言っていた。あれこそ嘘なのではないかと思ったのだが、あれは本当だったのか?
とすると、反対の言葉でもなんでもない…本音?
「もし助けなくてもいいと言われても…」
「そんなこと言われて助けないほど、弱くないさ」
強くあらなければ、やっていけない世界に巻き込まれたんだ。いや、そう望んだんだ。
「そうだよね。……死なぬよな?」
「心配してくれてる?」
「し、してない!お、お前が死んだくらいでどうってことない!私は人が死んで行くところは見飽きるほど…」
「ありがと」
「うっ…うぅ」
口をつぐんで、たじろぐ縷縷。
単純に感謝しただけなんだけどなぁ…もしかして本当に心配してくれてないのかな。
「そういえば、裏の外見が少し綺麗になってた気がするけど…縷縷がやったの?」
寺の中はともかく、昨日来た時よりも外装だけは綺麗だった気がする。
「そ、そうじゃ。裏も綺麗にしておかんとな。客に失礼じゃからな」
「折角やったのに、また一からだね…」
外装が保っていても、中がこれでは示しがつかない。
「大丈夫じゃ。儂は憑喪神だからの。建物でも福さえあれば直せる」
「福?」
「誰かが直って欲しいとか、この寺を大切にしていればいいのじゃ」
さすが神様だなぁ…
「誰かいるの?」
「ここにおろう。お主が。それともそう思うてないのか?」
「思ってる!思ってる!でも俺、二回しか来たことないけど大丈夫なの?」
「大丈夫じゃ。儂がそうとわかれば安心してこの寺の柱や扉や…各ある物にとり憑いて直すことができる。時間はかかるがな」
「よかった…」
こんな子供が神様をやっていていいのかと思ってたけど…縷縷が神様なのは、むしろ子供だからかもしれない。子供の時ほど、物を大切に扱うし、無邪気さが大事なのかもしれないな。
それに。縷縷は強いし。
「さて。俺は急いで……」
急に視界が揺らいだ。弦を弾いたような小刻みの振動。
壁に描かれている墨絵が襲って来る。頭の中を黒い何かが駆け回り、痛みつける。
声も出せず、呆然とする縷縷に手を伸ばすこともできなかった。
幻覚だと気づいた時にはもう遅かった。墨絵の鬼が笑っている。龍が首にとぐろを巻く。
その場に倒れ、意識と記憶が断ち切られた。
<この部屋は居心地が悪い>
最後に何処かでそう聞こえた。
声の主は聞いたことがある自分の声だ。