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 叔母の言う通りあたしは父と同期だという、フォード・オーウェル大佐に後見人をお願いした。彼はそれをあのしわの定着した顔で了承した。

 軍人である大佐はもちろん寄宿舎住まいだが、休暇の際に訪れる場所を一つ持っていた。彼の実家ではなく、借りるのもバカらしくて買ってしまったという一軒家だった。月に一度帰ればいい方で、ほとんど空き家のような家だという。

 あたしは今、その一軒家に居た。

 当初、島に残るつもりだったあたしはあの島が父の死により親類に売りにかけられたのを知った。

 かくて行き場を失ったあたしに残された選択肢は二つ。後見人である大佐の住まいに暮らすか、叔母の元で暮らすか。

 叔母はもちろん歓迎してくれただろう。だがあたしは叔母の元には恋人がひきもきらないのを知っている。この間恋人と別れたかと思えば、また新しい恋人が出来たと言う。仕事も忙しい叔母の事だ、見知らぬ恋人と家に二人残される事もあるかもしれない。

 対して大佐には恋人がいないという。父とは違い、未婚でもある。

 休暇で帰る家では一人で過ごすのだと、フォード大佐の言葉が決め手だった。




「荷物はこれで全部か」

「はい」

 感情を消し去ったような顔は、しかし窺うような瞳に見えた。フォード大佐が何を考えているかは分からない。あたしの父親と同じくらいの年代だから、共通の話題なんかないように思える。

「この家は、本当に……久しぶりに来たものだから、手入れが行き届いているとは言い難い。何かあったらすぐ知らせてくれ」

 それを裏付けるように天井にはられた蜘蛛の巣に視線をやりながらあたしは応えた。

「はい」

 大佐は、あたしに部屋を与えた。元より一軒家とはいえ小さなもので、二つしかない部屋の一つがあたしの部屋になった。物置状態になっていたという部屋だが、前日までに片付けたという話の通りにあまり物はない。ベッドがないが、これから運び入れるとの話。

 共同スペースであるダイニングは広い。他に風呂やトイレ、物置、台所。

 この家には、大佐はほとんど帰らないという。

 十分過ぎると思った。

 あたし、ここで放っておいてもらえる。

 粗方家の案内がすんだ後、ダイニングでくつろぐように言われ椅子に腰掛ければ、家主はコーヒーをいれた。差し出されたのは湯気の出るコーヒー。ホットは今の時期には少し合わないのではと思った。

「……私は、男親一人で育った」

 沈黙を破ろうと、ためらいがちに切り出された会話。何を言っているのか一瞬、分からなくなる。

「父一人、子一人で……ちょうどありし日の君たち親子のように」

 カップの中の不透明な褐色が、あたしの顔を映す。コーヒーのにおいは嫌いじゃないのに、飲む分にコーヒーはあまり好きじゃなかった。

「だからか、君のような年頃の娘に何をしてやったらいいのかさっぱり分からないんだ。だが、言いたい事があったら存分に言ってもらって構わない。私に至らないところがあったら無理はしないでもらいたい。ルーシー、私に気兼ねする必要はない」

 カップの中のあたしがずっと表情を消したままだったから、フォード大佐は気をつかったのだろう。未だ父親の死をひきずる哀れな少女に。

「言い方がきつかったら、悪かった。よく言われるのだが、私はどうも言葉遣いが厳しいようだ…」

 どこか困ったように、大佐は視線をそらす。あたしはそれを感じてやっと、顔を上げる。

「無理は、するんじゃない…んだよ?」

 軽快な言葉遣いに慣れていないかのように、フォード大佐は口ごもりながら。その様子が、普段の無表情からは全く想像出来なくて、あたしはちょっとだけおかしく思った。

 あたしが気分を害したのではないと分かったからだろう、大佐は小さく笑みを浮かべた。




 奇妙な生活が始まった。







 フォード大佐は、週末以外は基本的に寄宿舎に住んでいる。だが週末には申請を出せば外出が可能となる。あたしは、週末くらい好きに過ごしたらいいと彼に伝えたが、最初の数週間はあたしと顔を合わせに来た。

 彼は、寡黙だ。それはあたしとの会話の糸口がないという世代の事もあるのかもしれないが、あまりおしゃべりをして過ごす事を好んでいるようには見えない。両親を失った子供にどう接していいのか分からないのもあるだろう。まして彼が自分で言っていたようにあたしは女の子で、多感な時期に何を言ったらいいのか分からないに違いない。あたしの父もそうだった。

 父は彼ほど寡黙でもなかったが、いつも成長期のあたしとの距離をどこか図りかねていた。

 週末の度にロセッティ島に帰って、母の墓に花をそえて、あたしとご飯を食べる。会話はなめらかとはとても言えず、でも大佐とあたしの会話よりは上手に家族との対話をこなしていた。

 家族じゃないのだから、仕方がない。フォード大佐とは赤の他人なのだ。

 あたしが大佐の仮の住まいに、住まうようになってから次の週末。

 大佐は初めて戸惑いや気づかう感情以外のものを見せた。

 あたしが、学校に行っていないと知って。

「どうして学校に行かないんだ」

 あたしに、答えろというのか。

「そんなに学校は行き辛いところか?」

 目も合わせないあたしに詰問口調になっているのも知らず、フォード大佐は厳しい表情をあらわにする。あたしは、怒られているのだ。学校に通わない、その事で。

「どうして……」

 何かに気がついたとでも言うように表情を歪めた大佐に、あたしは気づかない。ずっと一人で学校にも行かずにこの家に一人で居たのかと彼は思っていた。傷口が膿んでいるのも気づかずに、放っておいてほしいと言う、少女の意思を垣間見た。そんな大佐に気がつけるあたしではなく、こちらの方が聞きたかった。

「どうして、学校に行かないといけないの? 何があるっていうの? あそこに」

 同情の瞳は、使いふるされた慰めの言葉をつむぐだろう。それから腫れ物に触れないように、遠巻きにこちらを見る。

 かわいそうに。

 家族をみんななくして。たった一人。

 かわいそうに。

 かわいそうに……。

 そんな事は、分かっている。わざわざ言われなくても。

 同情と言い訳してあたしにそれを押しつける。そんなものはいらなかった。

 本当に、心の底からあたしの事を慰め抱きしめようとする人間なんて、あの場所には居ない。

 あたしがもういい、とも言わずにダイニングを後にすると彼は声もかけなかった。

 それでいいと思った。そのままあたしを、放っておいて。







 次の週末には、本人の姿はなく手紙だけが彼の訪問を告げていた。

 気が付いたら夕方だった。あたしが寝て過ごしたその日、フォード大佐は家に帰ってきていたらしい。でもあたしに会わずにすんだようで置き手紙がこの日はもう訪れないと知らせていた。

『先週はすまなかった。無理に学校に行けとは言わない。だがまた通ってくれるようになれば嬉しい。今度はもっと会話が出来たら良いと思っている』

 と、手紙の内容はこうだ。簡潔で、直接的。短いつき合いなのに彼らしいと思えた。

 そんな手紙では、あたしは学校に行くような気分にはなれなかったが、着替えて家を出た。




 月のない宵闇、街の光がやけに遠く見える。向かった先は、共同墓地。軍人のためのもので、戦争になるとここはいっぱいになる。

 あたしは、父の墓をロセッティ島にと思ってはいた。でも、父の死後少したってからその事実を伝えられたように、あたしの意思とは関係なくお葬式もお墓の場所も強制的に決められた。そこにあたしの意思は介在しない。

『アルバート・ウォーターハウス ここに眠る』

 お墓参りに来るのは初めてだった。今でも信じられなかったから。

 ずっと一緒に居たわけじゃない、軍人ゆえに一週間に一度、下手すると月に一回も会えない父親。彼が死んだなどと、誰が信じられよう。今もまだ仕事が忙しく抜けられない日々を送っている彼は、何週間もしたらひょっこり顔を出しそうだ。横長四角に切り出された御影石に、父の名が刻まれていても。現実感を伴わない。

「おや……中佐の娘さん」

 思わぬ声に、あたしはひどく体をびくつかせた。夜の墓地などで、後ろから声をかけられるものじゃあない。

 顔を向ければ、知らぬ顔でもないこの間会ったばかりの顔がある。後見人に申し出てくれた優男のウォルターだった。何故こんなところにと思ったが、彼も軍人だ。彼の同僚か、あるいは上司――元上司などが地面の下に少なくない数眠っている。それを参りに来たとて疑問はない。

「…こんばんは」

 挨拶をしてしまうのは、つい相手が本当に人間か疑ってしまったためだ。挨拶を返せば幽霊ではないと決まるわけではないが、何故か口をついた。

「今晩は。驚かせてしまったみたいで、申し訳ない。今日はまた、こんな時間にどうしてここに?」

 もちろん、中佐のお墓参りっていうのは分かっているよ、と続ける。

 理由がなければ来てはいけない場所なのだろうか、親族の眠る地に。

「ごめん、変な事聞いちゃったね」

 まだ父が死んで一ヶ月もたっていない。無理からぬ事と彼は決めつけたようだ。対するあたしは、何をしに来たかはよく分かっていない。父が死んだかどうかもまだ信じきっていないのだから。

「ここで立ち話もなんだし、ちょっとお茶しない?」

 まるでナンパするみたいに、彼はにっこりと笑っていた。




 ウォルター中尉は気さくな様子で、様々な話を聞かせてきた。それはきっとその甘いマスクと同様に女性を魅了する、知的で堅苦しくないユーモアに富んだ会話だったのだろう。

 あたしはあんまり興味がなかったから、全部聞いては全部同じ耳から吐き出していた。

 ただ一つ、あまり触れられたくない話題になると、あたしはやっと相手を警戒する。

「………島の話、ですか」

 あたしの住んでいた島は小さな孤島だ。本土からはさほど離れてはいないが潮の関係もあって一般人ならまず知らないという土地。死んだ母親のために家族三人で暮らしいていた場所。そうはいっても父は母が生きている間もあまり長くは島にはいられない職業に就いていたが。あの場所は、あたしの家とも同義だった。

「そう。珍しいじゃない、今どき無人島で暮らす家族っていうのも。どんな感じだった?」

 別におかしい事ではない。今までにも島で暮らすあたしを奇異の目で見て根掘り葉堀り聞いてくる者はいた。死んだ母親が空気の悪い都心どころか、大陸のような人の集まるところでは病気の療養を出来ず、小さな島に家族で住まう事にしたと伝えると相手は大抵なるほどと頷く。だが不便なところに母が死んだ今でも居るのは何故か、と怪訝に見られる。電気もガスも完備してあるから、さほど不便ではないのが実情だが、父親はほとんど帰ってこない場所に居座り続ける由縁は何だと。

 たいした理由ではないが、あたしにとっては島に留まる理由はあった。それを簡単に他人に口にするつもりはなかったが、また島事態の話もあれこれ口にするような気持ちはあまりない。

 一度会っただけの、この軍人にも。

「ごめん、まだ話す気分じゃないかな…お父さんとの思い出があるもんね」

 あたしが黙りこんだままなので、ウォルター中尉は紳士らしく引き下がった。

 それからはあたしの話題にはほとんど触れずに話をして、お開きとなった。







 あたしはその週の金曜日、久しぶりに学校行った。気がむいたわけではなく、教員に単位が足りなくなるほど休んでもらっては困ると電話をされたからだ。

 鞄にはとりあえずペンケースを入れて学校へ行った。

 外出自体久しぶりではなかった。不思議なもので、あたしは食事を忘れる事なく食材を買いに出たし、新しい家では料理もした。あたしは何かがあっても、それが自分をひどく揺るがす事でも食事だけは摂れと父に育てられてきた。知らないうちにやってしまう癖のようになっていたのかもしれない。

 学校は以前から通っていたところと同じでも、島からの通学路と新しい家からの通学路とでは道が異なり、少しばかり迷子になりかけてあたしは学校に着いた。

 学校では、父の葬式から時間がたっているためか騒がれる事はなかった。島に住んでいた事を除けば、あたしは有名人などではないから当たり前といえば当たり前だ。だが、あたしの顔を知る程度の知り合いは、窺うような顔つきでこちらをチラチラと見てきた。不登校が少ない学校のため、久しぶりの顔というのもまた珍しかったかもしれない。

 教師たちも、気づかうような言葉を口にしたものの一人にしておいた方がいいと判断してくれたため余計なお節介をいただく事もなかった。

 あたしが思っていたより普段通りの、普通の学園生活が流れた。なんの事件もいさかいもなく一日を終えた。

 その日からあたしは、気分がのりさえすれば学校へ通うようになる。

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