出会いは偶然
キース・ロシュフータは伯爵家に次男として生を受けた。
次男、といっても双子であるので長男であるカインとの年齢差なんてものはほぼ無い。
将来の事を考えるのであれば、長男の方が跡取りとなる傾向があるのでほんの少しの差で自分の人生が大きく左右されるとなれば不公平だと叫んだかもしれないが、幸いな事にロシュフータ伯爵家には子爵ではあるが他に爵位を持っており、キースが跡取りにならなくとも将来的に領地の一部とその子爵位をもらえる事になっていた。
そういう意味では将来をそこまで悲観したりどうするべきかとあれこれ悩む事も、他の家の跡取りになれない令息たちと比べたとして、悩みは少ない方と言える。
それならばさぞお気楽に生きていけるかと思いきや、残念ながらそうはいかなかったのである。
将来的に他の令息たちと比べてもそこまでの不自由はないキースであるけれど、しかしその代わりに、とばかりに別の問題で悩まされていた。
兄のカインである。
双子なので見た目はそっくり。
身長も体重もほとんど同じで、パッと見で区別がつかない。
それでカインがキースの振りをして周囲に迷惑をかけている、とかではない。むしろまだそっちの方がマシだったかもしれない。
カインとキースとの違いはというと、学校での成績だろうか。
カインはあまりにも優秀過ぎたのである。
そして若干想像力が足りなかった。
つまりどういう事かと言うとだ。
その優秀さ故に周囲は彼を持ちあげたりするものの、しかしカインはできない者の気持ちを理解できず、周囲に心無い言葉を投げかける事が度々あったのである。
あからさまに馬鹿にされている、と理解できるような口調や態度であるのなら言われた相手もその喧嘩買ったぁ! となったかもしれない。
だが、カインは別に相手に対して喧嘩を売っているわけではなく、純然たる事実を口に出しているだけなので相手がカインの物言いにカチンときて食って掛かろうとしても、本当の事を言われて頭に血を上らせるくらいならもっと精進したらどうだ? などと更に煽るのである。
そしてカインに相手を煽っている自覚はない。
無自覚に全方向に喧嘩を売っているようなものだ。
無自覚であるからこそ、ある意味で一番性質の悪いタイプだった。
いっそ悪気も悪意もあって言っていると開き直られた方がまだマシ。自覚があるならある程度の線引きもできるだろうけれど、自覚がないので線引きも何もあったものではないのだ。
そしてそんな双子の兄であるカインと、その弟であるキースは双子であるが故に見た目はそっくりなので。
その場で即座に言い合いに発展しているならともかく、そうじゃない場合、後になってから文句を言いにやって来た相手がカインではなくキースに突っかかりにいくのだ。
学校に通う以前は、そこまでではなかった。兄はどちらかというと本を読んでいる事が多かったし、キースは外で遊んでいる事の方が多かった。そのため二人一緒に行動する事はあまりなかったし、活発に駆け回るキースは外に出る際服を多少汚れても問題のない、やや丈夫なものを着ていた。
部屋でおとなしくしているカインは、外に出ないと決めた日は基本的に汚れたりしたら洗濯が大変そうな服を着ていたのもあって、顔だけ見れば区別がつかなくても、着ている服で区別ができていたのだ。
外で駆け回るキースと大人しくしているカインでは、体力面での違いが出るのではないか、とも思ったがしかし何故だかカインの身体能力はキースと同程度には高かったので。
カインがキースの振りをしたのであれば、きっとすぐにはバレなかっただろう。やられた事はないけれど。
ところが学校では制服というものが存在しているので、カインとキースの区別が全くつかなくなってしまったのだ。
一応、人懐こい感じのキースとあまり人を寄せ付けないカインとでは、見慣れてしまえば多少雰囲気とかで区別はできるようになってきた者たちもいるけれど、しかし学校の生徒全員がそうできるか、というと話は別だ。
口を開けば話し方でカインかキースかの区別はつくかもしれないが、畏まった場で皆が同じような言葉遣いで話し始めたのであれば、恐らく区別はつかない。姿だけではなく声まで似ているので、話し方を同じようにされてしまった場合と大人しく話を聞く側に回っている間、本当に困った事にカインとキースの見分けがつく者は教師にもいなかった。
つまるところ、カインへの苦情や文句が本人に直接いくのであればまだしも、事情を把握していないキースの方に突然あれやこれやと言われる事が爆発的に増えたのだ。
二人が双子である、と知っているのであれば、
「いや俺キース、カインじゃない」
と言えば間違いに気づいた相手が引き下がる事もあるけれど、双子だと知らない者はカインが別人の振りを、それもあからさますぎるやり方でやって馬鹿にしている、と受け取る事もしばしばあった。
学校に通う以前でも、間違えられる事はあった。
けれども家族や使用人は間違えても訂正すれば即座に理解してくれたからそこまで苦には思わなかったが、学校ではそうではなかったので。
キースの心労は家に居た時以上に増えたのである。
勿論キースだってカインに苦言を呈した。
お前周囲に喧嘩売るような態度はやめろよ、とか、もっと言い方考えろよ、とか。
だがカインは何が悪かったのかをこれっぽっちも理解してくれなかったので。
別に喧嘩を売った覚えはないだとか、言い方? 簡潔にした方がわかりやすいだろう、とか。
簡潔にした結果言葉のナイフが飛んでるんだよ、とキースが言ってもカインは何を言っているんだ? とこれっぽっちも理解をしてくれなかったのである。
悪気があってやっているなら理解されただろう。
けれどもカインは一切悪気も悪意もないからこそ、簡潔にわかりやすい言い方をした方が相手に伝わりやすいと信じて疑っていなかったし、周囲が馬鹿にされていると思われる物言いだって相手の事を考えた結果で、そう言われた側がそれをどう受け取って何を思うか、までは考慮していなかった。
その知識はまだ基礎ができていないのなら学ぶだけ無駄だろう、だとか、専門的な分野だからそもそも必要としないだろう、だとか。
基礎を学んだ上で応用的な部分で躓いている相手にも容赦なく言うので、頭がいい事を鼻にかけていると思われるのは当然の流れであったし、成績優秀であるからってこっちを馬鹿にして! 次の試験では見てなさいよ! というような、ライバル宣言で済めばまだいいが、相手によってはもっと単純で明快な暴力的な手段に訴えようとする者だっていたのだ。
幸いにしてそういった相手から逃げるのはキースにとって余裕であったけれど。
だがいつまでも逃げられるか、というとそうではない。
背後から突然襲われたならキースだって避けられないかもしれないし、本当にカイン相手にそういった暴力が成功する場合だって有り得るのだ。
今までは、奇跡的に暴力で解決しようとした相手がキースを狙ってきたからこそカインは無事で、キースもその場を切り抜けてこれたけれど。
身分が上の貴族たちであれば、学校へ行く以前の家での家庭教師による教育で既に高度な内容を習っているところが多いので、カインがもっぱら馬鹿にしているように見える生徒の大半は男爵家や子爵家出の者たちが多かった。他の伯爵家出身の者たちは双子のカインとキースの事を割とよく知っていて、キースはともかくカインは関わるのに少し面倒なタイプっぽいな、と思っていたから自分から絡みに行くような事は必要最低限にとどめていたためか、まだ家ごとトラブルに巻き込まれるまではいっていない。
これで高位貴族の家で生まれ育ったけれどロクな教育を受けていない令嬢か令息がいたのであれば、間違いなくトラブルが勃発して面倒な事になっていただろう。
そこまでの厄介ごとになっていないのを救いと考えていいかは微妙ではあるが、しかしそれにしたってカインが悪気なく相手を馬鹿だと告げているかのような状況は、減るどころか増える一方で。
そろそろ徒党を組んでカインを亡き者にでもしてやろうとか考え始める者が出てもおかしくはなかったのである。
そんなキースを助けたのは、クロエであった。
徒党を組む、まではいかずとも、その日は三人ほどの令息たちに詰め寄られた。
勿論カインの物言いのせいで。
そして自分はカインではなくキースだと言っても相手も頭に血が上っているからか、簡単に信じてくれなかったのだ。
あぁ、せめて学年が異なってくれていれば。
学年ごとに色の異なるネクタイピンで違うと証明できたのに、と現実逃避しかけたところで。
「カイン・ロシュフータ令息でしたら先程図書室に向かわれましたよ?」
通りすがりのクロエが親切に詰め寄っていた三人に声をかけたのだ。
「間違いございません、ロッシュリア先生と一緒でしたから」
三人組はてっきりクロエも嘘をついて騙そうとしている、と思いかけたのだが。
しかしロッシュリアという名を聞いて考えを即座に改めた。
教師ロッシュリアは気難しい事で有名な人物であり、もし仮に嘘をついて三人組を騙そうとした場合、その名を出すのはリスキーでしかない。ロッシュリアに後々確認をとってそれが嘘であったとなったなら、何故自分の名を出してまで偽りを述べたのか、とロッシュリアは間違いなく問い詰める。そうして自身が納得できるだけの言い分が出たのであればまだしも、まず間違いなく納得する事はないのでその場合、偽りを述べた生徒には面倒極まりない課題が山と出されるのは確実だった。
もし嘘だったらタダじゃおかないからな! 先生に言いつけてやる!
と、とても子供じみた言い分ではあったものの三人組はまずロッシュリア先生を探す事にしたのだろう。図書室に急げば二人が一緒にいるところを目撃できるかもしれないのだ。
仮に、どちらかがいなかったとしてもカインがいるのであれば今絡んだ相手は本当にキースであると知れるし、ロッシュリアであれば先程カインと一緒にいたかを確認するだけだ。
もしカインといなかった、とロッシュリアが返せば彼の名を出してまで偽りを述べたクロエは今後の学校生活で、彼に目をつけられる。
そして今後キースが自分はカインじゃない、と言ったとしてももう騙されてやるものか、と思っていた。
ともあれ、確認すればわかる話だ。
三人組は急いで図書室へと向かうべく、キースとクロエの事など放置して立ち去っていった。
「余計なお世話だったかしら?」
「いや、助かったよ。ありがとう」
これが、クロエとキースの出会いである。
これだけなら、別にたまたま学校の中で言葉を交わす事があっただけ、で終わるはずだった。
ところがその後もキースが他の生徒にカインだと思われて絡まれかけた時に、クロエはひょっこりと現れてカイン令息なら……と彼の居場所をリークしていくのだ。
クロエとカインは同じクラスというわけではない。
だが、クロエの行動範囲とカインの行動範囲がどうにも学校内ではよく重なるようで、見かける事が度々あるのだとか。教師と話をしている光景だけであれば、もう何度だって見かけているらしい。
「よく絡まれるのね」
何度目かの遭遇で、クロエはそんな風に言った。
呆れているというよりは、物珍しいといった風に。
「双子だからさ、見た目だけなら区別がつかないんだよ。時々家族や家の使用人にも間違われる」
「でも、今までは別に間違われても問題なかった?」
数秒考えこんでから口に出したクロエの言葉に、キースは思わず「そうなんだ」と頷いていた。
家族や使用人たちは別にカインにつっかかりにいこうとしているわけでもないし、キースと間違えてカインに声をかけたとしても、まぁ双子で似ているからな、と向こうも理解しているから間違えるなど……と叱ったり文句を言うような事はない。
家にいる間は間違われても特に困る事はなかったのだ。
困るようになったのは学校に通うようになってから。
カインにきつい物言いはやめろと何度か伝えても、彼は何が悪いのかわからず結果として今も事態は解決するどころか……と困り果てたようについ、愚痴を吐いてしまったのは知らずそれだけキースが疲れ果てていたからだろう。
兄さん宛ての文句がこっちに来ているんだ、と言ったところでそんなものは無視すればいいとか、自分はカインではないと言うだけで済むと思っているのだ。
だからこそ一切カインの言動は改まっていない。
「……大変なのね」
「あ、すまない。つい言ったって仕方のない事を……ごめんな、気を悪くしただろう?」
「いいえ。家族だからって何もかも許容できるわけじゃないって事は、私もわかっているつもりよ。
そうね、それじゃあ、こんな方法はどうかしら?」
他に改善策があるとは思いつかなかったキースに、クロエはとある提案をしてみせた。
そしてそれをキースは他に手段が浮かぶでもなし……と実行したのだ。
結果として、兄はようやく理解してくれた。
方法としては手紙を書く、というようなものだが。
その内容は遺書だった。