対立する印象
離宮へとのんびり歩いて戻ったリーズは、ふと視界にかすみを覚えて目をしばたたいた。
そういえば、離宮へ戻るたびに庭の一角がかすんで見える。
最初は疲れかと思ったが、こう何度も続けばおかしいと気づく。
リーズは視界がかすむ方角をよくよく見た。
そちらには、オーレリアンが大事にしている庭と温室があったはずだ。来た時に案内してもらったから覚えている。まだじっくりと見た訳ではないが南国の珍しい花というよりも、この近辺にある草木が多かったと思う。
――何か、ありそうなんだけど。
行きたい。しかしマノンを心配させたら後でお小言の嵐だ。それは嫌だったし、どうせなら一緒に行って欲しかったので、リーズはまず私室へと足を向けた。
こうして勝手に出歩けるのはありがたい限りだ。
もちろん、それができるのは、宮殿の外苑部分に衛兵が配置されているからできることである。かつて王宮を襲った惨事を繰り返さないためだった。
やがて部屋へ辿りつくと、マノンがぱっとこちらを見た。
ただ、前の時のような怒りに燃え盛っているふうではなく、どちらかというと腑に落ちないといったふうだ。
「……どうかしたの?」
「あ、いえ、リーズ様、お帰りなさいませ。何か、ご入用のものはございますか?」
「今はないけど、ねえ、街に行って来たんでしょう? あんなに戻って来るようにって念を押していったのに、どうしたの」
リーズが問うと、マノンは複雑そうな顔をしつつ言った。
「いえ、ただ私が納得できないだけです。何ていうか、今回は殿下を支持するような、認めるような声しか聞けなくて」
マノンはリーズの前じゃなかったら舌打ちしていそうな表情で告げる。リーズからすれば、主の夫となる人物の高評価はいいことのように思えるが、マノンはどうやらこの結婚に反対らしい。
ただの想像ではあるが、もしや国を出る前に姉に何か吹き込まれたんじゃないだろうかとリーズは思った。
それなら、来て早々結婚が台無しになりそうな情報を集めようと奮闘していた理由も説明できる。
「そう、どんな?」
何やら言いたくなさそうなマノンを、リーズはそっと促した。
「何ていうか、殿下はこの国の影の英雄だとか、とても家族想いだとか、まあ、聞いた人たちが今回は男性とか年嵩のひとが多かったからだと思うんですけど、王宮の若い官僚なんか、いつかあの方のところで働きたいとか、憧れなんですって目を輝かせて言うんですよ。
少し前までケダモノだの裏切り男だのばかり聞いてたのに、なんなんでしょうね」
理解できないと言いたげに首を横に振るマノン。リーズは口元に手を当てて、彼自身から受ける印象と、周囲の、それも若い女性から受ける印象の違いについて考えた。
今マノンから聞いた評価は、リーズがオーレリアンから受ける印象とまるで違わない。しかし、マティルダのあの様子や、マノンが話を聞いたという女性たち、ここに来るときに街のひとたちが言っていたことなどはそれとはまるで違う。
――知りたい。
リーズは義務だけでここへ来た。
けれど、相手の人となりを知ってしまった。それだけでなく、好意すら感じている。
――それとなく匂わせて、それでも殿下がお言いになりたくない様子だったらやめよう。
確か、オーレリアンは夜には帰ってくると言っていた。聞くとしたら、晩餐のときが良いだろう。リーズは訝しがるマノンに「それは不思議ね」と返しておいて、外を見る。
ここからではあの場所は見えない。
――わたしは、もしかしたら取り返しのつかないことをしようとしているんじゃないかしら。
人の秘密を知りたい、だなんて思ったことは、子どものとき以来ない。そこまで興味を持てる相手がいなかったからだ。
リーズはそっと胸に手を当てた。
今、望んではいけないと思っていることを、この心が望んでいるのはわかっていた。心の叫びと、長年自分に課してきた義務。どちらを取るべきなのかで、リーズの気持ちは揺れていた。
少し前なら、迷わずに義務を選んだのに。
今はそうできないでいる。
結局どちらも選べず、リーズは考えるのをやめた。ぼんやりと外を見たまま、談話室に備えられているソファに腰を沈める。
開け放たれた窓から、爽やかな風が吹いてリーズの頬をさらりと撫でて過ぎ去っていく。
もうすぐ夏が来るのだ。
リーズはそっと目を閉じた。
 




