信じたい思い
「お気持ちは大変うれしいのですが、わたしはすでにこの国の人間でもあります。何より、お父様に約束したのです、マラキアとアウロスの懸け橋になることを……。
それに、わたしはうわさなど信じません。オーレリアン様は、とても良くしてくださいますし、お優しい方です。あの方となら、きっと良い関係を築けると思っております。ですから、わたしのことはお忘れになって下さい。
それが、マラキアとわたしのためです」
よし、言い切った。
リーズは会心の笑みを浮かべた。ここまで言えばダミアンでも理解できるはずだ。思った通り、ダミアンから熱のようなものが消えていく。それなら、と追い打ちをかけてみる。
「きっと、これが貴方とわたしの運命だったのです。ダミアン・カステレード。ご用件はお済みですか。わたしは失礼させていただきます」
「おかわいそうに」
颯爽と立ち去ろうとしたリーズは、しおれたダミアンの口からこぼれた言葉に思わず引きつって足を止めて振り返ってしまった。
「そうやって、ご自分に嘘をついてまで国のためにと、やはり、私は諦めきれません」
氷のようだった灰色の瞳に、ゆらりと炎が見えた気がした。リーズは見なかった、聞かなかったことにして、慌てて離宮の中へと足を進める。胸の中は不安でいっぱいだった。
走り出したいのをこらえて、建物のなかに入り切ってしまうと、壁に背をあずけて息をつく。
「……手紙、書かなきゃ」
当然、父と兄にである。マティルダがこれ以上何かする前に止めてもらうのと、ダミアンを連れ帰ってもらうためだ。ダミアンのことだから、仕事を放り投げてまで来た可能性もあるから、書かなくとも連れ戻しに来るかもしれない。
それでも、リーズは書きたかった。
ここから、離れたくなかった。
オーレリアンの、側にいたかった。
ふと、手の中の重みに我に返る。だが、ここに何が書かれていようと、リーズは意思を変えるつもりはなかった。
オーレリアンは、リーズにとっての救いだ。
リーズの心は、彼の側にいなければ救われない。ダミアンではだめなのだ。リーズは、姉からの手紙をぎゅっと強く握り、私室へと足を向けた。
◇
その夜、夕食の席でオーレリアンはそっとリーズの様子をうかがった。どこか憂いに満ちた表情で、あまり食が進んでいない。
彼女が多くを受け付けないことは知っていたが、それにしたっていつもと違う。
――やはり、あの青年が関係しているのだろうか?
彼が、マラキアの貴族であり、義姉からの手紙を届けに来たのだということもリーズ自身がすぐに教えてくれた。だが、だからといってはいそうですかと割り切れない。
何より、あの時見てしまったふたりの表情と、手紙の差出人があのマティルダだというのが引っかかる。
マティルダは、オーレリアンにとって最初の婚約者である。順調にいけば、彼女と結婚していただろう。しかし、彼女は逃げた。オーレリアンのある秘密に、耐えられなくなったからだそうだ。
つまり、マティルダはオーレリアンがリーズに知られたくないことを知っている人物であり、最後までこの結婚に反対していた人物なのである。
その彼女の手紙だ。
――……知って、しまっただろうな。
オーレリアンは憂鬱な気分でスープをかき混ぜる。もしかしたら、この場で言われるかもしれない。いきなり離婚、だなどと言われることはないだろうが、別居くらいは言い渡されるかもしれない。
ちらり、と目線をあげると、リーズと目があう。
ぎょっとして目を反らそうとするが、先にリーズが声をあげた。
「あの、オーレリアン様」
――来た、きっと来ると思ってたけど来た。
背中に冷たい汗が流れる。心臓がどくどくと脈打つ音が聞こえる。オーレリアンは目を反らすことも出来ず、リーズの深い緑色の目を見た。そこから、唇へと視線を移動させる。
瞬間、彼女に触れた時のことを思い返し、顔が熱くなるのと慈雨時に、もう手に入らないことが悲しく思えてきた。
「その、もし、もしもの話なのですが」
「は、はい」
努めて冷静な声で返事をする。
リーズはといえば、深刻な様子――ではなく、若干恥ずかしそうに頬を赤らめながら少し言いよどむ。あれ、何だか予想と違うようなと思っていると、リーズは意を決したように言った。
「あの、今夜わたしの部屋へ来られるおつもりはありますか?」
「……え?」
我ながらずいぶん間の抜けた返事だなと頭のどこかで思いながら、オーレリアンは拍子抜けした気分でリーズを見たが、どう返事をして良いか迷い、口をつぐむ。
そうして混乱している間にも、リーズの話はつづく。




