観劇への誘い
胸の中で、柔らかくあたたかくふくらんでいたものについて思う。これで良かったのだ。この思いは育ててはいけない。そんな想いを抱くほどの価値は、自分にはないのだから。
リーズは窓の外に目をやった。
午後の光は穏やかで、空にはいくつもの雲が浮かんでいる。この季節、アウロス王国は晴れの日が多いと聞いた。故郷とは違う天候。違う風の匂い。
ここには、家族はいない。
不思議と寂しいとは思わなかった。
むしろ、マラキアにいた頃のほうがいつも寂しかった。もう少ししたらまたオーレリアンが現れるだろう。
優しいのかひどいのか良くわからないひとだ。それでも、結婚することは決まっている。
もしも、うわさと違ってそこそこの好人物なら、かえって愛人がいてくれた方がいい。本当のリーズを知って幻滅されても、彼には逃げ場があるだろう。
やがて、リーズが予想した通りオーレリアンがやってきて軽食に誘った。リーズは誘われるまま、ふたたび部屋を出た。
◆
翌日、オーレリアンは起こしに来なかった。理由なら昨晩しつこく聞いていたのでわかっている。
今日は仕事なのだそうだ。
代わりとばかりに、夜は観劇に誘われていた。
何でも、今夜は国王主催の劇が王立劇場で催されるという。ぜひ一緒に見ましょうと熱心に言われ、断る理由もなかったリーズはもちろんと返事した。
オーレリアンはそのあと、リーズが劇にどれほど興味があるか根掘り葉掘り質問してきた。あまりにも熱を込めた質問に戸惑ったが、リーズも劇は好きだ。
あまりに救いようのないものは嫌だが、そうでない限りは良く見たものだ。
オーレリアンの質問はしばらくつづき、シルヴェールが額に青筋を立てて食堂から引きずり出すまでつづけられた。
何はともあれ、ようやく一息つける。
夜までは疲れた体を休め、マノンと一緒に荷物の整理をして過ごした。やがて夜になると離宮の入り口が騒がしくなった。
「リーズ姫! 迎えに参りましたよ」
「待ってください殿下、まだお着替えも済ませておりません。まずはそれからに、ちょっ、殿下!」
シルヴェールの制止の声も空しく、リーズの部屋の扉が開いた。すでに支度を半ば以上終えてくつろいでいたリーズは、持っていた本を落としそうになった。
ああ、帰ってきたのかと思っていたら、突然来たのだからどうしようもない。何とか空中で受け止め、驚いてオーレリアンを見ると、慌てて立ち上がった。
「ああ、そのままでいいんです。ただなんていうか、またどこかに逃げられていなければと思って」
全身で脱力した様子に、リーズは思わず苦笑した。あれほどまで何度も何度も逃げないと言っているのに、と思ったが、それもしかたがないことだ。
「わたしは逃げません。ですから、落ち着いてください」
「すみません、みっともないところをお見せしてしまって。あの、すぐに迎えに来ますので、少し待っててくださいね」
「はい」
オーレリアンは再び慌ただしく出ていった。リーズはどこか困ったような表情を思い出してもう一度笑う。いつも隙のない貴公子が慌てた姿というのは、なかなかに貴重だ。
そんなリーズを見たマノンが不満そうにぼそりと言った。
「リーズ様、楽しそうですね~。でも好きになっちゃだめですよ、ズタズタになるそうですから、心が」
「わかってるわよ、でも面白かったんだもの」
マノンは疑い深げにリーズを見てから、作業に戻る。あとは髪を整えれば終わりだ。夜会用のものとは違って、ドレスは比較的大人しいものを選んだ。
オーレリアンが用意したものから選んだ方が良いと判断したので、深い緑色のものに決めた。
何度見ても、自分にはもったいないような気がする。けれど、着ない方がきっとオーレリアンは辛いだろう。
しばらくし、今度は落ち着いた足音がした。
扉がゆっくりと開き、正装したオーレリアンが現れる。会ったときから思っていたが、こういう華やかな服装をさらりと着こなせるのが凄い。
「ようやく迎えに来られました。リーズ姫、ではそろそろ王宮の方へ行きましょう」
「はい」
リーズは笑顔で頷いて立ち上がった。
外には馬車が用意されている。オーレリアンにエスコートされ、リーズは離宮を後にした。




