思考整理のエチュード
「その服、戦時中の女性の服ですよね。男性は国民服っていう制服みたいなのあったけど、女性は着物を改造して作った『もんぺ』だったって、昭和館で見ました」
女の子は千代美に近づき、もんぺに付けられた名札を見た。
「神田千代さん。三十六歳」
「はい。千代です」
年齢まで読み上げるなと思いつつ名前を復唱した。千代田区神田の神田千代。安易な名前だ。この役がどんな名前だろうと物語にはあまり関係ない。台詞の中で苗字は出てこないので名札を見なければ、この人が神田だということは観客は知るよしもない。舞台なのでまず見えない。千代というのは当時の女性の名前としてありそうな感じはする。そして、これを演じられそうな年齢の知人を思い浮かべ、千代美は話を持ちかけられたのだろうと思った。名前が似ていても当て書きには思えない。
「あ、わたしは、苗字は面倒くさいからなしで。名前は愛です。愛国婦人会の愛」
「愛国婦人会で説明する人、いるんだ」
この子の口から愛国婦人会という言葉が出てくるとは思わず、千代美は素で笑った。
「あの、どうやって未来に来たんですか」
「どうやって・・・・・・」
未来と言っているので、これはタイムスリップについて聞かれているんだろう。認めてないのに。
千代美は思いつかず、川を見た。
その動作に意味があると思ったのか、愛が隣に並んで一緒に川を見ている。
水面が反射している。
「あの、ぐるぐる、キラキラしてる水面を見てたら、吸い込まれて、気づいたら、ここにいた」
擬音や分かりにくい比喩で説明してみた。千代美はそういうタイプが好きではないので、自分のキャラではないなと思いながらあえて言った。
「あ、あれ、面白いですよね。反射して壁にも映ってる」
舞台照明のエフェクトみたいで面白い。今回公演する劇場レベルだとこんな照明は使えないけど、タイムスリップする瞬間ってどんな照明を考えているんだろう。このぐるぐるした感じが壁にも映せたら、本当に異次元に吸い込まれそうな感じに見えるかな。
「あの、十五って、なんなのよ、ってどういう意味ですか」
急に話が変わった。タイムスリップの説明はもういいらしい。若い子は展開が早いなと思いつつも、心の声が漏れていたこを時間差で知って千代美は焦った。
「え、あ、聞こえてたの?」
「はい。あの、わたし四月生まれなんで、もうすぐ十五歳なんですけど、その十五ですか」
「十五歳、十五。やっぱりそう思うよね」
尾崎豊を知らなくても。いや、中学生だったらアンジェラアキか、合唱曲の定番だ。十五の君へ。どっちにしろ銃後じゃないと確信してしまう。
「え?」
「あ、わたしが言ってたのは銃の後ろと書いて銃後」
「銃の後ろ、あ、あれ、ジュウゴって読むんだ。見たことある」
見たことあるってまた昭和館か。と思いつつも、千代美自身も昭和館で得た知識を説明する。
「戦場、前線に対して、銃の後ろにいる。兵士を支えて間接的に戦争に参加する人たち、または日本全体のこと。兵士は男だけだから、男は前線、女は銃後って役割分担されてる。銃後の守りって言われてるけどよく分からなくなって。銃後って、なんなんだろ」
「女も戦場に行きたいってことですか?」
「え?」
戦争に限らず女は男を支えるだけの存在じゃない。男を基準に言うな。という意味で言ったが、女も戦場に行きたいという意味に聞こえるかと、千代美は自分の言った言葉を頭の中で反芻する。
学生時代。戦争の話をすると「男に生まれたら戦争に行かなければいけない。女はズルい」と女性の方が優遇されているという話にしたがる人がいた。戦場が名誉なところか地獄かはそれぞれの視点だけど、そういう話をしたかったわけじゃないのに男女を対立させたがる。でも難しい。言葉が足りない。その時の気持ちを思い出した。
信号が青に変わり、神保町方面から人が歩いてくる。千代美は愛を橋の端に寄るように促した。また素早く話題が変わることを期待したが、愛は黙って千代美の回答を待っているようだ。
「日本、負けますよ」
しばらくして、愛は少しためらいつつも試すように言ってきた。女まで戦場に行く必要ないですよという未来人からの忠告か。よくある台詞だ。
「負ける・・・・・・」
愛は千代美のことを完全に戦時下の人だと思っている。日本が負けるなんて知っている。十五歳、多様性を受け入れすぎて、なんでもアリの時代に慣れすぎているのだろうか。このエチュードはいつまで続くのだろうかと千代美は不安になってきた。「いつまでやらせるんですか」ってツッコんで終わらせて欲しいが、そんな気配がない。
千代美はため息に似た深めの深呼吸をした。
「負けるよね。なんだろうね、いや、女だけど戦場に行きたいってわけじゃなくて、ただ、銃後の女は男を戦地に送り無事を祈ることが役目、男が主役の世界だよね。女ができることは子供を産むだけなの? それ以外は男の補佐でしかないの?」
すべてが男基準で作られている世界のように思えてくる。これは戦時下に例えているけど元職場の話だ。千代美は自覚しながらも、吐き出さないと終われなくなっている。
出世した同期の男にプロポーズまがいな告白をされた。言った本人は女がキュンとする台詞だと思ったのだろうが、アップデートされていない男の価値観を押しつけられただけだ。俺が養ってやるから身の回りの世話をしろと言われた気がしてしまった。照れ隠しだったとしても、男目線で女の幸せを語り、勝手な役割分担をしているのが分かったのでがっかりだった。自分も男だったら出世したと思ってしまう。じゃあ男になりたいかと言われればそういうことじゃない。
本当に些細なこと。掃除とお茶くみと、知らないおじさんのボタン付けをさせられた。女にやらせて当然。その前提が変わらないのが悲しい。
女性が集める千人針。玉結びいっぱいの布を見たとき、どうしようもない嫌悪感を抱いた。男性は寄せ書きみたいに「力」って字を書いて千人力。そっちの方がまだましだと思った。
「千人針は女性の力だって言うけど、玉結びが女の力なのかな。あんな布きれが弾を除けられるわけないのに信じて、負けるよね。あ、千人針って言っても分からないか」
「知ってます。昭和館で見たことある。あの玉留めの気持ち悪いやつですよね。わたしトラ年だから余計にやらされるんだ、嫌だなって思ったことある。紗菜、友達は三月生まれでウサギ年でズルいって」
男女ではなく、トラ年かウサギ年でズルい。純粋にやりたくないという愛の発言に、千代美は無駄に入っていた力が抜けていくのを感じた。自分も昭和館で聞いた、どうでもいい千人針の話を思い出す。
「なかなか集まらなくて、ウサギも足が速いからウサギ年もいいって言われてたよ。願掛けってこじつけだよね」
「そうなんですか」
愛が予想以上に食いついた。同級生と平等になって嬉しいのだろうか。千人針に込めた思いを考えると大人は言葉を選んで素直な感想を飲み込む。代わりに素直に言ってもらえて千代美は少し嬉しくなった。
「気持ち悪いやつか」
「あ、ごめんなさい」
「いや、わたしもあれ嫌い。なんて言ったら憲兵に怒られるね。非国民だって」
当時の人だったら、とう意味で千代美は言った。
「非国民、あ、それも聞いたことある。国民じゃないって言われるのそんなに嫌なもんですか」
「当たり前じゃない」
千代美は思わず声を荒げた。
当時の人にとって「非国民」はキラーワードだろう。その感覚は分かる。今の千代美には「女はヒステリー」だ。違うと反論したいという思いと、そんなことを言われてしまう自分が本当に悔しくなる。その言葉自体になんの威力もない、表現力と語彙力が足らないバカの戯言だと分かっていても、言われたくない。
と思ったけれど、自分の言い方は、自分が思っているよりもキツいのだろうか。愛が萎縮している。千代美は申し訳なくなって頭を下げた。
「ごめんなさい、強く言いすぎた? わたし、いつもこうなの、ごめんね」
「あ、違うんです。わたしも、言われて嫌だった言葉、思い出して」
「なんて言われたの?」
「愛国婦人会」
だから愛国婦人会なのか。
千代美は頭の中で整理して笑った。愛もつられて笑う。
「意味、分かんないですよね」
「うん。国防婦人会じゃなくて、あえて愛国婦人会」
「国防婦人会、それも知ってる。ウィキペディアで見ました。愛国婦人会、最初はマンガの影響でふざけて友達同士で言ってただけなんです。それが、だんだん、いい意味に使われなくなって、うちの母のあだ名みたいになって、最近はわたしも言われるようになって。うちのお母さん、専業主婦で学校の保護者の活動に積極的に参加してるんです。三姉妹で、わたし一番下だから小学校だけで十五年。お母さんは常に、お父さんやおばあちゃんに文句言われないように生きてて、家の仕事以外の仕事として学校の活動を生きがいにしてるみたい。友達の母親はみんな仕事してて、そんな感じじゃなくて」
三姉妹の母、専業主婦で保護者の活動を十五年。義母と夫に気を遣う。
その単語だけで千代美は、友達でも仲良くなれる自信がない、ちょっと苦手な女性像を浮かべた。元上司が求める「女性」だ。
「十五年」
「はい。中学入れたら十八年目になりますね」
愛の母がたどった道を自分に置き換えたら、気分が悪くなりそうだ。
千代美は、ちょうど十五年前は大学で芝居をやっていた。この時間がずっと続けばと思っていたが、その一年後、就職してもう芝居なんてやらないだろうと諦めた。しかし、今、やっている。人生分からない。
十五年だけで分かるものではない。
「つまり、愛さんが生まれる前から愛国婦人会。それ以外のお母さんを、知らない」
「そういうことになるのか・・・・・・」
愛はゆっくりと確認しながら、ハッとした顔をした。思春期特有の親に対する嫌悪感が少し解けた瞬間に思え、千代美は大人としていい台詞言ったかなという気がした。
「十五歳もいろいろ大変ね」
「銃後ほどではないですが」
昔からの知り合いみたいに二人笑い合った。
年が離れているから、軽々しく友達なんて言ったら痛々しいかなと思いながらも、この関係性は友達が一番近いのではないかと千代美は思った。この場において対等な関係。
愛のスマホが鳴った。
愛は素早い手つきで画面を操作し、声に出してため息をついた。
「どうしたの?」
「友達にというか、母親にというか、まあ二人に嘘がバレた。いや、嘘はついてないけど、わざと母がミスリードするような言葉を選んだ。そしたら違うってことが分かったみたい」
一生懸命言葉を選んで説明しようとしている。状況はなんとなく理解できた。千代美は愛依の言葉を拾いながら、千代は戦時下からタイムスリップしてきたとはひとことも言ってない。という事実を当てはめて答えた。
「嘘はついてない、うん。わたしと同じだ」
「千代さんも?」
何が同じだと思ったのか。愛依は嬉しそうに言う。
多分、友達との衝突だろうと察し、千代美は合わせた。
「あ、うん。わたしは怒って飛び出して、ここにいた」
「そうなんだ」
「でも、もう一度話せば分かる気がしてきた」
ベタなファンタジーは直接的表現を回避して、自分の気持ちを吐き出せる装置なのかもしれない。どいつここいつも異世界に行きたがってバカじゃないのと見下していたが、国本は意外と計算しているのかもしれないと千代美は思えてきた。
友達を信じてみよう。芝居に誘われた時の、わくわくした気持ちがよみがえる。
「帰って、話をするんですか?」
「そうだね。ここで話してわたし自身の気持ちも少し変わったし」
「わたしもです」
個人的なことを言ったのに、愛の表情が少し明るくなったように見えた。何かから解放されたような、緊張でガチガチになっていた発表会が終わって、いつもの笑顔を取り戻せたような感じだ。
「じゃあ、わたし帰ります。そしてちゃんと母と友達と話しします」
「うん。気をつけて」
「あ、せっかくだから聖地巡礼して帰ります」
「聖地巡礼?」
「はい」
どこだろうか。いたずらっぽく笑う愛を見て、この子は本気で千代がタイムスリップしてきた人だとは思ってないと千代美は確信した。今時の十五歳は賢い。
思考整理のようなエチュードが終わる。




