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理由なんてなかった



 時間がたつのはあっという間だ。


 入学が一年遅れたとはいえ、それでも気付けば卒業まであと半年と迫っていた。

 カイン・ロシュフータとの婚約が決まってからそれなりの時間が経過したとも言える。


 婚約が決まってからのクロエの家庭内での立場は、前よりは少しマシになったかもしれない。

 今まではポーラの目を盗んでいかにクロエに嫌がらせをしてやろうか、みたいな事もあったけれど婚約が決まってからはそんな事もほとんどなくなっていた。


 カインとの交流はお互いが屋敷を行き来するより学び舎での場合が多い。

 それでも、クロエがカインの屋敷でお茶をする事もあったし、カインがフィーリス家へやって来た事だってある。

 嫌がらせにもならないが、まぁなんとなくされたら嫌な気分になりそうな小さな事がなくなったのは、間違いなくカインのおかげだろう。

 カインは事前に言っていた。

 そちらの屋敷では少々態度が悪くなるかと思う、と。


 父と義母はクロエの嫁ぎ先の相手がいけ好かない野郎である、と認識しているのでここで下手に好青年がやってきたらあれこれ理由をつけてクロエを幸せになどさせてなるものか、とする可能性はあった。

 その対策なのかもしれない、と思う程度にはカインとの交流も深まっていたのである。


 カインがクロエの家に訪れた時、それはもう尊大な態度だった。

 わぁ、これが噂の令息たちと揉めに揉めた時の態度なのかしら……? と思うくらいだった。

 今までクロエと接していた態度とはガラリと違ったのである。


 もし初対面でこんな態度だったならクロエも彼とは関わりたいと思わなかっただろう。


 ざっくりと一言で表すのであれば。


 この俺と結婚できる事、感謝するがいい。


 とかそんな言葉が出てきそうな態度と雰囲気だった。

 一国の王子であるならそれくらい尊大でもわからないでもないが、伯爵家となるとちょっと態度が尊大すぎませんか……? となりそうな勢い。


 使用人たちはポーラの機嫌を損ねないようクロエに対しあからさまな冷遇はしていないが、それでも婚約してやってる、と言わんばかりの尊大俺様野郎にしか見えないカインに対し、あぁこれは結婚後さぞ苦労するんだろうな……という目を向けていた。

 その目はお嬢様、なんて不憫な……というものではなく、これから先訪れるであろう不幸を愉しむかのようで。


 父と義母が向けるクロエへの態度から使用人たちはクロエを軽んじていいものと思っているのは相変わらずだった。あからさますぎるとポーラの不興を買うから表立って露骨にしていないだけで。

 ゆくゆくはこの家を継ぐであろうポーラの不興を買うとわかっているのなら、クロエにもせめて普通の態度をとればいいだけなのだがクロエに対してマトモな対応をしようとした使用人たちではなく、後になって義母が選んだ者たちだ。

 類は友を呼ぶというやつなのかもしれない。



 そんな風にカインの変わりようをまるで役者のようだわ……なんて感心しつつ、クロエも身分が上の相手から婚約を望まれている頭が上がらない令嬢を装ってフィーリス家での茶会は何事もなく終了していた。

 正直な話、学校内でのカインの悪評は最初に比べれば大分落ち着いてしまっている。しかしフィーリス家の使用人の質がそもそもあまり良いとも言えないのでこんな茶番を繰り広げれば、婚約者に冷遇されている都合よく利用されるだろう惨めな令嬢、という噂はそれなりに広まっていた。


 事情を知る者と知らない者とでそれらに対する反応が分かれるので、クロエとしてはある意味でわかりやすくて何よりである。


 卒業した後クロエはロシュフータ家へ嫁ぐ事になっている。

 つまり、結婚まであと半年。

 長いようであっという間だったわ……と思うのも無理はない。


 流石に花嫁衣裳やそれらを飾る装飾品にまで嫌がらせをしてくる者はフィーリス家にいないとわかってはいるけれど、ドレスに関してはロシュフータ家が手配する事になっている。

 持参金とかそこら辺どうなってるのかしら……と思ったものの、そのあたりはカインの親とクロエの親とで話がついているらしい。

 カイン曰く、心配しなくていいぞ、との事。


 あぁ、これは多分何か上手い事言いくるめたのだろうなぁ……とわかるものだった。

 きっとわかっていないのは父と義母だけなんだろう。


 余計な出費を抑えたい父と義母。

 このままだとカインにちゃんとしたお嫁さんが来ないと懸念したカインの両親。

 それらの思惑を上手くお互いの利になるかのように見せたのだろうな、とは想像できたがクロエに理解できたのはそこまでだった。



 学び舎に通うまではクロエにハッキリとした自由はなかった。

 ポーラが一緒じゃないとイヤ! と言わなければ屋敷から外に出る事すらままならなかっただろう。

 ポーラのオマケで外に連れ出されていなければそのままずっと。

 きっと、何くれと理由をつけられて外に出る事なんてなかったかもしれないし、そうなっていればきっと学校に通う事も適当な理由をつけて通えなくされていたに違いない。


 学校に通うようになった最初の頃はポーラと常に行動していたので、帰る時は常に一緒だ。

 ところがカインと婚約した後、そのあたりの締め付けとでも言おうか、それが若干緩みつつあった。

 フィーリス家でのカインの態度は、結婚後確実にクロエが不幸になるだろうと思われた。

 故に、今のうちに多少自由を満喫すればいい、とばかりに今までよりは自由に行動しても何も言われなくなった。

 親切心でない事だけは確かだ。

 今、少しでも自由に行動できて幸せを感じるようになった後で。

 それからカインと結婚して自由が再びなくなれば、不幸だと感じる度合が大きくなるからだろうな、とはクロエもポーラも察するところであった。


 自由に行動といっても、それでも制限はある。


 流石に街中をあちこちふらふら出歩いて何かの事件に巻き込まれたりして傷物にでもなれば婚約破棄も考えられる。そうなって家に戻されてもクロエの父も義母も困るのだろう。

 商品価値があるのであれば戻ってきても構わないが、傷物になって商品としての価値が下がれば年老いた貴族の後妻や愛人にさせようにも受け入れ先は傷物になる以前と比べればかなり限られてくる。


 それ故に基本的には平民が立ち入ることのない貴族街だけだ。クロエが自由に出歩くことを許されたのは。

 貴族街にも平民が入らないわけではないが、貴族との接し方を理解した者だけが仕事でいるだけなので、貴族相手にどう接していいかもわからないような平民は存在しない。

 万一間違って入り込む――事はそもそも平民たちが暮らすところと貴族街との境目に見張りがいるので有り得ないが、それでも何かの間違いで入り込んだ場合、最悪そこで命を落とすかもしれないのだ。

 故に貴族街であれば、令嬢が一人で歩いていてもそこまでの危険はない。

 ただ、お忍びで貴族街から平民たちが暮らすところへ出てしまったのであれば、身の安全は一切保証できないが。


 クロエ一人で行動するにあたって、貴族街の中だけ、と定められた事に関してクロエは特に不満に思わなかった。今までを考えたらかなり譲歩された方だし、わざわざ見張りのように誰かをつけられたりしないだけ破格とも言える。


 いつまでもポーラと一緒に行動するにしても、彼女にだってやりたいことはあるだろうし、クロエのためにばかり時間を使わせるわけにもいかない。

 ポーラがクロエの救いになった事は確かだが、だからといってお守りのようにずっと一緒にクロエに付き合わせるわけにもいかない。共通の友人は多いけれど、それでもポーラはポーラであってクロエではない。彼女には彼女の付き合いというものだってある。


 卒業して、カインと結婚して家を出れば。

 少なくともポーラがそれ以上クロエの事で悩む事はなくなるかもしれない。

 そうしたら。

 負い目も何も感じずに、妹と向き合えるだろうか……?


 ぱしゃ、と小さな音が足下からしてクロエの意識はそこで音がした方へと向いた。


 折角気分転換にと出かけたのに気づくとつい答えも出ないような事ばかり考えてしまいがちな自分に、いやだわ私ったら……なんて思いながらも、足元を見れば昨夜降った雨のせいだろうか。水溜まりができていて、どうやらそれを踏んだらしい。


 今は晴れてはいるものの、昨夜の雨の影響はまだそこかしこに残されているらしく、大きな水溜まりこそないけれど小さなものはいくつかあった。気を付けていれば踏むような事もなかったのに、クロエはつい考え事に没頭して気付かなかった。

 幸い踏みこそすれど靴の中まで濡れたりはしなかったし、靴も濡れたという程でもなかったのでほっと胸を撫でおろす。

 いくら貴族街でなら一人での行動を許されたといっても、泥汚れをつけて帰ったりしようものなら使用人か義母あたりに嫌味を言われてしまうかもしれない。

 ポーラの手前使用人たちは昔ほどクロエに嫌がらせを仕掛けようとはしてこないけれど、結局は義母の雇った者たちだ。隙あらばクロエを貶めようとしている。

 とはいっても、クロエだって何もできなかった子どもの頃と比べれば、やられっぱなしというわけでもない。

 あからさまな反撃には出ないけれど、相手がこちらに手出しできないよう、非の打ちどころのない振る舞いを身につけて落ち度を論いたくてもできないようにするくらいはできるようになったのだ。


 そもそも義母が雇い入れた使用人は質が良いとは言えない。下手にクロエにつっかかったところでそれは結果として自分の首を絞める行為に他ならない。

 昔は嫌味や皮肉を言われた時に傷ついたりもしたけれど、今となってはしおらしい態度でしれっと相手の落ち度を逆に突くくらいはできるようになったのだ。あまり大っぴらに反撃すると義母の目につくかもしれないので、ちくりと釘を刺すタイミングは見計らっている。

 ポーラがいなければきっと、虐げられるだけで反撃なんてする気力もないままだったかもしれない。もしかしたら、とっくに死んでいてもおかしくはなかった……なんて考えも何度もよぎった。


 今更ではあるがクロエは父から愛されてなどいなかったし、義母からも疎まれている。それはよく理解している。いつか自分の事もポーラのように愛してくれるなんて幻想は持った事すらない。

 だがそれでもクロエは子爵令嬢なのだ。

 にもかかわらずその子爵令嬢を虐げる使用人を雇っているという時点で義母の人を見る目はどうなっているのか疑うばかりだし、フィーリス子爵家の未来は決して明るくないのかもしれない。

 けれど、ポーラが家を継ぐのなら。

 彼女の方が余程貴族らしい。本人は向いてないと言うだろうけれど、それでも彼女が後を継ぐのならこれ以上フィーリス子爵家が落ち目になることはないだろう。


 ポーラにも婚約者ができたのもあって、卒業した後すぐとはいかないがそれでも結婚式を挙げた後には。

 ポーラがフィーリス子爵家の新たな主人だ。


 卒業まで半年ばかり。まだ長いような気もするけれど、きっとその日が来るのはそう遠い日の事ではない。

 ポーラの婚約者もポーラにべた惚れなので、結婚した直後に彼が豹変して……なんて事もないと思いたい。


 親の前で演技まがいに取り繕う事もしなくてもよくなる……と考えれば、その日が楽しみでもあった。

 クロエさえいなくなればもしかしたら、ポーラの婿となる相手とはあの人たちも上手くやれるかもしれない。もし父と義母がポーラの婿となる相手に今度は矛先を向けるような事をすれば次は完全にポーラは両親を敵とみなしてしまうかもしれない。

 流石にそれはクロエの望むところではなかった。

 自分にとっては嫌な人かもしれないが、それでもポーラにとっては親なのだから。


 そんな風にまたもや考え込んでいると、少し離れたところではしゃぐような声が聞こえた。

 ふと顔を上げる。


 年のころは十歳くらいだろうか。

 二人の少年が楽しそうに会話しているのが見えた。


 周囲に親はいないのだろうかと思って見回したものの特にそれらしき姿はない。

 貴族街であるので流石に誘拐されるだとかの心配はないのかもしれないが、それでも万が一という事もある。


 家を抜け出してきたのか、それとも親が貴族街の中ならとクロエのように行動範囲を決めた上で許可をしたのかはわからない。

 わからないが、二人が楽しそうであるというのだけは確かな事だった。


 着ている服からして一人は恐らく男爵家か子爵家あたりの子だろうか……と考える。

 お忍びであえてそう見せている可能性もあったけれど、もしそうであるのなら、もう一人もそうじゃないと変に目立つ事になってしまう。


 実際もう一人の方は明らかに上質であるとクロエにでもわかるような服だった。

 もしかしたら大金持ちの男爵家や子爵家の子かもしれないけれど、それよりはむしろ伯爵家や侯爵家あたりの家の子だと言われた方が納得できた。


 だが、少年二人は服装など細かい事は気にしていないのだろう。本当に楽しそうにしている。

 大声で騒いでいるわけではないのでクロエには二人が何を話しているのかわからない。それでも楽しそうな雰囲気だけは伝わってくる。


 なんとはなしに微笑ましくなってつい見てしまっていたけれど。



 離れた場所から何やら大きな音がして、しかもその音が近づいてくるものだから。


 その音に少年たちも勿論気付いて音がした方を見て、恐らく身分が下の少年が友人を庇おうとしたのだろう。咄嗟に少しでも距離をとろうとして突き飛ばした――のを見てクロエはほとんど反射的に駆け出していた。

 突き飛ばしたといってもそこまで離されたわけでもなく、それどころか突き飛ばされた少年はすぐさま立ち上がって突き飛ばした少年の方へ走った。そうして腕を伸ばして突き飛ばした方の少年を引っ張ろうとして、そこでクロエは二人の少年のもとにたどり着き、二人を目一杯押し出すようにして近づいてきたそれから庇う形となった。



 周囲で悲鳴が上がる。


 恐らくは馬車を引いていた馬なのだろう。何かの折に馬車から馬だけが離れ、そして暴走した。

 最初に聞こえた大きな音は恐らく馬車が横転したか、曲がり切れずにどこかにぶつかったか。

 その拍子に馬車から離れる形になった馬がパニックを起こし駆けてきた――とはクロエでも何となく理解ができた。


 できたけれど、だからといってどうなるものでもない。

 どうにかなると判断してクロエは飛び出したわけではなかった。

 ただ、目の前であの二人が、もしくはどちらかが大怪我をするような事になったなら。

 二人の家族や友人たちがきっと悲しむに違いないと思ったから。


 クロエにとっては無関係とも言えるが、そんな事を考える余裕なんてなかった。

 二人の間に割って入るような感じで駆け出したけれど、間に合うかどうかすらも考えてなかった。

 それでもどうにか間に合って、その結果。


 どん、とクロエの身体に衝撃がやってくる。


 あ、と思った時にはすさまじい勢いで馬と激突したのだと理解して――


 そこでクロエの意識は途絶えた。

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