お姉さまだけずるいですわ
「どうして今度のお茶会にはわたしとお母さまだけなの? おねえさまは?
ずるいわおねえさまだけ。わたし知らない人のお家に行くのドキドキするもの。お母さまは他の人とお話しして、その間わたしは知らない人といないといけないの? それならわたしも家にいておねえさまと一緒にいる」
クロエが12歳、ポーラが11歳の時。
ある程度礼儀作法に関しては子爵令嬢として及第点、となったポーラを他の家にお披露目しようという目論みでもあったのか、他の家からの茶会に連れて行く、という話が出た。
エイミにとっては可愛い娘。ここで他の家の貴族たちに顔を売っておいて、将来ポーラの婿になってくれるであろう相手を探しておくに越したことはない、と思っていたようではある。
あくまでもクロエの目から見た状況から判断しただけで、実際のエイミの心の内までは知らない。
けれども相変わらずエイミはクロエに対して無関心のままであったし、恐らく気に食わない前妻の娘というよりは最早ポーラが気に入っているぬいぐるみか何か、くらいに思っているのでは……? という気がしつつある。
下手にポーラをクロエから引き離そうとするとポーラが癇癪を起こして手が付けられなくなるから、じゃあ一緒に置いとけばいいか……エイミの目にはそういった疲労感すら漂っていた。
実際一度、クロエをポーラから徹底的に引き離そうとして部屋に閉じ込めようとしていた時があったけれど、その時ポーラはそれはもう暴れに暴れ手が付けられなかったらしいのだ。
クロエがいた部屋からはそんな物音一切聞こえなかったのであとでこっそりと使用人から聞いた話だ。
花瓶は割れたし一部の調度品にも傷がついたとかどうとか。
ポーラはクロエと常に一緒にいたがった。
放っておけばきっと一緒の部屋で生活していたかもしれないが、そこだけはエイミが何としてでもと阻止したものの、起きている間はほとんど一緒と言っても過言ではない。
何をするにも、何処に行くにもいつでもいっしょ。
それは幼い子どもがお気に入りのぬいぐるみを持って行動しているかのようですらあった。
ただ、連れまわしているのがぬいぐるみではなく生きた人間であるというだけで。
エイミが既に没落した貴族の家の出身である、と知ったのは、クロエが10歳の時だ。
使用人たちが話しているのをたまたま聞いて知ったとはいえ、元貴族であったからこそ父の後妻に、となっても他の貴族から見向きもされない、というわけではなかったらしい。最初から最後まで生まれも育ちも平民のままであったなら、茶会に誘われるような事になるまでには相当な時間がかかった事だろう。
結局誘われたというそのお茶会には、クロエも参加することが決まってしまった。
どこに行くにも何をするにもクロエと一緒じゃなければイヤ、という我儘を発動させて、ポーラはクロエの隣にあり続けた。
結果クロエの世界は小さな屋敷だけではなく、それなりに広がったとは思う。
一応友人と呼べる相手もできた。とはいえ、クロエの顔が広くなることに関しては父もエイミも望まないであろうとわかりきっていたので、基本はポーラを間に挟んで手紙のやりとりなどをするようになった。
クロエの友人ではあるけれど、手紙の宛先がポーラである事でエイミはポーラの友人が増えたと思っているため苦言を呈する事もない。
他の家のご令嬢――の両親や兄や姉たち経由でエイミのかつての実家情報を知る事ができたりもしたけれど、少なくともその情報はクロエにとって特に役立つものではなかった。
精々初対面の時のポーラの礼儀が思っていたよりしっかりとしていた事に納得できたくらいで。
友人づきあいに関しても、エイミにとってあまり親しくしてほしくない相手の家にクロエが行くのは難色を示したが、ポーラと共に行くのであればある程度は許された。
下手に権力を持ちそうな相手と親しくなられた場合、後々厄介な事になる、という懸念があるのだろう。今はまだいい。けれどもっと成長した後で、クロエの友人たちがエイミにとってどうにもできないような身分になるだとか、はたまた嫁入りするだとか。
そういった、クロエのために何らかの力を貸してくれそうな相手になるかもしれない……と思った相手とはなるべく関わらせたくないようではあった。
まぁ、クロエだっていつまでも何も知らないこどものままではない。
ポーラと共に学んだ事もあって、ロクな学もない娘で……なんて言い訳もできなくなってしまっている。適当な理由をつけて修道院に送ろうにも難しく、貴族令嬢としての教育もポーラと同程度までできてしまっているのならどこかの家に嫁に出す――のも可能ではあるけれど、下手な相手を選べばポーラが阻止するかもしれない。
ポーラに相手がよろしくない人物だと知られないように――言い方は悪いが出荷するとしてもだ。
友人経由でポーラにその情報が伝わる可能性もあるのであれば、それも望ましくない。
故にエイミがクロエの友人関係で難色を示さないのは、基本的に大人しめで静かな――言うなれば内向的なタイプである。自分の考えを言いたくとも中々口にできないような、そんな令嬢。
気が強く自分の考えもバンバン口に出すタイプは何かあればすぐに情報が周囲に出回る。それはエイミにとっても面倒なのだろう。
大人しいからといって、本当に誰にも何も喋らない、というわけではないのだがエイミはもしかしたらそのあたりを甘く見ているのかもしれなかった。
他人に何かを伝える事ができなくとも、身内に話をするくらいはできるだろうに。
とはいえ、自分と異なるタイプの人間に関して詳しくない事なんていくらでもある。
社交的な人間はその社交が苦手で上手く人付き合いができない相手の事をどうしてできないのか、疑問に思う事もあるだろうし、逆に内向的な人間が社交的な相手を見て、いつ相手の地雷を踏むかわからないのによくもまぁあんな風に話ができるな……と恐れている事だってあるのだ。
勉強が好きだと言う相手の事を勉強嫌いな相手が理解できそうにない、と思うのと同じように、その逆だって当然あるわけで。
表向き脅威になる事はない、と判断したとはいえ、本当にそうかと言われればそんな事はないのだ。
下手に制限をかけるくらいなら、最初から人脈を広げるような事にならないようにしておくべきだった。
そうは言ってもポーラがおねえさまと一緒じゃなきゃイヤ! という我儘を発動させてしまったために、そしてそれらを上手く言いくるめる事もできなかったために。
エイミのクロエに対する友人関係の制限は、実のところ何の効果もなかったどころか、逆にポーラの反骨精神を育むだけであったのである。
大体ポーラが噛みつく時のセリフは、
「お姉さまばかりずるいわ!」
である。
屋敷に図書室を持つ友人の所へ遊びに行った際、その事がちょっとだけ話題になった。
友人はその話を聞いて、一冊の娯楽本を持ってきた。
お姉様ばかりずるいわ、と言いながら姉から何もかもを奪おうとする強欲な妹の話だ。
本の中の姉はそうやってありとあらゆる物を奪われてしまうが、最終的に強欲な妹は痛烈なしっぺ返しをくらって破滅する、若干教訓めいた要素を含んだ話であった。
だが、セリフは似ているものの本の中の妹とポーラが同じか、と言われると全く違う。
「だってこの話の姉は奪われて大切な物も何もかも持っていかれてるけど。
私、その逆だもの」
本の中の姉はドレスや装飾品、親が遺してくれた形見、その他ありとあらゆる自分に関わるものを妹に羨ましがられ奪われていくけれど。
ポーラはその逆だ。
父やエイミがクロエに何も与えようとしないがために、それについてお姉さまばかりずるいわと言い始めるのである。
教育に関しては既にやらかしているが、他にも色々とあった。
たとえば誕生日。
ポーラの誕生日、父もエイミも使用人たちに指示を出してその日の食事はいつも以上に豪勢にしたり、プレゼントを大量に用意したのだが。
「お姉さまの誕生日はいつですか? え、もう終わった?
その日は特に何もなかったと思いますが…………
お姉さまだけずるい!
どうしてわたしだけこんなちまちまプレゼントの包装を解かなきゃいけないんですの!?
お姉さまはそんな手間も何もなかったんでしょう!?
だったらわたしもいりません! 食事だって確かに美味しかったけれど、てっきり他に何かお祝い事でもあるのかと思ってしまったじゃありませんの!
何事も普通が一番ですわ!」
クロエの誕生日はスルーされたという事実を知った途端、ポーラは綺麗な包装紙で包まれたプレゼントの箱をその場に叩きつけるようにしてエイミと父に噛みついたのである。
それではプレゼントの包装は使用人たちが解いてそれから渡そうか、と父が言ったが、
「結構です、余計な荷物ばかり増やされても困りますもの。
お姉さまのようにシンプルにしておいた方がどこに何があるか把握しやすくて丁度いいわ」
などと言ってのけたのである。
父は他にも何か言っていたようだが、結局ポーラは懐柔されなかった。
お姉さまと一緒がいいんです、と頑なに言い張った結果、クロエの部屋にもある程度プレゼントが用意されて、それと同じ数だけポーラもプレゼントを受け取る形となった。
数だけではなく、品質も大体同じように揃えないとポーラが再び癇癪を起こすので、母が死んだ後、クロエの誕生日は完全放置のままだと思っていたが実際スルーされた誕生日は三度で済んだ。
ポーラはその後姉に気づくのが遅れてごめんなさい、と顔をぺしょぺしょにして謝る始末。
悪いのはポーラではないのに。
ただ、髪飾り事件の後で守るから、と言っておきながらそこに気付けなかった事が悔しかったようだ。
父はあの一件以来クロエに近づこうとするとポーラが威嚇めいた眼差しでもって正面に立ち塞がるので、ほとほと困り果てた様子ではあったけれど。
正直クロエから父に歩み寄る、という事もまた難しかった。
そもそも父が歩み寄るつもりがないだろうから、クロエが歩み寄ったところで意味がない。
まず父が、最低限クロエも実の娘なのだからそれなりに愛情を持たなければポーラも父の事を許そうとはしないだろう。
父に何を言われたのかわからないが、その後エイミもクロエにポーラが望むのなら持ち物の一つや二つ快く譲ってあげなさい、姉なんだから。なんて言ったものの。
まずポーラは別に姉の持ち物を取り上げたいわけじゃないので、その言葉は完全にずれているのである。
そしてそんな事を言いだした母親に対して、ポーラはどこか失望したような顔をしていた。
割と早い段階でポーラと両親との間の溝は形成されていたし、深まりつつあったと言える。
誕生日以外でも、成長に伴い今まで着ていた服が合わなくなってきた時でも。
クロエの服は使用人が着るようなものではなかったが、まぁ最低限、といったものだった。
どこぞに連れていかれるにしても、ドレスは目立たないような控えめな物で色合いも地味だったし、対するポーラには彼女が似合いそうな服をあれもこれもと用意されていた。
だがやはりその時点でもポーラは「お姉さまばかりずるい!」を発動させたのだ。
ポーラ曰く、新しい服をあれこれ用意されて着せ替え人形みたいにされて自分はとても疲れるのに、お姉さまはそんな事がなくて楽できてずるい――のだそうだ。
お姉さまの服の方がわたしもいいです、とか言い出されて、折角あれこれ用意した服を無駄にされそうになったエイミは苦渋の決断でもってクロエにもいくつか服を用意した。
クロエからすれば自分はこの家の中でいらない子なんだろうな、と理解はしていたので地味だろうとなんだろうと服を新たに用意されただけでもマシだと思っていたのだが、ポーラ的には何もマシでないので。
最終的に服も靴もその他の持ち物も、同じような品質の物を同じ数だけクロエに与えなければポーラも受け取ろうとしなかった。
そんな風に姉とおそろいでいようとする結果、クロエの持ち物は減るどころか増えていったのである。
本の中の姉とは正反対だ。
友人にもその話をすれば、彼女も、
「そうよね、同じセリフのはずなのに結果が真逆なのよね……」
と困惑していた。聞けば似たような内容の妹が奪っていくタイプの話はいくつかあるらしく、多少の違いはあれど最後に色々な物を得る事ができる姉ではあるがそれでも最初の方では妹に様々なものを奪われる話ばかりらしい。
もし本のような感じでポーラがやらかしているのなら、いつかこんな目に遭うかも……と若干の心配をしていたらしい友人も、本とは全然違い過ぎるとなって娯楽本はやっぱりただの娯楽なのね、となったようだ。
そうこうしているうちに二人は更に成長し、貴族の令息や令嬢たちが通う学校へ通う年齢が近づきつつあった。
ポーラがお揃いを望むから、と渋々クロエの面倒も見てきた父とエイミではあるが、学校に関しては物議を醸した。年齢的にクロエの方が一つ年上で、そうなればクロエだけ先に学校に行く事になる。
だが正直父もエイミもクロエを学校にやるつもりはさらさらなかった。
ある程度の教育は既に家庭教師を雇い実行していたとしても、それで充分だろうと思っていたから。
勿論ポーラに関しては学校に通わせるつもりではあった。
エイミが誘われた茶会などで知り合った人経由で、クロエもポーラも近い年齢の令嬢と知り合って友人が増えはしたけれど。
人脈がそれだけというのは流石に少なすぎる。同年代の相手ともっと大勢知り合うのであればやはり学校が手っ取り早くはある。ついでに婚約がまだ決まっていない家の者は学校でそういった相手を見つける事もあるので。
ポーラに関しては何が何でも学校に通わせるつもりでいたのだ。
だがクロエに関しては他の家に嫁に行かれて下手に権力を持たれてもエイミや父からすると厄介でしかないので、彼女は学校に行かせるつもりは本当にこれっぽっちもなかったのである。
別に義務ではないのだ。
ただ、学校を卒業した、という事で貴族として無事成人した、という扱いになるので学校に行かないというのは最終的に貴族ではなくなる、という意味にもなる。
エイミや父にしてみれば、クロエが貴族でなくなるのは願ってもない事だっただろう。邪魔者がいなくなるのだから。
けれども学校にクロエを通わせない、というのは即ち――
「お姉さまだけずるいですわ。お姉さまが行かなくていいならわたしだって行きたくありません」
こうなる。
そんなポーラにエイミが我儘を言わないで、なんて言ったところで、お姉さまは我儘じゃないというの!? と癇癪を起こすので。
クロエは学校に行かなくてもいいのよ、と言ったところでその理由はエイミや父にとっての都合であって、ポーラを納得させられるものではない。それを言うのなら我儘なのはむしろポーラではなく大人たちの方だ。
年齢的に一年先に学校に通うクロエに、学校を適当なところで退学させようと目論んだ父ではあったけれど。
ポーラは何となくそういった不穏な何かを感じ取ったのかもしれない。
「お姉さまと一緒に学校に通います。一年、お姉さまが病気で入学が遅れたというくらいはいいでしょう?」
がしっとしがみつくようにクロエに抱き着いたポーラの我儘に、結局両親は折れるしかなかったのである。
折れなければ何が何でも絶対にポーラは学校になんて行かないし、無理に行かせたところで授業をマトモに受けるかも疑わしい。それどころか授業をサボりさっさと家に帰ってきて姉の部屋に入り浸りそうな勢いだったからだ。
クロエの事はどうでも良い二人ではあったが、ポーラにはきちんと貴族として成人を迎えてほしい。
結局今回も渋々ポーラの我儘を叶える事になったのである。