王女の願い
「お久しぶりです、殿下。お仕事からお戻りになられましたのね。申し訳ありませんが、妹は一足先に国へ向かわせました」
「……こちらこそ、お久しぶりです。お元気そうで何よりだ。しかし、申し訳ないが、今は取り込み中なので、何か話があるのなら用が済んでからにしてください」
オーレリアンは若干とげのある口調で言った。
従僕の話だと、リーズの乗った馬車にはダミアン・カステレードが同乗しているという。一緒にいるのはマノンとマティルダの護衛として来た兵士。オーレリアンにとっては気が気でない組み合わせだった。
「リーズのところへ行きたいの?」
突然、かつて婚約者だったときのような口調に戻ったマティルダに、一瞬眉をひそめ、オーレリアンは苛立ちを隠さずに頷いた。
「当然でしょう、彼女は私の妻ですから」
「手放したくないという訳ね。それはそうでしょう、貴方の裏の顔を知ってもなお、逃げ出したり別れようとしたりしない若い王族の女性なんてそうそういないもの、きっとリーズくらいでしょうね」
嫌悪に満ちた瞳が向けられる。
オーレリアンは、最初の婚約者であるマティルダがここから去るときそんな目をしていたことを思い出した。あの時はただ、傷つけてしまったことに対して微かに罪悪感はあった。だが、後になって思うのは、彼女と結婚してもうまくはいかなかっただろうという確信だった。
今回婚約者として来たのがリーズでなければ、オーレリアンは完全に結婚することを諦めていただろう。
「その通り、とても大事なひとですからね」
「そうね、でも貴方にとってだけ大事なひとという訳じゃないの。わたしにとっても、リーズは可愛い妹なのよ。だからこそ、本当は貴方になんて嫁がせたくなかった。お父様がごり押ししなければ、あの子はもっと穏やかに暮らせる場所に嫁げたのに」
それは、彼女の言う通りだろうとオーレリアンは思った。
だが、マラキア国王はなんとしてでもアウロスの王族と縁続きになりたがっていた。だが、兄は妃一筋だし、アウロス側から嫁がせられる適齢期の娘がいない。そのため、オーレリアンは今までに四人もの婚約者を持つはめになったのだ。
「あの子は、本音を言わない子だった。今もそう、それが嫌でも義務なら受け入れてしまうの。きっと辛い思いもしてきたはずよ。だからこそ、結婚して幸せになって欲しかった。嫁げば王家の縛りもゆるむ。そのためにできることなら何でもしてあげようと思っていた矢先に、貴方との話が出てしまった。
そして、やっぱりあの子は受け入れた」
かつての自分を断罪するように、マティルダは言葉を並べる。オーレリアンは逸る気持ちを抑え、黙って耳を傾けた。そうすることで、少しは彼女に対する罪悪感が減る気がしたのだ。
「もし、あの子に好きなひとがいれば応援するつもりだったけど、リーズはそんなこと考えもしなかったんでしょうね。ずっと、結婚は義務だって教えられてきたんだから。だけどその相手が貴方だなんて!」
悔しそうに声を荒げたマティルダに、オーレリアンは静かに言う。
「そう思われるのも仕方がないのはわかっています。恐らく、信じてもらえないとも思いますが、私にとって彼女はとても大切な存在なのです」
「つまり、愛しているの?」
疑い深げに投げかけられた問いに、オーレリアンはすぐに頷こうとしたが、一瞬止まった。そう、確かに自分はリーズを愛している。間違いなく、愛しているのだ。
今まで、誰にも渡したくないという思いと、自分に縛り付けてしまった罪悪感ばかりが先に立ち、あまり実感できなかった。だから改めて問われて、再認識したのだ。
リーズに対して抱く感情はとても複雑だ。時には苦しく、穏やかで、激しい。けれど、いないことなど想像もしたくない。
オーレリアンは深く頷いた。
「ええ、愛しています」
そう告げると、マティルダは何か奇異なものを見るような目をオーレリアンに向けた後、嘆息した。
「そう、変わったのね、殿下……わたしがここに来た頃とはまるで違う。貴方はわたし対して、腫物でも触るように接した。とても優しいけど、本当の姿は絶対に見せなかったわね。
最初はなんて素敵な、理想的な王子様なんだろうと思った。後は、貴方にわたしをちゃんと見て欲しかった、好きだったわ」
唐突にされた告白に、オーレリアンは何も答えられなかった。むしろ会ったばかりのときは、まず美しさに圧倒され、他の男が蜜に集まる蟻のように寄ってくるのに不快感を覚えていた。
それでも、何とか平穏に済めばと思っていたが、あの事を見られてしまったのだ。
「他の方とわざと仲良くして嫉妬するか試したり、わざと派手に装って目を引こうとしたことなんて、気づいていないでしょう。
その上、他の女性と密会なんてしているのを見てしまって、憎かったわ」
「それは……」
「知っているわよ、あの後貴方の副官にくどくど説明されたから。それでも、嫌だったけれど」
後悔の混じった苦い笑い声をあげてから、マティルダは真顔になり、真っ直ぐにオーレリアンを見つめて言った。
「まあ、わたしにはもう終わったことだわ。でも、リーズには違うわね。あの子はこれからも、貴方と共に生きなければならない。でも貴方は変わった、それはなんとなくわかるわ。
だから、信じさせて。
リーズを、わたしの妹を、貴方からも、周囲からも守ると誓えるほど愛しているのだと、信じさせて」
美しい緑の瞳が、強い意志を宿してオーレリアンを射抜く。
「これから、マラキア王国の王宮で建国式典が開かれ、連日お祝いのために催しが行われるわ。その期間中に、貴方なりのやり方でいいから、信じさせて欲しいの。
もちろん、できなくても貴方は公然とリーズを連れ帰れるし、わたしも大したことは出来ないでしょう。
だから、これはただのお願い。元婚約者への、そして義弟へのね。これを言いたくて待ち伏せてたの、ごめんなさい」
「……いや」
オーレリアンは力なく視線を床へ落とした。リーズを連れ去ったマティルダに対する怒りは消え去っていた。
むしろ、マティルダは何とかオーレリアンを信じようとしてくれていることに驚き、しかしどうしても信じきれないのだ。それが、どうしようもなく悲しかった。
「それでは、わたしは国へと戻ります。殿下のお越しを父や夫と共に、心よりお待ちしておりますわ、それでは」
マティルダは平静な王女の笑みを浮かべ、優雅に礼をしてオーレリアンの横を通り過ぎた。ふわりとなびいた髪を見たオーレリアンは、それと同じくせのある髪をなびかせたリーズを思い浮かべた。
振り返り、マティルダの背を見送る。
今は、マラキアの大貴族に嫁した身だが、王女としての威厳はいささかも失われていない。
かつては、これほどの女性と結婚できることを微かに喜びさえした。彼女はかつて、その美貌と社交術で、大勢の男性を足元に跪かせてきた。マラキアの紅玉と称えられ、常に話題の中心にいた彼女は、しかしオーレリアンが思ったような女性ではなかった。
強く、美しいけれどわがままなひとで、自分が良ければそれでいいと考えるひとだと思っていた。
それは間違いだったのだろうか。
いや、とオーレリアンは首を横に振った。以前の彼女は確かにそういう部分があった。きっと、今の夫と出会って変わったのだ。オーレリアンがリーズに会って変わったように。
だからこそ、あんなことを言ってきたのだ。
「……だが、どうする?」
オーレリアンはぽつり、と自問した。
マティルダに信じてもらうにはどうしたら良いのだろう。あの病も、完全に治ったとは言い難い。
煩悶して立ち尽くしていると、不思議そうな顔をしたシルヴェールが現れた。
「殿下、どうしたんです? マラキアへ向かう準備はなさらないのですか?」
掛けられた声に、オーレリアンはすがるように返事していた。
「シルヴェール、私はどうしたらいいんだろう!」
 




