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彼女たちの方向性



 新しくできた義妹のポーラはどうやらクロエに対して好感を持っているらしい。

 それは、クロエでも何となく理解はできた。

 おねえさまおねえさま、とまるでひな鳥のようにクロエの後をついて回り、わからない事を聞いて、それをクロエが教えればありがとう! とにこ、と笑いおねえさまは物知りね、なんて。


 鬱陶しい、と思う間はなかった。


 勿論最初に出会った時は、父に裏切られた気持ちもあって、自分もあの子も同じ父の子であるのに、どうして自分とポーラとの対応が違うのか、だとか思う部分は色々あった。

 後妻であるエイミだけならば、そこまで思わなかったかもしれない。

 けれどポーラという存在は、嫌でも自分との差を見せつけられる。


 お前が。

 お前さえいなければ……!


 そんな風にふとした瞬間思う事だってあったのだ。

 ポーラがいなければ、父の子に向ける態度にこうも差があるなんて知らないままでいられた。

 自分が愛されていない子だと突きつけられる事もなかった。


 そんな風に心の中が真っ黒になりそうな思いを持つ事は何度だってあったのだ。


 けれども。

 ポーラは決してそんなクロエを見下すような事はしなかったし、純粋に自分を姉と慕ってくれているようだったので。

 そんなポーラに対して自分のこの行き場のない感情をぶつけるわけにもいかなかった。

 それくらいの分別はクロエだって持ち合わせていたのだ。


 それに、もし。


 もし、その時に八つ当たりのようにポーラに当たり散らしたとして、その一瞬だけはスカッとするかもしれない。だが間違いなくその後で、クロエは後悔するのだ。


 クロエの母は無闇に人を傷つけるような事をしてはいけない、と教えてくれた。

 クロエの母はもういないけれど、いないからといって母の教えをもう従わなくていいだなんてクロエは思っていない。

 母がいなくなってしまったからこそ、むしろその教えは大切に守るべきもの、という気持ちもあった。


 後妻が来た後、今まで働いていた使用人は父があれこれ理由をつけて辞めさせたりもしていたから、クロエに親切にしてくれる使用人はほとんどいなくなるかと思われたが、ポーラが常にクロエと一緒にいるのでそうなればポーラだけを優先して世話をするように、と言われた使用人たちもクロエを放置するわけにもいかない。

 そうなればポーラがきょとんとした顔で言うのだ。


「どうしておねえさまの事は放っておくの?」


 ちゃんとおねえさまの方もやって、とポーラに言われてしまえば無視するわけにもいかない。

 そこでいえこれはご当主様の……なんて言おうものなら、ポーラが母に言いつけるのだ。

 あの使用人はわたしの言う事なんてこれっぽっちも聞いてくれない! と。

 そうなればその使用人はポーラの世話をするのに不向きとされて、一応紹介状を書いてはもらえるがここで仕事をする事はできなくなる。

 その様子を目の当たりにした他の使用人たちは、当主の思う方向性とは異なるが見事にポーラの願いを聞き届ける事にした。それが、仕事を長く続ける秘訣だと判断して。


 ポーラが常に一緒だから、クロエは家の中でいない存在のように扱われる事もなかった。


 けれどクロエは、それでもふとした瞬間に疑ってしまうのだ。


 ポーラは確かにクロエの事を姉として慕っているようではあるけれど。

 でもこれが、もし嘘だったなら……? と。


 クロエがポーラと出会う少し前。まだ母が生きていた頃。

 母に連れられて行った先の……あれは何だったか、他の家の貴族の子女たちもいたから、恐らくは何らかの集まりだったとは思うのだが、その頃のクロエはまだ幼すぎてそれが何の集まりかまではわからないままだったけれど。


 けれど、自分と同年代の子が複数いたのだけは憶えている。

 そしてそこでお友達になれそうな子と楽しくお喋りをした事も。

 残念な事にその子とはそれ以来会う事もなくなってしまったけれど。


 だが、あの場にはクロエから見て「いい子」たちばかりではなかった。


 見た目はとても可愛らしいのに既に性格が捻じ曲がったような子もいたし、一見優しそうににこにこしているがふとした瞬間とても意地悪な事を言いだす子もいた。



 もし、ポーラが。


 あの時に見かけた、表向き優しそうだけど実はとても意地の悪い子と同じような子であるのなら。

 今こうしておねえさまおねえさまと慕っているように見えるのは、こちらを油断させるためではないのかしら、とか、どうしても疑ってしまうのだ。

 父、義母、クロエ、ポーラ。

 この四人の中でなら、クロエの立場は間違いなく最下層だ。

 だからもし、クロエがすっかりポーラに絆されたあたりで、こちらが完全に心を許した、と思ったその直後に。

 ポーラが姉に酷いことをされた、なんて言い出すような事をしたのであれば。


 父も義母もその言葉を疑う事なく、こちらが否定したとしても聞いてはくれないだろう確信がある。


 もしそうなってしまったら。


 ポーラの事を信じてしまった分、きっと心の傷は深い。


 勿論、ポーラはそんな事を考えたりしていないかもしれない。

 けれど、どうしてもその疑いが捨てきれないのだ。


 そしてそんな風に信じ切れない自分自身を、クロエは嫌悪した。


 信じて裏切られるのがイヤだから信じない。

 でももしそんな事がないのであれば、そんな風に人を疑って信じられない自分自身に嫌気がさす。


 クロエが父に愛されていて、義母とも上手くやれていればきっとこんな風に思う事はなかったのだろう。



 そんな風に、どこかポーラに引け目を感じていたけれど。

 ある日を境にポーラは変わった。

 いや、元々何も変わっていないのかもしれない。

 ただ、方向性に変化が出ただけで。


 クロエが父に母からもらった髪飾りを無理矢理毟り取られた後。

 ポーラが明確に変わったのはまさにその後からだ。


 あの時のクロエを見て嘲笑うでもなく、むしろとても申し訳なさそうにこれはおねえさまの大切な物なのだから、と髪飾りを返してくれようとした。上手く言えないけれど、とそれでも必死にクロエを慕っているのだと伝えてくれて、守る、なんて言い出して。


 ポーラの方が年下なのに、そんな風に言わせてしまったのだ、とクロエはより自己嫌悪に陥った。

 もっとちゃんと自分が立ち回れていたならば、と思ったけれど、しかしクロエとてまだこどもなのだ。

 できない事の方が多いといってもいい。


 ポーラが姉を守るのだと決意を固めたその時に、クロエも決めた事がある。

 早く大人になってこの家を出て行こう。そうして一人で生きていけるようにならなければ……と。


 そのために必要なものはきっとたくさんある。

 だから、それまでは我慢してこの家で生きていくしかないのだと。


 必要なもの、といっても真っ先に思い浮かぶ金銭的な物に関しては、現状クロエがどうにかできるものではない。金目の物を売り払うにしても、クロエ自身の持ち物にそこまで高価な物はなかったし、手元にあるいくつかの持ち物は母が自分にくれた物だ。できる事なら手元に残せる物は残しておきたいという気持ちがある。

 もっと年をとって成人女性に近ければ、そしてその時まで母が生きていたのなら。

 宝石を使った装飾品などがクロエの持ち物に増えていたかもしれない。

 貴金属であれば売れる、というのは漠然と、それこそ使用人たちから漏れ聞こえてきた会話もあって把握はしていたけれど、しかし今のクロエにはまだそういった装飾品は早いというのもあって手元にそれらはほとんどない。

 もっと資産があれば幼子相手でも贅を凝らした品を与えたかもしれないが、クロエの家でもある子爵家の資産は恐らくそこまでではない。平民よりはマシだろうけれど、それこそ貴族階級という点から見ればクロエの家は中の下、といったところか。

 ただ歴史だけがある家。恐らくはその認識で合っていた。


 となると次に必要なものは、知識である。

 生きていく上で、これから自分で自分の事をしなければならない、となれば。

 何もできない令嬢のままではいられない。


 使用人たちの働きを時にじっと観察し、出された料理は一体どのように作られているのかを考え、時々こっそりと厨房を覗いて……といった風にいきなりなんでもできるわけではなかったが、ともあれ少しずつ一人で暮らす事になった場合、何ができればいいのか、何ができなければ駄目なのかを理解するところから始めていた。

 今まで使用人たちの働きになどそこまで気を向ける事がなかったが、もし以前の使用人たちがまだいたのであればやり方を直接聞く事もできたかもしれない。

 とはいえ、母が生きていた頃ならそんなことを貴族令嬢が覚える必要などないのですよ、と言われたかもしれないが。

 行儀見習いとして他の家の使用人にまじって働く、というのもあるにはあるが、それだってやるとしてもまだ先の話だった。


 そういった面でいうのなら。

 タイミングが悪い。ただそれだけの話だ。


 子爵家出身となるとそこまで需要はないかもしれないけれど、家庭教師というのも家を出た後でクロエが働けそうな進路の一つかもしれない、と思ったのは、ポーラにそろそろ教育を……という話が出た時に漠然と思い浮かんだものの一つだ。

 一応エイミが父と結婚し一緒になる以前に、ポーラと過ごしていく中である程度の教育はしていたのかもしれないが、それでもまだ幼子であったポーラにあれもこれもと覚えられるわけもなく。

 出会った当初のポーラは貴族令嬢というよりは、ちょっとお行儀のよい平民の子と言われても恐らく誰も疑問に思わなかっただろう。


 だがいつまでもそのままでいる事を、きっとエイミは良しとはしないだろうし、父も同様だ。


 そのため淑女としての礼儀作法だとかを学ばせるように……となった時に。

 一応クロエもその教育は少しだけやっていた。母が死んだ後は途絶えてしまったが。

 このままクロエの教育に関しては放置されて、きっとこの家で使用人のような扱いを受ける事になるのかもしれない……とは思うようになっていたのだ。


 だがポーラは自分だけお勉強するとかイヤ! どうしておねえさまはしないの? そんなのずるいわ!

 などと言って結果クロエも一緒に学ぶ事になったのだ。

 この礼儀作法の教育に関しては、まだクロエの髪飾りが毟り取られる前の話であるが、それがあった事でよりポーラの暴走が加速したといってもいい。


「どうしてお姉さまに家庭教師がつかないの? おかしいわそんなの。わたしだけ毎日お勉強漬けなんて絶対にイヤよ! ずるいわおねえさまばかり。

 だってその間に好きな事が出来るのでしょう!? ずるい! ずるいわ!」


 礼儀作法以外の他の教育もそろそろ……となった時、父は明らかにクロエの事は無視していた。

 実の子が二人いて、片方はどうでもよくてもう片方だけが大切である、という状況で。

 大切な方にはいずれ婿をとってこの家を継いでもらおうとでも思っていたのだろう。


 流石にクロエだってその事に薄々どころかしっかり気付けるくらいに、父はあからさまだった。


 だが、ポーラがそんな風に癇癪をおこしたものだから。


 父もエイミもポーラの説得に悩んだのだ。


 クロエはどうでもいい、なんてポーラに言えば間違いなくポーラはきょとんとした顔をして、

「どうして?」

 と疑問を口に出すのだろう。


 実際にポーラを優先するように言われていた使用人がそういった事を言った時に、ポーラはそんな反応を示した。


 父もエイミも。

 二人は同じ大人を相手にするのであれば、きっと本音を上手く隠し建前でそれらしい事を言って誤魔化す事など容易だっただろう。

 けれどもポーラは違う。

 ポーラはまだ十にもならないこどもで。

 難しい話はそこまで理解できないと大人は思っている。

 それ故にわかりやすく言葉を噛み砕いて伝えなければ、相手が納得できるまでなんでどうしてを繰り返される、と薄々思っているのだろう。

 それがクロエであるのなら、父はきっと途中どころかほぼ最初の時点で、

「うるさいっ! 大人の話にこどもが口を挟むんじゃない!」

 と怒鳴って強制的に会話を終わらせたはずだ。


 だが相手がポーラなのでそんな事を言えばポーラが怒られたと思って泣き出す可能性もあるし、それどころか、そもそもは自分の教育に関する話なので他人事ではない。

 自分に関わる話でもあるのだ。

 どうして自分だけお勉強をしないといけないのか。姉がしなくていいのなら、自分だってやらなくたっていいではないか。

 クロエはいいけどポーラはダメ、なんて理由で納得なんてできるわけがない。


 だが、本音でポーラに伝えるわけにもいかなかった。


 この家を継がせるのはポーラでクロエではないのだから、そんな教育必要ない。

 そう言い切ったとして、やはりポーラの「どうして?」は返ってくる。

 どうして姉ではなく自分なのか。

 ポーラが姉でクロエが妹の立場であればそんな疑問は持たなかっただろうけれど、実際にポーラは妹の立場なのだ。

 姉がいて、健康上問題もないのに姉ではなく自分が後継ぎになるのはおかしい、とまだ幼いなりにポーラだって理解はする。

 幼さゆえに無知な部分はあっても、幼いからといって愚かというわけではないので。



 結局ポーラの両親は、ポーラを言いくるめる最適な言葉が思いつかなかったのだろう。

 渋々といった様子ではあったが、クロエにも家庭教師が宛がわれる事になったのである……が。



「どうしてわたしとおねえさまの先生が違うの? どうして一緒にお勉強しないの?

 そうやって別にして、わたしにだけお勉強させておねえさまは遊んだりするとかだったりする?

 ずるいわわたしも遊ぶ!」


 ここでもポーラは文句を言った。


 エイミが手配した教師は一名。

 一人はポーラのための、きちんとした教育を与えるための者。

 クロエに手配したのは、本当に最低限の教育だけを教えるだけの――要はポーラにクロエもきちんと勉強させてますよ、といった体裁を整えるだけの、適当に用意した人材であった。家庭教師として今まで働いたこともないような、とりあえず読み書きくらいは教えられる、といっただけの者。


 こうなるとポーラは梃子でも譲らないので、結局仕方なくクロエはポーラと同じ教師に教わる事になったのだ。


 結果としてそれはクロエの救いとなった。

 ロクな知識もないまま成長し、大人になったとして。

 その状態で家を出たとして、その後マトモに生活できるかは難しいだろうと思っていたから。


 役に立つかどうかはさておき、知識を蓄える事は決して無駄にはならない。いつか、その知識が役に立つかもしれないし、たとえ役に立たなくとも学び方を学ぶ、というのはいつか違う知識を得る際に役立つから。


 クロエからすればそれだけで充分だと思っていたけれど。


 しかしポーラはこの程度で安心したりせず、更なる暴走――あくまでも親目線で――をする事になるのだ。

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