捨てた女は最強でした。今さら後悔しても、私の魔法で滅ぼす
数ある作品の中から開いていただきありがとうございます(^^♪
一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/
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第一章 十年分の静寂
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「裏切り者!」
「国賊め、とっとと出ていけ!」
声が四方から降ってくる。
泥が、頬に当たった。
冷たい。重い。――ひどい匂いがした。
私は歩みを止めなかった。
止めたら、負けだ。
誰に? わからない。
ただ、足だけを前に動かし続けた。
王都の大通りは、今日に限って人で溢れていた。
わざとだ、と気づくのに時間はかからなかった。
クラウス殿下の命令で、国外追放の者はこの道を通る。
見せしめのために。
恥辱を、存分に与えるために。
腐った果物が肩を打った。
泥が足元へ投げつけられた。
誰かが、唾を吐いた。
子どもの声が聞こえた。
「お母さん、あの人が裏切り者?」
「そうよ。見ていてはいけません」
(私が、守ってきた国だ)
喉の奥が、きつく締まった。
泣くものか、と思った。
この人たちの前では、絶対に。
十年間。
この国の戦場で、私は支援魔法を使い続けた。
騎士団が前へ出られるよう、敵の術式を崩し続けた。
味方が倒れないよう、強化魔法を限界まで積み続けた。
感謝されたことは、ない。
一度も。
「女に武功は不要」
そう告げられた日のことを、まだ覚えている。
十二歳だった。
王立魔法学院で受けた鑑定書を、誇らしげにクラウス殿下へ見せた日のことを。
『攻撃特化型・破壊魔力指数S――百年に一人の逸材』
鑑定師の手が、わずかに震えていた。
「エルンスト令嬢……これは、前例がありません。この魔力量で攻撃特化型というのは……」
嬉しかった。
父が早くに亡くなって、エルンスト家を支えなければならないとわかっていた。でも、これなら戦場に立てる。この国のために、戦える。
胸を張って、殿下に見せに行った。
殿下は鑑定書を受け取り、一秒だけ目を細めた。
一秒だけ。
それからすぐに、元の涼しい表情に戻って、こう言った。
「令嬢に武功など必要ない。貴族の娘が戦場で暴れれば、品格が疑われる。支援に徹しなさい」
品格、という言葉が頭の中で乾いた音を立てた。
(品格? この鑑定書を見ておいて、品格の話をするの?)
でも私は、頷いた。
この国を守りたかったから。
それだけが、理由だった。
後になってわかった。
殿下が一秒だけ目を細めたのは、驚きではなかった。
恐れ、だったのだ。
自分を脅かすほどの才能を前にした、純粋な恐れ。
だから封じた。
私に気づかせないまま、十年間、封じ続けた。
◆
最初の戦場は、十二歳だった。
支援魔法は、苦しかった。
胸の奥が、いつもきしむような感覚があった。
使うたびに、何かが逆流するような不快感。
まるで利き手ではない手で文字を書かされるような、歪んだ感触。
それでも耐えた。耐え続けた。
戦場で倒れる味方を見るたびに、もっと強化魔法を積んだ。
騎士団が敵陣に突っ込む時、私は後方から全力で支えた。
「エルンスト、もっと強化を厚くしろ」
「エルンスト、左翼の術式を崩せ」
「エルンスト、なぜもたついている」
名前を呼ばれるのは、命令の時だけだった。
勝利の報告書に、私の名前は載らなかった。
一度も。
それでも構わないと思っていた。
民が安全であれば。
国境が守られれば。
それで十分だと。
三年前、一度だけ体を壊して戦場を離れたことがある。
高熱が三日続いた。
起き上がれなかった。
その間の損害を、私はあとから報告書で知った。
死者三十二名。負傷者百名以上。
エーリヒ団長の報告書にはこう書いてあった。
『エルンスト令嬢の不在により、支援体制が崩壊したことが主因』
私のせいにした。
倒れたのは私なのに、私の不在のせいにした。
報告書を読んだ時、しばらく言葉が出なかった。
怒りよりも先に、呆れが来た。
(そうか。私がいなければこうなるのに、私がいると邪魔者扱いをするのか)
エーリヒ団長に直接確認しようとしたことがある。
廊下で呼び止めた。
「団長。先の報告書についてなのですが、私の不在が主因という記述は――」
「ああ、そうだ。お前が寝込んでいたから負けた。それだけだ」
「ですが私が倒れたのは前日の魔力酷使が原因で――」
「言い訳か? 令嬢」
冷たい目だった。
「体調管理も仕事のうちだ。文句があるなら次の戦いで挽回しろ。それだけだ」
そのまま、歩いていった。
私はしばらく廊下に立ち尽くした。
(文句があるなら次の戦いで挽回しろ、か)
――わかった。
そうした。
次の戦いでも、全力を尽くした。
馬鹿だと思うなら、そう思えばいい。
私には、守りたいものがあったから。
◆
そして、先月の大敗だ。
エーリヒ団長の判断ミスで騎士団が敵の包囲に嵌まった。
私は支援魔法を全力で展開した。
死に物狂いで。
胸が裂けるような感覚の中で。
それでも、六十名が死んだ。
翌朝。
クラウス殿下が私を呼んだ。
部屋に入った瞬間、嫌な予感がした。
殿下の隣に、エーリヒ団長が立っていた。
私と目が合った瞬間、エーリヒは視線を逸らした。
(……ああ、そういうことか)
「ルシア・エルンスト。貴様が支援魔法で味方の術式を妨害したことは、証言により明らかだ」
(……何を言っているの)
「国外追放を命じる。今日中に王都を出よ」
声が、遠くなった。
怒りが来るよりも先に、静かな納得が来た。
――そうか。生贄にするのか。
(わかった。でも、覚えておいて)
私は一言も弁明しなかった。
する気が、なかった。
この国の人間に、何かを証明したいとは、もう思えなかった。
◆
城門が、目の前にある。
最後の罵声が背中に当たった。
私は振り返らなかった。
一度も、振り返らなかった。
門を抜けた瞬間、風が頬を撫でた。
泥の匂いが、少しだけ薄れた。
胸元の荷物を、そっと確かめる。
十二歳の時に受けた、魔力鑑定書。
『攻撃特化型・破壊魔力指数S――百年に一人の逸材』
いつか、使う日が来る。
その日が、近づいている気がした。
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第二章 国境の向こう側
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三日、歩いた。
水は川で飲んだ。食べ物はほとんどなかった。
持ち出せた荷物は小さな鞄ひとつで、中身の大半は魔力回復薬だった。
体が限界に来た頃、国境の石柱が見えた。
エストラート王国との境界線。
越えたら、もう戻れない。
(もとから、戻る気はない)
一歩踏み出した瞬間、四方から気配が膨らんだ。
「止まれ」
低い声が、降ってきた。
気づけば、五人の兵士に囲まれていた。エストラートの軍服だ。
逃げる体力はなかった。戦う気力も、今は、ない。
「ライゼンベルク王国の者か」
「……元、ですが」
「元?」
答える前に、別の足音が近づいてきた。
兵士たちが一斉に姿勢を正す。
現れた男を見た瞬間、空気が変わったのがわかった。
黒い軍服。銀の徽章。感情を感じさせない、静かな目。
その男が私を見た。
一秒。
二秒。
「……面白い魔力残滓だ」
誰に言うでもなく、呟いた。
そっと部下の耳に何かを告げる声が聞こえた。
「予測通りの経路です」と、部下が小声で答えるのも。
「この人は私が預かる。下がれ」
「し、しかし団長、この者はライゼンベルクの――」
「下がれ、と言った」
兵士たちが後退した。
男が私の前に立った。
「アルデリック・シュタルク。エストラート魔導師団、団長だ」
名乗りながら、私を見る目は変わらない。
値踏みでも、哀れみでもなく――純粋な、観察の目だった。
「あなたの魔力構造を少し感じさせてもらった。支援魔法を使ってきたようだが」
「……はい」
「嘘だ」
(……え)
「支援魔法を使う人間の魔力残滓ではない。あなたの魔力は、攻撃特化型だ。しかも――」
彼は少し間を置いた。
「私が今まで見た中で、最も規格外の」
声が出なかった。
十年間、誰にも言われたことがない言葉だった。
「なぜ攻撃魔法を使わなかったのですか」
その問いに、私は初めて、答えに詰まった。
「……使うなと、言われていたので」
「誰に」
「王太子に」
アルデリックは少しの間、黙っていた。
それから、静かに言った。
「あなたの力が惜しい。我が団に来てください」
命令ではなかった。
懇願でも、なかった。
ただまっすぐな、事実の提示だった。
私は――初めて、人として扱われた気がした。
目が、熱くなった。
泣かない、と決めていた。
だから、ただ頷いた。
「……よろしく、お願いします」
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第三章 鎖が解ける音
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魔導師団の訓練場は、広かった。
石造りの壁に囲まれた、巨大な空間。
アルデリックが私の向かいに立ち、団員たちが周囲に控えている。
全員が、訝しそうな顔をしていた。
新入りの女。しかもライゼンベルクの追放者。
当然の反応だと思った。
「ルシア・エルンスト」
アルデリックが言った。
「今日は一つだけやってもらう。攻撃魔法を使え。制限なしで」
「……制限なし、ですか」
「あなたが今まで封じてきたものを、全部出せ」
全部。
その言葉が、胸の中に落ちた。
(全部、出していいの)
十年間、一度も使わなかった。
使うなと命じられて、使えなかった。
支援魔法を使うたびに感じていたあの「きしむ感覚」は、本来の私の魔力が逆流しようとしていたからだと、今ならわかる。
周囲の団員がざわつく声が聞こえた。
「団長、本当にやらせるんですか。こいつ、ライゼンベルクの追放者ですよ」
「しかも支援魔法専門とかいう……大したことないんじゃ」
「なんで団長がわざわざ国境まで迎えに……」
アルデリックが一度だけ、そちらを見た。
全員が、黙った。
「やれ」
私に向き直って、静かに言った。
ゆっくりと、目を閉じた。
魔力を、解放する。
ずっと蓋をしていた、胸の奥の部分。
熱い。
こんなに熱かったのか、と思った。
これが、本来の呼吸だ。
炎が、手の中に生まれた。
気づいた時には、前方の石壁に亀裂が走っていた。
一瞬の後、壁の半分が崩れた。
砂煙が舞い上がる。
誰も、声を上げなかった。
静寂が、落ちた。
(…………これが、私の魔法)
十年間、ずっと封じていたもの。
崩れた壁を見ながら、私は呆然と立っていた。
体が震えている。
怒りではなかった。悲しみでも、なかった。
解放、だった。
十年分の何かが、今やっと息を吸った。
「な……」
誰かが、声を上げた。
「なんだ、今の……」
「壁が……壁が半分……」
「一撃で……?」
ざわめきが広がる。
「団長! これ、本当に支援魔法専門だったんですか!?」
「ありえない……こんな魔力量、見たことがない……」
アルデリックが振り返った。
「団員諸君」
静かな声が、ざわめきを切った。
「これが、ルシア・エルンストの本来の魔法だ。破壊魔力指数S。百年に一人の逸材、と鑑定書には書いてあった」
誰かが、息を飲む音がした。
「ライゼンベルクは、これを十年間封じ続けた。支援魔法専門として使い、手柄を奪い、最後には冤罪で追放した」
今度は、静寂の質が変わった。
驚きではなく、怒りに近い何かが、空気の中に漂い始めた。
「……ふざけんな」
誰かが、低く言った。
「これだけの力を持ってて、十年間封じ続けた? 手柄まで奪って?」
「最低だ」
「信じられない」
「こんな魔法使いを追放するとか、頭おかしいだろ」
声が、次々と上がる。
私は、その声を聞きながら、何も言えなかった。
非難されることには慣れていた。
でも、同情されることには、慣れていなかった。
「あなたは今日から、この団の一員だ」
アルデリックが私の方を向いた。
「あなたの魔法を、正当に使っていい」
正当に、という言葉が、鋭く胸を刺した。
正当に。
その言葉が、こんなに重く響くとは思っていなかった。
「……ありがとう、ございます」
声が、少し震えた。
アルデリックは何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
それだけで、十分だった。
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第四章 英雄のいない戦場
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――ここだけは、私の視点ではない。
エーリヒ・グラウの話をしなければならない。
俺の名前は、エーリヒ・グラウ。
ライゼンベルク王国騎士団長。
「英雄」と呼ばれてきた男だ。
少なくとも、三ヶ月前までは。
◆
最初の敗戦の夜、俺は報告書を書きながら手が止まった。
敵の術式配置は、以前と変わっていない。
こちらの戦力も、数の上では上回っていた。
指揮の判断も、特に誤りはなかったはずだ。
なのに、なぜ負けた。
答えは、わかっていた。
わかっていたから、報告書に書けなかった。
エルンスト令嬢がいないから、だ。
(馬鹿な)
俺は書きかけた文字を消した。
あの女は支援魔法専門の令嬢だ。確かに腕は立ったが、彼女一人がいないだけで戦局がここまで変わるはずがない。
そう思った。
「敵の新戦術への対応不足」という理由を書いて、報告書を提出した。
その夜は、よく眠れた。
◆
二度目の敗戦の夜は、眠れなかった。
死者四十一名。負傷者百五十名以上。
前回より、ずっと悪い数字だった。
「団長、どういうことですか」
副団長のカールが、血相を変えて俺の執務室に飛び込んできた。
「同じ敵相手に二連敗です。騎士団始まって以来の記録ですよ。何かおかしい」
「わかっている」
「何がおかしいんですか。術式の精度は落ちていない。兵の練度も変わっていない。なのになぜ」
「……わかっている、と言った」
「団長」
カールが、俺を真っ直ぐに見た。
「俺は十年、団長の下で戦ってきました。だから言いますが――エルンスト令嬢が追放されてから、明らかに何かが変わっています。現場の兵士たちも、そう言っている」
「関係ない」
「本当に、そう思いますか」
俺は答えなかった。
カールは、それ以上何も言わずに部屋を出た。
俺は一人で、窓の外を見ていた。
(関係ない)
(あの女が一人いなくなっただけで、これほど変わるはずがない)
そう思いながら、自分でも信じ切れていなかった。
◆
三度目の敗戦の翌朝、俺は過去の戦績を全部引っ張り出した。
十年分の報告書。
ルシア・エルンストが参戦していた戦いの勝率。
彼女がいなかった戦いの勝率。
一つ一つ、数えた。
数えながら、手が震え始めた。
参戦時の勝率:九割二分。
不参加時の勝率:三割一分。
俺が「英雄」として称えられた勝利のほぼ全てに、あの女の支援が入っていた。
俺の手柄として記録されていた勝利が、全て。
「……っ」
書類を机に叩きつけた。
手が震えていた。
俺が十年積み上げてきた「英雄」の称号が、今この瞬間、音を立てて崩れていく感覚がした。
(俺は……何をしていたんだ)
あの女が前日の魔力消耗で倒れた時、体調管理が悪いと怒鳴った。
あの女が「不在が主因」と書かれた報告書を確認しに来た時、言い訳するなと追い返した。
あの女が毎回の戦場で、胸を押さえながら魔法を使い続けていたのを、俺は見ていた。
見ていた。
それが「支援魔法専門の令嬢が頑張っているな」程度にしか見えていなかった。
(俺は、ずっと見ていたのに、何も見えていなかった)
そこに、部下が飛び込んできた。
「団長! 大変です! エルンスト令嬢が――エストラートの魔導師団に入ったという噂が……!」
「……何?」
「そ、それだけではありません。エストラートの訓練で、単独で訓練場の壁を半壊させたと……! 破壊魔力指数S、百年に一人の最強魔法使いだと……! 大陸中に噂が広まっています……!」
頭の中が、白くなった。
支援魔法専門の令嬢が。
十年間、後方で地味に魔法を使っていたあの女が。
最強の攻撃魔法使いだった?
「……俺たちは」
声が、掠れた。
「俺たちは、何を追放したんだ」
部下は答えなかった。
俺は、その日の夜、もう一度書類を広げた。
ルシア・エルンストの魔力鑑定書の写し。
クラウス殿下が「保管」と称して取り上げた原本ではなく、魔法学院に残っていた控えを、俺はこっそり取り寄せていた。
理由は、うまく言えない。
ただ、気になっていた。
鑑定書を開いた。
『攻撃特化型・破壊魔力指数S――百年に一人の逸材』
十年前に見た時は、この意味がわからなかった。
今は、わかる。
支援魔法は、あの女にとって「逆走」だったのだ。
本来攻撃に使うべき膨大な魔力を、無理やり支援魔法に変換していた。
毎回の戦場で胸を押さえていたのは、気合でも体調管理の悪さでもなく、魔力構造に逆らって魔法を使い続けていたからだ。
常人の三倍。いや、それ以上の消耗をしながら。
それでも戦い続けていた。
この国を守るために。
「……ルシア・エルンスト」
声に出して、名前を呼んだ。
初めて、下の名前で呼んだ気がした。
返事はない。
当然だ。あの女はもう、この国にいない。
俺が追い出した。
正確には、クラウス殿下が主導したが、俺は共犯だった。
冤罪だとわかっていた。
あの大敗は、俺の判断ミスだった。
包囲されると気づいた時、引くべきだった。それでも突撃を命じたのは俺だ。
でも、俺は報告書に「エルンスト令嬢の妨害」と書いた。
書けた。
あの女が弁明しなかったから、書けた。
(あの女は、なぜ弁明しなかったんだ)
考えて、すぐにわかった。
もう、この国に何かを証明したいとは思っていなかったからだ。
俺たちがそこまで追い詰めていたから、だ。
書類を、閉じた。
窓の外を見た。
王都の夜景が、いつもと変わらず広がっていた。
何も変わっていないのに、何もかもが変わって見えた。
「英雄」と呼ばれてきた俺の十年が、今夜、全部崩れた。
崩れて、その下から出てきたのは――ただの、臆病者の顔だった。
◆
翌日、クラウス殿下のもとへ呼ばれた。
殿下の顔色が、白かった。
「エーリヒ」
絞り出すような声だった。
「エルンスト令嬢が、エストラートにいる。魔導師団に入ったと、各国から報告が来ている」
「……存じております」
「噂では、訓練場の壁を一撃で半壊させたとか」
「……はい」
殿下の指が、書類の端を握った。
「あれは、支援魔法専門のはずだったろう」
「……鑑定書を、覚えていらっしゃいますか。殿下」
「……」
「破壊魔力指数S、でした」
殿下が、黙った。
長い沈黙だった。
「……呼び戻せ」
絞り出すような声だった。
「使者を出せ。エルンスト令嬢を呼び戻せ」
俺は頷いた。
でも、心の中で別のことを思っていた。
あの女が、素直に帰ってくると思うか。
謝罪もなく、命令口調で呼び戻そうとして。
十年間、名前すら報告書に載せてやらなかった俺たちが。
(……帰ってくるわけがない)
でも、俺は言わなかった。
言えなかった。
「承知しました、殿下」
ただ頷いて、部屋を出た。
廊下に出た瞬間、足が止まった。
カールが、廊下の端に立っていた。
「……聞いていたか」
「全部」
「そうか」
「団長」
カールが、静かに言った。
「俺は一つだけ聞いていいですか」
「……何だ」
「エルンスト令嬢が冤罪だったこと、最初からわかっていましたよね」
俺は、答えなかった。
答えの代わりに、廊下を歩き去った。
カールが後ろで、小さく息を吐く音がした。
その音が、ずっと耳の奥に残った。
使者として向かった文官が戻ってきたのは、十日後だった。
青い顔をしていた。
「……それで、何と言っていた」
「令嬢は……書類から目を上げずに、一言だけおっしゃいました」
「何と」
「『十年間待って、返ってきた言葉が命令でしたと。それが答えです』と」
俺は、目を閉じた。
そうだ。
そうだろう。
「次の使者は不要とも。答えは変わらないと」
「……そうか」
「団長」
文官が、おずおずと言った。
「令嬢の執務室を出る時に、廊下で魔導師団長のシュタルク閣下とすれ違いました。閣下は……令嬢の執務室に入っていかれました」
「……そうか」
「あの……令嬢は、向こうで、大切にされているようでした」
俺は何も言わなかった。
大切に、か。
十年間、一度もしてやれなかったことを、別の国の男がやっている。
(自業自得だ)
そう思いながら、それが慰めにならないことも、わかっていた。
英雄と呼ばれた男が、今、廊下で壁に背をつけて、天井を見上げていた。
取り返しのつかない十年分が、ただ、静かに重かった。
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第五章 使者と、決意
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アルデリックの執務室に呼ばれたのは、エストラートに来て三ヶ月が経った頃だった。
「ライゼンベルクの使者が来ている」
静かな声だった。
私は少しの間、黙っていた。
「……そうですか」
「通すか、断るか。あなたに決める権利がある」
アルデリックはそう言って、私を見た。
押しつけがましくない。ただ、私に選ばせる。
この男はいつもそうだ。
「……通してください」
使者は、若い文官だった。
紺色の制服。ライゼンベルクの紋章。
私を見て、一瞬だけたじろいだ。
三ヶ月前と、私の雰囲気が変わっていたからかもしれない。
当然だ。
三ヶ月前の私は、泥を浴びながら城門を出た追放者だった。
今の私は、エストラート魔導師団の一員として、毎日攻撃魔法を磨いている。
「ルシア・エルンスト令嬢。クラウス・ライゼンベルク王太子殿下より言付けを預かってまいりました」
「どうぞ」
「殿下は、令嬢の無実を認め、名誉を回復することを約束される。つきましては――速やかにライゼンベルクへ帰還し、魔導師団への復帰を命じる、と」
命じる。
その二文字を聞いた瞬間、私の中で何かが、静かに固まった。
「命じる、とおっしゃいましたか」
「は、はい。殿下は、令嬢のお力が今の我が国には必要であると――」
「謝罪は?」
「……は?」
「十年間、攻撃魔法を封じ続けたことへの謝罪は? 冤罪で追放したことへの謝罪は? 民衆の前を引き回したことへの謝罪は?」
使者の顔が、引きつった。
「そ、それは……殿下は、名誉の回復という形で――」
「形で。なるほど」
私は少し笑った。
笑えた、ということが、自分でも少し意外だった。
「クラウス殿下に伝えてください」
「は、はい」
「十年間待って、返ってきた言葉が『命令』でしたと。それが答えです、と」
使者は、何も言えなかった。
「もうひとつ。次に使者を寄越す必要はありません。私の答えは変わらない。変える気も、ない」
「……っ、し、しかし令嬢! このままでは我が国は――」
「それは、私には関係のないことです」
声は、穏やかだった。
怒鳴らなかった。叫ばなかった。
ただ、はっきりと、告げた。
使者が退出した後、私は椅子の背もたれに身を預けた。
胸の中が、凪いでいた。
迷いが、完全に消えていた。
(謝罪ではなく、命令で呼び戻そうとする)
(この国は、何も変わっていない)
(ならば私がやることも、変わらない)
夜になって、アルデリックが執務室に来た。
何も言わずに、私の隣の椅子に座った。
しばらく、二人とも黙っていた。
「……使者の話を、聞いていましたか」
「聞いていなかった。でも、あなたの顔を見ればわかる」
「そうですか」
また、沈黙。
「決めたのか」
一言だった。
私は、頷いた。
「決めました。あの国は――滅ぼさなければ、何も終わらない」
アルデリックは何も言わなかった。
ただ、私の隣に、いた。
その温度が、じわりと胸に滲んだ。
目が、熱くなった。
泣かない、とずっと決めていたのに。
一粒だけ、こぼれた。
すぐに袖で拭いた。
「……みっともないですね」
「みっともなくない」
アルデリックが言った。
「十年分だ。一粒で足りないくらいだ」
私は、また少しだけ泣いた。
そして、笑った。
泣きながら、笑った。
奇妙な気分だった。
でも、悪くなかった。
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第六章 最強の炎、祖国へ
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開戦は、春の終わりだった。
エストラート王国が正式にライゼンベルクへ宣戦布告したのは、外交交渉が完全に決裂した三日後のことだった。
その日の朝、アルデリックが私に告げた。
「先頭を、お願いできますか」
「はい」
即答だった。
迷いは、なかった。
魔導師団の先頭に立って、私は戦場へ向かった。
空は晴れていた。
皮肉なほど、青かった。
ライゼンベルクの国境守備隊が、私を見て動揺する気配が伝わってきた。
「あれは……エルンスト令嬢か……!?」
「なぜエストラートの軍服を……!」
「追放されたはずでは……!」
(そうだ。私だ。あなたたちが追放した、ルシア・エルンストだ)
胸の奥に手を当てた。
鑑定書は、今もここにある。
『攻撃特化型・破壊魔力指数S――百年に一人の逸材』
十年間、封じていたもの。
今日、全部使う。
「エルンスト! 魔法、展開!」
アルデリックの声が背後から響いた。
私は大きく息を吸った。
胸の奥の扉を、全開にした。
熱が、全身に広がる。
支援魔法を使う時の「きしむ感覚」が、どこにもない。
これが、本来の呼吸だ。
青白い炎が、手の中に生まれた。
それを、空へ向けて放った。
轟音が響いた。
国境の砦の城壁が、一撃で崩れた。
石造りの、分厚い城壁が。
「な、なんだ……!」
「なんだあの魔法は……!?」
「一撃で城壁が……!!」
守備隊が崩れる。
私は止まらなかった。
一撃。一撃。一撃。
砦が燃える。城壁が崩れる。守備隊が後退する。
(十年分だ)
(この十年分の全部を、今日返す)
◆
騎士団との最初の交戦は、国境から三十里の平原だった。
エーリヒが先頭に立っていた。
遠目からでも、わかった。
「エルンスト令嬢!!」
エーリヒが叫んだ。
「やめろ! 俺たちはお前の仲間だ! 同じ国の人間だ!!」
(同じ国の人間)
空を飛びながら、その言葉を聞いた。
(十年間、同じ国の人間として扱ってくれたことが、一度でもあったか)
魔法を、構える。
「待て! 俺は間違いを認める! お前の手柄を奪い続けていた! 全部俺のせいだ! だから……!!」
声が、震えていた。
地に膝をつきながら、叫んでいた。
私は一秒だけ、その姿を見た。
「知っています」
静かに言った。
「最初から、知っていました。全部」
「……っ」
「でも、あなたたちは一度も、止まらなかった」
エーリヒが、崩れた。
剣が、地面に落ちた。
私は、もう見なかった。
青白い炎を、騎士団の陣形へ向けて放った。
轟音。
防衛ラインが、砕けた。
◆
王都が見えてきたのは、二日後だった。
城壁の上に、人影があった。
金色の髪。青いマント。
クラウスだ、とすぐにわかった。
「ルシア・エルンストォ!!」
叫び声が、風に乗って届いた。
「やめろ! やめろ! お前は何をしている! 自分の国に刃を向けるか!!」
(自分の国)
その言葉に、私は少しだけ笑った。
声が届く距離まで、降りた。
「殿下」
静かに、告げた。
「私はとっくに、この国の人間ではありません」
「黙れ! お前がいなければこの国は……お前の力が必要なのだ! 帰ってこい! 謝る! 謝るから!!」
謝る。
十年間、一度も言わなかった言葉が、今になって出てきた。
(遅い)
(十年分、遅い)
「殿下は『命じる』とおっしゃいましたね。使者を通じて」
「あれは……! 言い方が悪かっただけで……!」
「民衆の前を引き回しましたね。泥を、浴びせましたね」
「……っ」
「十年間、私の魔法で勝ち続けておいて、必要なくなったら捨てましたね」
「それは……それは……!」
クラウスが、何かを言おうとした。
でも、言葉が出てこなかった。
「殿下」
私は、もう一度だけ言った。
「あなたは十二歳の私の鑑定書を見て、恐れた。だから封じた。そうですよね」
沈黙が落ちた。
長い、沈黙だった。
クラウスの顔が、ゆがんだ。
答えは、その顔が全てだった。
「……そうか。やっぱり、そうだったんですね」
私は手を持ち上げた。
青白い炎が、手の中に生まれる。
「廃太子の処分書は、もう出ていますよ。年間六万金貨の歳費も、三つの侯爵家との縁も、婚約者も、後継者としての十年分も――全部、今日終わります」
「や、やめろ……! 全部失ってもいい……! お前さえ……!」
「全部失ってから言うんですね」
炎を、城壁へ向けて放った。
轟音。
煙。
城壁の一角が、砕け散った。
クラウスが転倒する。
「うわあああ!!」
次の魔法を構える。
王宮の塔が一つ、崩れた。
次の塔が燃えた。
守備の騎士たちが一斉に武器を投げ捨てて逃げ出す。
城壁の上でクラウスが膝をついた。
その姿を、私は空から見下ろした。
(これが、答えだ)
(私が守ってきた国が、今、私の魔法の前に膝をついている)
もう一撃。
王宮の正面門が、轟音とともに崩れた。
炎が上がる。
煙が空を染める。
青白い光が、王都の空に広がった。
◆
王宮の正門が開いたのは、それから一時間後だった。
ライゼンベルク王国が、降伏を宣言した。
城壁の下で、クラウスが地面に額をこすりつけていた。
「……エルンスト令嬢……! 頼む……! 許してくれ……! 俺が間違っていた……! 最初から、ずっと間違っていた……!!」
声が、かすれていた。
泥の上に額をつけて、叫んでいた。
私は、その姿を見た。
一秒だけ。
「殿下」
静かに言った。
「あの日、民衆の前を歩かされた時、私もこれくらい惨めだったと思います」
クラウスが、言葉を失った。
「覚えていてください。ずっと」
それだけ言って、私は視線を外した。
もう、見なかった。
アルデリックが私の隣に並んだのは、降伏宣言の直後だった。
◆
「終わった」
短く言った。
私は頷いた。
「……終わりましたね」
空は、まだ明るかった。
王都の一部が燃えている。煙が上がっている。
王宮の塔が二本、崩れて瓦礫になっている。
「後悔は?」
アルデリックが聞いた。
「……ないです」
本当に、なかった。
「十年待たせてしまって、申し訳なかったとは思います。自分の魔法に」
アルデリックが、かすかに眉を動かした。
「あなたの魔法は、今日のためにあったのかもしれない」
「そうかもしれません」
「では、申し訳なくはない」
私は空を見上げた。
王都の上空に、まだ私の魔力の余韻が漂っている。
青白い光の粒が、空気の中でゆっくりと散っていく。
きれいだと、思った。
十年間封じていたものが、今、空に広がっている。
「ルシア」
名前を呼ばれた。
アルデリックが、珍しく私の方を向いていた。
「よくやった」
たったそれだけの言葉だった。
でも。
「……はい」
私は、燃え盛る王都を背に、笑った。
泣きそうだったけれど、今日は泣かなかった。
全部終わったから。
十年分、全部終わったから。
そして今、私の魔法は空に燃えていた。
誰にも封じられることなく。
誰にも奪われることなく。
高く、高く、どこまでも。
青白い炎が、春の空を染め上げていた。
それはまるで、十年分の叫びが、やっと形になったみたいだった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
「捨てた女は最強でした。今さら後悔しても、私の魔法で滅ぼす」、いかがでしたか?
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また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)




