変わる気がした銃後の夜
一番近い九段下駅の入り口を通過して直進する愛の背中を見送った。交差点の信号が青になり人が動くのを見て、千代美も歩き出した。
九段生涯学習館の前に行くと入り口で国本が待っていた。顔を見るなり千代美は腕を捕まれた。ママに言い訳する小学生みたいに国本はしゃべり出した。
「悪かった。本当にゴメン。ぜんぜんヒスってない、千代美の話を聞けてって女子みんなに怒られた。美咲なんか、千代美さんが辞めたら自分も辞めるとか言い出して。笑った男たちも反省してる。財布とスマホ置いてったし、もんぺだから絶対戻ってくるだろ。行き違いになっても嫌だからここで待ってた」
国本は美咲のために頭を下げてるのかもしれない。けど美咲に意外と慕われていたのか、ただ国本に意見できる存在がいなくなると困るからかは分からないが、国本以外から必要とされているようで千代美は嬉しくなった。
「それはどうも」
「ちゃんと聞くよ」
「わたしも悪かったと思う。ベタなファンタジーも必要なんだって、分かった気がするし」
「え。なんかあった?」
「ちょっとタイムスリップしてきた」
「どういうこと?」
「秘密。ただ、このタイトルで行くなら、一つだけ加えて欲しい設定がある」
「なになに」
「二人が抜け出した夜は、月明かりもなく灯火管制で真っ暗だった」
「灯火管制って、あの電気あんまり使っちゃいけないやつ?」
「そう」
愛の表情が変わった時、千代美は遮光カバーを外した電気を思い出した。元々明るかったものが、理不尽なルール、それから派生した同調圧力で覆われ光を失う。状況が変わって元に戻る日が来る。
「敵から分からなくするのが目的だけど、実際は意味がなかったらしい。ルールを守ることで団結させる。みんなが戦争に協力するために終戦まで続いた。銃後の夜といえば、真っ暗なんじゃないかな」
「照明暗めにして声だけの演出にするか」
国本は嬉しそうに食いついてきた。
こういう瞬間、国本と共有する時間が千代美はたまらなく好きだ。
「銃後の夜のルールを徹底的に守って、明かりを付けないようした二人は、足を滑らして川に落ちて死んでしまう。タイムスリップと死の瞬間が同じで、一瞬完全暗転するとか」
「いいね。それ、いい」
「現実世界では悲恋の心中なんかじゃなくて、完全なる事故。戦闘や空襲以外の戦争によるリアルな死」
「夜に逃亡して暗闇で事故死って、笑えない冗談。でも、それが戦争なのかもな」
物語を良くしようとアイディアを出し合う、千代美はこのやり取りが愛しくてたまらない。男女の役割なんか関係ない。いいと思ったものを具現化していく。こういう時間がずっと、ずっと、何歳になっても続いて欲しい。
そして、国本がちゃんと戦争を書こうとしていると感じた。
「うん。それなら銃後の夜を駆け抜けられそう」
「じゃ、このタイトルで文句ない?」
「ない」
国本がママに褒められた子供のように、めちゃくちゃ嬉しそうに笑う。
「おし、戻るよ。千代さん」
「はいはい。お国のために頑張りますよ」
九段生涯学習館の階段を、二人笑いながら駆け上がる。
(おわり)




