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エレジア大陸記Ⅱ 幻影都市の錬金術師  作者: 神凪 浩
第三部 忘れられた王国の追憶
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エピローグ

 故郷への帰路は、行きとは全く異なる様相を呈していた。

 アゼルとリリアは、もはや外界の常識に戸惑う、世間知らずの研究者ではなかった。

 その足取りは確かなものとなり、その瞳には、世界の真実の一端に触れた者だけが持つ、深い覚悟が宿っていた。


 再び足を踏み入れた「囁きの森」の声は、もはや彼らの精神を蝕む呪詛ではなかった。

 それは、ヴァレリウスの陰謀によって無念の死を遂げた、古王国の民の悲しみの声。

 二人はその声に耳を傾け、時折立ち止まっては、鎮魂の祈りを捧げながら森を抜けた。

 数週間後、アストラルムの港に二人の乗った船が帰り着いた時、そこにはガイウスとセラフィーナが、まるで毎日待ち続けていたかのように、静かに立っていた。

「…おかえり」

 ガイウスは、ぶっきらぼうに、しかしその声には隠せない安堵を滲ませて言った。

 彼は、二人の顔つきが、旅立つ前とは比べ物にならないほど、精悍で、そして力強くなっているのを見て、ただ黙って頷いた。

 セラフィーナは、リリアが大切に抱える小瓶――『銀の雫(アルゲント)』に一瞥をくれると、その幻影のヴェールの奥で、かすかに微笑んだように見えた。

「あなた方は、答えを見つけ出したのですね。…いいえ、自らの足で、新たな答えを掴み取ってきた。その顔に、そう書いてあります」


 探求室に戻ったアゼルとリリアは、休む間もなく、最後の実験に取り掛かった。

 壁の地図に、忌まわしい×印として記された、浄化不能の汚染地帯。

 二人は、その一つである旧市街の第七区画へと向かった。

 そこでは、『記憶の残滓(レムナント)』が黒い水晶のように凝り固まり、周囲の幻影を歪ませていた。

 リリアが、震える手で『銀の雫(アルゲント)』の小瓶の封を開ける。アゼルは、そこから一滴だけを慎重に抽出し、新たに構築した浄化術式の中核に、触媒として加えた。

「起動」

 アゼルの声に応え、術式が穏やかな光を放つ。

 これまで術式を頑なに拒絶していた黒水晶が、その光に触れた瞬間、内側から、まるで氷が解けるかのように、ゆっくりと透明に変わっていく。

 そして、最後には、純粋な光の粒子となって、霧散した。

 後に残されたのは、本来の、穏やかで美しい幻影の街並みだけだった。

 長かった戦いが、本当に終わった瞬間だった。

 リリアの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。

 アゼルは、そんな彼女の肩に、ただ、静かに手を置いた。


 数週間後の夜、探求室のバルコニーで、アゼルとリリアは、眼下に広がる、完全に浄化された都市の幻影を見下ろしていた。

「…昔の俺なら、信じられなかっただろう」

 アゼルが、ぽつりと呟いた。

「最後の決め手になったのが、君の歌だったとはな。論理でも、力でもない。ただ、魂を癒すためだけの、あの優しい子守唄が、数百年続いた呪いを解いた。俺は、この旅で、ようやく理解したのかもしれない。真実とは、ただ書庫で読み解くものではない。こうして、誰かと共に歩き、その心に触れることで、初めて見えてくるものなのだと」

「私もです」

 リリアは、少しだけ頬を染めながら、しかし誇らしげに胸を張った。

「先輩の論理がなければ、私はただ、森の声に飲まれていただけでした。先輩の知識が、私の直感に、進むべき道を教えてくれたんです。私たちは、二人で一つ、ですよね?」

 その言葉に、アゼルは、穏やかに微笑んだ。


 その時だった。

 探求室の扉が、控えめにノックされた。

 入ってきたのは、ガイウスだった。その手には、白銀の鷲の紋章で封をされた、一通の正式な書簡が握られている。

「…俺たちの故郷が、ようやく本当の平和を取り戻したというのに、すまんな。どうやら、この世界は、俺たちに休む暇を与える気はないらしい」

 ガイウスが差し出した書簡。それは、エレジア王国の宰相、カイル・ヴァーミリオンからの、正式な国交樹立を求める、公式な使節団の派遣を告げるものだった。

 アストラルムの浄化は、完了した。

 だが、それは、この孤高の都市が、ついに大陸の歴史という大きな渦の中へと、その身を投じることの始まりを意味していた。

 新たな出会いを予感させる、外界からの風が、今、確かに吹き始めていた。

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