プロローグ
リーズは耳を疑った。
「あの、お父様……いまなんと?」
「お前の結婚相手を決めてきた。相手はアウロス王国の第二王子、オーレリアンだ。知っているだろう?」
にこにこしながら突拍子もないことを言われ、リーズはどう返事して良いか迷った。
アウロス王国王子、オーレリアン。もちろん彼の名前は知っている。非の打ちどころのない美男子で、優れた外交官のひとりとして活躍しているという。趣味は観劇。
そこまでは別にふつうだと思う。
けれど、彼には別の名前がある。
――変人王子、もしくはバカ王子。
「あの、それってお姉様の元……」
「そうだ。せっかくわざわざ相手国まで赴き、これから両国の平和のためにと結んできた縁だというのにマティルダめ、断りよって」
はあ、とわざとらしく嘆息してみせる。ようするに、お前は断るなよと言いたいのだろう。もちろん、リーズにそんな大胆な真似ができるはずもない。
四人いる王女のなかで、一番ぱっとしない容姿をしているのがリーズだ。
姉や妹は大輪の薔薇のようにあでやかなのだが、リーズだけは母親が違う。同母を持つ第二王子の兄も比較的薄い顔をしているので、親が違うからだと納得している。
けれど、他にも社交術や馬術、勉学などでも劣るため、いつも肩身が狭い思いをしている。
リーズは自分のくせのある紅茶色の髪を横眼で見た。その目は濃い緑色。とりあわせは悪くないはずなのだが、なぜか沼地に見えると兄や姉、果ては妹にまで言われる始末。
叱ってくれた唯一の存在の母はもうこの世にいない。
ため息をついて、リーズは問うた。
「そうですか、でもよく向こうが承諾しましたね」
「まあ、向こうも手を焼いていたみたいだからな。なに、お前は彼にはもったいないほどの娘だ。わしはお前ほど穏やかで優しい、わがままを言わない出来た娘は知らん。
ちゃんとした侍女もつける、お前が必要なら従者でも騎士でも気に入ったものなら、あー、重要な職務についていない者ならだれでも連れて行くがいい。衣装もとことん奮発しよう!」
興奮しているのかそうまくしたてる父王に、リーズは冷めた目を向けた。
丸めこもうとしているのが良く分かる。それでも別に断る理由はなかったので、微笑を張りつけたまま頷いて見せた。
「わかりました。そこまで仰られるのでしたら、わたしはアウロスへ参ります」
「おお! わかってくれたか。なに、変なうわさはあるが仮にも王子なのだ。幼少からちゃんと教師がついて指導したはずだし、まわりには優れた助言役もいる。
困ったら彼らを頼れば良いだろう」
父王はホクホク顔で立ち上がると、リーズの近くまで来て目をうるませる。
「お前の母は早くに亡くなってしまって、ずっと何もしれやれなかったことを悔いていた。だが、こうしてお前に報いることで少しは何かができた気がする。
国のための婚姻だが、わしはお前が幸せになってくれることを祈っている」
「ありがとうございます。それでは、一旦部屋へ戻りますね。準備期間などは決まり次第お知らせください。私物などは整理しておきますから」
リーズはそう告げると、まだ涙ぐんでいる父王から逃げるように王の執務室を後にする。部屋を出るとき、見張りの騎士が満面の笑みで「おめでとうございます」と言ってきた。
聞こえていたのだろう。
少し面食らったものの、そこは王女としての威厳を崩さないように微笑んで会釈する。
「ありがとう」
すると、相手は少し赤面した。朴訥な警備兵だな、と思いつつリーズは廊下を進む。すると、途中で目が合った官吏やら、貴族やら女官たちに奇妙な微笑みを向けられる。
どうやら、全員承知のことのようだ。
――婚約する当人が一番最後にそのことを知るって、どういう訳よ。
王子王女のための部屋は、王宮の二階部分の東側にある。そこへ、はしたなくない程度の速度で急ぐ。
とっととこのうっとうしい視線から解放されたい。それには自室が一番だ。そこも決して個人の秘密が守られているとは言えないが、廊下よりはましなはずだ。
やがてそこへ辿りつき、室内の椅子に腰を下ろすと、リーズは目の前のテーブルに突っ伏した。
「ふっ、これでわたしの人生決まったわね」
泣けるに泣けないが、全身にかかる疲労感が半端ない。
別に結婚に夢など見ていない。王族に生まれた時点でこうなることはわかっていたし、大胆で美人で頭の良い姉のような真似はできないから、話が出たら諦めるしかないと思っていた。
のだが、実際そのときが来てみると、じんわりと胸を不安がしめつける。
「わたし、ちゃんとやって行けるかしら」
誰にともなくつぶやいた声は、やっぱり誰にも届かなかった。