貴公子の奇行
「ようこそアウロスへいらっしゃいました。王女殿下、心よりお待ち申し上げておりました。さあ、お疲れでしょう、離宮に貴女様のためのお部屋をご用意してあります。まずはそちらでごゆるりとおくつろぎください、ご案内致します」
「は、はあ」
どうしたら良いのかわからず、リーズは青年を見た。後ろでは何やら騒ぎが大きくなっている。変なことを叫びまくる貴公子が手近なものを投げつけ始めたらしい。
リーズは見なかったことにして青年に意識を戻した。
さらりと長いアッシュブラウンの髪を後頭部でひと束にまとめ、理知的に整った顔立ちをした長身の青年は実に有能そうに見える。完璧に揺るがない微笑は、リーズのものより遥かに完成度が高いのか後ろの珍事にも小揺るぎもしない。
「あ、申し遅れました、わたくしは殿下の副官兼従者をつとめております、シルヴェール・ブランと申します。以後お見知りおきを、それではこちらへ」
「……あの」
爽やかにリーズをエスコートしようと手で示した先には、何やら地面にはいつくばっている貴公子が見える。愛がどうだの引き裂かれた恋人は何だのとのたまっているが、いいんだろうか。
リーズは意を決して訊ねた。
「なんでしょう?」
「できればわたしも聞きたくないのですが、あの、先ほどから妙な発言を繰り返しておられるあの御仁はいったいどなたです?」
その瞬間、シルヴェールの頬が不快そうにぴくりと動いたのをリーズは見逃さなかった。次第にこめかみもぴくぴくし始める。今にもぶん殴りに行きたいのを理性を総動員してこらえているのか痛いほど伝わって来る。
「王女殿下、大変、大変言いにくいのですが……」
嫌そうな笑顔で振り向くシルヴェールの視線の先で、騎士たちを腰にぶらさげた青年が涙ながらに地面を叩いている。
「ああ、愛しの君よ。仕事が終わったらすぐに駆けつけるからね、それまでどうか私を捨てないで欲しい、他の男など君の目に映らなければいいのに、そう、いっそのこと」
「殿下殿下、ほらほら、きりきり仕事すれば好きなだけそうしていていいですから!」
中でも一番大柄な騎士が、苦笑しながら貴公子の襟元をむんず、とつかむ。ぐえっとあひるの鳴き声みたいな音がしたあとで貴公子はぐったりとうなだれた。大丈夫なのだろうか、と心配していると、騎士は貴公子をリーズのもとへ、それこそ猫の子でも運ぶように運んでくる。
そのあと、リーズから少し離れた場所に人形よろしく置かれた貴公子。彼はしばらく咳きこんでから、ようやくこちらを見た。涙目で。
ようやく婚約者と真正面から向き合ったリーズは、小さく感嘆した。
さらさらとしたやや長めの金髪は日差しを受けて輝き、バランス良く配置された灰青の目は宝石みたいに輝いている。背はシルヴェールほど高くはないが、均整のとれた体つきをしていた。
服装はこの日にふさわしい上質だが、そこここに金糸銀糸で刺繍がほどこされた礼服だ。それが恐ろしいほどしっくり似合っている。
――このひとが、オーレリアン殿下。
ぼうっ、と見とれていると、貴公子――オーレリアンはそれまでおかしな行動をしていた人と同一人物とは思えないほどの爽やかな笑みを浮かべた。
「失礼いたしました。ようこそ姫、我がアウロス王国へ。到着を心待ちにしていました」
中音の優しい声。呆然としていたリーズは、はっ、と我にかえる。
「わたしもお会いするのを楽しみにしておりました」
「それは嬉しいな。貴女のような方にそんなことを言われると、勘違いで舞いあがってしまいそうだ。さあ、私の離宮へ行きましょう。貴女のために特別に取り寄せた香の良いお茶があるんですよ」
「まあ、それは嬉しい。お心遣い、痛み入ります」
にっこりと微笑むと、オーレリアンはリーズに腕を差し出す。リーズはおとなしく腕に手を掛けて、ゆっくりと歩き出した彼につづいて離宮へ進む。
丁度花の盛りでもあり、離宮の前庭には薔薇がいくつも咲き誇っている。
深みのある香りに、リーズは目を細めた。
すると、少し後からつづいたシルヴェールが心から安堵したようなため息をつく。リーズは彼の後ろからちょっとした荷物を持ってマノンが追い掛けてくるのを視界の端に捕らえると、再びオーレリアンを見やった。
こうして見れば見るほど、自分にはもったいないような美形だ。
リーズは別に不美人という訳ではなく、どちらかというと美人の部類に入る。姉ほど凄まじい美しさはないものの、王女として見苦しくないように気を使ってきたせいもあるだろう。
けれど、隣りを歩くのはそんなレベルではなかった。
――王子という身分に、外交官としての仕事ぶり、そしてこの容姿。色々そろっているのに、それでもわたしの前に四人もの婚約者に逃げられているなんて……それに、先ほど名を呼んでいたグラシアーヌって一体誰なのかしら。
よくわからないまま、リーズは離宮に足を踏み入れた。