想い、結ばれ
頼み、と言われて果たして何を言われるのだろうか。無茶な事じゃなければいいのだけれど……と気持ちクロエは身構えていた。
平民ではない、と言われてもではどうしてポーラは平民になったと言っているのか。
そこら辺もまだよくわかっていない。
それに、まだ貴族だと言われたところで、クロエもポーラも既に成人した扱いなのは言うまでもなく。
なのに結婚相手もいないというのは、周囲から見ると行き遅れ扱いと言ってもいい。
学校は確かに学びの場であると同時に、今まで出会う機会がなかった者たちの交流もできる場である。
だからこそ、そういった場でまだ婚約も決まっていない相手は結婚相手を探すという事もしていた。
実際クロエもポーラも当時はそうだったのだから、そこまでは何もおかしな話でもない。
卒業した直後であってもまだ相手が決まらないなんて者もいるにはいるが、そういった相手はその後己で身を立てるべく士官の道に進む場合が多い。
そうなれば多少婚期が遅れたとしても周囲もそこまで噂にする事もないのだ。
だが、クロエとポーラはそうではない。
事情が事情だから、といったところで既に行き遅れとして扱われても仕方がないのである。
正直この状態じゃいくら貴族のままと言われてもな……と思ってしまっても仕方がなかった。
それに……いくら貴族だと言われても、既に成人し跡を継いだりしているこの場の面々と比べると、自立もできていないクロエがやはりここでは一番立場が下に思えてしまう。
セオドアやモーリスは成人はしていないだろうけれど、これから学校に通うのか、それとも既に通っているのか……どちらにしても卒業したと言われてはいても最後まで通っていなかったクロエよりは……とやはり考えてしまうわけで。
「その頼み、というのは私に何とかできるものなのでしょうか……?」
流石に無謀極まりないような内容を言われても、今のクロエにはどうしようもない。
というか、公爵夫妻と下手な貴族以上に財力を持つ男爵家の人間がいてどうにもならないような事が、クロエに何とかできるとは思えなかった。
「勿論、これはクロエにしか頼めない。えぇとまずはそうだな……」
隠しきれない不安を察知したのか、アルベルトもまた言葉を選ぼうとはしたらしい。
まず、と言われ一つじゃないの……? とクロエの内心は更に不安でいっぱいになる。
「アルベルト、いい。自分で言う。
クロエ」
そんなクロエの不安を察したのか、カインがクロエの前に移動した。
「は、はい……!」
二度目は、泣かなかった。
けれども何を言われるのかわからなくて、反射的にぐっと肩に力が入ってしまう。
「婚約は解消してしまったけれど。
きみさえよければ改めて婚約を結び直して、そうして結婚してほしい」
「は……ぇ、えぇ?」
あらまぁ、とばかりに目を輝かせたのはシャルロットだ。
言われた本人でもあるクロエは返事をしようとしたものの、思ってもいなかった事を言われたせいで今何を言われたのかしら……? とばかりに困惑している。
「確かに婚約は解消したけど、こいつ独身だから」
こそっとキースが告げてくる。
「卒業間近になる頃には他のご令嬢にもちょっと目を向けられてたみたいだけど、そういうの全部お断りして独身だから」
「キース。余計な事は言わなくていい」
「もっと言うなら望み有りなんて女性に思われないように社交界でも振舞って、今じゃなんて呼ばれてると思う?
冷酷伯爵とか冷徹伯爵とか冷淡伯爵だとか、とにかく氷みたいな認識されてるから」
「キース。余計なことは言わなくていいと言っている」
「ま、昔と違って友人関係は広がったと思うけど。冷たいのはあくまでも女性関係だけなんで」
「キース!」
「これくらいは言わせてくれても罰はあたらないと思う! 学生時代の事は許したけどそれはそれとして根に持つ事もあるからな!」
「だからってそれを今言わなくたっていいだろう」
「今言わないでいつ言うんだよ。言うべきタイミングはまさしく今だろう。
婚約の話が出てもすげなく断り続けて独身貫くんじゃないかって思われてるだけならまだしも、同性愛者じゃないか、なんて噂まで出てるんだぞ!?
それもこれも全部、クロエ嬢が目覚めるのを待ち続けてたからだけど」
「キース!! 余計な事は言わなくて! いいと! 言っただろう!?」
キースの言葉に、カイン様はまだ結婚していないのね……とどこかホッとしたのも束の間、キースとカインが危うく掴み合いの喧嘩を始めようとしているのを見てホッとしている場合ではないと思い直す。
「あ、あの、お二人とも……」
そうしてどうにか止めようとしたが、それは次の瞬間アルベルトが止めていた。
流れるようなデコピンだった。
ただし、デコピンにしてはえげつない音が出ていたが。
「はいそこまで。
クロエ嬢、まずきみに頼みたいのは、この哀れで一途な男の想いに応えてやってほしいっていう事かな」
このままだと本当にこいつ生涯独身を貫きかねないからね、と言われてどう反応するのが良かったのだろうか。
てっきり既に結婚したものだと思っていた相手が自分を待ち続けてくれていた、という事に言葉にできない嬉しさはある。同時に申し訳なさも。
「でも、私……妻としてちゃんと支えられるかわかりません……今の私では務まらないかもしれないのに」
カインの事を好きか嫌いかで言えば好きだと言える。それは先程嫌でも自覚してしまったから。
けれど、好きだからこそ、そんな相手の足を引っ張るような真似はしたくなかった。
「なんだそんな事か」
「そんな事って」
「待ち続けるつもりだった。貴方の目が覚めるまで。それこそ、自分が死ぬまでずっと」
はく、とクロエは口を開いて、何かを言おうとした。したけれど何を言えばいいのか言葉が浮かばず、ただ唇を動かしただけだった。そんなクロエにカインは自嘲するような笑みを見せる。
「だって、それじゃあ、もし私がずっと目覚めないまま死んでしまったら」
「それでも待つつもりだったよ。それに比べれば、こうして目覚めたのだから、伯爵夫人として相応しくなるまで待つ事なんて大したことでもないだろう?」
「だ、だって、お婆ちゃんになってから目が覚めたなら!? そうなるまでずっと相応しくなれなかったら!? 家を継ぐ子だってそうしたら、それなら私がいたっていなくたって同じことで」
浮かんだ可能性も、言いたいこともたくさんあった。
けれどどこから言えばいいのかわからずに、クロエは自分でも支離滅裂だわ……と思ってもそれでも思いついたところから言葉にしていくしかなくて。
「幸いにして双子の片割れがいるからね。愛する人を喪ったも同然な片割れのために、きっと沢山子を作って賑やかすくらいはしてくれるだろうさ。その中の誰か一人くらい、こちらの跡継ぎにすることを許可してくれるさ。なぁ? キース」
「夫婦で子に恵まれなくて仕方なくっていうならまだしも最初からそれを狙うのはどうかと思うんだ。
あとそれうちの妻の許可とってないだろ俺だけで決めていい話じゃないからな、ホントに」
「お前の妻は器が大きいから問題ない」
「ケイトリンの何を知ったつもりになってるんだぶん殴るぞ」
ぐっ、と拳を握ったキースに対抗するようにカインが腰を落とし構える。
またも一触即発かと思ったところで、再びアルベルトが止めに入った。
「なんだろうね、熱烈な告白があったはずなのに兄弟喧嘩を挟んだせいで何かが台無しになってる気しかしないな」
「えぇそうですわね……彼女も戸惑いが最高潮ですわ」
本当、殿方ってもっとムードを大切にするべきですわよねぇ……なんてシャルロットが言うが、クロエはそういう話だったかしら……? とより困惑するしかなかった。
えっ、今そういう話だった?
というか、何の話でしたっけ……?
大切で、重要な話をされているはずなのに困った事にこれっぽっちも頭に入ってきてくれない。
いや、わかってはいるのだけれど、理解が追い付かないと言うべきか。
「でも、まぁ。
カイン伯爵に関しては貴方の心一つよ。
どうせ待ち続けると言うのだから、じっくりと考えなさいな。
それこそ好きなだけ待たせてしまえばいいのよ」
「は、はい……」
シャルロットがパチン、と茶目っ気たっぷりにウインクして言ってのける。
好きなだけ待たせてやれ、だなんて。
本当に、いいのかしら……?
思わずカインへ視線を向ければ、
「あぁ、待つとも。いくらでも」
あまりにもあっさりと頷かれた。
男性と女性では結婚する年齢に関して、男性の方が多少猶予がある。
だからこそまだカインはクロエのように行き遅れのような言い方をされる事はないだろうけれど。
でも、それでも。
本当に……? 本当にいいのかしら……?
その疑問はきっとクロエが答えを出すまでクロエの中にあり続けるに違いない。
そうでなくとも。
先程は今の自分は伯爵家に嫁ぐ身として相応しくないのではないか、と思いながらもそれでもカインの言葉に言いしれない喜びを抱いたのも確かなのだ。
ただ、今すぐその答えを口に出すだけの勇気がないだけで。
だからといっていつまでも待たせ続けるわけにもいかない事をクロエも理解している。既に四年半が過ぎているのだから、カインの時間をそれだけ費やしたのだ。その上で自分が老婆になるまで待たせるつもりはない。
あの日、事故に遭わず何事もなく卒業して、その上で嫁ぐのであればきっとこんな風に思う事もなかっただろう。
事故に遭ってしまったのだから仕方がない、と言ってしまえばそうなのだが、それを理由に開き直る事もしたくはなかったし、四年も眠り続けて世間からすっかり取り残されたも同然なクロエには、この状態で伯爵家にカインの妻としてやっていくだけの覚悟がすっかりとなくなってしまったけれど。
かつてあったものなのだから、クロエの気持ち次第で覚悟なんてものは決まるだろうし、カインの言葉に甘え続けるつもりもない。
与えられるばかりではいられない。
何も返す事ができないのは、それはそれで心が苦しくなるからだ。
「カイン様。
今すぐ、言葉を返す事はできそうにありません。
けれど、気持ちはかつてと変わらないのです。
だから、言葉にするまでもう少し、あとほんの少しだけ、待ってもらっていいですか……?」
こんな自分が彼の妻になっていいのだろうか……?
その気持ちはどうしたってあるけれど。
だが、だからといって他の誰かが彼の隣にいる事を想像するだけで、心が痛む。
彼が幸せならば……と祝福しようにも、そうしなければと思えば思うだけそれ以上に、その隣にいるのが自分ではないという事実に心が軋んでしまいそうになる。
自分の気持ちをより強く自覚した以上、偽るのも難しかった。
今のクロエにとって精一杯の言葉は、しかし実質了承したも同然で。
だからこそカインもようやくどこか安堵したかのように目を細め笑ったのだ。
言葉にするのはまだ難しくとも、クロエの瞳にはカインへの愛情が確かに存在していたのだから。




