第12話 折り畳みナイフ置いてきたかな?
男のトイレなんて、そう大した時間は掛からない。
用を足して、手を洗って、ハンドドライヤーで手を乾かすか、ハンカチやペーパータオルで手を拭いて終わりだ。大きい方ならまだしも、小さい方ならば長くても二、三分ぐらいだろう。
だがその、たった数分の短い時間でも、胡桃が一人になる事に変わりは無い訳で……。
席に戻ろうとしたら、チャラそうな大学生くらいの二人組に声を掛けられている胡桃が居た。
胡桃はしつこく言い寄られつつも、ニコニコ笑顔を貼り付けて応対している様だ。
「なあなあ、俺らと一緒に遊ばね? 楽しい事出来るよ?」
「彼氏と一緒に来ているので、大丈夫です」
おぉ……なんか、あまりにも真っ直ぐ言うから、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるな……。
まあ、胡桃も困っているっぽいし、早く顔を出して――。
「――えー、あんなダサい彼氏よりさー、俺らの方が良くね?」
「そうそう、顔も良いし、金もあるし、テクも凄いぜ?」
ピキ。
空気が凍った気がした。
胡桃はさっきまでの笑顔を一瞬で冷たい顔に変えると、おもむろにポーチを漁り始めた。
「おい、無視すんな――」
「あれー、折り畳みナイフ置いてきたかな? まぁくんと恋人になれて嬉しくて、ついうっかりしてたなぁ……」
チャラ男が胡桃に伸ばした手は、その発言により一瞬で硬直した。
あはは、まぁくんって懐かしい呼び名だなぁ……小学生以来かな? うん、懐かしい。
じゃなくて。現実逃避してる場合じゃなくて。
胡桃さん……一体何を言っているんですか?
物陰から様子を窺っていた俺も、硬直した。
「こんな面倒な人達刺しちゃえばよかったのになぁ……あ、でも、まぁくんに助けてもらうのもいいかも? むしろそっちの方がいいかもなぁ……! まぁくんが『大丈夫だった?』ってかっこよく声掛けてくれて、私が『怖かったよ……』って、きゃー」
前半の恐ろしい言葉はどこへやら、頬に手を当ててトリップし始める胡桃。
流石のチャラ男達も、ドン引きだった。
「お、おい、行こうぜ……」
「あ、ああ……やべぇ女だったな……」
未だ体をくねくねさせてきゃーきゃー言っている胡桃から逃げる様に、チャラ男達は後退り始めた。
……なんか、思わず同情しそうになってしまった。
いやいや、アイツら俺が居るって分かってて胡桃に声掛けたって事だから、結構なクズだよな……同情する価値ねえわ。
咳払いして気を取り直して、あたかも今トイレから帰ってきました、という風を装う。
「あ、真白くーん! なんかさっきナンパが来て……怖かったよ……」
はは、俺はあなたが怖いよ。
さっきの妄想通りのセリフ言ってんじゃねえか……!
やはりあれだ、女は演技が凄く上手いのだ。何の目的を持って演技しているのかは分からないが、演技派過ぎて怖いよ、俺は。
席に座る俺に抱き着きながらそう言う胡桃を見て、俺は心の中で言葉を並べ立てる事しか出来なかった。
「……? 真白くん、どうかした?」
俺が黙ってしまったからか、胡桃は不安そうな表情でこちらを見た。
「あ、ああいや、なんでも――」
「さっきの、見てた?」
心臓が縮み上がる、という表現は、こんな時に使うのではないだろうか。
問い掛けてくる胡桃を見て、俺の頭にはそんな事しか思い浮かばなかった。
「は、はい、見てました……」
「そっかぁ、でも安心してね? いつもはちゃんとナイフ持ってるから! 私の貞操は守られてるよ!」
「……は?」
「大丈夫、犯罪になる様な事もしないから! やるならコッソリサクッとやるから、ね?」
「…………」
怖い、怖いよ。
もうこの人、既に何人かやってるんじゃないの? 警察、仕事してる?
「あ、あの、そっちじゃなくてだな……俺が言いたいのは」
「へ? じゃあ何?」
……コイツ、本当に分かってない顔してる。
もしかして、あれか……さっきのは素でやってて、実は二重人格だったりするのか。
……一応、ちゃんと確認しておこう。
「いや、怖かったとか言ってたけど……あれ、演技だよな?」
「んー、怖かったのは本当だよ? まあでも、真白くんに慰められたくて、誇張しちゃったかなぁ……?」
「……俺を騙す為、とかではなく?」
「違うよー、そんな訳無いじゃん! ……あ、もし嫌なら、もうこういう事はしないよ……?」
俺が手を震わせながら訊いたからだろうか。
胡桃は不安そうな顔で俯き、弱々しくそう言った。
……『慰めてもらう為』の演技。
俺を騙して弄ぶ為の演技では無い。いわゆる、あざとかわいいというヤツだろう。
……なんだ、俺の杞憂じゃないか?
ここで変に取り繕うのでなく、あくまでも目的は『自分の為』。信じやすい理由だ。
……少しくらい、胡桃の事を信用してもいいのかもしれない。
「嫌って程じゃないけど、ちょっと不安になったから、やめてほしい、かな……」
「ん、分かった! じゃあもうしないね! 正々堂々甘える!」
胡桃はそう宣言すると、体を倒して、俺の膝の上に頭を乗せ始めた。
「はは……」
なんだろうか。
今まで感じてきた胡桃に対する『可愛い』は、どこか客観的な見方で感じていた様に思う。
でも今この瞬間だけは、心の底から『可愛い』と思えたかもしれない。
俺はほぼ無意識に、俺の膝の上で甘える胡桃を撫でた。
「……へへ」
撫でられて気持ち良さそうに微笑む胡桃と目が合う。
……可愛い。もっと撫でたい。
胸中に生まれた衝動に逆らわず、俺はしばらく胡桃の頭を撫で続けた。
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