政略とまではいかないけれど
ポーラがヒューゴを婚約者にと選んだのは、とにもかくにも都合が良かったからだ。
身分は男爵家の令息なので、結婚をするとなれば家格に問題はない。
彼は三男なのでレザード家の跡取りではない。故に、婿入りをするにあたって何の問題もない。
男爵家とはいうものの、歴史の浅さから真っ当な貴族からはまだ受け入れられていない面もあり、ヒューゴの婚約者は勿論いない。
ヒューゴの兄でもある長男にはどうやら婚約者ができたらしいが、それだって没落寸前の家が資金援助を求めてだ。次男は商会で働く女性と結婚し、バリバリと働いている。
兄二人が未だ結婚相手も決まっていないようならヒューゴを婚約者に、とするのは問題が生じたかもしれないが、上の兄の結婚を間近に控え、下の兄は既に結婚しているとなればヒューゴに婚約者ができて婿入りするとなったとしても、そこまで反対はされないだろう。
生まれた時から貴族ではあるもののその感性は平民寄りな部分があって、そういう意味では貴族として頼りなさを感じるけれど。だがそんなものはこれからどうとでもなる。貴族としての振る舞いが必須となる場に出る機会がなかったのも、今でもまだ貴族らしいと思えない要因の一つだろう。場数を踏めばどうとでもなる。ポーラはそう見ていた。
それにヒューゴはポーラに好意を持っている。
これで実はヒューゴはポーラの事なんて何とも思ってなくて、婿入り先に丁度いい感じの家があってこいつなら簡単に丸め込めそう、とか思われていたら流石のポーラも完全敗北宣言するしかないが、正直ヒューゴにそこまでの考えはないだろう。親の入れ知恵が、というのも考えにくい。
そもそも密かに恋人がいて、婿入り先の家でその恋人を愛人として囲い、生まれた子を跡取りにするように仕向け家を乗っ取る、なんてどこぞの娯楽小説のような事もないだろう。
もしそんな事を企んでいたならば、ポーラの人を見る目がなかった以前に人間不信になりそうである。
ヒューゴが熱烈な視線を向けてくるたび、ポーラもまたヒューゴに気づかれないよう彼を観察していた。
他にもポーラにちょっと好意的な目を向けたり態度に出したりする令息はいたけれど、その中でもヒューゴの熱量が一番だと思えた。
人間性も悪いわけでもなさそうだし、ポーラはまだヒューゴとそこまで話をしたりするような事もなかったけれど、熱心に見つめてはポーラの態度に一喜一憂するヒューゴを面白くて可愛い生き物だと認識してしまったので。
それに、この人ならポーラの姉でもあるクロエにだってちゃんとした対応をしてくれると思ったのだ。
両親のように、自分にとって必要がないからと冷遇するような――そんな真似はしないだろうと。
ヒューゴにだって商売人としての血が流れているだろうから、自分にとって得にならないと思えば切り捨てる事だってあるかもしれない。けれど、少なくともポーラの姉であるクロエの存在はヒューゴにとって切り捨てるようなものではないはずだ。
クロエが浪費家で贅沢が好きで後先考えず散財するような女であればまだしも、そんなことはないので。
それからもう一つ。
レザード家が歴史の浅い家であるからこそ、ポーラがそんな家の人間と結婚したいと言えば両親が困るだろうと思ったのだ。
両親を困らせたいだけで彼を婚約者に選んだわけではない。
けれど、両親が勧めてくるような相手と比べるとヒューゴの方が好ましい。
歴史も浅く、貴族としての矜持も持たぬような相手。
多くの貴族からはそう見られていたとしてもそれが何だというのか。
ポーラとて貴族としての誇りはそれほど持ち合わせてはいない。
それにきっと両親は最初にイヤな顔をして、けれどヒューゴの家がお金持ちである事を知れば。
散々考えた末に、さもポーラの幸せを願うように振舞ってきっと婚約を許してくれることだろう。
そうして、ヒューゴの家からお金をどうにかして引き出そうと考えるに違いない。
ポーラだけを甘やかすつもりであった家の金は、ポーラが断固としてクロエと一緒にというスタンスを崩さなかったため教育に思った以上に費やされたのをポーラはよく理解している。
家庭教師に学んだ事も、基本的な部分だけであればまだしも学べる機会があるうちに、と他にもあれこれ頼んだりしたのだ。
いつか、ちゃんとした淑女になるために。
いくらポーラがクロエを守りたいと願っても、何の取り柄も力もない小娘のままではそれすらままならない。誰かを味方につけるにしても、礼儀作法一つマトモにできないような令嬢の言葉に、一体誰が賛同してくれるというのか。
学ぶ事が増えればその分大変ではあるけれど、できる事が増えるのであればそれはいつかきっとどこかで役に立つはずで。
もし、ポーラがクロエを守れずともクロエは家を出るのだとポーラも薄々察してはいた。逃げ出すタイミングを見誤らないように、密かに準備を進めている事もポーラは知っていた。
けれど止められるはずもない。
今はまだポーラの傍にいて安全を確保できているけれど、ポーラの傍にいるだけでは駄目なのだと思った時点でクロエはきっと家から出てポーラの知らないところへ行ってしまうかもしれない。
そうなる前に嫁ぎ先としてロシュフータ家と縁付く形となったけれど。
姉の嫁ぎ先というだけで、フィーリス子爵家とロシュフータ伯爵家が懇意になるか、となるとそれはまた別の話だ。繋がりは最低限。両親は積極的に繋がりを持とうとするかもしれないけれど。
嫁ぎ先でお飾りにされているだろう惨めなクロエの姿を見ようとして。
ともあれ、ポーラの我儘によってフィーリス子爵家の資産はそれなりに目減りしている。
ポーラだけが資産を食いつぶしたわけではない。今まで大っぴらに目立つような事ができなかったオスカーとエイミはクロエの母が死んだ事で晴れて堂々と会う事ができるようになったのだ。
そのため今まではひっそりとした逢瀬だったけれど、それすらしなくてよくなったとなれば。
日の当たる場所で堂々とデートに洒落込んだりしていたのだ。
そうして正式に妻となったのだから、と様々な贈り物をしていた。
無駄な出費ね……とポーラは思っているが、しかしそんな態度はおくびにも出さずポーラは贈り物を喜ぶ母を褒めそやした。
流石に大きな買い物はしなくともコツコツと浪費を重ねていけばいいと思っていた。
そうやって子爵家が消えるようなら、その時はクロエと一緒にどこか遠くへ行こうという算段もあったので。クロエの嫁ぎ先が決まった今となっては、ポーラが継ぐ子爵家の財産がなくなりかけているのは危ういのではないか、と思われそうだがそうなったらそうなったでポーラとしては構わないと思っている。
だが、同時に歴史が浅く金だけはある家の子息が婿入りするとなれば。
断りたくとも断れないだろう。
しかもポーラは相手に好意を持っている、そうなればなおの事。
自分たちが望んだ相手ではなく、望ましいと思えない相手。
両親にとっての可愛い娘であるポーラが好いているとはいえ、両親から見てあまり好ましいと思えないであろう存在。
「ねぇ、家の名前なんていくらでも利用してくれて構わないから、人生の共犯者になっていただける……?」
「え、えぇえぇぇぇぇぇ、お、俺でよければよよよ、喜んでえぇぇぇええ」
ヒューゴにとってあまりにも突然の展開ではある。
いいな、素敵だな。あんな人が自分の恋人だったら。いや、それ以上に結婚して奥さんになってくれたら……そんな風に焦がれていた相手に人気のないところへ呼び出されて言い寄られたのだ。
夢か、それとも何かの陰謀か!? そんな風に疑いもした。
したのだけれど、そんな疑いは簡単に呆気なく吹っ飛んでしまった。
姉は嫁ぐ事になったから、わたしは婿をとらないといけないの、なんて言われてしまえば、確かにヒューゴは跡取りになれないのでどこかに婿入りするしかない状態ではあったけれど。
貴族の仲間入りを果たしたといっても歴史が浅く、そんな家と縁付くのはちょっと……と遠回しにお断りされ続けてきたのだ。正直身分が邪魔だった。いっそ平民のままだった方がきっともっと身軽に動けたに違いないとすら思うようになっていた。
功績を出したのはあくまでも曽祖父、祖父、父だ。
母は、没落した男爵家の出身とはいえ、割と早い段階で平民と同じような暮らしをしていたから貴族らしさというものはあまり感じられない。
兄は身につけておいた方が便利だから、という理由で貴族としての礼儀作法もマナーも学んでいたけれど、ヒューゴは兄と比べるとどうしても覚えるまでに時間がかかった。
兄程有用性を見いだせなかったのだ。それでも、貴族令息として学ばないわけにもいかない。
平民上がりが貴族の真似事を必死にやってる、なんて陰で言われた事だってある。
実際その通りだと思っていた。
兄が何の功績も出さないまま、いっそ没落して平民に戻るような事になれば……なんて考えた事もあった。
けれど兄がそこまで無能ではない事をヒューゴはよく知っている。そんな風に考えたりもしたけれど、尊敬している兄があっさりと失態を犯すとは思えなかった。
いや、どうせヒューゴは跡取りにもならないので成人した後は平民にまじって生活してしまえばいいだけなのかもしれないけれど。
だがそれでも、ポーラに惚れてしまってからは、すっぱり平民になる! と決められなくなって。
いっそ告白して玉砕してしまおうか、なんて。
そうしたら諦めがついて平民として生きていけるんじゃないか、なんて。
商人の息子のくせにずるずるうだうだと考えて結論をすぐに出せないままだった。
これが商売ならとっくに買い時や売り時を見誤っていてもおかしくない。
どうせ玉砕するだろうなぁと思っていても、踏ん切りがつかなかった。
好きな相手に振られるなんて、できる事なら避けたい事態だ。
普通に断られるだけで済めばいいが、死んだ虫を見るような目で無理、なんて言われるような事になれば。そんな風に想像しただけで心臓がきゅっと縮こまる感覚がした。
振られ方がソフトであっても間違いなく噂にはなるだろう。
あいつ、無謀にも子爵令嬢に声かけたらしいぜ。え~マジかよ平民上がりのくせに?
そんな風に言われるだろう事は簡単に想像できてしまった。
陰口でヒューゴを笑いものにするような人たちばかりではないと知ってはいるが、それでも言われるだろう事は確実なのだ。
友人たちが気にするなよ、なんて言ってくれても毒の針でも突き刺さったかのように心には残る。
どうせ振られるのなら、せめて卒業間近の方が……なんて先延ばしにしようとしていたのだ。
意気地がないと言われても否定はできない。
そして、そうやって消極的かつ後ろ向きのくせにそれでもポーラを諦められず、ついつい視線を向けてしまっていた。
いっそラブレターでも書いてみようか。
そんな風に考えつつも、手紙も告白もどちらも実行する勇気が出なくて。
ヒューゴは別に内向的な性格でもないし、普段は割と物事を決めるのだって早い方だ。
ただ、恋愛に関しては人一倍臆病であった。
自分でもそんなだと知らなかった。自分の事なのに全然気付けなかったくらいだ。
そんな自分が知らなかった一面に振り回されていたところで、ポーラからの呼び出しだ。
どうやらポーラは両親との仲があまりよくないようで、このままだとロクでもない相手と婚約させられるかもしれない、なんて言っていた。
歴史も浅いなんちゃって貴族の自分よりロクでもないんだろうか……なんて思ったけれど、むしろ両親への嫌がらせになるからと言われて、歴史が浅いという部分に初めて感謝したのだ。
本来なら本当の事だけど失礼な事を言われているのに、その欠点とも言える部分のおかげでポーラとこうして話ができた挙句、婚約者にならないかと誘われたのだ。
歴史ある貴族だったらポーラは話しかけてもくれなかった、と考えるとまさしく天にも昇る気持ちである。
貴方の家の事を知れば両親はきっとそちらの実家からお金を引き出そうとするけれど、無視してくれて構わないとか両親の事はうっすら嫌っているけれど姉の事は大好きだとか、いろんな話を聞く事ができた。
見ているだけではわからなかったポーラの事が知れて、ヒューゴのときめきは留まるところを知らなかったくらいだ。
綺麗だな、と思っていた相手の内面が見た目通りに綺麗ではない事に、落胆する者もいるかもしれない。
けれどヒューゴはそうではなかった。
見た目が綺麗なポーラはしかし、ちゃんと人間らしさを持っているのだと知って安心さえした。
ヒューゴから見てポーラはあまりにも素敵すぎて、天使が地上に降りてきたのではないかと思うくらいだったので。恋は盲目とはよく言ったものである。
そうして気付いたら、婚約者になる事を両親に相談する間もなくその場で頷いてしまっていた。先走った感は否めないが後悔は全然していない。
むしろこのチャンスを逃したら駄目だと勘が囁いてさえいた。
結果金を騙し取られるような事になったら、その時はその時だ――など、本当にお前は商売人の息子かと問いたくなるような思考回路ですらある。商人? ギャンブラーではなく? ヒューゴの脳内を覗ける友人がいたなら間違いなくそう突っ込んでいた。
とはいうものの、いくらヒューゴが了承したといってもこの時点で婚約が成立するはずもない。
家に帰って両親に話を通さないといけないし、それはポーラも同様だった。
「何が何でも成立させてみせるわ」
「ぁ、お、俺も親説得してくる」
そんな感じで。
二人は家に帰りポーラは婚約したい相手がいると両親にごね、ヒューゴは婚約したい相手がいてすぐさま正式に申し込みたいと前のめり気味に両親へ突撃をかけた。
難航するかに思われたが、しかしポーラの両親はポーラが目論んだように最初は難色を示したものの最終的には折れたし、ヒューゴの両親と兄に至っては金目当てを当然疑ったものの、ポーラの子爵家の名を利用して構わないという言葉にそりゃまぁ、歴史の浅い貴族としてはそれなりに歴史のある貴族との繋がりはあった方がいいんだよなぁ……と口で色々言いつつも。
ヒューゴが完全に惚れているのがわかってしまったので最終的に二人の婚約は想定していたよりすんなりと結ばれたのである。
クロエがカインのところへ嫁いで、ポーラは家を継いだ後で両親をどうにかしてクロエから物理的に引き離せば。きっとお互い幸せになれる。
この時のポーラはそう信じて疑っていなかった。




