MOTHER
このまま永遠に時間が停まってしまえばいいと思った。
でも現実はとても残酷だ。
残された時間は本当にもうあとわずかしかない。
私は椅子に腰掛けて、携帯用のホログラフテレビを視聴している。
首都ワシントンDCの連邦議事堂前の舞台上に立つ小男が浮かび上がっている。
彼は滔々と『地球は今、危機的状況にある』とかそんな退屈な話をしている。
これは大統領演説の中継で、残念ながら今はどのチャンネルもこれしかやっていない。
カートゥンチャンネルならばアニメが観れるかも知れないけれど生憎うちはそんなものに加入できるほど裕福ではなかった。
急にノイズが混じりだして映像と音声が乱れ、私は舌打ちする。
すぐチューニングがずれるから旧式は嫌いだ。
でももっと嫌いなのはママ。
わたしのすぐ隣の医療用のベッドに彼女はいる。
半身だけを起こした彼女は点滴に繋がれていないほうの手で私の頭をずっと撫でている。
私はその手を邪険に振り払うと、携帯テレビのチューニングを続ける。
「ねえママ?」
「なあに私のいい子ちゃん」
「ママは一体いつ退院できるわけ?」
「ふむ難しい質問ね。なんでも分かるママにもそればっかりは分からないわ」
「ママは働きすぎて入院することになったのよね」
「あらそんなこと誰から聞いたの?」
「担当のお医者さんが看護婦さんと話してたのよ。娘の『チケット』を手に入れるために過労で倒れたって」
ママはすこし考えるような仕草を見せてから、「それはきっとママじゃないわ。別の患者さんのことね」と嘘をつく。
「じゃあなんでママは倒れたわけ?」
「それはね。ママは小さい頃にちゃんとニンジンを食べなかったの。だからたまに貧血になるせいよ」
「そんな話聞いたことないけど?」
下手糞な言い訳。
馬鹿にしないで欲しい、ママが過労だということはカルテをこっそり盗み見て確認しているのだ。担当医のカルバン先生は達筆過ぎて判りにくい字をしていたが過労の文字ははっきりと書かれていて私のような子供でも読めた。
「私のいい子ちゃんは私がいなくても移民船の御飯を残さず食べれるわよね?」
「保障できないわね。心配ならママも一緒に来なくちゃ」
「それは無理よ。今は点滴を受けなきゃいけないもの」
ママは点滴のチューブを繋いでいる腕を見せて、まるで移民船に乗らない理由を療養をしなくてはいけない為だ、というような言い方をしてみせた。
私にはちゃんと分かっている。
移民船に乗れるのは私だけ。
ママは今回、同行することもこれからずっと先も私を追いかけてくることはない
「ママも後から移民船に乗るのよね?」
「ええ勿論。この身体が治ったらすぐにでもターシャを追いかけるわ」
ママはすこしだけぎこちなく笑ってみせた。
彼女は嘘をついていた。
何故なら移民船に乗るには『チケット』が必要だった。
それはすごく高価なものだ。
シングルマザーの、スーパーマーケットのレジ係しか職につけないような彼女が容易にそれを入手できるほど世界は優しくできてない。
ママはそれでも死に物狂いで働いて、私の養育費に積立していた貯金と死んじゃったパパの残した財産を注ぎ込んでようやく手に入れたのだ。
たったの一枚、私の『チケット』を。
いつの間にかノイズがなくなっていた。手元のホログラフテレビのチューニングがかうまくいっている。音声と映像がいつの間にかクリアなものになっていた。
ホログラフ上には、腕を大きく挙げ、演説を続けているちっちゃな大統領。
『想像して欲しい。芯だけとなった林檎を。それが現在の地球。人類という毛虫が貪り尽くし結果だ。地球は今ありとあらゆる資源が採りつくされ、削れ、枯れ果てる寸前なのだ。だが我々はいつまでも毛虫でいるわけにはいけない』
先程まで滔々していた声は熱がこもっており、演説はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。
『さあ新天地は用意されている。すでに木星のテラフォーミングは完了したのだ。後は我々人類が蝶となり、そこへ羽ばたいていけばいい』
ああ人類はなんて身勝手なんだろう。
地球から奪えるだけ奪っておいて、底がついたら「ありがとう」も言われずポイと捨ててしまうのだ。
でも私は移民船に乗る側の人間だ。だから最期まで自らの意思で地球に残ろうとする、地球主義者のような事を口にすることは許されないのだろう。
ましてや私はそれ以上に、ひどいことをママにしているのだ
「ねえママ」
「ん?」
「地球は、人間にたくさんのものを与えすぎてボロボロになったんだね?」
ママは娘の唐突な言葉に少しきょとんとした顔をしていた。
私にはどうしても最後に聞いておきたい、でも本当は聞きたくない事があったから、絞り出すようにして声を出す。
「悲しく、ないのかな? 人類なんて生みだしてしまったことを後悔してないのかな?」
ママはもしかしたら子供らしい突拍子もないお喋りだと思ったかもしれない。
別に気づいてくれなくてもいい。
子供らしい突拍子もないお喋りだと思ってくれていい。
私はただ答えを知りたかった。
――私を生んで後悔しているんだろうか。
――地球に残される事を嘆いているんだろうか。
私をじっと見つめ返してくる。
怖いくらい真面目な顔。昔、アパートのベランダをよじ登って遊ぼうとした私を見つけた時に一度だけ見せた表情だった。
私が言いたいことが伝わった気がした。
それからママは急にふと可笑しそうに笑った。
「馬鹿ね」
それから私を片方の腕で強引に引き寄せてくる。勢いで引っ張られた点滴のチューブがスタンドごと倒れたけれど、そんなことはお構いなしに力いっぱいに抱きしめられる。
「親はね、子供が巣立つことを喜ぶものよ」
その声はすこし震えていた。泣いているみたいだった。
私は急に目の前が滲んで、零れだしそうになってそれを必死で堪える。
馬鹿はママの方だ。
見返りなんかないって知っているくせに私を育ててくれた。
こんな意地っ張りで生意気な娘を。
どんなに家計が苦しくても毎日、私の好きな献立を訊いてくれた。
私の我がままが元で口論になった日も、寝る前におやすみのキスをしてくれた。
バレエのレッスン費用を作るためにシフトの時間を増やして五キロも痩せたことがあった。
インフルエンザになった時に、一キロ先の病院までおんぶして走ってくれたことがあった。
パパが事故で死んだ日、本当は自分が一番哀しかったくせに、泣いてる私を抱きしめながら私が好きな『こうもりとオラウータン』の唄を大声で歌ってくれた。
「私の可愛いいい子ちゃん」
「うん」
ママは腕に指してある点滴針とテーピングを外すと、私をもう一度しっかりと抱き寄せた。
細くて白い腕。
その柔らかさと温もりに、何物にも代えることのできない幸福感とそして身体を引き裂かれるような痛みを感じる。
永遠に時間が停まってしまえばいいと思った。
でも現実はとても残酷だ。
残された時間は本当にもうあとわずかしかない。
ホログラフテレビに表示されている時刻はすでにエアタクシーをチャーターして空港に間に合う為の予定リミットを五分以上もオーバーしている。
このまますべてを忘れて移民船に乗らないという選択肢は、ママが持っているすべてを捧げて、私にしてくれた最後の行為を無にすることと同義だった。
もう無償の優しさに甘え続けていてはいけない。
だからもうここから巣立たなくてはいけない。
私はママの腕からすり抜けるようにそっと離れると、足元にある旅行用のアタッシュケースを手にする。
「ばいばいいい子ちゃん」
「ばいばいママ」
私はできるだけ元気のいい笑顔で大きく手を振ると、病室を駆け足で出ていく。
それがママとの最後のお別れだった。
『我々人類は、今日この日、この瞬間、地球という揺りかごを巣立つことを宣言する!』
エアタクシーのなかで、観ている携帯用ホログラムテレビから流れる大統領演説の中継はクライマックスを迎えていた。
ママとお別れしてまだ五分も経っていないのに、もうくよくよしそうで病院へ引き返しそうになる私は、その映像を見て涙をぼろぼろ零しながら、すこしだけ笑う。
拳を振り上げる大統領の叫び声にも似た高らかな声。
空に鳴り響くファンファーレ。
沸き起こる聴衆の盛大な拍手。
それは自分勝手で、尊大で、腹立たしくて.
でもどこか幸せな未来を予感させる光景。
私はいつか彼女のような母になろうと思った。




