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平穏の場



 家の中では四六時中クロエに引っ付いているポーラだが、しかし学校ではそうでもなかった。

 心配ではある。ポーラのせいで一年遅れで入学する事になったのだから、密かにコソコソ陰口を叩かれているのではないか、とかデリカシー皆無の令息たちから心無い言葉を投げかけられたりしていないだろうか、とか。

 そういった心配は常にあるのだ。


 けれども折角学校にいる間は、両親という邪魔者が存在しないので。


 限られた時間でしかないけれど、せめて学校にいる間はポーラの事など気にせずのびのびと過ごしてほしいとポーラは思っていた。


 実際クロエは一年遅れでの入学という事を特に気にした様子もなく、学校にいる間はかなりのびのびと過ごしていた。

 学校へは馬車で登校している。これももしかしたら、クロエ一人だけなら両親は徒歩で行けなんて言いだしたかもしれないが、ポーラと一緒である以上、行きも帰りも子爵家の馬車で通っている。

 ポーラは自分が学校に遅くまで残っているのだと言い張って、下校時間ギリギリまで粘ってクロエの自由時間を獲得していた。

 正直な話、ポーラも早く家に帰りたい、とは思っていなかったのだ。


 両親もせめてクロエについてもう少しだけ関心を持ってくれていれば。あとちょっとだけでも、ポーラに接する時のように優しくしてあげていたならば。

 家族仲が良好であるのなら、ポーラも早く帰りましょうお姉さま、とか言ったかもしれないが、そうではないので。

 両親の意識はいつだってポーラだけに向けられていて。


 それに優越感を覚えるような子であったなら、きっとクロエの事など気にも留めずさっさと一人で馬車に乗って帰っていたかもしれないが、生憎とポーラはそういった感情を持てなかったので。

 だから、色んな本があって色んな人とお話しできたりする学校ってとっても素敵ね! なんて両親に言って帰りが常に遅いのは自分のせいだと思わせているのだ。

 クロエはあくまでもそんなポーラを待って、帰りが遅くなっているだけ。あくまでもそう装っているし、クロエも一応妹に振り回されているように家では振舞っておけば、最近は両親もとやかく言う回数が減りつつあった。


 フィーリス子爵家の中でポーラはお姫様だったのである。


 それはさておき、姉であるクロエが学校にいる間は一人で自由に行動する事もポーラは厄介ごとに巻き込まれさえしなければ好きなだけ謳歌してほしいと思っていた。

 思っていたのだが。


 二人で図書室で本を借りて、さぁ帰ろうかという時に。


 ――奴は、現れたのである。


 カイン・ロシュフータ。

 学校の中でも成績優秀だという話がそこかしこでされていて、入学して間もないのに何か難しい論文を書いたとかどうとか、そういう噂をポーラは一応耳にはしていた。

 だがしかし、同時にその性格は最悪で、常に周囲を見下している、というのもよく聞く内容だったので。


 直接カインと話をするような機会、ポーラにはなかった。けれどもあちこちでカインの噂が流れていたのだ。面識はないけど気付けば相手の外見的な特徴だとか、誰それと揉めていただとか。

 そんな話題はひっきりなしにポーラの耳に入っていたので、初対面であっても「あ、この人がそうか」と即座に理解してしまったのである。


「クロエ・フィーリス令嬢だろうか」


 そして開口一番カインがクロエの名を出した事で。

 ポーラの警戒度合は一気に高まった。


 なんだ、今までに聞いた噂から、一年遅れで入学なんて恥知らずかつ無駄な事はせず修道院にでも行けばよかったのにとか言い出すつもりか……!? と内心既にポーラは戦闘態勢をとっている勢いである。

 もしちょっとでもクロエに対して失礼な事を言いだそうものなら、家柄的に相手の方が上であったとしても、暴力での解決も辞さない覚悟だった。


 というか、そろそろ帰ろうか、という時間帯。空の色は太陽が沈みつつあるので青さは消えてオレンジが広がっている。どころか、一部既に藍色に染まってさえいるのだ。

 学校の警備はしっかりしていて、外部からの侵入者に関してはないとはいえど、生徒同士のいざこざであれば守衛がやってくるまでに若干の時間がかかる事もある。

 もしここでカインが暴力に訴えるような――事はないと思いたいがそれでも傍若無人な何かを仕出かすのであれば、普通の令嬢なら間違いなく心に大きな傷を負いかねない。


 身長はカインの方が当然高いのもあって、自然とこちらを見下ろす形となっているせいで、顔に影ができていて正直何を言い出すのかポーラにもさっぱり予想がつかなかった。

 それでもお姉さまはわたしが守る……! という気持ちでもって、ポーラはずいっとクロエを庇うようにして前に出た。


「お姉さまに何か?」


 まだ完全に暗くなってはいないけれど、それでもこちらを見下ろすカインの表情は影になっていて暗くよく見えない。カインがどういう目的でもって声をかけてきたのかがわからないので、ポーラは明らかに警戒しています、という態度でもって対峙していた。


 そんなポーラに、大丈夫だと思うのだけど……と小声で呟いてクロエは。


「はい、私がそうですけれど、貴方は?」

「カイン・ロシュフータと言う。聞きたいことがあるのだが、いいだろうか?」

 ポーラの事など眼中にないとばかりに無視してカインは切り出した。

 クロエが声をかけずとも、勝手に話し出すのではないか、という雰囲気であったもののクロエはとりあえず相手とのコンタクトを試みたのだ。


 カインの言葉に聞きたいこと? と一度口の中で呟いてから、クロエは「どうぞ」と促した。

 ポーラは知らなかったが、この時点で既にクロエはキースに遺書で訴えてみては? なんて提案をした後なので。

 もしかしたらその件についてかしら? とクロエは何となくアタリをつけていたのである。


 だがしかし、クロエのそんな想像をカインはあっさりと裏切ってきた。


「好きな食べ物は?」

「え?」

「好きな色、好きな動物、好きな花、好きな宝石、あぁそうだ誕生日も」

「え?」

「それから……その、好きな異性のタイプなどを」

「きええええええええぃっ!」

「ぐっ!?」


 怒涛の質問に対してポーラが奇声を上げてカインの腹目掛けて蹴りを炸裂させた。どっ、という鈍い音がしてポーラの細い足がカインの腹にめり込む。


「何かと思えば本当に何事ですの!? お姉さま、離れて! 近づいてはいけませんこの男、周囲の人を見下し無闇矢鱈と男爵家や子爵家の令息たちの恨みを買っているのです!

 きっとそれに対して一年遅れで入学した行き遅れを縛り付けておけば矛先がそちらに向くとか下衆な考えでお姉さまに近づいたに違いないわ! 去れ! 去ね! お姉さまの敵ッ!!」

「ポ、ポーラ、落ち着いて……」

「落ち着けるわけありません! わたしの我儘でお姉さまの入学が一年遅れてしまっただけなのに! 周囲はお姉さまに問題があるみたいな言い方するし! こんなロクでもない男が近づく事になるなんて知ってたらもっと早くお姉さまに健康上の問題は何もなくて一年入学が遅れたのはわたしのせいだと周知させておくべきでした!」

 言うなりポーラはクロエの手を掴んだ。離すものかと言わんばかりの力強さで。


「行きましょうお姉さま。

 おい、二度とお姉さまに近づくんじゃねぇぞ、次近づいたらどことは言わないけど切り落とすからな」

 クロエに対する声は普通だったが、その直後カインに向けた声は令嬢とは思えない程ドスがきいていた。ついでにクロエの手を掴んでいない方のポーラの手は、中指だけが立った状態でカインに向けられている。

 完全に淑女のやる事ではないので、もしこの場に他に誰かがいたならばポーラのこの行いは窘められていたかもしれないが、生憎とそれを窘める者はいなかったので。


 思いのほか深く鋭い蹴りをくらい思わず膝から崩れ落ちたカインは、そもそもこんな身体的な痛みなんて想定していなかったのもあって、何かを言おうにも痛さで声が出ない状態であった。

 故に、カインは不審者から逃げるかのような令嬢二人を呼び止める事もできず、誤解だと言う猶予も与えられず、ただ見送るしかなかったのである。





「いいですかお姉さま、金輪際あの男に近づいたらいけません! ダメです絶対!

 周囲に敵作りまくってる相手と一緒にいたら、お姉さままで巻き込まれちゃう!」

 帰りの馬車の中で力説するポーラを、クロエはどうにか宥めようとしたけれど、一向に聞く耳をもってくれなかった。


 突然の質問攻めに驚きはしたけれど。

 質問内容からして彼は別に私に害を加えるつもりはなかったのではないかしら……とクロエは思っていた。


 仮に先程ポーラが言ったように、周囲で言われている噂のように、健康上問題があって一年入学が遅れた行き遅れ令嬢だ、というのを真に受けたとしてもだ。

 そういった相手を自分の近くに置いて、性格が悪いからあんな行き遅れにしか相手にされなかったとか、まぁなんていうか、そういう風にしてじゃあそこでクロエがいなくなればあいつもマトモな結婚絶望的だな、みたいな感じで嫌がらせというか反撃しようと考える令息がいたと仮定した上でクロエを盾扱いするつもりだったとしても。


 噂通りの手合いならば、まず行き遅れをもらってやるんだ有難く思え、とかそういう尊大な態度に出るのではないか? とクロエは思うのである。

 ロシュフータは伯爵家なので身分を持ち出されればフィーリス子爵家は余程の事がなければ、明確に拒絶できる理由がない限り、バッサリとあちらからの話を断るのも難しい。


 強引にそういった方法を取るようなら、それこそ両親はクロエの嫁入り先が伯爵家と聞いて最初はきっと良い顔をしないだろうけれど、しかしその夫になる相手に問題有りと知れば喜んで送り出す事だろう。


 けれどもカインの質問は。


 クロエの好きな物に関してばかりだった。

 最後の好きな異性のタイプ、に関してはどういう意図があったのか不思議でならないけれど。


 もしカインがクロエをもらい受けようとするのなら、クロエの好みに寄せる気があるからこその質問だったのか、それとも行き遅れでもいいからちょっと婚約の打診してみようかな、とかいう友人たちが複数名いて、クロエが好みそうな人物を紹介するつもりだったのか……


 そもそもクロエにそういった婚約をしたいという相手が出るとはクロエ本人も思ってはいないが、万が一の可能性として考えてみる。

 ま、どちらにしてもそれは少し自分に都合が良すぎる考えではあるな、とも思ったので。


 クロエは後日一応妹が失礼しました、という旨の謝罪の手紙くらいは出しておくべきだろうと考える。

 もし正式に伯爵家から抗議の手紙がやって来た場合、きっとポーラはそれに対して先に仕掛けてきたのは向こうだと、それも女相手に暗くなる直前で、と嘘は言っていないが完全に真実でもない言葉でもって相手に非が多くなるような話し方をして周囲にばら撒くだろう。

 そうなる前に内々で済ませておきたい。


 カインのあの様子から、あの女タダじゃおかねぇ……! といった雰囲気はなかったと思うけれど、しかし後になって冷静に考えた結果反撃しようと思うかもしれない。

 キースから聞いたカインの人物像からそういった感じではないと思うが、ポーラが暴力に訴えたのもまた事実。


(私が直接カイン様に謝罪を、となるとポーラがうるさいだろうから、キース様に手紙を渡しておきましょう)


 妹はすっかりクロエの保護者となってしまっている。

 両親のせいだ、とわかってはいるが、子育て中の気が立ってるガルガル期の母親みたいな勢いで秒速で相手に殺意を漲らせるのは頂けない。

 半分しか血が繋がっていないとはいえ、妹がこれだけ自分を大切にしてくれている、というのはとてもありがたい事ではあるのだけれど。


 姉なのに、いつまでも守られてばかりではいけないな、とは思うのだ。

 だからこそ、学校に通えるようになった今、知識をなるべく蓄えて、そうして家を出ても一人でやっていけるだけの何かを手にしなければならない。

 知識や技術といったものは、習得してしまえば奪われる事もないのだ。

 お金や物といった目に見えて分かりやすい物ならば両親が妹に譲りなさいと言うだろうけれど、目に見えないものであるのなら。そう簡単に奪われる事はない。


 妹が時間目一杯使って学校に残ってくれるから、学校に通うようになってからクロエの生活はいくらか気が休まる事も増えてきた。学校に行く前までは、ほとんどを家で過ごしていたのでのんびりする事なんてほとんどなかったくらいだ。

 時折、ポーラの友人関係を広げようと誘われたお茶会などに連れ出される事はあったけれど、そういった外出以外で外に出る事というのは少なかったから、クロエは今までずっと精神を張り詰めていたのだな……と改めて実感していた。


 学校でできた友人たちにもポーラはお姉さまは健康上の理由とされているけれど、実際はわたしの我儘で一年入学が遅れてしまいましたの、と伝えているので、周囲全部がクロエが病弱だと思っているわけでもない。ポーラの口から真実を知っている者はそれなりにいるのだ。


 それもあって、クロエにとっての学校生活というのは家にいるより余程充実していると言ってもいい。


 とはいえ、学生でいられる期間とて、そう長いものではない。卒業して成人したとみなされるまで、長く感じる事はあっても実際はきっと、いざ卒業という頃には短かったという感想を抱くのかもしれないとクロエは思っている。


 なので、その長く短い学生生活の間を、これ以上ポーラが自分のせいで気を揉まないように平穏な日々を心掛けなければ……と考えて、クロエは家に戻ってからキース経由で渡すつもりの、カインへの謝罪の手紙に取り掛かるのであった。



 手紙が功を奏したかはわからない。

 とりあえず、伯爵家からの抗議の手紙はなかったようだし、穏便に事を済ませられたのだと思っている。


 ただ、時折クロエの周囲でカインを見かける事が増えた。

 直接声をかけてはこないが、気付くと見える範囲にいるな、という回数が増えた気がする。


 あの日カインに声をかけられる前までは、いなかったはずだ。

 しかし前とそう変わっていないが、あの日カインに声をかけられた事で意識して見たらいるな、と認識できるようになっただけかもしれない……という可能性も否めない。


 何か言いたそうにこちらを見ている事があるような気はすれど、しかしクロエはポーラに近づいたら駄目ですからね!? と何度も何度も念を押されているので、それに逆らってまで自分から声をかけに行こうとは思わなかった。

 ポーラは嫌がらせでクロエの人間関係を縛り付けようとしているわけではなく、本当に心の底から心配して言ってくれているのがわかっているので。


 幼い頃から両親の防波堤となってくれた妹だ。これ以上余計な心配をかけたくはないし、面倒もかけたくはない。学校の中でまで家と同じようにべったり、という事はなくても、もし何かあったならポーラの事だ。きっと、自分の時間を削ってまでクロエを守ろうと学校でも離れなくなるかもしれない。


 ポーラがクロエに自分の時間を満喫してほしいと思うように、クロエもまたポーラが学校でのびのび楽しく過ごせるといいな、と思ってはいるのだ。そのためには、あまり余計な問題を起こすわけにもいかない。


 だからこそクロエはあえて視界の隅に映るカインの事を意図的に見ないふりをし続けた。


 その結果、今度はキースが振り回される事になるなんて、思いもしなかったのだ。

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